2-6. 「美しき春」の訪れ
地下食品店街を通り抜けていく。
お菓子類の店舗が入っているエリアはさすがにホワイトデーの雰囲気だらけだが、そこから外れると割合いつも通りの光景。
中華惣菜の美味しそうな匂いに惹かれそうになったりもするが、今日のところはガマン。
そのままフロア中央付近のエスカレーターに乗る。
「はぁ……」
危ない、危ない。
思わず安堵のため息を漏らす。
いろいろなモノを見るのが好きと言っても、どんな誘惑にも打ち勝つことができるかと聞かれれば、それは否。
明らかに手が出ないような金額ならまだしも、おかずをひとつ追加するとか、食後にスイーツを追加するとか、それくらいの範囲だと危険なわけで。
何かひとつ足してしまうと一気に財布の紐が緩むのは、きっと母親譲りだと思う。
ゆったりと流されるままにエスカレーターに乗り続けて、辿り着いたのは催事場があるフロア。
もう、見たらわかる。
ホワイトデーのヤツ。
少しばかりバレンタインデーのときよりもショーケースの個数も人の数も少ないような気がする。
――案外、気のせいじゃないのかもしれないけど。
ただ、少し予想外なのは、男女比率。
内心、もっと男性の比率が低いと思っていた。
わりとスーツ姿のサラリーマンがいる。
駅前のデパートは会社帰りの客が重要なのだろう。
エスカレーターを上がってすぐのところに店を構えたところは、わりとその客層が好みそうな雰囲気のシンプルなものが多く見えた。
「おっと」
そこまで悠長なことを言ってもいられない。
できればささっと済ませておきたいところだ。
先ほど祐樹たちと見ていたパンフレットを開こうとして――。
「あ、やっぱり! 瑞希くんだ!」
「……へ?」
聞き覚えのある声が突然真後ろから聞こえた。
思わず振り返って、その声がした方向を探す。
「え、美春さん?」
「まさかこんなところで会うなんてねー。っていうか、もしかして、店の外で会うのって初めて?」
そこにいたのは蘇芳美春さん。
日頃お世話になっている楽器店の、管楽器エリア担当の店員さんだ。
「仕事終わったところですか」
「そ。さっきね」
定時でバシッと上がってそのまままっすぐ立ち寄ったと考えれば、妥当なタイミングだった。
「で、上で、何か食べてから帰ろうかなぁ、なんて思ってたんだけどー……」
上の階を指差しながら話す美春さん。
百貨店の最上階と言えばどこもだいたいそうなっているだろうけど、指差す方向はレストラン街があるフロアだ。
ボクもそうだけれど、この時間帯はかなり空腹的な意味合いでかなりキツい。
地下食品店街のところで気を抜くとすぐにショーケースや実演販売に吸い寄せられてしまう。
「思ってたんだけどねえ……」
にこにこと話していた美春さんの顔が――いや、具体的に言えば、瞳が――ギラリと妖しく光ったように見えた。
背筋が冷える音がした。
同時に、周りの視線がボクに刺さってきているのを、痛いほどに感じる。
何だか変な想像をされているような気配に、さらに背筋が凍る。
「何か、晩ご飯食べるより美味しそうな餌……」
「は?」
「間違えた」
絶対ウソだ。
人間、そんなにキレイに口を滑らせるわけがない。
「なんかー。ばんごはんよりー。おもしろそーなー。わだいがー」
「いやもうなんか、もうイイっす」
そんな棒読みで言い直されたところで、何だという話である。
からかう気満々なことくらいボクにも解る。
「それで? 現役男子高校生である瑞希くんがココにいるということはー?」
ほら、もう。
この顔で充分理解できる。
ところでこの人、今、シラフなのだろうか。
実は一杯どこかでひっかけてきてここに来ているみたいな話では――。
「無視しちゃやーよ、っと」
「ぐえっ」
思いっきり首当たりを掴まれて引き寄せられる。
気を付けて立っていたわけじゃなかったせいか、そのまま美春さんと密着してしまう。
――あ、お酒の匂いはしない。
疑ってごめんなさい。
口に出して言わなくて良かった。
「それでそれで? もしかしてホワイトデー? もしかしなくてもホワイトデー?」
「いいえ、ボクも夕飯です」
