第四話 少女
祖母の家に来て数日が経った。それすなわち、妖怪が見えるようになって早数日経ったということで。
小鬼たちに弄られながらも、ここでの生活に少しずつ慣れてきた今日この頃。
だから、気が緩んでいたのだと思う。
目を覚まして今何時だろうとスマホで時間を確認した僕は慌てて飛び起きた。何故なら、時刻はもう正午を回ろうとしていたからだ。
「ね、寝過ごした!」
布団を片付けて、急いで服を着替える。
特に何かやろうとは思っていたわけではないのだが、夏休みだからといってダラけた生活はしまいという己への戒めだ。
ばあちゃんも父さんと同じく基本放任主義らしい。ここに来てからというもの、あれをしろ、これをしろととやかく言われたことはなかった。……まあ、言外に言われたような気もしなくもないがそれは置いておくとして。
とやかく言われないからこそ、どことなく試されているような気がしなくもないのだ。それこそ考え過ぎなのかもしれないけど。
今だったら多分昼飯の準備をしているだろう。そう目星をつけて、あてがわれた部屋を出る。目指すはお勝手――台所だ。
「ん?」
渡り廊下を通った時、縁側に誰かがいるのが見えた。
ゆっくりと物音を立てないように近付いていく。
「……この子、誰?」
僕の独り言に返答はない。それもそのはず。その人物こと一人の少女は、気持ちよさそうにすやすやと眠っていたからだ。
僕と同い年くらいだろうか。長いまつ毛は、彼女の色白な肌に影を落としていた。背中まで伸びた長い黒髪は揺蕩うように飴色の床に散らばっている。
まじまじと惚けたように見つめていて、意識が疎かになってしまったからだろうか。一歩足を踏み出した時、ギシリ、と床が軋んだ。
……あ、しまった。
そう思ったが時既に遅し。
僕が立ててしまった音で、彼女がゆるゆると目を開けた。ぼうっと何処か遠くの方を見つめてゆっくりと体を起こす。そして、漸く彼女が僕の存在に気が付いた。
はた、と見つめ合う僕と少女。方や驚いた面持ちで。此方寝惚けた面持ちで。
「……どちら様ですか?」
「……いや、それはこっちの台詞なんだけど」
たっぷり間を開けて、小首を傾げて訊かれた言葉に僕は返した。いやうん、僕は間違っていないと思う。
目をぱちぱちと瞬かせてゆっくりと少女は辺りを見回す。そして、次の瞬間、はっとした表情をその顔に浮かべた。見る間に顔が青ざめたかと思えば、今度は真っ赤に変わる。あうあうと視線を彷徨わせたかと思えば、顔を手で覆ってしまった。
「あ、あの……大丈夫?」
「ごめんなさい自分の家だと思っちゃったんです本当にごめんなさい」
「あ、いや、謝らなくてもいいから……」
どうやら寝惚けていて自分の家で寝ていたと思っていたらしい。少女に矢継ぎ早に謝られ、それに感化されるように僕も慌てる。そんな僕たちの様子はさぞかし滑稽だったことだろう。
「あら、あんたたち何しとるん?」
ばあちゃんがこの場を通りかかるまで、それは暫く続いたのだった。
*
……何だこの状況は!
下を向きながら僕は心の中で叫んだ。緊張のせいかか、はたまた困惑のせいか、それとも両方のせいかわからないが手汗がヤバい。無茶苦茶ヤバい。
その理由は至って簡単。先程からどちらも話さない沈黙状態が続いているからだ。
机を挟んで若い男女が二人して座り込んでいる。まるでテレビで見たことあるお見合いの場面ようだ。……いやまあ、違うけども。
首を振って変な思考を振り払う。
正直言って気まずい。非常に気まずい。
仮ではあるが自分の部屋に女の子を招くなんてこと、この十数年間生きてきた中でしたことなんてなかったし、そもそも女の子と学校以外で話すなんてしたことがない。学校でも委員会とか事務的なことしか話したことないし。……あれ、自分で言っていて何だか少し情けなくなってきた。
とまあ、それはさておき。
ただでさえ女の子と話す機会がないというのに。しかも、今日初めて知り合った子とお喋りしろだなんて、そんなこと――
僕にはハードルが高過ぎる!
