1-19. 昔のように
「よっしゃー! ごちそーさまーでしたー!!」
すみれの雄叫び。勇ましいことこの上ない。
プラスに作用するのかマイナスに作用するのかは人それぞれだと思うけれど、彼女のリアクションには必ずと言っていいくらいにギャップが大きかった。
思っていたより時間がかからずに勝利を収めたのは、すみれを筆頭にしたテニス部勢と歌織。
――一応、自分も含めておこうか。
これでも結構な量を食べたつもりだった。
両隣の亜紀子と聖歌は、途中からは休憩を挟んだりはしていたがそれでも何とかノルマになっているくらいの分量――具体的に設定されたわけじゃないけれど――は食べきれたと思う。
ふたりの気が少しでも紛れるように声をかけたり、名前を呼んだりしてみたが、それに効果はあったのだろうか。
お疲れさまと声を掛ければどちらも弱々しい笑みを見せてくれて、ボクは苦笑いを返すことしか出来なかった。
「ほら、出しゃばりポンコツ。帰るよ」
――パシィン!
「痛ってえ!」
スナップが強烈に効いた張り手が大輔の腿に決まる。
ものすごく慣れた手つきに見えてしまう。
指の形がくっきりと残りそうな音だった。
結局ほとんど役に立たなかったのはこの男だ。
次また出会うことがあれば、容赦なく『おにょでー』もしくは『ショースケ』と呼んでやることにした。
○
時計はまだ昼を少し過ぎたくらいだったが、大半の子は自分のおなかと相談した上で帰宅することを選んでいる。
他人事のように言ったが、ボクもその中のひとりだ。
今日はとくに星宮中央駅近くにも三番街近辺にも用事はない。
ランチなんか、さっきのパフェで充分だし、何ならカロリーオーバーだろう。
楽器店にも今日はとくに行く予定もない。
この集まり以外に予定が無かったのだから当たり前の展開だった。
――というか、今は明らかに金欠だ。
この状態で中央駅近くの楽器店に行っても、ただ指を咥えて見ているだけになってしまう。
ウインドーショッピングは好きな方ではあるけれど、やはりいろいろな部分に少しくらいの余裕が欲しかった。
すみれと亜紀子は元々この後にも予定を組んでいたらしく、中央駅の方へと歩いて行った。
地下鉄を使わないのは、すみれ曰く『ふた駅分だとしても歩いた方がいろいろと捗るから』だそうだ。
何が捗るのかは簡単に察することができたが、ひとまず黙っておくのが正解に決まっている。
「また学校でー!」
「じゃーねー」
――などと言いながら、それぞれが自分の道を歩いて行く。
彼女たちを最後まで見送って、改札前に残ったのはボクと聖歌だった。
「もう少し休んでから帰る?」
「……うん、そうしたいかな」
「だよなぁ」
「おなかいっぱいすぎて」
「同じく」
さすがにボクのおなかも、重力に耐え続けるには厳しい。
聖歌もそれは同じらしかった。
どこかに座って休むかとも思ったが、どちらからともなく歩き出す。
プランなんか無いけれど、それで充分だろう。
「聖歌はさ」
「……あ」
「あ」
彼女が漏らした声で我に返る。
さっきの流れのまま、また名前で呼んでしまった。
「ああぁ、ごめん。さっきのクセで」
「ち、違うの。そういう意味じゃなくて」
咄嗟に謝ったが、聖歌は何だかわたわたしている。
「何か、その……。昔みたいでいいな、って思っちゃって」
「……言われてみれば、たしかに」
ぽろっと、賛同してしまった。
きっと本心なのだろう。
そういえば、ボクが声に出して聖歌のことを名前で呼んだのは、いつ以来になるのやら。
彼女の方がボクを名前で呼んだのはこの前の楽器店以来だが、その前ならば中学校かその前まで遡ることになるわけで。
そうすると、それと同じかさらに以前の話。
深いことなど何も考えていなかったような時代の話になるのかもしれない。
「まったく、いきなり名前で呼べなんて……。しかもオレ向けルールとかさ」
「たしかに、あれはちょっとびっくりしたけど」
「いつもあんなノリなの? 2組って」
「うん。……あー、んー。うん、そうかも」
即座に出した答えを一旦取り下げようとした聖歌だったが、結局その答えを再提出してきた。
どのあたりが引っかかったかはよくわからないけれど、即答してしまえるような雰囲気があるというのだけは理解できたと思う。
「ご愁傷様、大輔」
