〈1章 彼の自己紹介と他者紹介〉
まず親愛なる読者の皆様へ向けて、予め七瀬なつという人物について説明申し上げようと思う。
彼女は僕が所属し、件の姉が担任を務める1年C組のいわゆる「つまはじき者」である。彼女がそのような立場に追いやられてしまっている理由は・・・・・・端的にいえば、彼女が纏う近寄りがたい雰囲気による能動的な孤立、ということになろう。
彼女は品行方正、質実剛健、八方美人、成績優秀、傍若無人、確固不抜、豪放磊落、志操堅固、無碍自在、(以下略)である。しかしどのような言葉をどれほど並べ立てようと、彼女を十分に形容するには足らないであろうことを注意しておこう。
とにかく、彼女は周囲へ溶け込むことができないがために孤立しているのではなく、自らの意思で今のような状況を保っているのではないかと僕は考えるのだ。彼女の言動の節々にその姿勢が滲み出ているようにも伺えるし、その近寄りがたい雰囲気というのも、彼女自らが醸し出しているものだと仮定することで通る筋というのも多い。
畢竟、七瀬なつという人物を、姉の言葉を借りれば「みんなと仲良く」させることはほぼ不可能であるとの結論に至る。
―――と、いうような自問自答を通学の道すがらするような男が僕、加藤紅葉である。
他者紹介をしながら自己紹介を兼ねる僕は、やはり生まれ持ったナントカであるのだろうな―――。
ふと眼前数センチの距離でもたらされた嘆息を耳にして、僕は我に返る。途端に満員電車ならぬ満員モノレール内の湿気と密度を思い出し、自然と眉間に力が入る。
「アンタ、いい加減そのブツブツ気持ちの悪いナレーションかます癖どうにかしたら?アンタが思ってる以上に周りから気持ち悪く見られてるのは、アタシが保証するから」
声の主は、先ほどの嘆息の持ち主と同一人物である。
「わざわざご忠告どうも。でも今は生憎、重要な考察をしていてそれどころじゃないんだ。また今度改めて聞くよ」
「七瀬さんについての考察が重要?・・・ってか、今治せよ!」
「そのツッコミ流石だよ、蘭子。伊達に僕の幼馴染みキャラとしての立ち場を守り続けていないね」
蘭子は僕を上目遣いに睨め付けたまま黙ってしまった。というのも、物理的な理由で彼女が下から見上げる形になるのは必然であるのだが。
説明が遅れて申し訳ないのだが、僕は今乗客が多すぎて飽和状態にあるモノレールで、扉に背を付けた蘭子を押し潰・・・否、守るような体勢をとっている。男子たるもの、か弱いレディを守ることはもはや義務である。
僕の背中の向こうでは、有象無象のエキストラの皆様が汗水垂らして通勤ラッシュに精力を吸い取られている真っ最中なのだが、僕としては吐息を制服の胸ポケットで感じられるほどの距離に女子高生のご尊顔がおわしますこの状況で色々なものが捗らないわけがなく、平日の朝から元気いっぱいなのだ。ここで「何が?」と尋ねてはいけないことを、そろそろ読者の皆様は学ぶべきである。
閑話休題。
蘭子が僕の幼馴染みであることは上述の通りである。しかしひとくくりに幼馴染みといっても幅が広すぎる。そこで僕はモノレールが目的の駅へ到着するまでのささやかな時間、蘭子の幼馴染み属性の強さについて語ろうと思う。
早起きの苦手な僕と姉の平日を始動させるのは、いつも決まってこの蘭子である。訳あって2人で暮らしている僕たちを頼りなく思う半面、放っておけないと思ってしまう辺りはオカン属性とも言えるのだろうが、わざわざラブコメ漫画の如く眠る僕の上に馬乗りになって起こしてくれるさまは、全国のオカンには決して真似して欲しくない挙動である。これは若さ故の特権なのだ。
容姿に関しては、僕の3分の2ほどの背丈しか持ち合わせておらず、そのせいでというべきかそのおかげでというべきか、校内の一部に彼女のコアな支持層が存在することも僕は知っている。合わせて述べておくと、僕は決して身長が高い方ではない。
顔付きもやや実年齢より若く見え、特徴的なのはそのつり上がった目尻と小さな鼻、そして異様に長く伸ばした髪である。その長い長い髪は「面倒だから」という粗末な理由で彼女の背後に無造作に垂らされていることがほとんどだが、その後ろ姿が茂みの奥に住む、鼠などの小動物を食べて暮らしているといわれる妖怪『しげみばばあ』に見えることに、彼女は気付いているだろうか。
