1-6. おぼろげな夢物語と、よく分からない話
地下鉄の駅まで交差点ひとつというところまで来て、神流が慌てたようにスマホを取り出した。
「あっ! ヤッバ!」
「どうした?」
スリープを解除するなり、道行く車のエンジン音といい勝負が出来そうな声で神流が叫ぶ。
さすがに無視はできなかった。
「家族に買い物頼まれてたの忘れてた!」
「何系の買い物?」
「……こんな感じ」
仲條さんに訊かれた神流がスマホの画面を見せると、仲條さんは『あー……』と少し困ったような顔になる。
「それは、わりと急いだ方がイイかも」
「だよね! ……ってことだから、私はこの辺でっ!」
「あ。お、おう。気をつけろよー」
「さんきゅー!」
東に向いていた進路を一気に北に向けた神流は、颯爽と立ち去ろうとしつつも、ボクらふたりに投げキッスを忘れなかった。
――いや、別にこれをアイツがいつもやっているというわけじゃないけれど。
冬の嵐のようなモノが消え去った結果、ボクと仲條さんだけが交差点に残された。
――静かだなぁ、でも何か話をした方がいいのかな。
「……そういえば、海江田くん」
「ん?」
そんなことを思っていると、先に口を開いたのは仲條さんの方だった。
最近は彼女の方が積極的に声をかけてくれる。
席が近いということもあり、神流や他のクラスから吹奏楽部員がやってきて話をしているところにも入ってきてくれたりもする。
クリスマスの少し前くらいに、吹部のメンバーといっしょにパフェを食べに行ったとき以来、よく見られるようになった光景だった。
ところで、何かを訊こうとしているようだが。
一体何だろう。
「今日は練習していかないの?」
「……ん? ああ、なるほど」
仲條さんの視線が一瞬だけボクから外れる。
外れた先にあるのは、目抜き通りを挟んで反対側にある路地の先。
おそらく彼女が見つめたのは、あのバルだろう。
「もうそろそろ夜の営業時間始まっちゃうからねー」
「……あ、ほんとだ」
いろいろな話に盛り上がった結果、いつも以上に歩くスピードがゆっくりになっていたらしい。
もうかなりイイ時間になっている。
ボクとしてはあまり問題は無いのだけど、仲條さんの家の門限とかその辺りの事情をあまり知らないだけに、もう少し急いだ方がいいのかもしれない。
あまり遅くなっても良くないだろう。
「それに今日は部活もあったし」
「あれ? 前は部活のあとに行ったこともあったような……」
そういう日も確かにあるけれど、今日はさすがにいろいろとキツい。
主に体力面で。
「疲れているところでさらに練習、ってやっても、あんまり意味が無いからね。テニスでも、そういうこと無い? 身体が疲れている状態で練習したときに、変なクセがついちゃうようなこと」
「……あー、言われてみれば、あるかも」
楽器の演奏とかだと、わりとあっさりおかしなクセがついてしまうこともある。
どこで見たかは忘れてしまったけど、以前スポーツ選手が似たようなことを言っていた記憶があった。
「なるほどー……」
納得してもらえたらしい。
良かった。
ただの受け売りだとしても共感されると、やっぱり嬉しいものだった。
そんなタイミングで目の前の信号が青になる。
アイスバーンに気をつけながら、なんとなく横断歩道を渡りきるまで無言になってしまった。
「海江田くんって、なんかのインストラクターとか向いてるかもね」
「え、そう?」
「なんかね、アドバイスっていうか、目の付け所がすごい。わりといつも目からうろこ、って感じになる」
「初めて言われたよ、インストラクター向きとか」
演奏のアドバイスをしないわけでもないし、一緒に何かしらの勉強をするときにもちょっと便利そうなことは共有するタイプだけど。
「説明も上手だしね、海江田くんって」
「さすがに褒めすぎだってば」
「そんなことないよー」
「あんまりやりすぎると、調子にノっちゃうかもよ?」
「……調子にノった海江田くんって、ちょっと見てみたいかも」
「コラコラ」
なにこの褒め殺し戦法。
思わず苦笑いしてしまう。
「むしろ仲條さんが調子にノってません?」
「あ、バレちゃった?」
「そりゃもう」
えへへ、と笑う仲條さん。
「でも、そっかー。ちょっと残念かも」
「え?」
思わず聞き返してしまう。この話の流れからすれば――。
「もしかしてだけど、演奏、聴きたかったの?」
「うん、わりと」
即答だった。
はじかれたように隣を見る。
わずかに雲が残っている夜空を見上げる仲條さんの横顔は、嘘をついていなかった。
