1-4. いつもより早い朝に
バレンタインデーから1週間ほどが経った。
この日は何となく早く目が覚めてしまった。
眠りが浅かったわけでもない。
いつもより睡眠時間が短かったのに、不思議とアタマはすっきりはしていた。
通常通りの時間になるまでひとりだけの家でだらだらとするのも何となく居心地が悪い気がして、結局20分は早く家を出てしまった。
当然のように、学校に着いたのもいつもより20分以上早くなる。
そして、これも当然のように、1年7組の教室には誰もいなかった。
今はまた事実上の独り暮らし状態だ。
一応新年明けてしばらくの間、母・海江田美波は旧友たちとの親交を温めたり――その場になぜかボクまで駆り出される羽目になるのはちょっと困ったりするわけだが――、なかなか見られなかったドラマをストリーミングで一気に見たりと存分に羽根を伸ばしていた。
しかし、それも束の間。
しっかりと英気を養った母さんは、いつも通りの調子でまた長丁場になる仕事に出て行った。
次にまた星宮に戻ってくるのは夏頃になるだろうか。
お土産と土産話に期待しつつ、ボクとしてはまた日常の風景を味わうだけだった。
それにしても、暇だ。
さすがに時間を持て余してしまう。
スマホゲームはやるタイプではない。
今くらいの時間だときっとみんな歩いて学校に向かっている頃合いのはずで、グループチャットやダイレクトメッセージを送ったところで反応は薄いだろう。
完全に手詰まり――。
「あれ? ミズキだ」
「え? あ、ほんとだ」
「ん?」
そのまま寝てしまってもイイか、などと思い始めた矢先に、ドアの開く音に混ざって聞き慣れた声がした。
そちらの方を見てみれば、少し意外にも思える組み合わせの女子ふたり。
「おはよう。……なんか、珍しくないか? その取り合わせ」
ふたりとは、高島神流と仲條亜紀子。
休み時間などではボクも含めて一緒にいる時間は長い方ではあると思うけれど、朝いっしょに教室に入ってくる姿を見たことがなかった。
「そんなことないっしょ?」
「ああ、違う。そういう意味じゃなくて、いっしょに学校に来るっていうのが珍しいな、って思ったってこと」
「ああ、そっちね」
合点が行ったらしく、神流は大きく頷いた。
「実はたまたま。ね、アッコちゃん」
「そうなの。私が乗ってた方の地下鉄がちょっと遅れてたらしくって、ホームに降りたら反対側の地下鉄からぴったりのタイミングで神流ちゃんが」
「もうこれってさ、運命よね?」
「……まぁ、それでイイんじゃない?」
そんなんで運命感じてたら、世の中1分ごとに運命が動きまくってることになるぞ。
「朝から冷めてるわねえ、そこの男子高校生」
「朝だから醒めてるんだろ?」
おそらく神流が意図した『さめる』の意味とは違うのだろうが、そこは敢えての反応をすることにした。
――というか、ディーケー呼ばわりはやめろ。
なんとなくむず痒い感じがする。
「つまんないヤツねえ」
「うっさいな。っていうか、お前こそ珍しいんじゃないのか? この時間帯に来ることなんてそうそう無いだろ?」
「何よ。さも私が遅刻魔みたいな言い方しなくてもよくない?」
「……そこまでは言ってないけどな」
こう見えて、時間にルーズではない神流である。
――あくまでも『ルーズではない』の範疇にあることだけ気をつけてほしいところではあるが。
「あいにく、遅刻はしてませんから。……そんなには」
「たしかにウソは言ってないな」
冷静に自分のことを観察できているところは、とても良いと思います。
先生が来るよりは早く着くとか、指定時間の30秒前に到着とか、そういうパターンが時々ある程度で、遅刻魔ということはない。
ただそれが時と場合によってはちょっと迷惑になるくらいの問題だ。
「ふふ……」
「ん? どうしたの?」
