第五話 管狐
扇風機の風を浴びながら、濡れた髪をがしがしとタオルで拭く。ドライヤーで乾かした方がいいらしいがそんなことするなんて面倒臭い。僕は専らの自然乾燥派だ。
「よし、乾いたかな」
髪が乾いたのを確かめた後、ぐぐっと一つ背伸びをしてごろりとそのまま寝転がった。頭の後ろで手を組んで今日あったことを回想する。
「それにしても、こんなに近くに見える子がいたとはな……」
思い浮かべたのはつゆりさんのこと。
この世界には他にも見える人間がいるのだと、ばあちゃんから聞いてはいた。でも、まさかこんな近くに、しかも同い年でいるなんて思いもしなかった。
最初、彼女は僕よりも年上かと思った。何処か浮世離れした雰囲気がそう思わせたのかもしれない。
大人しい子というイメージだったが、話してみると少し違った。
――わ、私と、友だちになってください!
そう言われた時は本当にびっくりしたけど嫌な気はしなかった。それどころか、そう言われて嬉しかったし、つゆりさんと話しているととても落ち着いた。尤も、心臓の方は五月蠅かったけど。
「……もっと話したかったなぁ」
ぽつりと呟いた言葉は虚空へと消えた。
沈黙すること数秒。
はっとして起き上がった僕はぶんぶんと頭を振った。
いやいやいや何言ってるんだ自分!いやまあ、確かにもっと話したいけども!純粋に妖怪のことを話したいだけであって!
「というか、何で言い訳なんかしてるんだ自分……」
誰かが見ているわけでもないのに馬鹿馬鹿しい。
手で顔を隠しながら力なく項垂れる。「あー、もう」と脱力して再び寝転がる。
「……ん?何だあれ」
ふと、反転する視界に何かが映った。
部屋の片隅にあるそれが何か気になって、僕は起き上がって近付いた。
「……筒?」
ひょいと手に取って見るとそれは竹筒だった。竹筒と言っても緑色ではなく、深みのある茶色。滑らかで肌触りがよく、光沢もある表面には細かな花の彫刻が施されていた。
首から掛けるためだろうか、赤い紐がついている。だが、その結び目は切れてしまっていた。その反対側には小さな蓋が付いていて、ぱっと見印鑑のようにも見える。
重さは軽く、振ってみるが特に音はしない。
「部屋のどっかに置いてあったのが転がったのかな」
何処かで見た記憶はあるのだけど。
「まあ、ばあちゃんに訊けばわかるか」
勝手に戻していざという時見つからなかったら困るだろうし、普通に訊いた方が早いだろう。
そう結論付けた時、突然がたがたと筒が震え始めた。
「うわっ!」
びっくりして思わず筒から手を離してしまった。
重力に従って筒は床に落下する。その拍子にぽろりと蓋が外れてしまった。
……ああ、これはマズいかも。
直感的にそう思った。ここに来てからというもの、変にそういう勘が鋭くなった気がする。
僕の考えなど関係なしに、まるで昔話に出てくる玉手箱のように蓋がとれた筒からはもくもくと煙が立った。そして、その煙を浴びてしまった僕は白髪白髭のお爺さんに――
「……あれ?」
なんて、そんなことは全くなく。
煙が立つこともなく、勿論お爺さんになるなんてこともなく、蓋が空いただけで筒は静かに床に転がっていた。
「勘が外れた?」
それならそれでいい。変な勘など当たらない方がいいのだから。
ほっと肩を撫で下ろしたその時、シュッと筒から何かが出てきた。
「ひぃっ!」
咄嗟のことに驚いてしまい、思わず尻餅をついた。
うわぁ、情けない。
と、自己嫌悪を感じている間にも、筒から出てきた何かは部屋の片隅に……もとい、部屋の中央に堂々と佇んだ。
ぴんととんがった三角耳。ふわりと揺れるふさふさの尻尾。触り心地の良さそうな純白の体毛。特徴的な細い口元をくわっとあけて、そいつは大きな大きな欠伸を一つした。
「ふわぁー、よく寝たー」
筒から飛び出してきたそれ――狐は間の抜けた声を発した。
唖然とする僕を気にする様子もなく、小さな体躯の狐はぐぐっと前脚を伸ばす。そして、きょろきょろと辺りを見回した。
「あれ、ここは何処?……ああ、まつなの家か!」
くんくんと鼻を鳴らして臭いを嗅いだ狐は、一人もとい一匹合点したようだ。