「アンタそんな風に思ってたの!?なんで言ってくれないのよバカ・・・」
――何か聞こえた気がしたが、きっと誰かの腹の虫か何かだろう。
さて、蘭子についての説明の続き・・・・・・と行きたいのだが、そろそろ目的の駅に着きそうだ。
最後にまとめとして僕が述べておきたいのは、僕の幼馴染みである三澤蘭子という女の子はありていに言って十分可愛いということだ。読者の皆様はすべからく僕に嫉妬するがよい。
「な、なんてこと言っちゃってんのよこのっ・・・大バカ野郎!!」
目に見えて動揺している様子の幼馴染みが鬱陶しくて可愛い。
しかし―――。
「さっきから何なんだよ、僕の心の中を覗いてるみたいな切り返ししてきやがって」
だが僕の反論は、顔をプチトマトのように真っ赤に染めた彼女に全力で叩き伏せられた。
「アンタがまたひとりでベラベラくっちゃべってるから、全部丸聞こえなんだっつーの!!!」
蘭子のこの慟哭にも聞こえる咆哮が、精力を吸い取られたモノレールの乗客たちを苛立たせたことは言うまでもない。
※ ※ ※
モノレールの駅から僕が通う高校までには大して距離がなく、故に親愛なる読者の皆様へ語りかける時間がなかったことを許して頂きたい。といっても、校門までの道すがら僕がしたことといえば、一方的に言葉を撃ち込んでくる会話のサブマシンガンの如き蘭子に適宜相槌ちを打ちつつ、どうすれば予備動作なしに風を起こすことができるのかについて考えていただけだ。もし僕がファンタジーの主人公のように風を操ることができれば、1日にどれほどの女子高生の下着を心のフィルムに収めることができるだろうか。想像しただけで鼻の下がだらしなく伸びてしまいそうな話である。
「・・・ちょっと、人のはなし聞いてる?ねぇ、そんなだらしなく鼻の下伸ばして、また何か卑猥なことでも考えてたんでしょ?」
どうやら実際に僕の鼻の下は伸びていたらしい。
やれやれとばかりに呆れてみせる蘭子を尻目に、僕はこれがファンタジーでも何でもない物語であることを思い出し、ただ呆然とするしかなかった。しかし僕は諦めの悪い男だ。今日はだめでもいずれ必ず成功させてみせる、と脱いだローファーを持ち上げて顔を上げたその先に、奴がいた。
「んも~、おそいゾ!お姉ちゃん待ってたんだからねっ!」
瞬間、2人分の嘆息が暗澹としたハーモニーを奏でる。言わずもがな僕と蘭子である。
そそくさと上履きを突っ掛けて走り去ろうとするも、ふたつの肉のバスケットボールがぼいんぼいんと行く手を阻んだ。その場に居合わせたエキストラ的男子生徒たちが歓声を上げる。
「フフフ・・・昨晩は酷いことしてくれたわねぇ。忘れたとは言わせないわよ。乱暴に服を脱がされて、抵抗する私を無理やり捕まえて・・・・・・そして、私の大事なモノを奪おうとした!!」
何ひとつ間違ったことは言っていないのだが、おそらく周囲で聞いていた学生たちの解釈は何ひとつあてはまっていないだろう。
僕は自分の顔から血の気が引いて冷たくなっていくのを感じた。僕は今危険な状況にある、と生物的な本能が体を反射的に駆動させ、気づいた時には既に僕は姉を肩に担いで廊下を疾走していた。
1年C組の教室の前で姉を床に振り落とし、荒くなった呼吸を整えようと深く息を吸ったところで蘭子を校舎の入り口に忘れてきたことを思い出したが、今あの場へと戻ることは飛んで火に入る夏の姉である。おっと失礼、これは飛んで火に入って欲しい夏の姉の間違いであった。
大人しく僕は教室へ入ろうと試みた。しかしゾンビのように唸り声を上げながら廊下に這いつくばる姉に足を押さえられてしまい、身動きが取れない。
「フヒヒヒ・・・逃がさな~い」
くどいようだが、これが我が1年C組の担任教師である。しかし、登校してくるクラスメイトたちは姉のこのような愚行を既に見慣れてしまっているのか、あるいは姉のような阿呆な人間とは極力関わり合いたくないためか、まるで僕たち2人が見えていないかのように何食わぬ顔で教室へと吸い込まれていく。
そんな中、ただ1人だけ僕たちを見て立ち止まった生徒がいた。
「七瀬・・・さん?」
僕の口は勝手に、間の抜けたような調子で眼前に立つ彼女の名前を呼んでいた。