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ただ、その場所は機密らしいのでこうして目隠しをされているわけだ。
「そこに行くのと、緊急事態がどう関係するんですか?」
俺は、目隠しをされたままさらに訊ねる。
「…………この県内最大級のダンジョン。神乃木君が通う学校からも見える、あのダンジョンでちょっとトラブルが起きたの。
それを、あなたと他のダンジョンマスター達に解決してもらいたいの」
「……俺は、ダンジョンの運営なんてした事ないですよ」
「でも、『おウチのお手伝い』で仕事はしていたでしょう?」
「両親がいなくなって、家としてはとっくに廃業しました」
「それでも、経験値は残ってる」
そう言って、女性からカサコソと何やら紙を取り出すような音が聴こえてきた。
「神乃木二千六百年。十五歳。男。
神乃木家長男として生まれる」
やがて、女性が俺の個人情報を、経歴を読み上げていく。
俺は、一般的な家庭に生まれた。
父親は会社勤めのサラリーマン、母親は専業主婦だった。
俺が物心着く前に、父親がダンジョンマスターになった。
でも、それだけでは食べていけないから、サラリーマンとダンジョンマスターの二足のわらじで寝る間も惜しんで働いていた。
そして、俺が物心着いた頃。
父親が会社を首になった。
表向きは、合理化による人員整理だったけれど、本当は副業扱いになるダンジョンマスターとなっていたことが疎まれたからだった。
つまり、仕事をする上で当てにならない人材と判断されて首を切られてしまった。
母親は、そんな父親を詰った。
父親は、基本おっとりとした優しい人だったからヒステリックに喚く母に対して謝るだけだった。
それからは、コンビニやスーパー、副業が可能なパートをしながらダンジョンを運営していた。
忙しさは変わらなかった。
母もパートに出て、働いていた。
だから、基本俺は当時高校生や小学生だった従兄弟のいる父親の実家に預けられることが多かった。
近所だったこともあって、従兄弟達と楽しく遊べていたから、とくに寂しかったりとかそういうことは無かった。
母親は基本平日休み。父親は二足のわらじで働いていたのでほとんど休みなんて無かった。
土曜、日曜、祝日、そして大型連休。
俺は、家族旅行どころか家族団欒をした記憶がほとんどない。
親戚の家にいる時が、それに近かったと思う。
従兄弟や、父親の実家でもある弟である叔父さんや祖父母はそれなりに優しかったし、構ってくれた。
でも、叔父さんの嫁さんである、叔母さんは俺の事を嫌っていた。
たまに、ストレスが溜まると従兄弟達になにか用事を言いつけて、俺から離れさせて、大きな独り言でこう言い続けた。
『なんで、自分の子でもないやつの面倒なんて見なきゃいけないんだ。見て欲しいなら、保育料を寄越せばいいのに』
『あーあ、きっと悪い子だから捨てられたんだ。このまま何処か行けばいいのに、疫病神なんていらないっつーの!
そしたら可愛いペットが飼えるのに』
『そもそも育てられないなら、中絶すれば良かったのに。そしたら少なくとも私は幸せだったのに!
本当に、なんで産んだんだか、そして産まれてきたんだか』
と、とても憎々しげに言われたことを、十年以上経過した今もよく覚えてる。
女性の怖さはその変わり身の速さだ。
けっして、そう、けっして自分の子供達や義父母(俺からすると祖父母)にはそんな素振りは欠片も見せなかった。
表向きは理解あるいい嫁を演じていた。
それは、母もそうだった。
そんなものばかり見てきたからか、俺はクラスメイトの女子達がわざと聴こえるように叩く陰口は気にならないし、傷つかない。
でも、そんなことがあったからか、俺は女性が苦手だ。
今だって、緊張とともに変な汗をかいている。
そんな俺に構うことなく、隣に座っている政府関係者らしい女性は、俺の経歴を読み上げ続ける。
「七歳、小学校入学とともに家業であるダンジョン運営、経営を手伝わされる。
その三年後、これは、今回のことには関係ないわね」
三年後、俺が十歳の時。父が他界した。母親は好機とばかりに離婚の手続きをして俺をあっさりと切り捨てた。
そこから中学卒業まで、俺は親戚をたらい回しにされた。
そんなよくある話だ。たしかに今起きているトラブルとは関係ないだろう。
そこに母親が関わっていなければ、だが。
「そこが関係ないってことは、父関連でも母関連でもないんですね」
それでも、念の為確認してみる。
女性からは、短い肯定と説明が返ってきた。
「ええ。
