1-XX. 昔のようには行かなくても
「じゃあ……、また改めてよろしく、聖歌」
そう言って微笑んだ彼。
セピアカラーだった写真に色が付けられていくような感覚になる。
「うん」
そう言うだけでも充分だったけれど。
「…………ありがとう、みずきくん」
あたしは、無意識のうちに感謝の言葉を添えていた。
そこまでしなくてもいいのに、と一応は言ったけれど、結局彼はわざわざ遠回りをして私を家まで送ってくれた。
制服を着ていっしょに帰った記憶は無いので、たぶん小学校以来だろう。
最初のうちは『母さんがやれって言うから』なんて、憎まれ口を叩いていたこともいっしょに思い出してしまった。
「……なに?」
「ううん、何でもない」
危うく思い出し笑いをするところだった。
バレるときっといろいろと危険。
「……まぁ、いいけど」
察しの良いことが多い彼。
もしかしたら気付いているかもしれないけど、触れてこなかったので少しだけ安心する。
「それにしても、平日の午後にのんびりできるのなんて、何年ぶりだろ」
「……あ、そっか。吹奏楽部、休みほとんど無いよね」
――と、言ったけれど、よくよく考えればそうでもない。
音楽室の割り当てなんかを見れば、それくらいはあたしでもわかる。
中学のときも、今も、彼が所属した吹奏楽部は一応は休みがあった。
だけど彼は部活が休みの時にも自主練習をいつもしていたわけだから、休んでいるイメージすら無い。
「休めるときは休んだ方がいいと思うけど」
「今日は一応、楽器触らないって決めてるんだけどな」
少し、怪しい気もする。
けれど、彼の横顔を見れば嘘では無さそうな雰囲気だった。
「もしかして、あんまり信じてないとか?」
「……うん」
バレてしまった。
でも、あたしにだって言い分はある。
彼が楽器に触らないイメージがあまり持てないから、そう思ってしまうのは仕方がないと思う。
「無理だけはしないでね」
「……そのままお返しするよ」
ある意味これも彼らしい反応だったけれど、それでも少し心配になる。
「じゃあ。また、学校で」
「うん。またね」
それきり会話もないまま、然程歩かずに自分の家へを辿り着く。
気まずさのようなものは、びっくりするほどになかった。
彼は本当に小さく数回手を振って、来た道を帰っていく。
胸がぎゅっと締め付けられる様な気がするのは、一体何のせいなのだろうか。
昔の思い出がよみがえったせいなのか。
それとも、今ここから去って行く彼を見ているせいなのか。
今の私には解らなかった。
「ただいまぁ」
「おかえり。……意外と早かったわね」
「うん、まぁ……」
母・千里が出迎えてくれた――わけではなかった。
車のキーを左手に。
右の腕にはエコバッグ。
ちょうど買い物に出るところだったらしい。
「お昼は食べて来た?」
「お昼……」
あの激闘を思い出してしまい、頬が引きつる。
同時におなかの重さまで思い出してしまう。
「何食べたの?」
「……パフェ」
「若っ」
その反応はどうなのかな。
「どこの?」
「三番街にある……」
「あー、わかったかも。観光客向けのおっきいヤツ出すとこでしょ?」
「うん、そのお店」
数日前、地方局の情報番組で紹介されていたらしい。
「お昼の空きっ腹によくイケるわねー」
「そういうお母さんだって、お昼にシフォンケーキだけとかやってるでしょ」
「あれは別」
同じでしょ――と内心思う。
甘味抑えめだけどしっかりクリームが添えられているシフォンケーキを、お昼にひとりで楽しんでいることくらい、あなたの娘は知っているのです。
「まぁ、いいわ。行ってくるわねー」
「はーい、行ってらっしゃーい」
ばたばたと出て行く母。
ドアだけは静かに閉まる。
リビングからは、何故かテレビの音。
完全なる消し忘れだった。
ああいう風にどたばたと出掛けようとしているときは、大抵何かを忘れていることが多い、我がお母さま。
財布とかじゃないだけマシだろうか、と思いつつ、一旦リビングを素通り。
洗面所で手洗いとうがいをしてから、もう一度戻ってきてテレビの電源を落とした。
「ふぅ……」
ベッドに溶け込むようにうつ伏せで倒れる。
疲れたわけではないはずだけど、深呼吸のようなため息が漏れ出した。
それと同時に、さっきまでの出来事と、先日の楽器店でのことを思い出す。
「……すみれちゃんってば」
