3-8. 久しぶりに、ふたりで
地下鉄月雁駅からほど近いところにある歓楽街。
そこから少しだけ奥まったところに、今日の目的地がある。
『昼のコーヒーとパフェに飽き足らず、夜にはお酒と音楽を嗜む』。
相変わらず客に名前を覚えさせる気が全く見られない、物語のあらすじのようなこの文章こそが、このお店の名前だった。
昼営業と夜営業との狭間の時間。
ボクらがよくこのお店のマスターである工藤さんにお世話になる時間帯だった。
一応ノックをしつつ、入り口のドアを開ける。
ドアベルが軽やかに鳴った。
「どもです」
「おお、来たか……?」
にやりと笑ったマスターだったが、すぐに余所行きの顔も作り始める。
「亜紀子ちゃん、いらっしゃい」
「こん……ばんは、でいいんですかね」
「気にしない気にしない。何なら『おはようございます』でも一向に構わないよ?」
「業界人を気取んないでください」
相変わらずめんどくさい絡み方をするおじさんだ。
「相変わらず冷たいねえ、瑞希は」
ボクと似たようなことを思っていたのか、マスターも呆れたような顔をする。
「亜紀子ちゃんなんて、先週も来てくれたぞ?」
「へ?」
驚いて亜紀子の方を見ると、彼女はボクに向かって照れ笑いを浮かべた。
「ほんとに?」
「ホント。……っていうか、どういうリアクションなの? それって」
「……いやいや」
他意は無い、はずだった。
たしかに、ここのカフェラテは好きだとは言っていたし、ここに来ることを彼女に勧めたのは他でもないボクだけれど。
「この前来てくれたときは、オススメのCDを訊いてくれたぞ?」
「マジで?」
亜紀子が大きく頷く。
「喜べ、瑞希。お前のオーボエを気に入ったらしくて、オーボエが使われている曲をいろいろ聴いてみたいから、って訊いてくれたんだぞ?」
「ちょっと、マスター。別にそこまでハッキリ言わなくてもいいじゃないですかー」
口調こそ恥ずかしそうな雰囲気だが、声色はその逆。
随分と楽しそうな感じだ。
完全に予想外だし、想定外。そこまで仲良くなっていたとは思っていなかった。
――っていうか、ちょっと待って。
「そこまで興味持ってくれてたとは思わなかったよ」
「何に?」
「オーボエ」
「うーん、だって、……ねえ?」
今度はあからさまに照れたように笑った。
少し暗い店内の照明にも助けられて、今度はこちらまで何となく恥ずかしくなってくる。
「まーでも、その判断は正解だよね」
「どして?」
「マスター、ああ見えていろんな曲とか名盤とか知ってるから」
ボクがいろんな曲を知るきっかけは、基本的には母さんとその周辺の人たちによるものがほとんどだ。
場合によってはテレビとかラジオとか、友達との会話の中とか、学校の音楽の授業とかそういうものもあるけれど、少しマニアックなものとなれば母さんかマスターか、みたいなところがあった。
「おい、瑞希。『ああ見えて』とは何だ」
「それは、普段の自分のノリを少し顧みてから言ってくださいます?」
不満げなマスターを適当にあしらっておく。
「それに比べて、お前は薄情だよなぁ……。俺にお前ん家の荷物の受け取りをさせて、その時くらいじゃねえか、ここに来るのは」
「いや、荷物の受け取り指定してんの、母さんだし」
思わぬ反撃を喰らってしまった。
でも、実際そうだろう。
ボクに言わせればそういう話だ。
何だったらコンビニ受け取りにでもしてくれたって構わないのに、何故か母さんは頑なにここを荷物の受け取り場所に指定したがる。
「今回なんて、いつもより重かったんだからな。感謝してくれよ?」
「感謝はいつもしてますってば」
「だったらもう少し、豆とか、忠・実・に、買って行けよ」
――うわぁ。
ドヤ顔をして見せてるのが余計に、腹立たしいというかなんというか。
頬が引きつるような感覚を覚える。
それ、結構な頻度で言うけれど、お気に入りなんですかね。
わざとらしく区切りながら発音して聴かせるあたり、狙っているのは明らかだけれども。
「……反応してあげないんだ?」
「したら負けでしょ、絶対」
「本当にお前は失礼さに磨きがかかってるな。亜紀子ちゃんはしっかりしてるぞ、その辺は」