「あはは……」
今頃甘く重たくなったおなかを擦っているだろう彼に向けて合掌するボクを、聖歌は何とも言えない苦笑いを浮かべて見ていた。
地下鉄車内の轟音の中で話す気にはならなかった。
それは聖歌も同じようで、ボクらはふたり並んで何をするでもなく、ただただ石瑠璃駅へと運ばれるのを待った。
――昔みたい、か。
1時間ほど街中を聖歌といっしょにぶらついている間、この言葉が血液のようにずっとぐるぐる回っていた。
何なら、今地下鉄駅から地上へと繋がる階段を上がっている今も、ぐるぐると思考は巡ったままだ。
昔みたい。
そう言ったときの聖歌の笑顔は、小さな頃の記憶の中にいる彼女とよく似ていた。
ふんわりとした、ともすれば自己主張に乏しいように見えて、実はしっかりとした芯のある少女の笑顔。
子どもが成長したときに『そのまま大きくなった』とか言われたりするが、まさにそう喩えるのがぴったりに思えた。
人並みに外で走り回ったこともあれば、家でおとなしく遊んでいたこともある。
いっしょにいる時間が一番長いのは、彼女の両親を除けば間違いなくボクだろう。
それなのに、彼女の笑顔から離れていた時間は、実際に過ぎていった時間以上に長く感じた。
「名前か……」
「え?」
「あ」
思わぬ反応が来た。
聞こえていないだろうと思ったが、予想外に独り言が大きくなってしまったらしい。
「ああ、いや。……まぁ、その」
しどろもどろって、こういう状況のことなのか。
冷静に自己分析する自分に少し驚く。
それでも聖歌は黙ってボクが落ち着くのを待つように、横に並んだ。
「名前で呼んだの、久しぶりだったような気がするなって思って」
正面を見たまま、正直に言うことにした。
張るような意地も無いし、隠すようなことでもない。
余計な飾りは、彼女に対して必要ないと思った。
「……そだね」
思ったより切なげな声が聞こえてきた。
隣を見る勇気はない。
敢えてこの前の楽器店で名前を呼んだことに触れる勇気も、持ち合わせてはいなかった。
「あの、ね」
「うん」
「もしよかったら、そのままがいいな、って」
以前、音楽室を使ったテスト勉強会の時も、意図的に名前では呼ばないようにしていたこと。
もしかすると、聖歌には悟られていたのかもしれない。
さっきの歌織ではないが、『機会を失っていた』のはボクの方だった。
何を今更。
そう思われるのが怖かったのだろう。
「別に、イヤじゃないよ」
余計な枕詞のようなものを付けてしまった。
張るような意地は無いと思っていたのに、風が吹けば一瞬で飛ばされるような見栄を張っていた。
別に、なんて。
そんな言葉はいらないのかもしれないのに。
「ホント?」
「ホント」
これは、紛れもなく本心だった。
昔と同じがいい――。
そうやって聖歌が望むのであれば、それが一番いいのだろう。
自分が、昔と同じように振る舞えばいいのだろう。
つかず離れずということではないけれど、彼女たちとは良い具合の距離感を保って、また新しい付き合い方を作っていけばいいのだ。
聖歌はそう言ったけれど、きっと昔のことを延々と引きずっているのは、他でもないボクの方なのだろう。
昔に戻ることは、きっと無理なのだ。
何せ、彼女の方にはすでに『新しい付き合い』がある。
少し違うけれど、ボクの方にも新しい関係性は生まれている。
あと少しで1年生としての生活も終わり、高校生活の折り返しを迎える年になる。
今はまだ閉ざされた扉の向こうに、もう少しで開かれるだろうその先には新しい何かが待っている。
そんな期待が、なぜかボクの中にあった。
きっと、これは、その前触れなのだろう。
だから――。
「じゃあ……、また改めてよろしく、聖歌」
「うん。……ありがとう。みずきくん」
視界に捉えた彼女の笑顔はやはり、アルバムから取り出してきた写真のように、あの日の笑顔とよく似ていた。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。
瑞希と聖歌がこんな関係になったのは、悪いタイミングでいろいろなことが起きてしまったから。
瑞希が聖歌に対してこういう感情を覚えたのも、やっぱりタイミングの問題なんです。
ということで、次のエピソードはその「答え合わせ」。