花村すみれという女の子は、時々行動が読めなくなるタイプの人だ。
その場のノリで動くことが多いけれど、まさかああいうタイミングで、ああいうことを言い出すとは全く思っていなかった。
時々、すみれちゃんが羨ましくなるときがある。
ああいう風に誰に対しても同じように――小野塚くんに対してだけは時々当たりがキツいように思うこともあるけれど――振る舞えたら、なんて考えることは、今までに一度や二度じゃなかった。
今回もそう。
テニス部の子たちを引っ張った上で、ほとんどの人が初対面だったかもしれない彼とか小野塚くんを、上手に輪の中に引き込んだように見えた。
それで言えば、以前の勉強会でいっしょになった吹奏楽部の女の子たちもそうだった。
基本的にはストレート、みんなそんな印象。
からかいあったりもして、とても楽しそうにしていた姿が印象的だった。
そういう子たちに比べて――。
何にでも得手不得手はあると思うけれど、それでもやっぱり少しくらい憧れは抱いてしまう。
ただ、それでも、今回はこれで良かったのだと思う。
そして、ある意味では助かったのだとも思えた。
脳裏に過るのは、ふたつの彼の表情。
ひとつは、楽器店での別れ際でのこと。
何かに弾かれたように、あたしに何も言わせないように、慌ててお店から出て行った彼。
その直前あたりから――もっと言えば、あたしと出会ったあたりから、彼は少し困惑したよう顔をしていた。
理由なんてきっと、あたしが一番よくわかっている。
どうしようもなくなったときのあたしの行動で、彼を困らせてしまったことはそれなりにあった。
そしてもうひとつは今日のこと――甘党であることを言われていたときのこと。
彼が小さく零すように言った、『変なのかな』。
どこかに手を伸ばしながらも、何かに掴まることは諦めたようなその声に、思わず反応してしまった。
その理由もきっと、あの場にいる人の中ならあたしだけが知っていることだった。
一瞬の迷いで勇気を出すのが遅れたら最期。
そんなこと、知っている。そう思っていたけれど、結局は知っているつもりになっていただけだった。
今日はそんな風に迷うような時間も無く脊髄反射みたいな感じで言ってしまったけれど、直後の彼の顔を見たらその反応は正しかったと思えた。
だからこそ、あの時も。
もう少しだけ、自分を奮い立たせてあげられるだけの勇気があれば――――。
「……はぁ」
ため息のような深呼吸。
きっと、これは深呼吸。
ため息なんかじゃない。
お母さんが買い物から戻るまで、まだ時間はある。
だから、まだ大丈夫。
自分にそう言い聞かせて、目を閉じる。
――『無理だけはしないでね』
――『……そのままお返しするよ』
まぶたの裏に浮かんで見えたのは、ついさっきの彼の表情。
ある時から見る機会が増えた、微笑みのような苦笑いのような表情だった。
あのときのあたしは、あくまでも楽器について言ったつもりだったけれど、やっぱり内心は違ったのかもしれない。
それは彼の反応がそう教えてくれた。
彼から見れば、あたし自身もどこか無理をしているように見えたのだろう。
けれどそれ以上に、彼自身に無理をさせてしまったのだという思いが確信に変わった。
久しく呼んでいなかった名前で呼んだときの反応が、いちばんの例だ。
それでも彼は、最初は空気に流されてしまった感じもしたけれど、最終的にあたしのことを改めて名前で呼んでくれた。
たとえ昔と同じような雰囲気でも言い方でもなかったとしても、それでも嬉しいと思ってしまった。
あたしが昔作ってしまった壁を、彼はひとつ取り除いてくれた。
「……うん」
彼のようにはいかないかもしれないけれど。
いつまでも甘えてばかりじゃいられない。
彼女たちのようにはいかないかもしれないけれど。
他の人に対しても自分を表現しないといけない。
そう思うのだけど――。
――やっぱり、胸は痛かった。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
これにて第1部完結です。
(4部構成です、まだ3つあります)
いい加減に、「なぜ瑞希と聖歌が離れてしまったのか」をお話ししなくちゃいけないですね。
第2部以降をお楽しみにしていただけると嬉しいです。
そんな第2部ですが、3月中頃からのお話になります。
3月中旬といえば、「あのイベント」がありますね。




