2-X. 春霞がかかったような
満面の笑みを浮かべて飛んでくるようにやってきた様子から、これから何が起きるのかは想像できていた。
ただ、差し出されたモノが自分の思っていたよりもステキな雰囲気だったので、少し驚いた。
「……と、言うことで、お返しです」
「わ。ありがとー。すっごいカワイイ」
「おー、何かイイ感じじゃん?」
「だろ? ……あ、中身は帰ってからのお楽しみだから」
今日は3月14日、ホワイトデー。
小野塚くんの茶化しが入っても、彼は意外に平然としている――かと思ったらそれはやっぱり気のせいだったようで、早々に教室を出て行った。
お手洗いにでも行ったのかもしれない。
周りの子たちは開けろ開けろと言ってくるけど、そこはしっかりと言われたとおりにする。
ちょっとだけ無視をして、スクールバッグの中に仕舞おうとして、――そこで一瞬だけ手を止める。
結局ホワイトデーに何かを用意する勇気は持てなかった。
だけど、それでもやっぱり、あたしの中ではバレンタインデーが心残りだった。
今更思う。
絶対にバレンタインデーのときの方が、贈り物をする難易度は低かった。
渡すための口実はあった。
昨年末、誕生日のときにアクセサリーをもらっていたから、『そのお返しってコトで』なんて言ってしまえばどこにも問題は無かった。
でも、あれから何度か会う機会があっても、あたしは何も言ってあげられなかったし、彼も何も言ってくれなかった。
だから、自分にはそういうことをする権利が無いと思えてしまって、結局は何もできなかった。
贖罪になんかならないけれど。
あの時もらったノンホールピアスは、いつも、見えないところに潜ませている。
今日も合唱部の方が早く終わった。
楽器の片付けなどもあるだろうから、そうなるのはある意味必然かもしれない。
ゆるゆると話をしながら友達といっしょに靴を履き替えて外に出たときに、玄関先に誰かが立っているのに気が付いた。
「あれ? あの人って……」
「……たしか、吹部の3年生の人だった気がする」
隣で平松美里が答え合わせをしてくれた。
音楽室とかでも見たことがあったし、1月の予餞会のときに彼の名前を大声で呼んでいたのもそういえばあの人――。
――もしかして、そういうことなのだろうか。
「りっほせんぱーい!」
「きゃー! はるかちゃーん!」
2年生の靴箱の方から突然大声がしたと思ったら、誰かがものすごい勢いで3年生の先輩に突っ込んでいった。
びっくりして、思わず美里とふたりで肩を大きく跳ねさせてしまう。
その人影は、そのまま待ち人に衝突音がしそうなくらいに抱きついた。
その後も飛び出していった人を追いかけるように何人かの先輩たちが玄関から出て行った。
「ちょっと! なんで早く来ないの!?」
はるかちゃんと呼ばれた2年生の先輩がこちらの玄関に向かって叫んだ。
「先輩たちが走ってくからでしょ!」
靴箱越しに聞こえた声に今度は心臓が跳ねた。
隣の玄関扉から出て行ったのは、声だけでもわかる、彼だった。
何だかものすごく遠くの場所で起きているようにも見えるその光景は、紛れもなくホワイトデーの一幕。
カバンの中から彼が何かを取り出して、3年生の先輩――りほ先輩と聞こえたけれど――に手渡し、りほ先輩はニコニコして、彼の手を握ったままぶんぶん振り回している。
握手にしてはものすごく激しい。
できるだけ自然に、でもできるだけあの集団を遠ざけるように通り過ぎていく直前、彼を取り囲んでいるような先輩たちが、口々に『来年は私にもほしいなぁ』なんて言っているのが聞こえてきた。
やっぱりあの人は、いつだってみんなのモノ。
自分の中の独占欲が今更ながらに、身勝手にも程があるくらいにひりつき始める。
そうなるように仕向けてしまったのは、自分なのに。
「聖歌? ……どしたの?」
「あ! ううん! 全然! 何でもないよ」
「そう……?」
――そこで『なら良いけど』と続けなかった美里は、もしかしたら気付いているのかもしれない。
だけどやっぱり、それを訊くだけの勇気も、あたしには無かった。
○
地下鉄の月雁駅に着くまでに美里から何度か歩くのが速いと指摘されたけれど、だからと言ってその速度を緩めることができなかった。
途中、いつもの駅での乗り換えもやっぱり急ぎ足になってしまう。
高校を出るときから妙にドキドキと鳴っているこの心臓の音は、きっとこの急ぎ足のせいだ。
そんなわけないのに、美里と別れるその直前まで、あたしは自分にそう言い聞かせたままだった。
自宅最寄りの石瑠璃駅で降りてからも、どこかふわふわしたような、でもずしりと重たいような、相反する気持ちがごちゃまぜになったままだった。
こんな気持ちになるのはいつ以来だろうか、なんて考える必要もない。
少なくとも中学1年の途中から卒業くらいまでは、ずっとあたしはこんな感じだった。