「あーあー、ボク置いて行かれちゃったのかー」
狐は耳と尻尾をしゅんと垂らして、もの悲しそうに項垂れる。
そうかと思えば、次の瞬間には耳を立てて長い尻尾をぶんぶんと振り始めた。
「つゆりめー!酷いな酷いな酷いなー!ボクを置いて行くなんて!」
……酷くご立腹のようだ。
子どもが駄々をこねるようにゴロゴロと床を転げまわる。埃が舞うからやめてもらいたいのだが、騒いでいて聞く耳を持ってくれなさそうだ。
「……おーい」
取り敢えず、駄目元で声を掛けてみる。すると、予想に反して狐はピタリと動きを止めてこちらを見た。
「ねーねー、キミも酷いと思わない?」
「う、うん?」
突然同意を求められたが何が何だか勿論理解できるはずもなく。
訳がわからないものの大人しく頷く。賛同を得られたためか狐は「だよねー」と嬉しそうに尻尾を振った。
「あれ、そう言えばキミはだれ?」
首を傾げて尋ねられた。
普通に話していた癖に今更訊くなよと突っ込んでやりたかったが、正直こいつが何ものなのかも聞かねばなるまい。
「僕の名前はにき」
「にき?ここはまつなの家でしょ?」
「そのまつなばあちゃんの孫なんだよ」
「ふーん」
「ふーん、て……」
自分から訊いておいてこの反応は酷い。
気を取り直して、今度は僕が狐に尋ねた。
「それで、君は?」
「え、わからないの?何処からどう見ても狐でしょ」
「いやそれはわかるけどさ……」
体の色が純白なのは珍しいが、見た目は普通の狐と何ら変わりはない。狐が喋る云々に驚きは隠せないが、こんな小さな筒の中に収まっていたことの方が衝撃的である。きっと、こいつも妖怪なのだろう。
と、予想しつつも疑問はあるもので。
「僕が知りたいのは、何で筒の中にいたのかってことだよ」
「ああ、そっち?それはだね、ボクが管狐だからだよ」
ふふん、と自称管狐が胸を張って威張る。対して、僕は首を傾げた。
「くだぎつね?」
「えっ、知らないの?有名な妖怪だよ!」
「うーん……」
そんなにメジャーなのか。でも、知らないものを思い出せるはずもなく。
頭の上によじ登ってきたが管狐が「何で知らないんだよー」と不服そうに言ってきたが、そこまで妖怪に詳しい訳ではないし仕方がないじゃないか。
妖怪だからなのか、それともこいつだからかはわからないが、頭の上に登られてはいるがあまり重さは感じられない。
管狐を頭の上に乗せた状態で傍においてあったスマホを手に取る。インターネットを開いて『くだぎつね』と打てば、直ぐに画面に情報が映し出された。スクロールして順番に読んでいく。
今のご時世、こうやって大抵の情報を得ることなど容易い。実に便利な世の中になったものだ。……いやまあ、僕は十数年しか生きていないんだけど。
「何してるの?」
「お前のこと調べてるの」
「ふーん……それで、ボクのことわかった?」
「ちょっと待って今読んでるところだから」
画面をスクロールして項目を順番に読んでいく。
管狐。日本の伝承上における狐の姿をした憑き物の一種。
名前の通り、管――竹筒の中に入ってしまう程の大きさで、竹筒の中で飼われている。
別名は飯綱、飯縄権現。術者に使役され、その問いに応答したり、予言をしたりする種々の神通力を持つ。
「……管狐は竹筒の中に入ってしまう程の大きさって載ってるんだけど?」
頭の上にいる管狐は、確かに小さいがその大きさは小型犬程だ。見るからに筒の中に収まる程の大きさではない。
そんな僕の思考を吹き飛ばすかのように、ぴょんと頭の上から飛び降りて僕の目の前であっけからんと本人は言う。
「うーん、確かに筒の中に入るぐらいの手乗りサイズ奴もいるけど絶対にそうって決まっているわけじゃないよ」
「そうなのか?」
「そうそう。蛇みたいにひょろっとした姿をしている奴もいるし、ボクみたいに普通の狐と同じ姿をしている奴もいるしね。ほら、狐それぞれって言うでしょ?」
「いや言わないよ」
とまあ、突っ込んでみたものの、この管狐の言う通りかもしれない。
