4-XX. キミが消えないように
「何か、久しぶりに来たような気がする」
「ボクもたぶん、聖歌と同じタイミングで来て以来かも」
「……そっか」
目の前に広がるのは楽譜がたくさん詰め込まれた本棚。
その奥には楽典の書籍や指導書の棚もある。さらにその奥の方には鍵盤楽器が置かれていて、試し弾きができるように防音加工がされている場所になっている。
あたしたちの他には親子連れの姿と、店員さんくらい。
どうやらアップライトピアノを見に来たらしく、真剣な顔をして品定めをしていた。
あたしたちが来たのは、星宮中央駅からそれなりに近いところにある楽器店。
先日、たまたまみずきくんと遭遇した、あの楽器店だ。
美里が打ち上げの会場に出て行ってからしばらくは喫茶店兼バル――あとからみずきくんに聞いたけれど、あのお店の正式名称はものすごく長い名前になっているらしい。略称募集中という話だったが、そうそう思いつきそうにもなかった――で過ごしていた。
一応夜の営業もあるという話だったけれど、さすがにそこまでいるわけにもいかなかった。
門限に厳しいことを言ってくるような親ではないけれど、みずきくんがお店の壁掛け時計をちらちらと気にしていたところを見る限り、彼の方がいろいろと気を遣ってくれていた。
そんな様子を見ていたこともあって、あたしは、『そろそろ帰ろうか』と言われそうな予感もしていた。
だけどみずきくんは「楽器屋に行こうかなって思うんだけど、いっしょに来る?」と訊いてきてくれた。
思ってもいなかった言葉に、あたしはびっくりして言葉が返すことができず、何とか小刻みに頷くことしかできなかった。
それを見たみずきくんはしっかりと解ってくれたようだった。
彼は無意識だったのかも知れないけれど、椅子から立ち上がるときに手を貸してくれたことに、どうしようもなくなってしまいそうだった。
「聖歌は……何か見たいのとかあった?」
本棚を目の前にしたみずきくんは、あたしを見ながら訊いてくる。
「うーん……」
少し悩む。
合唱系の教本はみずきくんが見ても――ちょっとは面白がってくれるかも知れないけれど――そこまで興味深いモノにはならないだろう。
せっかくまたこうしてここに来られたわけだし、せめてもう少しだけでもいっしょにいたいと思うのは、きっと自然なことのはずだった。
ならば、彼が今いちばん見たいと思えるモノで、あたしもちょっと気になるモノを選ぶのがベストだろう。
「だったら……」
「ん? 何かある?」
「ジャズピアノの教本……とか?」
「それは、ボクに見せたいモノって話じゃない?」
苦笑いを浮かべるみずきくんは、あたしが無理を言っているように見えているのかもしれない。
そんなことない。
何だったらあたしは、あなたが見たいモノを見たいのだ。
「ううん、そんなことなくって。あたしも、ちょっとは見てみたいし。それにほら、さっきの聴いて、やっぱり普通の演奏とは違うんだよね、って思ったら興味あるし」
でも、それを直接自分の口で言うのはやっぱり恥ずかしくなってしまって、妙に取り繕ったようになってしまう。
たぶんこれは、あたしの悪いクセだと思う。
簡単に直せたら苦労はしないなんて言って開き直りたくは無いけれど、それでもやっぱりそうなってしまうのだから悪いクセなのには代わりなかった。
「だったらそれと……、あとはついでだけど、上のフロアも見たいんだけどイイかな?」
「もちろんだよ」
――少しでも、あなたといっしょに居られるなら。
――少しでも、今は何気ない気持ちで、あの子たちみたいにいっしょに過ごせるなら。
「ありがと」
「何かまたスゴい楽器とか、あるかな?」
「どうかなぁ」
そう言って、彼は笑った。
今度はさっきより少しだけ甘い、彼らしい笑顔だった。
○
思った以上にたっぷりと本選びをさせてしまったような気がするけれど、あたしはこの時点ですでに満足だった。
彼がいちばん熟読しそうになっていた本は分厚い参考書くらいの値段がしていたけれど、こういうものはきっと1冊くらいあった方が良いと思う。
値段で中身の善し悪しが決まり切るわけじゃなくても、やっぱり文献は持っておくべきだ。
――父の請売りだけれど、それはあたしもそう思っている。