ため息を吐きながら無理矢理上げた視線の先には、コンビニがある。
ふらりと吸い寄せられるように店内へ入り、ちょっと悩んだけれどホットでも飲めるというチョコレートドリンクっぽいものを選んでみた。
刺激の強い成分は入っていないから大丈夫。
こういうときは甘味が最高の薬だと思う。
途中チラッと見てしまった棚にはものすごく誘惑力の高いお菓子が並んでいたけれど、そこはあたしが持ち得る最大限の忍耐力で対抗して、何とか棚から離脱することができた。
――10秒以上は棚の前でにらめっこをしてしまったけれど、買ってないからきっとセーフだ。
外に出て、店内に入るときとは少しタイプの違うため息が漏れた。
肩から重しが落っこちるような感覚。
うまく持ち直したような気がする。
家の方向に歩き出しながら安堵する。
これならきっと、お母さんにも変な詮索をされずに済む――――。
「あれ?」
聞き慣れた声に、思わず足を止めて、そして振り向いてしまった。
「あ、やっぱりだ」
あたしの顔を見てこちらへと近寄ってきてくれる男の子。
紛れもなく――みずきくんだった。
立ち止まらずに、最悪でも振り返らずにいれば、どうにかなったのかもしれないけれど。
やっぱり、不意の行動には本心が出るのかもしれない。
「どう、したの?」
何かを言おうと思う気持ちだけが先走って、意味のない質問を彼にぶつけてしまう。
しかも、ちょっとだけ言葉に詰まってしまった。
「どう、って言われると……、まぁ、その……帰るとこかな」
彼も少し言いづらそうな雰囲気だった。
それもそうだ。
こんな当たり前のことを訊かれるなんて思っていなかっただろう。
こめかみあたりに汗が流れそうになった。
「聖歌は、コンビニ寄ってたの?」
「……うん」
言いながら、今しがた買ったモノを見せる。
「あ、それ結構おいしいヤツだ」
「そうなの?」
「うん。オススメ、オススメ。……たぶん聖歌が」
突然ばちりと視線が交差して、彼の言葉が急停止した。
「……その、うん。好きなタイプのヤツだと、思うよ」
そしてそのまま、尻すぼみになっていく彼の声。
「そう、なんだ」
「うん」
「……そっか」
会話が途切れる。
あたしはあたしで、何を話せばいいのか全然わからない。
きっと彼も同じだろう。
あんなことを言って、彼に無理をさせているのは間違いない。
3月の初め頃、いっしょに帰ったときだって、彼はきっと我慢をしてあたしに合わせてくれただけなんだ。
今だってそう。
何となく思い詰めたような顔をさせているのは、間違いなくあたしが原因。
もうすぐで、それぞれの家路に別れる交差点。
やっぱり、がんばってそのまま歩き続けていればよかったのかな。
今からでもきっと、遅くはないはず。
「そ、それじゃあ……」
言いたいけれど、言えない。
――またね、なんて。
そう思っていた。
けれど――。
「あ! 聖歌! ちょっと待って!」
呼び止められた。
それだけじゃない。
手に、熱い感触。
「え?」
待ってね、と言いながら彼はしゃがんで、背負っていた自分のカバンを下ろして中を探り始める。
あたしの手をしっかりと握ったままで。
「これ、……あげる」
そして、握られていた手が離されるのと同時に、カバンから取り出された小さなかわいらしい袋が渡された。
「え? ……どして?」
「んーと……、世に言うところのホワイトデー、的な」
彼は楽器店の店員さんに何やら言われたことなどを言ってくれているのに、そのすべてがぼんやりとして聞こえる。
突然のことに頭が真っ白になって、言うべきことが一瞬どこかへすべて吹き飛んだ。
何とかそれを掻き集めて言葉を作り出そうとしてみる。
「え。でも、だって」
どうするのが、正解?
「ダメだよ……」
「え?」
「あたし、受け取れないよ」
――受け取っちゃいけない。
「やっぱり、そうだよな……」
心底からがっかりした、彼の声。
「ち、違うの!」
こんな言葉じゃダメだ。
そんな顔をさせる意味合いで、言ったんじゃない。
「そういうことじゃなくて! だって、あたし、バレンタインデーに渡せてないし……! それに……、それに、あたし、あの時のお礼もしてないっ……!」
「あの時って、誕生日?」
「……うん」
心残りなんてたくさんある。
悔やんでも悔やみきれない。
「なぁんだ。よかった」
「『よかった』って……」
なのに、どうしてあなたは――。
「だったら、これを受け取ってくれるのが『お礼』じゃ、ダメかな?」
――そういう言葉をかけてくれるの?
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
以上で「ホワイトデー篇」は終了です。
瑞希のよそよそしい雰囲気は、ただ緊張していただけだったわけですが。
……そろそろ、瑞希と聖歌の中学時代に起きた話をする時期かもしれないですね。
そんなわけで、次は「冬季体育祭篇」です。