なんとなく、見つめてしまう。
不意に彼女がこちらを向いた。
「バーの営業時間に演奏とか、しないの?」
「いやいやいやいや」
何を言うかと思えば。
全く想像をしていない内容に、強烈に全否定をしてしまった。
「そんなこと出来るくらいのレベルには無いから」
「えー。私は全然そんなことないと思うんだけどな」
「お世辞でも嬉しいけどさぁ……」
「お世辞じゃない、お世辞じゃない」
謙遜だと思っているのだろうか、仲條さんはボクを甘やかす手を止めない。
「そうやって褒めてもらえるのは嬉しいけどね。さすがにそれはマスターが許さないと思うんだよね」
「海江田くんさ。……それ、マスターに言ってみたことあるの?」
「え」
またしても予想外の攻撃。
急所に食らってしまう。
脳天を真上から叩かれたような感触もいっしょに覚える。
あのマスターに、そんなことを言ったことなんて――。
「……無い、かな」
「だからじゃないのかなー」
それは、たしかにそうだろうけど。
でも、それはあくまでも、しっかりとお金を取っても許されるだけの実力というか技量というかそういうものがあって、なおかつそれなりに知られた人であるという前提条件が必須だろう。
ただの高校生が、何を言う。
そういう話だ。
提案すること自体が烏滸がましいわけで。
そういうものを夢見なかったわけじゃない。
星宮の中心部にほど近いところにある弓張公園。
そのランドマークにも思える、あのコンサートホール。
母親の仕事の都合だったり、この前の星宮桜宮女子高の定期演奏会だったり、自分たちの定期演奏会だったりと、何かと行くことの多いあのホール。
今まで生きてきて、そこを単独公演のようなモノでいっぱいにできたらかっこいいだろうな、などと思わなかったことがないとは言えない。
もちろんそれはあくまでも、コドモのときの夢だけれど。
――それにしても。
「仲條さんって、案外鋭いとこあるよね」
「あ。その『案外』っていうの、わりと失礼だからね?」
「……ごめんなさい」
失言だった。
素直にぺこりとアタマを下げる。
「わかればよろしい」
両手を腰に当てて、満足そうに頷く。
それまで怒ってはいないらしい。というか、完全におふざけモードだった。
案外、仲條さんもいろんな顔を見せてくれる。
元々こういう性格なのかもしれないけど、それならそれで全然悪いことじゃない。
改札を抜けて階段を降りる。
あと2駅のところまで来ている地下鉄を待っていると、
「あ、そうだ。言い忘れてたことがひとつあったんだ」
「え、なに?」
ぴっ、とかわいらしく人差し指を立てて、仲條さんが言う。
「すみれがね」
「ん? ……ああ、花村さんか」
「そうそう、花村すみれ」
花村すみれ。
1年2組にいる、仲條さんと同じくテニス部所属でダブルスを一緒に組んだりしている、モデル体型のよく目立つ人。
仲條さんも一緒に来たテストの打ち上げという体裁のパフェ会に来たこともあった。
中身は完全に高島神流と似たようなタイプなので、いろいろと注意が必要という認識が、ボクの中にはできている。
「で、その花村さんがどうしたの?」
「あの娘がね、『近いうちに海江田くんをレンタルしたいから、彼にそう言っておいて』って」
「……は?」
――レンタル?
どういうことだ?
別にボクは、レンタル彼氏業のようなモノも、レンタル何もしない人業も、始めた覚えは無い。
「うーん……、詳しい話は私も聞けてないから、とりあえず『そういうこと』だけを覚えててもらえればいいかな、って」
「そ、そっか」
たしかに、これを突然言われた日には、間違いなく今以上の動揺をしていたとは思うけれど。
でも、それにしたって――。
「レンタル……?」
「すみれはそう言ってたから、私はそのままお伝えしたまでです」
私の意思はそこに含まれてません、という意図をガンガン押しつけられたような感じがする。
わりと仲條さんも、最近は圧しが強い側面を見せているような気がしてならなかった。
「でも、どゆこと?」
「……ボクが訊きたいなぁ、それは」
謎は深まるばかりだった。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
今後入ってくるお話のプロローグっぽいもので締めてみました。
……たぶん、「1-16」くらいはそのお話になるんじゃないかなぁ、とか思ってますが。
わかんないです。
さて、ここまでは仲條さん(と神流)をメインにやってまいりましたが。
次回からは、あの子が登場です。