画面を見てみれば狐の妖怪でも色々種類があるようだし、何より人間という類の自分たちにもそれぞれ違いがあるのだ。例え同じ妖怪でもあっても違いがあるのは当然と言えば当然のことなのかもしれない。
ふむふむ、と一人納得しながら続きを読み進める。そして、ある一点の記述を見て僕は固まった。
「なお、他家から品物を調達することでその術者の家は栄えるが、七十五匹にも増えるため、やがては食い潰されて家が没落する……」
マジか。
チラリと管狐を見遣る。僕の視線に気付いた彼はむすっと膨れっ面になった。
「ちょっと、ボクはそんなことしないよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。雌雄一対にして子どもが増えるとそうなるの。欲深い奴がもっと裕福になりたいと願って狐を増やすからそうなるだけ。そもそも、つゆりはそんなこと願わないし。それに、ボクはまだ独り身を謳歌したいし。つがいで入れられなくても全然問題ないし。というか逆に困る。女房の尻に敷かれるなんて絶対に嫌。まあ、悟り世代って奴だよ」
「……そうなのか」
妖怪にも悟り世代なんてものがあるのか。
腕を組んで考えていると管狐が「そう言えばさ」と口を開いた。
「キミ、ボクのことが見えるんだね」
「今更な質問だな」
今まで普通に話をしていたのに何言ってんだこいつ。
なんて、僕の心の声など露知らずの管狐は見定めるように僕を足元から頭まで見て目を細めた。
「……何だよ」
「いや別にー。ただ、見える人間なんて珍しいなぁって」
「そうなのか」
「うん。ここら辺じゃ、まつなとつゆりぐらいしかいないから」
「……お前はつゆりさんとどういう関係なの?」
先程から度々管狐の口から出てくる彼女の名前。それがさっきから気になって仕方がなかった。
漸くそれについて訊けると思ったら、管狐はニヤリと口元を歪ませた。
「知りたい?」
「知りたくなかったらそもそも訊いてない」
「そうだよねー。うーん、どうしよっかなー」
何故だか勿体ぶってなかなか話そうとしない管狐が腹立たしい。
僕は傍らに置いてあった筒を持ってすっくと立ち上がった。「どうしたの?」と不思議そうに首を傾げる管狐を無視し、数歩歩いて庭へと続く戸を開ける。
「三秒以内に言わないと窓からこれ投げるぞ」
「え!」
「さーん、にー、いーち、」
「わー!教える!教えるからそれだけはやめて!」
投げる真似をしてみせれば管狐は必死に僕の腕に縋り付いてきた。勿論投げるつもりなどさらさらなかったのだが。案外チョロいなこいつ。
「何しようとしてくれるのさ、この人でなし!」
「妖怪が何を言う」
「優しくない男はモテないぞ!」
「よしわかった投げる」
「やめてー!」
再び投げようとする僕とそれを止める管狐。僕らのじゃれあいもとい攻防戦は暫く続いたのだった。
*
閑話休題。
こほんと一つ咳払いをして管狐は話し始めた。
「管狐っていうのはね、個人じゃなくて家に憑くものなんだ。つゆりの家は昔から管狐を有する家系で、彼女はその後継者ってわけ」
「ふーん、そうだったんだ……」
言われてみれば、彼女は首元に何かを掛けていたような……。
記憶を辿ってみると、確かにこれだった気がする。正直言って彼女自身に気を取られていたため、そこらへんはおぼろげにしか記憶していなかった。
考え込んでいると管狐がぽんぽんとその小さな前足で僕を突いていた。「ん?」と意識をそちらに向ければ、「ねえ、聞いてる?」と不満げに見つめられる。
いけないいけない。今は話に集中せねば。気が変わってまた勿体ぶられたら困るし。
「ああ、ごめんごめん。続けて続けて」
「はあ、じゃあもう一回言わせてもらうけど……。管狐を有する家系って言っても、家族の中で人でないモノを見えるのはつゆりだけなんだ。だから、今日みたいに妖怪関連のちょっとした話を聞いてもらうために、まつながいるこの家につゆりは度々来ているんだよ」
今のご時世、妖怪が見える人間なんてそうそういないからね。
そう言った管狐は何処か悲しそうだった。