付き合ってもらってるの解ってんのかな、この人――なんてことは口に出さずに仕舞っておくことにした。
「ところで瑞希、今日は演奏ってくのか?」
「んー、まぁ、一応そのつもりだけど……」
「……え」
ボクの答えが意外だったか、亜紀子が少し驚いたような顔をした。
「そりゃあ、リクエストには応えるのが義務でしょ?」
「いいの? でもミズキくんも、部活終わって疲れてるだろうし……」
「放課後練習ではそこまで疲れないから大丈夫。っていうかそれを言ったら亜紀子の方だって部活あったでしょ?」
「んー、たしかにそうだけど……」
――まぁ、今日の場合は、という注釈が付けられるけれど。
定期演奏会の直前とかコンクールの前とか、本気で追い込みをかけているときは放課後練習でもかなり疲弊する。
帰りの地下鉄で乗り過ごしそうになったことなんか、数えたくないほどにある。
帰宅するための体力は絶対に温存しなくてはいけないということは、できるだけ早いタイミングで知っておくべきだった。
「ところで、届いた荷物って?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
申し訳ないけれど、まずは自分の用事を片付けてから心置きなく演奏したかった。
一度裏に引っ込んだマスターが間もなくして箱を抱えて戻ってきた。
手持ちで帰れそうな大きさで安心するが、そのサイズ感の割には随分と慎重に運んできている。
「あれ? 案外重そうな……」
「そうだなぁ……、よい、しょっと」
しっかりと抱えた荷物を丁寧に、店内中央付近にあるいちばん大きなテーブルに置いてくれた。
いつもなら『どっこい庄一』とか言いながら適当な感じで放るくらいの勢いなのに。
「丁寧ッスね、珍しく」
「そりゃお前、『壊れ物注意』って書かれりゃそうするよ」
「え? マジですか」
見れば、中身の詳細は不明ながら、確かにそういう注意書きがされていた。
「何だ……?」
あまりイイ予感がしない。
わりとおしゃれなアンティークを見つけると『こういうのは一期一会だから、逃しちゃダメなのよー』とかなんとか、自分への言い訳をして買ってきたりする母のことだ。
またどこぞの雑貨店で骨董品の類いでも何か買ってきたのかもしれない。
悩んでいても仕方がない。
演奏する時間とこの店のオープン時間も考えなくてはいけない。
一度開封をしてみることにした。
「あー、まぁこれは想定内か……」
「あ、美味しそう」
食べ物系のお土産はこういうときの鉄板だ。
ただ今回は少し分量が多いような気がする。
何かまだ下に入っているようだが、それを覆い隠すくらいにびっちりだ。
「良かったら、もらってよ」
「いいの?」
亜紀子が少し遠慮がちに訊いてくる。
「さすがにボクひとりじゃ持て余すからね」
「だったら、遠慮無くいただきます」
そんなに嬉しそうな顔をしてくれれば、プレゼントのしがいもあるという話だった。
少し持ち帰る荷物が少なくなるという利点もあるけれど、それを差し引いても満足だった。
だったら早速、亜紀子に渡す分は渡しておこう――と、表面側にある箱を取ったときだった。
「……あれ?」
見えてきたのは、妙にお高そうな雰囲気の箱だった。
お土産をすべて取り除いていけば、残りはコレしか入っていない。
内心、母さんの着替えとかが詰められていなくて安心はする。
しかしこの場合、この容積で重たい原因を作っていたのは他ならぬコイツだということになるのだが。
「ん? あれ? ちょっと待って」
「おう、瑞希。それってもしかして、もしかするヤツじゃないのか?」
「……いやいや、そんなまさか」
「いやいや、それこそまさかだろ」
ちょっと興奮してきた。
見覚えのあるロゴが見えてきても、それでもまだ信じてはいけないような気がしてしまう。
まさかと口では言うが、このサイズ感は間違いなく――。
「……オーボエ?」
「オーボエじゃねーの?」
ボクとマスターの口を同時に突いて出てきたのは、同じ楽器の名前だった。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
思わぬプレゼントのようです。