関係あるのは、貴方がおウチのお手伝いで得た、ダンジョンマスターとしての能力。スキル、とも呼ばれているそれよ。
なにしろ、三年間でまだ子供でありながら、国内で初めて、そして現状、唯一ダンジョンマスターとしてレベルをカンストさせたと認知されている存在なんだから」
ダンジョン挑戦者達、すなわち魂の修行者達にはそれぞれ職業とそれに見合った能力がチップによって与えられる。
そう、それこそまるでテレビゲームのように。
それは、剣士だったり、魔法使いだったり、武闘家だったり、僧侶だったり、盗賊に海賊、勇者に聖女と実に様々だ。
中には、勇者や聖女のようなそれって職業じゃなくて称号だろというものも混じっている。
どんな職業があるのかは不明だ。ある日突然新種の職業持ちが現れることも珍しくない。
ダンジョンマスターも、その職業の一つである。
「家事全般の手伝いをしてきた子の方が、してこなかった子より洗濯物を早く綺麗にたためるし、包丁の使い方だって慣れてるものでしょ。
それと一緒ですよ」
俺は言い返した。
俺のダンジョンマスターとしてのレベルは不本意ながらカンストしている。
レベルには人間の魂としてのレベルと、職業レベルの二つがある。ちなみにダンジョンマスター以外は基本的に転職が可能だ。
俺は父親によって、家業の手伝いをしているうちにいつの間にかダンジョンマスターとして認定され、そして手伝いをし続けてきたからか、三年の間に職業レベルをカンストさせてしまったのだ。
でも、まだ誕生日の来ていない、正確には十歳にすらなっていなかった子供だったからか、本格的なダンジョンの運営や経営は任されなかった。
俺がカンストしたのと同じ年に、父が他界して母親は蒸発した。
基本学校と家、というかダンジョンの往復しかしていなかった。
それも小学校は義務教育だというのに、家の手伝いをするという名目であまり行けなかった。
だから、友達なんているわけはなく。
そして、そんな俺が人付き合いなどできるわけもなく、なんだかんだと両親がいなくなってからは親戚達から厄介者扱いされ、たらい回しにされてきた。
やがて、父の遺していた莫大なコツコツ貯金が俺に遺産として相続されると知るや、たらい回しにしてきた親戚達が養育費を払えと言って現れてむしり取っていった。
その頃には、いまお世話になっている遠縁のおじさんの家に住んでいた。
ライター、まぁ物書きを生業にしているその人はそこそこに稼いでいるらしかった。
親戚達が帰ると、玄関に塩を撒いて、焼肉の食べ放題へ連れていってくれた。
泣きながら、一番高い肉とコシヒカリの大盛りを食べた。
おじさんの奢りだった。とても美味しかった。
「謙遜しなくてもいいのに」
別に謙遜なんかじゃない。
人間としての魂レベルは一のままだ。
能力値も、一部は幼い頃からダンジョンに挑戦し続けている今どきの小学生と比べても落ちてしまうほどだ。
「それで、起きているトラブルって何なんですか?」
俺は、先を促した。
一つだけとはいえ職業レベルをカンストさせた存在を引っ張り出す意味、それを訊ねる。
「さっきも話したけど、県内最大級のダンジョンあるでしょう?
あそこがね、乗っ取られたの」
「はい?」
「挑戦者の中には死者も出てる。ほかならない当該ダンジョンのダンジョンマスターも殺害された」
不穏な話に、俺は口の中が乾いていくのを感じた。
「ダンジョンって、乗っ取れるものなんですか?」
そんな話、聞いたことない。
いや、その方法が無いわけではないが、できる人間がいるとはちょっと考えづらい。
「乗っ取れるのよ。あなたがお手伝いをしていた頃は表面化していなかったことなんだけれど」
そう前置きをして、女性が説明してくる。
それによると、なんでもダンジョンマスター歴二年から三年ほどの者のところに、時折新人が配属されることがあるのだとか。
ようは新人研修だ。
知らなかった。なるほど、そんな方法があるのか。
まぁ、その新人の一部にはカリスマ性を使ってダンジョンマスターが初期サポートとして選んだお助けマンや、日課で貯めたポイントで交換したり、ガチャで引いたやはりお助けマンを魅了して自分のものにしてしまうらしい。
そして、追い出す。
元々いたダンジョンマスターを追い出して、既存のダンジョンを乗っ取ってしまうことがあるらしい。
サポートキャラ、とくに初期サポートキャラは新人ダンジョンマスターにとっては特別な存在だ。
古臭い言い方になってしまうが、忠実な部下であり、対等な友人であり、そして人によるがかけがえのない存在となる。
ダンジョンマスターのとり方それぞれだろうが、最初に選ぶ初期サポートキャラ、その存在は強い絆で繋がった相棒だと言える。
