3-9. 四月は風の旅人
洋の内外を問わずホームビデオとかで、小さな子どもがクリスマスや誕生日にもらったプレゼントが入った箱を抱きしめながら、その包装紙をびりびりに破いていく光景を見たことがある。
あれは小さな子がやるからかわいらしかったり情緒があったりするわけで、そこそこ歳の行ったガキンチョがやるべき行動ではない。
それは充分解っているつもりだった。
「あーあーあ……」
「仕方ないべ」
マスターの茶化すような声は払いのける。
大外の包装紙を巧く剥がせずに途中でビリッとやってしまった。
わりと慎重にやっていたつもりだったけれど、包装紙側からすれば全然そんなことは無かったらしい。
「おお……」
「わぁ……」
「ほほぅ」
それぞれがそれぞれの反応をする。
出てきたのはやはりオーボエ。
国際的にも人気のあるメーカーのモノだ。
チラッと品番を見て、少し指先が、震えた。
「これがいわゆる美波ちゃんが言うところの『出世払い』っていうアレか?」
少し前からこういうネタが話題に上がることはあり、マスターも近いうちに動きがありそうなことは察していた。
ただ、それがまさか今日だとは思っていなかった。
「わかんないけど、これはちょっと予想外っていうか……」
――返済に何年かかるんだろう。
だって、これ、『7桁』だぞ?
利子とか、あるかなぁ。
「ミズキくん?」
「……うん?」
擦れた声で亜紀子に答える。
あまりにも情けない声に聞こえたようで、亜紀子は少し笑って続けた。
「私、楽器のこと全然知らないから訊くんだけど……。これって、スゴいヤツなんだよね?」
「そりゃあ、スゴいな」
「やっぱりそうなんだ……」
マスターが勝手に答えてくれたが、あまり誰が答えたかは気にしていないらしい。
「お、瑞希」
「え?」
マスターにがしっと力強く肩を掴まれる。
何となくマスターも興奮気味というか、テンションが上がっているのはきっと気のせいではないだろう。
値段だけで楽器の善し悪しが決まるわけではないのは解っているが、それでも値段的にスゴいモノを見たときに自分の中の衝動を抑えきれなくなるあの気持ちも解ってほしいところだった。
「お前、これ気付いてたか?」
「これって、どれ? ……おお」
オーボエの方に気を取られて気が付かなかったが、箱にはまだもうひとつ入れられてあったらしい。
マスターが掲げていたのはオーボエのケースカバーだ。
しかし、このデザインは――。
「これ、母さんのとお揃いだな……」
「ハハハ、だよなぁ。何か見覚えがあると思ったんだけど、美波ちゃんらしいな」
全く、その通りだった。
まさかでもなんでもないペアルック。
事あるごとに姉弟と言われたがっている、母の『らしさ』が極まるチョイスだった。
「あと、封筒も入ってたぞ」
ケースといっしょに手渡されたのは『みずきへ』――ご丁寧に名前の後にハートマークを付けている――と書かれた小さな封筒だった。
どこで見つけてきたのか、やたらとカワイイ雰囲気のヤツ。
「手紙か?」
「そうみたい」
何となく恥ずかしくてふたりに背を向けて中身を確認すると、便箋が1枚。
わりとカチッとした母の文字が、数行おきに書かれている。
手紙というか、メモ書きだった。
『高校に入ってからみずきがオーボエをやるって言ったこと、実は嬉しかったのよ』
『本当はみずきの誕生日に合わせる予定だったけど遅れちゃった』
『支払いはあなたが30歳になるくらいまでで結構。ただし本体価格の半額で(値段はきっと知ってるでしょ?)』
『試奏は済んでます、安心して使ってね』
『次の定期演奏会は必ず行くので、コレ使ってがんばってね』
――何だか、いろんな感情がごちゃまぜになってくる。
「あ、そうだ」
話題を逸らすためにも、どうせなら母さんの言うことに従ってみることにしよう。
「せっかくだし、今日はこれを使おう」
「お前の色にゆっくり染めてやらないとな」
「そりゃもう」
吹くのが楽しいから、なんて言って自分の体力が続く限り吹き続けたりなんかしたら、楽器の方が悲鳴を上げて割れてしまう。
新しい木管楽器には必ずつきまとう悲哀だ。
今からじっくりと慣らしていけば、今年の夏には万全の状態の相棒になってくれるはずだ。
