1-1. また、日常が帰ってきた
2月15日、朝の街。
ふわりと舞い降りてくる雪を眺める。
「……寒っ」
悠長なことを言っている余裕は無かった。
ボケーっとしてるんじゃない、と言わんばかりにいきなり吹いてきた強風に思わず肩が縮む。
コートのポケットから先日もらった手袋を取り出した。
指先はなんとかなるが、顔のこわばりはどうしようもなかった。
天気予報の言うとおり。
雪まつり終幕から数日は寒の緩みがあったが、それもただの気休め。
一瞬で真冬の星宮に逆戻りだ。むしろ一瞬だけ暖かくなった――と言っても、ギリギリで最高気温がプラスになったくらいだけど――ことで、余計に今朝の寒さが身にしみるようだった。
街の風景も、まだどこか寝ぼけているような色をしている。
けれど、地下鉄駅周辺に近付くにつれて、どことなく落ち着いているような様子もあった。
いつも思うが、装飾の入れ替えや取り替えの早さはスゴい。
たしかに昨日の帰りに見たときはまだギリギリ『バレンタイン』の文字があったはずなのだが、今朝はそんな文字なんてこの世に存在していなかったような雰囲気だ。
きっと、駅前通りのお店とか、地下街のショーケースの中とか、あの辺りはもう完全に中身の入れ替えを終えていることだろう。
配色も赤とかピンク系の物から、恐らく白とかパステルブルー系に変わっているだろう。
「ホワイトデーね……」
今年のバレンタインは柄にもなく、多方面からいろいろとプレゼントされてしまった。
吹奏楽部メンバーからのチロルチョコ祭りはもちろんのこと、雪まつりにいっしょに行ったときに先輩たちからもらった手袋のお返しも考えなくてはいけない。
――そして何よりも、あのチョコレートに対してのお返しがいちばんの悩みどころだった。
もっともその前に、一介の高校生としては諸々乗り越えなくてはいけない障壁があったりするのだが。
「主に、テストとか」
正直、今から気が重くなる。
だったらそんな独り言は止めちまえ、と言う話だろうけど、出てきてしまったモノは仕方が無かった。
独り言とはいえ、出てきた言葉はもう飲み込めない。
3秒ルールなんてものはこの界隈に存在しない。
自分勝手に気落ちしながら、また少し伸びてきた髪を少しいじって、いつも通りに最寄りの地下鉄駅の改札へと向かった。
いつも通りの乗り換えを1度経て高校最寄りの月雁駅で下車をし、いつものベーカリーで昼に食べるパンを購入。
今日はメンチカツカレーパンという、食べ盛り男子にはありがたいメニューをチョイスした。
他にもいくつか買ったが、今日のメインは明らかにコイツだろう。
会計をしてもらっているときに店員さんが苦笑いの色を含めたような笑顔を向けてくれた。
そんなに嬉しそうな顔をしていたのだろうか。
今更ながらちょっと恥ずかしくなった。
「……ん?」
学校側へと足を向け、しばらく歩くと見えてくる目抜き通り。
その交差点で信号待ちをしている人の中に、見覚えのあるショートヘアの後ろ姿を見つけた。
なぜか、一瞬だけ心臓が跳ねたような気がした。
なぜか、足も止まる。
――何してる、遅刻するぞ。
脳内で誰かが強い口調で言ってきた。
その通りだけど。
さすがに何も声をかけないのだけはおかしい。
何せ、昨日はいろいろと――あったから。
「仲條さん?」
「え?」
声をかけると、その人はこちらを向く。
彼女は同じクラスの仲條亜紀子。
ふんわりとしたおとなしい雰囲気の、実は体育会系な人だ。
「あ……、海江田くん。おはよ」
「おはよ。早いね」
仲條さんは少しだけ眠そうな顔をしていたが、元気ではあるようだった。
ふんわりとした笑顔を向けてくれた彼女を見て、『言わなきゃ』という気持ちになった。
「昨日はありがとう」「昨日はありがとね」
「ん?」「え?」
ほとんど同じ意味の言葉が、ほとんど同じタイミングで、お互いの口から飛び出した。
「いや、ボクの方がありがとう言うべき立場でしょ」
「私だよー。海江田くんじゃないよ」
「いやいや」
「いえいえ」
謎のお礼の押し付け合いが始まってしまう。
水を差したのは青信号だった。
互いに何も言わずに休戦協定が発生し、横断歩道を渡り終えたタイミングで仲條さんが改めて切り出した。
「昨日のチョコ、食べてくれてありがとうね」
「いえいえ。美味しかったし。それこそ、こちらこそありがとう、ってヤツだよ」