「あ、あの……」
「は、はい!」
急に声を掛けられて思わず大きな声を出してしまった。それが恥ずかしくて再度俯いた。
「まずは自己紹介からしませんか?」
「は、はい」
言われて居住まいを正す。しっかりしろ、自分!
「えっと、じゃあまずは僕から。僕の名前はにき。まつなばあちゃんの孫です」
「私は、つゆりと言います。近所に住んでいて、よくお婆様に話を聞いてもらっているんです。さっきはお見苦しい所を見せてしまって……」
本当にごめんなさい。彼女は深々と頭を下げた。
彼女曰く、裏庭に野菜を取りに行っているばあちゃんを待っている間に眠りこけてしまったらしい。
「いや、もう大丈夫だから。顔を上げて」
その遣り取りは先程散々やったからか、言われて直ぐに彼女は顔を上げた。
そして、再びの沈黙。
……ああ、もうどうすればいいんだろう。
そもそも、こんな場を作ったばあちゃんもばあちゃんだ。
応接間に通すと思いきや、僕の部屋まで彼女を案内させるし。お茶を持ってきて場を取り繕ってくれるかと思いきや、
「それじゃあ、昼ご飯の用意してくるからね。後でご飯持ってきてあげるからね」
とか何とか言って、説明も何もなくその場を去っていったのだから。……いやまあ、それに文句も言えない僕も悪かったんだろうけど。
笑顔ながらも有無を言わせないその空気が父さんと似ているんだよなぁ。流石は親子だ。
なんて、現実逃避はここまでにして。
はてさて、どうしたものか。
他に何を話していいかわからず困り果てていたちょうどその時、ふと後方から気配を感じた。
「にきー、何してるのー?」
「何してるのー?」
ひょっこり顔を出したのは、この家に棲まう小鬼たちだった。
お前たち何登場してきてんだよ!
叫びたい衝動に駆られたがぐっと耐えた。
しっしっ、あっち行け。
と、手振りで合図したが、こともなげなく奴らは部屋へと入ってきた。……何で入ってくるんだこいつらは!
「お見合いー?」
「お見合いお見合いー」
つゆりさんがいる手前、怒鳴ることもできない。突然怒鳴ってびっくりさせたくはないし、第一会ったばかりで変人だと思われるのは嫌だ。
僕が怒鳴らないのをいいことに、小鬼たちはぴょんぴょんと飛び跳ねたり、辺りを駆け回ったりし始めた。
ああもうこいつらは、と顔に手を当てて溜息を吐く。
不意に、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
その声はつゆりさんのものだった。顔から手を離して、ぱっと彼女の方を見遣る。その視線は僕ではなく明らかに小鬼たちの方に向いていた。
……まさか。
「つゆりさん」
「はい?」
「もしかして、こいつらのこと見えてるの?」
「え?」
ぱちくりと彼女は瞬きをする。……ああ、もしかして違ったかもしれない。よくわからない僕の行動に対して笑っただけかもしれない。
いや、何でもないよ。
そう弁解しようとしたら、彼女がおずおずと口を開いた。
「……にきくんも見えてるんですか?」
この子たち、と指差された先には小鬼たちがいて。
「そうだよー」
「そうだよー」
と、彼女の質問に答えたのは僕じゃなくて小鬼たちだった。
「にきも見える人間なんだよー」
「なんだよー」
「何勝手にカミングアウトしてるんだよ!ああもうお前たちあっち行ってろ!」
ひょいと二体を掴み上げて、部屋の外へと追い出して襖を閉める。
何やら文句が聞こえてくるが無視だ無視。
暫くして飽きたのか、ぱたぱたと足音が遠ざかって行った。
「あー、えっと……騒がしくてごめんね」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
謝る者と謝られる者。
先程とは完全に立場が逆だ。
それに気付いて、二人して笑い合う。
それからというもの、ぎこちなさなど何処かに行ってしまったように僕とつゆりさんはお互いのことを話した。
訊けば彼女は僕と同い年らしい。それなら敬語はやめないかと提案してみると、「これは癖みたいなものなので……」と彼女は苦笑した。
「つゆりさんはいつから妖怪が見えてるの?」