「良いときに連れてきてもらったな、亜紀子ちゃん」
「ですね」
それで、彼女が喜んでくれるならなおさらだ。
「あ、ミズキくん」
「うん?」
どこか期待に満ちた目で声をかけられた。
「だったらアレ、また聴きたいな」
「……アレっていうと、『海の見える街』?」
「うん!」
お手本のような元気な返事が返ってきた。
そこまで前のときの演奏を気に入ってくれたのだろうか。
こんなに嬉しいことはない。
これがよかった、あれがよかったと細かく褒めてもらうのはもちろん嬉しいのだが、こうして感覚的な部分を大いに含めて求められるような反応は殊更に嬉しいものだった。
「イイじゃん、それ奏ってあげな」
「そりゃあ、もう。リクエストには応える主義だから」
「ありがと」
楽器やらなんやらのスタンバイをしようとしたところで、ピアノの上の楽譜が目に入る。
わりとしっかり製本されていたそれは、オリジナルのスコア集のようだ。
こういうところを凝るあたり、マスターらしい。
「これ、次の歌声喫茶のときに使うんですか?」
楽譜を指差しながら訊いてみる。
「ああ、そうだよ」
「だいぶ増えましたねえ」
「おかげさまでだいぶ安定してきたよ、いろいろと右肩上がりだ」
「ふーん……」
お手製スコア集のページをめくりながら応える。
がんばって若いコ向きの曲をやろうという意思は見える。
それでも案の定というか、やや昔の歌謡曲あたりが主戦曲になっているらしい。
――『時を逆さに戻して 出会った日に帰して欲しい』。
「……なるほどね」
思わず目についたその歌詞を読み上げてしまいそうになる。
深くローストされすぎてしまったコーヒーの苦みのようなものを覚える。
甘味や酸味のようなものはない、ただただ苦い味だ。
その気持ちが解らないわけではない。
だけれど、そこまで戻したところでどうとなるわけでもないような気がしてしまう自分がいるのも、また事実だった。
たとえ辛いことが混ざっていたとしても、積み重ねてきたその日々を無い物にしてしまうのは、何となく躊躇われてしまった。
「さてさて。亜紀子ちゃんは、スゴい楽器のスゴさが解るかなぁ?」
マスターは挑戦的な笑みを亜紀子に見せる。
一瞬面食らったようだった亜紀子は、少しだけ悩む。
首を傾げつつ「うーん」と小さく唸る姿を見たマスターがあからさまに目を細めているが、それにも彼女は気が付かない。
「自信はあんまり無いですけど……。バイオリンで何かスゴく昔の……何だっけ?」
「ストラディバリウス?」
「そう、それ。つまり、そういう感じで違うってコトなんでしょう?」
「んー……」
そうだね、と完全に肯定するのも何となく違う気がして、言葉を濁してしまった。
「何だよ、瑞希。ヘンに遠慮みたいなことしやがって」
「そうじゃないけど」
「大丈夫だって」
マスターの質問に対してのモノとは打って変わって、今度は自信に満ちた顔つきだった。
「だって、ミズキくんだし」
にっこりと、明らかに演奏者よりも自信満々に演奏者を立ててくれる彼女。
その表情も含めた反応に思わず――。
「……ぷふっ」
笑いを堪えられなかった。
「え? なんで? 私、何か変なこと言った……?」
「ううん。そういうことじゃないよ」
そう。亜紀子は全然おかしなことを言ってなんかいない。
「全然、そういうことじゃないんだけどさ……」
そういうところが、やっぱり自分の幼なじみにそっくりなんだな――。
このタイミングでそんなことを考えてしまった自分の思考回路におかしくなってしまっただけだ。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
未練、かなぁ。
何なんでしょうね。
それはたぶん違うものなのでしょうけど、郷愁とかそんな感じの。
ところで、本当にオーボエってすごい値段します。
調べてみて、びっくりしました。いや、まぁ、どれも上位の型はすさまじいお値段ですけども。
オーボエの場合は、他の木管楽器より木の構造部分が多いとか、いろいろと理由があるらしいですね。
(本当はチャレンジしてみたかったんですけどね、「いや、無理だわ」となりました)
第3章は次でラストです。