にっこり、貼り付けた様な笑顔になっているだろうけど、関係ない。
うまく取り繕えればそれで充分。
「美春さんも晩ご飯って言ってましたよね。いっしょに行きましょ」
足の動きが硬くなっていたが、強引に歩き出す。
美春さんの横を通り抜けるように歩を進め――。
「フフフ」
「うっ」
――進められなかった。
がっちりと手首をホールドされた。笑顔が怖い。
「それで? ……本当は?」
「…………ホワイトデーです」
「正直でよろしい」
諦めた。
意固地になる必要なんてないのは解っているつもりだけど、でも本当は、何となく言いたくなかった。
でも諦めてしまった。
美春さんのことだ。
この人は、絶対に獲物を逃さないタイプだ。
満足そうに数度肯いた美春さんは、そのまま誇らしげに胸を張った。
一瞬そちらの方に視線が行きそうになったのを耐える。
もしかすると気付かれたかもしれないけど、せめてもの抵抗だった。
「ならば、今日はお姉さまがお付き合いしてしんぜよう」
「何にですか?」
「それはもちろん、瑞希くんのホワイトデープレゼント選びよ」
その手の眼力で言えば、美春さんは間違いなく――本当に当たり前のことだけど――ボクより女性の好みを知っている。
頼もしい助っ人には違いない。
「なんならちょっとくらい私が出してあげよう!」
――は?
「マジですか」
ありがたい話だけど、それはさすがに申し訳ない。
固辞しようと思ったけれど、それより先に美春さんが言葉を続ける。
「わりとマジ。というか、そこで君をぬか喜びさせてバイバイするほど、私も卑劣じゃないわ。だから遠慮は無用よ」
「……ちなみに、その後で何か見返り求めるとか、無いですよね」
「失礼ねえ」
片方の口角を持ち上げるようにして、美春さんが苦笑いをした。
「まぁ、……そうね。今後とも私の営業トークをご贔屓にって、美波さんにも言ってもらえると嬉しいかな」
「それくらいなら全然、お安い御用ですよ」
「おっけー、商談成立」
意気揚々と売り場の方に進んでいく美春さんを追う。
が、当の本人はすぐに立ち止まってしまった。
そのままこちらを向くと。
「渡す相手は?」
言わなくちゃ、ダメだろうなぁ。
「まぁ、ウチの母さんですよ」
「うんうん。さすが孝行息子」
「……そんなんじゃないです」
ここ最近は、何度も話の逃げ口に使ってしまっている。
だんだんと悪いことをしているような気分だ。
ちょっとくらいは奮発して、母さんの好きそうなモノを見繕ってあげた方がいいだろう。
「他には?」
「え?」
「……いやいや。そこでしらばっくれられてもお姉さん困っちゃうわ」
そういうことではないのだが。
「いるでしょー? 学校に」
「居なくも無いですけど」
観念して、渡す相手のリストを告げる。
手袋のお返し枠として、里帆先輩・春紅先輩・神流の3人。
バレンタインの時に演奏を聴いてくれた亜紀子。
合わせて4人の名前を出した。
最後まで聞いた美春さんは、それでも何かに引っかかっているような顔をする。
「どうしました?」
「あと、あの時の娘でしょ?」
薄らと、嫌な予感がした。
「……あの時って」
「この前、いっしょに来てたあの子」
そうだろう。
美春さんが見たことのある、ボクにそれなりに近しい関係にある女の子なんて、ひとりしかいない。
きっと聖歌のことだ。
「幼なじみなんですけど」
「うん、覚えてるわよ。瑞希くんもあの時そう言ってたし」
確かに、そう言った。
「でもさー。だったら、なおさらあげればイイと思うんだけど」
――白状するべき、なのだろう。
「……彼氏、いるんですよ」
「…………は?」
雑踏の中、ボクと美春さんの周りだけ音が消えたような気がした。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
「美しき春」。モノは言い様ですねw
いや、北国では3月くらいじゃまだまだ春とは言えません。
桜の便りくらいはほしいですよ。
さて、どうにかプレゼントは買えました。
(美春さん、けっこう気前よく出してくれたらしいですよ)
次は、いよいよホワイトデー本番のお話。




