3-X. 四月は風の旅人
新入生の部活勧誘も始まったばかりというのに、我らが合唱部は初日から大盛況。
嬉しいことに、いきなり大勢の後輩たちができることとなった。
たくさんの先輩たちが築いてくれた功績を考えれば当然と言えるし、本当にありがたいことだった。
あたしと同じように、この学校に入ったからには合唱部に入部したい、と思っている子が多かったことに親近感を覚える。
さらには、初日に来てくれた新入生の中には、中学校のときの後輩もふたり居てくれたことが余計に嬉しかった。
体験入部の時期もそろそろ終わりが近付いてくるころ。
今日は吹奏楽部と帰宅時間がだいたい同じになった。
どちらの部活も大所帯。
極力大声を出さないようにしつつも、階段の近くはいつもよりいろんな声がしている。
万が一大声を出そうものならしばらくの間部活動停止のペナルティが科せられるということは、入部の時のガイダンスで必ず言われる内容だ。
合唱部はもちろん、吹奏楽部も1年生の子たちにもそれは充分周知されているらしい。
いつも通り、美里といっしょに階段を降りていく。
今日はさらに、すでに入部届を出し終わっている後輩ふたりもいっしょだ。
ふたりとも部活動としての合唱は未経験だと言っていたが、この子たちの卒業してきた中学校というのは、この界隈でも有名な音楽の先生が在籍している学校。
市で主催する中学校の音楽コンクールでは、ここ数年安定してトップレベルの合唱を披露することで名が売れている公立校だ。
その先生に歌い方のイロハをたたき込まれて、そのまま合唱が好きになったという話。
「んー! 今年も心強い子たちがたくさん入ってくれて嬉しい!」とは顧問の小早川真央先生のお言葉だった。
「ホント、今年のコンクール楽しみだよねー」
「そだねぇ」
美里が後輩たちに笑顔を向けながら、私に言ってくる。
いきなり過度な期待は危険じゃないかな、なんてことを思ったりもするけれど、それは余計な心配だったらしい。
ふたりともちょっと照れくさそうな顔をしつつも、どこか場慣れをしたような雰囲気をまとっていた。
「あ! おい、瑞希!」
前の方を歩いていた小野塚くんの言葉に心臓が跳ねる。
それは決して、生徒玄関に辿り着いたからといって油断したように大声を出した小野塚くんのせいではない。
「ん? ああ、何だ。大輔か。そっちも部活終わったの?」
「ちょうどな」
テニス部のパフェ会に同行してから、小野塚くんと彼は仲が良い。
毒っ気が薄くて物怖じをしない小野塚くんらしさが、この辺りによく出ると思う。
せっかく今は同じクラスだし、声をかけても大丈夫かな。
そう思って近付こうとしてみる。
「……あ」
だけど、足が止まってしまう。
同時に、ずきり、と心臓近くに痛みが奔る。
いつの間にか彼の周りには、見覚えのある女の子が集まっていた。
真新しい月雁高校のセーラー服。
間違いなく、あの娘たちは1年生。
しかも、あたしや彼と同じく、石瑠璃南中学校の卒業生。
ウワサでも聞いたことがあったし実際に目にしたことも幾度となくあった、1学年下の才色兼備な3人。
彼を取り囲んでいたのは、まさにその娘たちだった。
彼の周りにいるのはもちろんその娘たちだけではない。
彼の元クラスメイトである神流ちゃんや、以前吹部のパフェ会に呼ばれたときに同席した佐々岡慎也くんの姿もあった。
あの子たちが悪いことをしたとか、そういう話では全然ない。
あの子たちに関してはむしろその反対だった。
だけれど、中学時代の、少なくとも良い思い出とは言えない1ページがめくれあがり、その中身を見てしまったような気がした。
しばらく歩けば駅に着く。
みずきくんたちがホームの階段にいちばん近いところで電車待ちをしているのを見つつ、その後ろを通り過ぎて距離を取る。
反対側から列車が来てくれたことで、その音や風で声がかき消される。
あの子たちはみんなホーム側を見ていた。
恐らく、あたしには気が付いては居ないだろう。
こういうときだけは運が良い。
――こういうときだけは。
「先輩たちって、どこの中学校出身なんですか?」
屈託のない笑顔で、後輩たちが訊いてくれた。
平静を装いつつ答えた。そのつもりだ。
実際、訊いてくれた子たちも「そうなんですか! かなり有名ですよね!」と話をさらに掘り下げてくれたので、きっと問題なく見えたはずだった。
「ねえ、聖歌?」
「ん? ……って、ちょっと美里。重いって」
いつもの駅で乗り換えて、そのタイミングで後輩たちと別れて、その後。
2駅分くらい黙っていた美里が、ずっしりとあたしに身体を預けながら訊いてきた。
そこそこ混雑はしてきたが、そこまでくっつかなければいけないような状況でもないのに、どうして。
「……さっき、何かあった?」
「え?」
「中学の話をしてたとき、何かちょっと雰囲気っていうかさ。そういう空気感みたいなのが、変わった気がして」
やっぱり、この子にはわかっちゃうか。そうだよね。この1年で、あたしのことをいちばん知ってるのは美里だものね。
「うん。まぁ……その、ちょっとね」
「何かあったの? 昔」
「……いずれ、美里には教える。今は、ごめん。ちょっとだけ待って」
「わかった。絶対に無理には訊かないし、聖歌も無理に言おうとしなくていいから」
優しさが痛いほどに沁みるって、こういうことを言うのかもしれない。
ここが地下鉄の車内だということだけを頼りにして、何とかこぼれそうになるものを我慢した。
我が家の最寄り駅の2つ手前で美里とは別れる。
それと同時に、違う車両に移る。
意図したとおりに何事もなく、目的地に到着することができた。
「先輩、ばいばーい!」
「君ら、本当に先輩だと思ってる?」
「思ってますよー!」
駅前、最初の交差点。
彼と後輩たちはここでお別れらしい。
元気に手を振りながら帰って行く彼女たちの姿は、今のあたしにはまぶしかった。
信号待ちをしている彼は、今はひとり。
だけれど、今こんな気持ちで声をかけても――。
「……聖歌?」
「え?」
気が付けば、目の前にはみずきくん。
「あれ?」
――どうして?