昨日のバレンタインデー。
ボクの友人であり仲條さんの幼なじみである水戸祐樹に渡せなかったチョコレート。
少し複雑な背景を受けつつ紆余曲折あって、顔なじみの喫茶店兼バルの中で、そのチョコレートをふたりで食べた。美味しかったのは間違いない。
ビターな風味が濃く感じられたそのチョコレートは、どうしたって彼女の想いが感じられてしまい、少しだけセンチメンタルな気分になったのはナイショだ。
「ボクの方こそ、演奏練習に付き合ってもらったし」
「だったら、私の方こそありがとう、ってことになるよ?」
発展途上の演奏ではさすがに申し訳なくもなるのだが、そう言ってもらえるのならありがたい話だった。
「また、演奏聴かせてね」
「あんなんで良かったら、お安い御用だよ。やっぱり誰かに聴いてもらった方が張り合いもあるし、少し緊張して吹けるからありがたいんだよね」
「そういうものなんだー」
「ボクなら、って話だけどね」
もちろん、完全に自分の世界に入り込むようなタイプの人なんかは、他に誰もいないようなところで練習する方が良いのだろう。
自分はそういうタイプではない、という話だ。
「もしまたマスターのとこでやることがあったら、教えた方がいい?」
「うん!」
即答だった。
そこまで言われて断る意味なんてないだろう。
それに、こんなに嬉しくなるとは思っていなかった。
「最近は海江田くんの影響で、もう少しいろんな音楽聴いてみようかな、って思ってたりするんだよ」
「え、ホント?」
そういうのって、実はかなり嬉しい。
自分が好きでやっていることに対して、他の人にも興味を持ってもらえるようにするのは、実は案外難しいことなんじゃないかと思っている。
強引に薦めるのではなく、『こんなに面白いんだよー』というような雰囲気で押しつけずに薦めて、その上で気に入ってもらえる――こんなに嬉しいことはない。
「じゃあ、忘れないで教えるようにするね」
「ありがとー」
まさかとも言える。
オーディエンスをゲットできてしまった。
言ってみるモンだ。
「そういえば」
「うん?」
今日はイイ日かもしれない。
そんなことを思っていると、また仲條さんが話のネタを振ってくれた。
「朝いっしょに行くのって、初めてだよね」
「……言われてみれば、そうかも?」
口に出してから改めて思い返してみる。
同じクラスにはなったものの、実際にはっきりと言葉をかわしたのは学校祭の頃。
つまり、昨年の7月のこと。
ちょうどボクが祐樹から『カノジョができた』ことを知らされた直後のことだった。
彼が言うところのカノジョは同じクラスの御薗聖歌――つまり、ボクの幼なじみ。
その事実に衝撃を受けていた矢先、この話を教室のドアの陰で運悪く偶然にも聞いてしまった仲條さんを見かけたのが、最初のきっかけだった。
明らかにボク以上の衝撃を受けて傷心しているように見えた彼女を、当然放っておくことは出来ず、ひとりになっているときに何度か声をかけたりしていた。
少しずつではあったが、なるほどこれが仲條亜紀子という少女の本当の雰囲気か、と思えるくらいに、いくらかその傷も癒えてきたように思えていた。
「……そうだね」
「随分考えたねー」
「ちょっと、他の考え事もしてたから」
実はそうでもなかったということに気が付いたのは、冬のはじまりくらいの話。
それもそうだ。
何せ、ボクと彼女の境遇は似ている。
ボクがなかなか前を向き切れていない現実があるが故、仲條さんのつらさのようなものも痛いほどに理解できた。
だからこそ、クリスマスの少し前に仲條さんと聖歌が、ニアミスどころの騒ぎで無いレベルで鉢合わせになり、最終的にいっしょにパフェをつつくということになるとは全く思っていなかった。
「ぶっちゃけ、いっしょに帰るっていうのも、そんなに無かったけどね」
「たしかにそうかも」
「部活とか違うからねえ」
「なかなかねー」
とりとめの無い話をしながら、一緒に歩く。
これなら、大丈夫だ。
頬に感じる朝の冷気が少しだけ和らいだ気がした。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
一応前作を読まなくてもなんとかなるような雰囲気にはなっていると思いますが……。
できたら、第1章読んでね!w