「私は、多分生まれつきだと思います。昔から何もないところを見て手を伸ばしたり、何かについて行くように何処かに行きそうになっていたって父が言っていたので」
「へー……」
生まれた時から見えていたのなら、多分僕にとって非日常的な妖怪関連のことも、彼女にとっては日常茶飯事なのだろう。
妖怪が見えるようになって早数日。その間にも色々起きているというのに、それが生まれた時からとなれば……うん、大変そうだ。
僕が思考に耽っていると、ふと彼女が口を噤んだ。そうかと思えば、口を少し開けてまた閉じる。何か言いたそうだ。
「どうかした?」
「いえ……。あ、あの……」
緊張した様子でしどろもどろに彼女が言葉を紡ごうとする。顔は俯いて、手はスカートの裾をぎゅっと握っていた。「大丈夫?」と窺おうとしたその時、意を決した様子でぱっと彼女が顔を上げた。
「わ、私と、友だちになってください!」
少し震えながらも大きな声ではっきりと彼女は告げた。
一瞬、言われた言葉の意味が理解できなくてぱちくりと僕は目を瞬かせる。
恐らく、さぞ間抜け面を晒していたことだろう。
けれども、緊張した面持ちの彼女はそんな僕を特に不可解そうに見ることもなかった。寧ろ、何も反応を示さない僕を見て、段々とその表情を暗くしていった。そして、小さなか細い声で呟いた。
「ごめんなさい……。何でもないです……」
「あ、いやいや違うからね!いきなり言われてびっくりしただけだから!」
はっとして、僕は慌てて彼女に弁解する。何故だか彼女が悲しんでいる顔を見るのは嫌だった。元気付けるように思い切り声を張り上げる。
「友だちになろう!」
「ほ、本当に?」
「うん。というか、さっきから一緒に喋ったり遊んだりしているし、もう普通に友だちなんじゃないかな」
友だちの定義がどんなものかはわからないが僕はそれで十分だと思うのだ。
何言ってんだお前は。そんなキャラじゃないだろう。
と、頭の片隅で突っ込んでくる冷静な自分がいたが引っ込んでろとそいつをおさえる。
彼女がどんな反応をするのか怖くて、顔を俯かせる。すると、ふと畳の上に何かが落ちたが視界に入った。何だろうと思って顔を上げて再び僕はぎょっとした。
何せ目の前の彼女の瞳から雫が溢れていたのだから。
「え、ちょ、何で泣いてるの?」
「う、嬉しくてつい……」
「泣くほどのこと?」
「うー」
「あー、腫れるから擦っちゃ駄目だよ。えっと、タオルかハンカチ何処置いてたっけ?」
「……大丈夫です。ハンカチ持ってますから」
慌てて部屋を見渡す僕を制して、彼女は傍らに置いていた自分の鞄の中からハンカチを取り出した。
必死で泣き止もうとしている彼女に何もしてあげられない僕はただただ無力で。そんな自分が情けなかったし、何よりとても歯痒かった。
暫くして目元からハンカチを離したつゆりさんが僕の方に向き直った。その目はまだ少し赤い。
「大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です。ごめんなさい、迷惑かけてしまって」
「いや、別に気にしてないよ」
「それならよかったです」
ほっとした様子でつゆりさんが息を吐く。そんな彼女に僕は苦笑した。
「そんなに嬉しかったの?」
「はい。凄く……凄く嬉しかったです。恥ずかしながら、友だちもあまりいなくて……。それに、見えるって言っても信じてくれる人も少ないですから……」
数日前の僕なら、恐らくその人たちと同じだったと思う。見えないものがいると言われても信じることもできない。その人のことを信じたくても、それはとても難しいことだ。
僕は知らないうちに暗い表情を浮かべていたらしい。気にしなくて大丈夫ですよ、と彼女が笑う。それが何処か寂しげで僕は胸が締め付けられた。
だから、僕は彼女に告げたのだ。
「……僕でよければ話を聞くよ」
「え?」
「まだ妖怪が見えるようになって数日だけど、ちゃんと見えているし、ちゃんと声も聞こえている。もし、妖怪関連で話したいことがあったら、ばあちゃんだけじゃなくて僕もその話聞けるからさ、気軽に話してよ。まあ、聞くだけしかできないけど……」
そ、それにほら、友だちだしね!
