1-9. そう見えるの?
思いっきり目を見合わせたタイミングを見計らったとしか思えない。
さすがは楽器を扱うだけあってリズムの把握には長けている。
そんなところまで気を遣ってくれる必要なんてないのに。
――というか、むしろ、完全に余計なお世話というか。
「いきなり何を言うかと思えば……、まったく」
至って冷静――を装ったつもりだ。
でも、実際はどうなのだろう。
聖歌から目を背けるように、美春さんをしっかりと見ながら言う。
何故って、理由なんて言う必要もない。
「またまたぁ、照れちゃって」
「……好きですよねえ、そういう話」
「そりゃあもちろん。瑞希くんの色恋沙汰は、お姉さまの大好物ですから」
めんどくさいモノが好きな人もいたもんだ。
「この子が困ってるでしょ」
後ろを振り向かずに言う。
しかし、美春さんも然る者。
そんなことくらいで怯むようなことは無い。
「そーかしらぁ?」
――ああ、もう。
「幼なじみなんです」
「あ、そうなの。……ん? ってことは」
いちばん正解に近いだろうボクとカノジョの関係性を正直に告げてみる。
一瞬だけ流そうとしたような反応をした美春さんは、ボクの横をすり抜けるようにして聖歌に駆け寄り、そのまま両手をがっしりと握った。
――え、どーいうこと?
当然だけど、美春さんに手を握られたまま、聖歌は目をまんまるにしている。
大きな目がさらに大きくなっているように見える。
「え? ええっ?」
「そっか、そっかー。あなたが聖歌ちゃんね!」
「え、どうして」
「そりゃーもう。そこであなたと同じようにキョトンとしてる、彼のお母さまから聴いてたから」
――母さん、また余計なことを言いふらしてるな。
というか、母さんも美春さんも、よくそういうことをおくびにも出さないで居るなぁ。
いつの間にそんな話をしていたのだろう。
全然気が付かなかったし、全然知らなかった。
「幼なじみにすごく歌の上手な女の子がいるって、話には聴いてたのけど、やっと会えたわー」
「あ、そ……そうなんですか」
「今すぐそこの試奏室で歌ってほしいわー」
「あのー……」
完全に今日の目的を忘れていそうな美春さんに、ちょっとだけ指導の必要がありそうだった。
人差し指だけを立てて、背後から肩を叩く。
首だけで振り向いた頬に、ボクの指がつんと刺さった。
「リードを、見せてください」
「はいはーい。……もう、変な心配なんかしなくていいわよ」
何でそこで不満がるのかな。
ボクも一応、顧客なんだけど。
というか、『心配』って何のことだろうか。
「蘇芳さん、だっけ?」
「え? あ、うん、そう」
美春さんに付いていこうとするボクの横に並んだ聖歌が、少しだけ苦笑いの成分を含めたような微笑みで言う。
結構好き勝手遊ばれたような気がするのだが、とくに気を悪くしたような感じには見えなかった。
一安心だ。決して悪い人ではないけれど、時々ああいう悪いところを覗かせるから、ちょっと困った人であるのは間違いない。
――だからこそ、ウチの母さんには妹のように思われているような節があるわけだけど。
「楽しい人だね」
「……そう思ってくれるんなら、いいかな」
ある種、ウザ絡みだったとは思うのだが。
それならそれで構わない。
だったら――。
「あと、美春さんって名前で呼んであげたほうが喜ぶと思うから。そう呼んであげて」
「……ん。わかった」
なんとなく、噛みしめるような言い方がちょっとだけ気になったが、腰に手を当ててこちらをにまにまと見つめている美春さんが視界に入ってしまい、それどころではなくなっていしまった。
何だって、ボクの周りにはマイペースな女性が多くて困る。
「あの……」
「ん?」
「……やっぱ、何でもない」
「……そう?」
何か訊きたいような風に見えたが。聖歌がそう言うのなら詮索は無用だろう。
それ以上は何も訊かないようにして、リード選びに集中することにした。
「また来てねー」
「はーい、ありがとうございまーす」
無事にお会計も完了。にこやかに手を振る美春さんにふたりで答えつつ、エレベーターホールに向かう。
さほど待たずしてやってきたエレベーターに乗り込めば、表示器に付いている時計は間もなく15時になろうとしていた頃合いだった。