「だから、つゆりは嬉しかったんだろうね。見える人間が他にもいるってことを知って、話相手もできてさ。とてもとても嬉しかったんだろうなぁ……ボクを忘れてしまうぐらいに」
「あはは……」
どうやら置いていかれたことをまだ根に持っているらしい。また不貞腐れはじめた管狐に、こいつ結構根に持つタイプだなぁと内心思った。
そして、ふと思い出す。昼間に会った彼女は僕が見える人間だと知って、確かにとても嬉しそうだったことを。
――孤独なんよ。妖怪も、それが見える人間もね。
数日前のばあちゃんの言葉が頭を過ぎった。
最近見えるようになったばかりの僕には、誰にも自分の存在を気付いてもらえない妖怪や誰にも自分が見聞きしたことを理解してもらえない人間の悲しさも寂しさもまだわからない。
でも、それでも。見えるようになったからこそ、気付いてあげることも理解してあげることもできるようになった。
厄介事はごめんだ。でも、少しくらいなら力になってあげたいと思う。悲しいのも寂しいのも誰だって辛いはずだから。
僕にできることなんて話を聞くことしかできないだろうけど。
そう思うのは傲慢なのだろうか。
無言で思案していると、「というわけで!」と管狐が明るい声で言った。
「にき、つゆりの家に行こうよ」
「え、今から?」
「うん。その筒をつゆりに届けてよ」
「一人で帰れないのか?」
「帰れないことないけど疲れるから嫌だ」
「僕を足代わりに使うなよ……。というか、今からは無理だよ」
「どうして?」
「もう夜だし」
掛け時計を見遣ればもう九時を過ぎていた。こんな時間に出向いたらあちらの家に迷惑だろう。
「もしかして、夜道が怖いとか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
「大丈夫だよ。いざとなったらボクが守ってあげるからさ。まあ、気が向いたらだけどね」
「何それ無茶苦茶不安!」
軽い口調で言う管狐に不安しかない。
「兎に角、今日は諦めてよ。こんな時間に行ったら迷惑だろ」
「ボクを置いていったつゆりが悪いから気にしなくてもいいよ」
「駄目ったら駄目」
「えー」
管狐がごろごろと床を転げ回る。埃が舞うからやめてもらいたいのだが……ってさっきも言ったっけこれ。
困り果てて頭を掻いていると、部屋の外からばあちゃんの声が聞こえてきた。
「にきちゃん、ちょっといいかしら」
「はーい」
返事をして襖を開ける。すると、僕の部屋の様子を見たばあちゃんがあらあらと口に手を当てた。
「やっぱり管狐ちゃんここにいたんね」
「あー、まつなだー」
振り返ると管狐が動きを止めていた。さっきまで転げ回っていた奴とは思えないほど行儀良くちょこんと居住まいを正していた。その変わりように呆れてものも言えない。僕は自然と溜息を吐いていた。
そんな僕を見てくすりと笑った後、ばあちゃんが言った。
「あのね、ついさっきつゆりちゃんから電話があったんよ」
「え?」
「管狐ちゃんを迎えに行ってもいいですかって言われたんやけどね。もう遅いし、今日はやめておきなさいって言っておいたからね」
「ばあちゃんナイス」
「えー」
ぐっと親指を立てた僕に対して、管狐は不満気だった。……こいつ、また床を転げ回る気じゃあるまいな。
「大丈夫よ、管狐ちゃん。明日朝一で迎えに来るって言ってたよ。だから、今日はここに泊まっていきなさい」
「だってさ」
「むー」
膨れっ面を浮かべる管狐に、「そうそう」とばあちゃんが言葉を続ける。
「果物あるけど食べるかい?」
「食べるー」
果物と聞いて管狐がぴくりと反応した。先程ところっと態度を変えて、てくてくと部屋を出て行く。
食べ物につられるなんて……こいつやっぱり案外チョロいのか?
「管狐ちゃんは一等果物が好きなんよ」
「……へー」
唖然とした表情を浮かべているであろう僕に、ばあちゃんが教えてくれた。
「さあさ、にきちゃんもおいで」
ばあちゃんに促されて僕も立ち上がる。
だけど、僕は知らなかったのだ。こんな小さな管狐がまさかの大喰らいだったということを。
次の日、管狐を迎えに来たつゆりさんがその話を聞いて頭を下げ続けたのは、また別の話である。