そんなことを言ってみると、自分のお財布の中身と相談をしたみずきくんは、最終的にその本を買うことにしてくれた。
お金の持ち合わせよりもポイントカードを持ってきているかを真っ先に確認した辺りは、みずきくんらしいな、と思ってしまったけれど。
「聖歌は楽譜とか教本とか見なくて良かったの?」
「今は、いいかな」
「そっか」
今は部活で練習している曲もあるし、歌い方に関しても真央先生が持ってくる資料で今のところはわりと充分な気がしている。
新しいモノを習得するよりも他の部員と合わせた方がイイと思っていた。
何よりも本の内容がどれも初めて見たり聞いたりすることだらけでおもしろかった、という部分が大きかったかもしれない。
それだけですでにあたしは満足だった。
――あたしよりだいぶ背の高い彼が、あたしにも見やすいように本を傾けてくれたりしていたことが、申し訳ない反面やっぱり嬉しく思えてしまった。
ひとまずこのフロアでの用事は終わったので、次はひとつ上の階。
店内、吹き抜けのようになっている場所には、ちょっとおしゃれな装飾も施されている階段がある。
エレベータホールの脇あたりに非常階段を兼ねているような階段もあるけれど、それを使うよりはこっちだろう。
外は間もなく日暮れ時。
向かいのビルに夕陽が反射していて、ちょっとだけまぶしかった。
「じゃあ、上行こ」
「……何で聖歌の方が乗り気なのか、と」
階段を数歩上がったところで、少し呆れたような声をかけられた。
「んー。弾けないけど、見るのは好きだから、かな」
本を読むのは昔から好きな方だし。
だけど、それよりも何よりも。
「あれ? 貴女はたしか……」
「あ、えーっと……」
フロアに足をかけたところで、見たことのある人から声をかけられた。
いきなり声をかけられるとは思っていなかったので、思わず口篭もってしまった。
「どもです、美春さん」
「ああ、やっぱりそうだった」
――そうだった。
フルネームは蘇芳美春さん。みずきくんのお母さんが懇意にしているということで、みずきくんとも縁がある人。
蘇芳さんの言うことには、先日みずきくんがお母さんから出世払いでいいと言われて渡されたオーボエは、蘇芳さんが販売担当になっていたとのこと。
「そちらのカノジョは、彼のオーボエ聴いた?」
美春さんはさらにやわらかい笑顔を作って、あたしに訊いてきた。
まるで小学生の女の子を相手にするような訊き方だった。
「まだ、です」
「甲斐性無しめ」
「……その言い方はおかしくないです?」
何となくだけれど、やっぱり蘇芳さんは『ちょっと世話焼きな親戚のお姉さんタイプ』のような感じもありつつ、あたしの記憶の中のみずきくんのお母さんにも似た雰囲気があった。
その後。購入品に関するアンケートを書き終えたみずきくんといっしょにショーケースの中の楽器を見たり、それについての説明をみずきくんと蘇芳さんにしてもらったりしていたところ、思ったよりいい時間になっていた。
気が付けば閉店まで1時間を切ったくらい。
さすがにそろそろ帰った方がいいかも、とみずきくんに言われればここは頷いておくべきなのだろう。
だけれど、この前と違っていっしょに中央駅まで戻ることができたことが、あたしにとって何よりの安心感のプレゼントだった。
「退屈じゃなかった?」
地下鉄を待つホームに来てもまだ、何となく心配がちな顔をしてあたしを見る。
「全然。むしろ、楽しかったよ?」
「そっか」
ハッキリと『楽しかった』と告げてはじめて、彼の顔に光がさしたように見えた。
安心してくれたのだろうか。
理解してくれたのだろうか。
木々が生い茂る森の中、今にも見えなくなってしまいそうな彼の元に一筋の光が差し込んできてくれたようにも思えた。
真っ直ぐに想いを告げるのは、やはり怖さがある。
だけどそうしないと伝わらないことの方が多いということは、あちこちに残っている瘡蓋が嫌というほど教えてくれている。
明るいところに居続けるにも、明るいところに居てもらうにも、そのどちらにも努力が必要だった。
第2章、完結です。
思ったよりは複雑な状況になっているようです。
瑞希たち4人(+α)の思いが交錯する青春組曲はまだまだ続きますが、ここで一旦筆を置かせていただきます。
——ということで、ここまでお読みいただきましてありがとうございました。