「何かぼーっとしてたみたいだけど、だいじょうぶか?」
「え?」
気が付けば、足下、あと少しで横断歩道。
無意識で歩いていたのか、知らない間に、吸い寄せられるように近付いていたらしい。
――良くない、これは危ない。
そしてきっと、彼に迷惑をかけてしまった。
「ごめんなさい」
「……謝られるようなことはしてないと思うけどね」
みずきくんが苦笑いを浮かべる。
「で? どした?」
「なんでもないよ、だいじょうぶ」
「……ふーん」
あっさりとした反応――と思ったら、全然そうじゃなかった。
あたしの顔を覗き込むようにしてこちらを見て、また苦笑いを浮かべた。
その様子を直視できなくて、横断歩道の薄くなった白ラインを見つめる。
「目線逸らしながら『なんでもない』って言うときは、大抵何かあったときなんだよな」
「え?」
驚いて、そのまま彼の目に吸い込まれそうになる。
「むかし聖歌の母さんから、そうやって教えられたことがあったような気がして」
「……んむぅ」
思わず唸ってしまう。
余計なことを彼に教えて、まったく。
このままだといろいろな意味で危険な気がする。
何か、話題は無かっただろうか。
今の話とは違った感じの――。
「あ、そういえば」
「ん?」
そういえば、で話を振るのはちょっと間違いだったかもしれない。
けれど、咄嗟に出てきてしまったのだから仕方がない。
「この前買ってたリードはどうだったのかなー、って」
「うん、上々って感じかなぁ」
あまり違和感はなかったみたいで安心する。
もちろん、ふたつの意味で。
「さすがだね」
「いやいや」
当たり外れがあるとか言っていたけれど、たとえアタリを引いていたとしてもあたしはきっと吹くことはできないだろうし、彼ならきっとハズレだとしても上手にまとめてくるだろう。
――だって。
「だって、みずきくんだし」
「……ぷはっ」
「え?」
突然、勢いよく噴き出す彼。
そして、
「あっはは!」
楽しそうに笑い始めた。ものすごく幼い笑顔だった。
「え? あたし、何か変なこと言った?」
「あははは!」
違う、と言うように手を払うが、それでも大笑いは止まらない。
絶対に何かおかしなことを言ったのだろうけど、それが何かなんて全然わからない。
あまりにもわからなさすぎて眉間に皺が寄っていくのがわかる。
「あ、違う、違う。違うから泣かないでくれ」
「な、泣いてないですっ」
顔をしかめたのが、彼には泣くのを我慢しているように見えたのかもしれない。
恥ずかしくなって、何故か敬語になった。
「……まぁ、ちょっと違わないところはあるんだけどね。基本的には違うから、大丈夫」
よくわからない言い方ではぐらかされたようだけれど、そういうことにしておく。
「実はさ、自分のオーボエが手に入ったんだよね」
「え!」
予想していなかった話。
訊けば、彼のお母さんが『出世払いでオッケー』という但し書き付きで買ってくれたらしい。
何となく『らしい』話で、あたしも笑ってしまった。
「だったら……」
「うん?」
「もしよかったらだけど、聞かせてほしいな」
「……わかった」
彼は、今度は大人びた雰囲気で微笑んだ。
「聖歌」
「うん?」
「本当に何かあったら、言ってくれていいからね?」
4月。
夜まがいの空に、思い思いのリズムに乗って、楽しそうに風が吹き抜けた。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
無事、第3部終幕です。
いろいろな感情や状況が綯い交ぜになったままで最終の第4部に突入します。
あまり語られてこなかった瑞希・聖歌の中学校時代のお話も語られる……かもしれません。
第4部もお楽しみいただければ幸いです。