当然、俺の父さんにもいた。
そのサポートキャラは、手伝いをする俺にもきちんとサポートをしてくれた。
サポートキャラは、最初にアンケートを取られ、その希望に沿った形で既存のキャラの中から希望に近いものが選ばれる。
父さんの、サポートキャラは父さんを守ろうとして、消えていった。
とても格好いいお兄さんだった。
ダンジョンの乗っ取り案件で、追い出されたダンジョンマスターに一番のダメージを与えるのは、他でもないダンジョンを運営する上で一番頼りにして、信じていたこのサポートキャラの裏切りなのだという。
その話を聞いて、俺は少しだけ腑に落ちた。
精神的に追い詰められたダンジョンマスターの自殺率、その割合が多いのか少ないのかはいまだにわからない。
でも、その中の何人かはきっとこういう事情もあったのだと、そう思った。
「……ダンジョンでは、人は死なないはずですよ。
それとも、ルールが変わりましたか?」
ダンジョンの存在理由はあくまで、魂の修行場だ。
その基本ルールはそれこそテレビゲームと同じで、ダンジョン内で死亡しても、一部例外を除いて外に追い出されるだけで本当の死にはならないはずだ。
その一部例外は、ダンジョンを設置したアヌンナキ達にしか出来ないルールの改変だ。
本来の意味での管理者権限でのみ、ダンジョンのルールを無条件で改変できる。
それが出来るのは、もう一度言うがアヌンナキ達と、そして――レベルをカンストさせた俺に割り振られたスキル【全知全能】あるいは職業名がそのままスキル名となった【ダンジョンマスター】くらいだ。
「まさか。カミサマも把握しきれていない事態が起こってる。
そして、カミサマ達はこの事態を面白いと考えて手出しはしないそうよ」
なんだそれ。
俺がよほど不思議そうにした気配が伝わったのか、女性はさらに噛み砕いて、短く説明してくれた。
「これも、魂の修行の一つとしてみなされたってことだと思ってくれたらいいわ」
「人が死んでも、ですか?」
「価値観が私たちと違うから、もしたかしたら修行中に死者が出ても大量に飼っている虫の1匹が死んだ、もしくは感情移入できないゲーム内のキャラが死んだ、くらいにしか思われてないのかもね。
数字が少し減った、それくらいの認識なんじゃないかしら」
まぁ、そうなのだろうな。
アヌンナキ達と、地球人では価値観が違う。
それは溝だった。
壁と言う人もいるかもしれない。
アヌンナキ達は、その溝や壁の存在をもちろん把握していた。
だからこそ、修行場は、ダンジョンと職業システムを取り入れたのだ。
アヌンナキ達は直接的な人類との接触は、必要最低限にしていた。
しかし、世紀末となった九十九年より遡ること、およそ十年ほど前。
魂の修行についての企画が持ち上がった時、いくつかの懸念材料の消化のために彼らは地球の各地に調査員を派遣して、修行に興味を持ってもらうためのヒントを研究していた。
力での行使は最有力候補だったが、それでは反発を招くことは明らかだ。
飴と鞭。鞭はある。なら、飴を用意しなくてはならない。
それも複数。
そう考えたアヌンナキ達は、当然日本にも調査員を派遣した。
そこで、1980年代から現在に至るまでに爆発的人気を誇るゲームに出会った。
いわゆる、ロールプレイングゲームである。
有名すぎる、勇者となって魔物を倒して最後には世界を救うアレだ。ドラゴンの名前がゲームタイトルについている、あのゲームをアヌンナキ達は、なんとわざわざゲーム屋の前に並んで手に入れて、ヒントの材料にしたらしい。
だから、ダンジョンや職業などの世界観や基本設定がそういったゲームをパク、ではなく参考にしたため中世ヨーロッパ風ファンタジーとなっている。
噂ではアヌンナキ達のあいだでも、このゲームのファンがいるらしい。
他にも、ボードゲームでもしもの人生を送れるゲームとかも買い込んだらしい。
遊び感覚でなら楽しく修行できるだろうという、配慮だった。
「……とにかく、現状において県内最大級のダンジョン、登録名称【天空侵犯】内部において、ダンジョンマスターが殺害された、その前後からダンジョンに挑戦中だった人達にも、実害が出始めてる。
何故なら、ダンジョン自体にロックがかかってしまって、入ることはもちろん出ることもかなわない。
まだ情報規制が効いてるから、この話は表に出ていない。
神乃木君。君にやってもらいたいのは、」
女性の言葉の途中で、俺は待ったをかけた。
「ちょっと待ってください。入ることも出ることも出来ないなら、なんでダンジョンマスターが殺されたのと、挑戦者の方にも被害が出てるって、分かるんですか?」