神流の日常態度について省みていたところで、仲條さんが楽しそうに、それでも何とか笑いを我慢しようとして失敗していた。
「ううん。……何で隠すのかなぁ、って思って」
「んんん?」
疑問の音を重ねると同時に、神流が絵に描いたような『むきーっ!』という顔になって、仲條さんの腰あたりに抱きついた。
「何で言っちゃうのー!」
「隠すことでもないと思うんだけどなー」
「コレに聞かれるとマズいの!」
「聞かれるとマズいんなら、ヒトを『コレ』呼ばわりすんな」
いろいろと納得いかないし、釈然ともしないので、ターゲットを仲條さんにスイッチ。
「コイツ、また何したの?」
「……アンタも『また』とか言ってるじゃん!」
「鍵、間違えて持って帰って来ちゃったって」
注意が外れたタイミングを見計らったように仲條さんが暴露った。
目を大きく見開く神流。そして大きくため息をつく。
――いやいや、ため息吐きたいのはこっちもなんだけどね。
「鍵って、まさか音楽室の?」
「……そうです」
「お前なぁ……」
聞けば、帰り際に話し込んだ所為で、施錠はしたもののそれをそのまま持って帰って来てしまったそうだ。
それに気づいたのは完全に寝る直前。
なるべく影響がないようにと自己記録ペースで家を出たら、月雁駅で仲條さんと出くわしたということらしい。
「だったら、早く持っていけー!」
「言われなくてもー!」
なぜかバシッと音が出るくらいの勢いでグータッチを交わし、神流はそのままボクと仲條さんを置いてけぼりにして教室を出て行った。
さすがの運動神経。
運動部所属ではないものの、体育会系な部分が多分に存在している吹奏楽部には、時々運動部員を凌ぐレベルの運動神経の持ち主が紛れ込んでいたりする。
今年の代ならば、女子なら神流やエリー――小松瑛里華や、赤瀬川結花あたりが当てはまりそうだ。
「あ、あはは……」
砂埃が立ち上っているような雰囲気の教室に、乾いた笑いがひとつ。
完全に呆れた顔をしているだろうボクではなく、仲條さんの笑いだった。
「そういうことか、なるほどね。そりゃ神流も早く来たがるわけだ」
「神流ちゃんってば、そのまままっすぐ職員室の方行けばよかったのにね」
「あぁ、たしかに」
施錠もしているのなら一応は問題ないはずだし、今はさすがに朝から音楽室を使うようなシーンはないはずだ。
たしかに、紛失だなんだと騒がれるのはよくないかもしれないが。
「でもまぁ、とりあえず。ウチの神流の面倒を見ていただいて、ありがとうございました」
「いえいえ、そんな。こちらこそ」
ぺこり、ぺこりと真顔でお辞儀の応酬。
そして顔をあげたタイミングで互いにちょっとだけ見つめ合って、笑い合った。
「はははっ、まさか仲條さんからそんな反応を引っ張り出せるとは思ってなかったよ」
「そう、かなぁ? むしろ私にとっては海江田くんのジョークが意外な感じ」
「……半分くらいは本心なんだけどね」
「神流ちゃんが聞いたら怒るんじゃない?」
「それは、いつものことだしなぁ」
「だったら神流ちゃんに言っちゃおうかなぁ〜?」
いたずらっぽい顔をする。
もしかすると初めて見たかもしれない表情だった。
いつもは落ち着いたというか、一歩引いた感じのある仲條さんが見せる顔としてはすごく新鮮だった。
「ごめんなさい、それは堪忍してくださいな……」
「あはは、冗談だってば」
今度は無邪気な笑顔だった。
「海江田くん、面白い」
「それなら、仲條さんだって」
「……ってことは、お互いに、新たな一面見せちゃってるんだね」
「……そうかも」
仲條さんの言い方に、ほんのすこしだけ気恥ずかしさを覚えた。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
しばらくは亜紀子(と、一応、神流)のターンが続きます。