照れ臭さを紛らわすために頭を掻きながら付け足す。すると、再び彼女が手に持っていたハンカチで目元を押さえた。
……ああ、また泣かせてしまった!
「あー、にきが泣かせてるー」
「泣かせてるー」
「お前たち五月蝿い!」
いつの間にか戻ってきた小鬼たちが今度は窓側から部屋の中を覗き込んでいた。
振り返って怒鳴ると奴らは直ぐさま逃げて行った。全く、とぶつぶつ文句を言っていると、ふふふ、とつゆりさんが笑って顔を上げた。
「……にきくん」
「ん?何?」
「ありがとう」
まるで朝露に濡れた蕾が開いたかのように彼女の顔が綻んだ。
その笑顔を見て、どきりと心臓が鳴った。あれ、と思っていたら、今度は次第に顔が熱くなっていった。
……何だこれ何だこれ何だこれ!
明らかに今の自分が異常だと感じて、反射的に彼女から顔を逸らす。
「どうかしました?」
「うんごめん少し待って」
顔を手で隠し、熱をおさえるために、何度も何度も深呼吸をした。
おさまれおさまれと心の中で何度も念じながら、頭の片隅でどうしてこんなことになってしまったのかを考えた。
こういうことに疎い僕でもわかる。
にき、十四歳。僕は、人生で初めての恋をしたらしい。
*
何とか顔の熱もおさまり、二人で談笑していた。彼女が今まで会った妖怪の話とか僕がこの家に来てからあった出来事とか。
そうこうしている間に、ゆったりとした足音が廊下から聞こえてきた。そして、昼食をお盆に載せて持ってきたばあちゃんが部屋の中に入ってきた。
「あらあら、もう仲良くなったのかい?」
「はい!にきくんが友だちになってくれました!」
まるで幼子のように、嬉しそうにつゆりさんが報告する。それを「そうかいそうかい」と目を細めてばあちゃんが聞いている。
僕は先程の自分の言動を思い出して、照れ臭くて明後日の方向を向くことしかできなかった。
「それじゃあ、後は若いもんに任せるとするかねぇ」
「ばあちゃんは食べないの?」
「私は向こうで小鬼ちゃんたちと食べるから」
それでは、ごゆっくり。
部屋を出て行く時、ばあちゃんが意味深げに笑っているのを僕はばっちり見た。
……あれは絶対にバレている。うわー、後で何か言われそうだ。
その思考を振り払うために、キンキンに冷えた飲み物を口に含む。この後のことを考えると気が重くなるが、今は目の前の彼女との会話を楽しむことにした。
そして、楽しい時間というものはあっと言う間に過ぎてしまうもので。
昼食を終え、気付いた時には日が傾きかけていた。
つゆりさんの家には門限があるらしく、そろそろ帰らなければと席を立つ。
それが残念だと心の底で思いながら、玄関先まで見送りをする。
「それじゃあ、にきくん。またね」
「またね」
ひらひらと手を振って、彼女の後ろ姿を見送った。
家の中に入っていくと、何か言いたげににこにこと……いや、にやにやとばあちゃんが笑っていた。
「……何、ばあちゃん」
「いやなに、にきちゃんって意外に純情なんねぇ」
はっはっはっ。
ばあちゃんが豪快に笑う。僕はかあっと顔に熱が集まった。
頑張って無心でいようと心掛けたが、ばあちゃんの追撃はその後もずっと続いたのだった。