無言で1階に運ばれると少し遠くに見えるのは、さきほども通りがけにちらっとだけ視界に入ってきたお菓子の陳列棚。
一応お昼は済ませてきたものの、いろいろと見ていたり試奏をしたりしているうちに、何だかんだと小腹が空いて来る頃合いだった。
――さて、と。
少しばかり悩む。
本当に、少しばかりだ。
ここで彼女を――聖歌を誘うのは、間違っている。
実際のところ、週末に駅前などに出てきても、クラスメイトに遭遇したことは経験上ほとんど無い。
何かしら、そういうタイプの危険性なんてモノも存在しないと言っても、過言では無いはずだ。
ただ、起こりえないと思っていたことがあっさりと起きてしまうのも、また現実なわけで。
極力そういう危険性は排除しておかないといけないのだ。
また良からぬ噂を立てられたりしたら――。
「このあとって」
「……え?」
「どこかに行く予定ってある?」
そんなことを考えている間に、彼女に先手を取られてしまった。
こっちからそれを訊いた上で、自分の取るべき行動を考えようと思っていたのに。
これは、どうしたものか。
きっと、他意は無いのだろう。
恐らく。
そこに余計な思考を混ぜているのは、世界中でも間違いなくボクだけ。
そうに違いない。
「特にはないけど……」
時間を稼ぐように沈黙を作る。
最善策は何だ。
一瞬だけ『ちょっと喉が渇いてきたかな』なんて言おうとした、天使だか悪魔だかわからない輩は脳内から追い出すことにする。
バカを言え、と言う話だ。
そんなことを言ったら、どうなるか。
「……ん?」
そんなとき、ポケットの中でスマホが震えた。
反応するような声を出してしまった手前、そのまま無視するのもおかしな気がする。
聖歌も何があったのか気になったような顔をしているので、ちょっとゴメンと小さく身振りだけで伝えて画面を確認する。
何のことはない。メールが届いただけだった。
送信元は先ほどまでいた楽器店。
ちょうど今し方買ったリードの情報が送られてきただけだ。
少しだけ拍子抜けしたような感じになって、スマホをスリープ状態に戻そうとして――。
「あ」
――今度はたぶん、悪魔が囁いた。
「え?」
「ごめん、ちょっと急用が出来た。急いで行かないといけないんだ。またいずれ」
「……あっ」
届いたメールに驚いたふりをして、彼女の反応を全く待たずに自動ドアに駆け寄る。
若干反応の遅いドアを押し開けようとも思ってしまったが、そのまま何とか屋外に飛び出すことに成功する。
もはや、ただの逃亡だった。
でも、それで構わないとさえ思う。
三十六計逃げるに如かず、と言う言葉もあるじゃないか。
ああだこうだと無意味に悩むならば、そんな時間があるのならばさっさと撤退をした方が最善。
少なくとも、己の保身を考えるのならば、やっぱりこれが正解だろう。
次の信号まで行ったら左に曲がろう、そうすれば万が一彼女がビルの外に出てきてもボクの姿は見えないだろう。
幸いにしてギリギリのタイミングで信号が青く点滅を始めた。
バスも信号待ちをしている。
ここからあのビルの入り口は見えない。
ほっと一息吐いて、その瞬間に申し訳ない気持ちが押し寄せてきた。
致し方なく、大きく深呼吸をしてその流れをどこかへ吹き飛ばす。
聖歌は何を考えてあんなことを訊いてきたのか、とか――。
もしかすると何かを期待していたからだったのだろうか、とか――。
そんなふうに、少しばかり自分にとって都合の良いような解釈をしたくもなってしまう。
最後の最後に耳に入ってきた、どんな感情をいちばん込めたのかわからない『あっ』をあれやこれやと解読しようとしてみる。
ただ驚いただけだろう、そんなものに意味なんかあるはずが無い――。
きっとそう思うのが、精神衛生的にはいちばん健康的だ。
「……たぶん、これでいいんだよ。たぶん」
それでもやっぱりどうしても、あのたった1つの音に切なさのようなモノが込められている様な気がしてどうしようもなかった。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
傷つけたくないと思っているのかもしれないですが、それはもしかするとただの自己保身かもしれない。
そんなお話でした。
次は、第2章では最初の「10話目」になります。




