表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東響ラビリンス  作者: 卯月水京
1/6

第一話『世の中は思った通りにはいかない』

「……金が無い」

 椅子の背もたれに深く腰かけ、水瀬雄一は呟いた。

 机と椅子、本棚、そしてテーブルなどの応接セットを置いたら足の踏み場も無くなってしまうような狭い室内で、その声はよく響く。

 当然、本棚を整理していた槙村景子の耳にも届いていた。

「働けば?」

 呆れたような調子で答える景子に対し、雄一は「そうじゃない」と返した。

「学生の本分は勉強だ」

 大学に通いながら、副業で『何でも屋』を営む雄一にとって、まず第一は勉強だ。

 いくら仕事が上手くいったとしても、卒業できなければ目も当てられない。

「分かってるなら良いんだけど……」

 景子も、雄一が仕事にかまけて勉学を疎かにするタイプでないことは知っているし、困っている人が放っておけなくて何でも屋を始めるような正義感の強いタイプであることも知っている。

 だが、万年金欠に苦しんでいるのは事実だ。

「いやー、不思議だな。何で金が無いんだろう?」

 とぼけたように呟く雄一だったが、幼馴染の景子には全てわかっている。

 依頼は格安か無償でしか受けない、ほぼボランティアのようなものだからだ。

 雄一曰く、困っている人から金は受け取れないとのこと。

 志は立派だが、そのせいで自分が金欠になっていては本末転倒だ。

 ただ、景子は雄一のそういうところが好きだった。

「営業でもすれば?」

 今は、ほぼ口コミでしか客は来ない。営業すれば、もう少し来るかもしれないし、雀の涙ほどしか受け取らない依頼料でも、多少は足しになるだろう。

「いや、でもさ──」

「……何よ?」

「何でも屋を宣伝するのって──」

「うん」

 室内にしばしの沈黙が流れた。

 サーキュレーターの音や外を走る自動車の音が、二人の耳を打つ。

「──人の不幸を望んでるみたいじゃん?」

 雄一のその返答に対し、一瞬呆気にとられてしまった景子だったが、考えてみればたしかにそういう面もある。

 人の不幸を進んで見つけに行くくらいなら、喜んで飢え死にすることを選ぶ。雄一とは、そんな人間だ。

「……変態だね」

 思わず本音が出てしまう景子。

「誰が変態だよ」

 雄一は唇を尖らせ抗議するが、まんざらでもない様子だった。

「と・に・か・く──だ」

 雄一は続ける。

「仕事が無いことには、おまんまの食い上げなわけで」

「やっぱり、営業するんじゃん」

 本棚の整理を終えた景子は、今度は台所に向かった。

 お茶を淹れながら、耳だけは雄一の話を聞き続けている。

 雄一からも景子の姿は見えないが、お湯が沸く音や湯飲みのお茶を注ぐ音はよく響いてくる。

 すぐに片手にお茶を持った景子が戻ってくる。

「お、ありが──」

 雄一が受け取ろうと手を差し出すより早く、景子は湯飲みに口をつけた。

「いや、お前が飲むんかい!」

 突然の大きなツッコミに、お茶を吹きかける景子。

「何よ。いきなり」

「俺に淹れてくれたんじゃないの?」

「え? っていうか、あんた自分でコーヒー淹れてたじゃない」

 そう言って、机の上のカップを指さす。

 なるほど。たしかにそこには、先ほど雄一が自分で淹れたコーヒーがカップに入って置かれている。

 それを見た時、雄一の中で何かが閃いた。

「……それだ!」

「どれよ?」

 景子は、もうお茶を飲むどころではなくなっていた。

 明らかに、雄一は何かを思いついた顔だ。

 こうなると、色々面倒くさいことになるのは経験から分かっている。

「俺はコーヒーを淹れていたはずなのに、お茶も欲しくなっていた。つまり──」

「つまり?」

「これを営業に応用できるはずだ」

「えっと……ごめん。意味分かんない」

「名付けて『依頼に来たけど別の依頼もしたくなっちゃった作戦』だ」

「あー……何となく分かってきた」

 景子の予感は当たっていた。

 これは、想像以上に面倒くさくなりそうだった。

 雄一のやる気とは裏腹に、景子の気持ちは、先ほど入れたお茶のように冷め始めていた。

「とりあえず、次に依頼に来た人に全力で営業しよう! 一つの依頼のところを、二つ三つとその場で追加してもらうのだ」

 雄一は立ち上がると、力強く拳を握った。

「そんなに上手くいくのかなぁ……」

 正直、景子はお茶だけ飲んでもう帰りたかったが、目の前の暴走魔人を放っておくわけにもいかなかった。

 一人にすると、客にどんなことを言いだすか分からなかったからだ。

 と、そこへ──。

 ドアが静かに開き、誰かが入っている。足音から、おそらく一人だろう。

 景子はいつになく緊張していた。期待半分、不安半分だ。

 対して、おそらく雄一には『不安』の二文字は存在しないだろう。元来の楽天家だ。

「いらっしゃ──」

 雄一が言いかけるのとほぼ同じタイミングで、その人物が入ってくる。

「ゆう来たよ。けいもいるの? ケーキ食べよ」

 そう言って、ケーキの箱を片手に入ってきたのは、二人の幼馴染でもある東堂蓮だった。

「お前かぁ!!」

「うわぁ!? びっくりした」

 雄一の一喝に、笑顔から一転、蓮は目を丸くして驚き、飛び跳ねた。危うくケーキの箱を落としてしまうところだった。

 雄一は疲れたように再び椅子に腰を下ろすと、そのまま無意味に回転し出した。

「え……けい? ゆうは、何であんなに機嫌悪いの?」

 蓮は泣きそうな顔で景子に視線を送るが、景子は笑いを堪えながら、返事代わりに蓮の背中を撫でるばかりだった。

 結局、その後に本当の客が一人やって来たが、雄一の営業作戦はもちろん失敗であったという。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