不憫な子、再会する。
結局、向かって左側へと歩き出した。おそらくどちらかは村につながる道、残りは残りでどこかに人の住む場所へつながっているだろう。幸いなことに竹箱があるから飢えることはない。これから先どうしようか。統括神は別に世界を救うとかいうことは望んでいなかった。むしろ自由に、やりたいように生きていくことを望んでいた、気がする。この世界ならあのクズ共が邪魔してくることもないし、目立たないようにすることも、社会的な地位を下げ見つかりにくくする必要もない。俺を放置してきた面々や、道路を見ていると文明もそれほど高くなく、腕っ節で生きていくことができる世界なのだろう。できることならもう少し早くこの世界に来たかった。もう30歳になろうかという自分の体では、新しいことを覚えるのは楽ではないだろう。10年前…だと職長たちに迷惑がかかるか。とりあえずはこの世界になじむことが先決、か。
などと考えながら4日程歩いていた。方針が決まってしまったため、ただただ歩くだけとなってしまった。おそらく村は逆方向で、初日のうちに引き返していればついていただろうが、今さらだと思いそのまま歩き続けた。人とすれ違うことはなく、遠くを四足の獣や鳥、時折ダチョウのようなものが見えた。狩りでもしようかとも思ったが道具がないのでやめた。と、いうよりも俺の知っている犬やカラス、ダチョウよりもだいぶ大きかったと思う。目新しいものもなくなってきたとはいえ、お金や時間やクズ共を気にせずのんびり歩くことは、開放的で気持ちの良いものだった。
そんな4日目の昼、見慣れてしまった風景の中に一人の男が現れた。これでようやく人のいる方向位は聞ける、人に会える、という思い呼びかけながら走り寄る。近寄ってみるとその人は随分と血なまぐさかった。目はうつろで、右手に2mに届かないくらいの剣を、左手に右手をもって、立っていた。右手は男の右手ではなく誰かの右手で、ひじから先はなかった。きっと男の周りに落ちているどれかについていたのだろう。男の周りには人の部品や、よくわかりたくない肉の塊が落ちていた。男の眼は開いているもの、焦点がずれているのか何を見ているかわからず、何かを呟くように口は動いているが、少なくともこちらに聞こえるようなものではなかった。そして唐突に目を見開いてこちらを見た。屠殺場で働いていた斉藤さんのことを思い出した。上京して有名大学に入り、そこそこ優秀な成績だった斉藤さん。コミュニケーション能力に難があって就職できなかった斉藤さん。あの日、でかい包丁を持って暴れだした斉藤さんと同じ顔をしていた。斉藤さん元気かなぁ…
「ああああぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁあ!!!」
「うわあああああああああああああああああ!!!」
いきなり叫び始めたので、こちらも負けじと叫んだ。あの手の人は動物と似てるところがあって、なめられる負けだから気をつけろと言われていた。社長に。
「フゥーッ! フゥーッ! フゥーッ!」
口からよだれをたらしながら叫ぶ男の周りに、ピンポン玉位の火の玉が浮かび、炎の尾を引きながら向かってきた。それに合わせたかのように、男は剣を引きずりながら一瞬で近づき、左下から斜めに斬りつけてきた。火の玉をよけるために左前に踏み出していた俺は、それを飛び上がりながら前方に飛び込むようにして何とか躱す。
「あがぁああぁああああああ!ぶぁらああああああああ!!」
俺は走って逃げることにした。人とは思えない動きをしながら、人を人とは思わない行動をする生き物から逃げ切れるかはわからないが、正面切って戦うより逃げる方がましだろう。斉藤さんは誰も怪我をしてなかったこともあり、皆で物陰からいろんなものを投げ、最終的にはネットを何重にもかぶせて取り押さえた。何も道具のない状態でおかしな人とやりあいたくはない。だから、躱した勢いもそのままで走って逃げた。が荷物を見つけてしまった。子供がこちらを見ていた。こちらに小さい手を力なく伸ばしてこちらを見ていた。後ろから怒ったような声がして、こちらをにらんでいるような気がする。ためらったら死ぬ。俺は手を伸ばし、その子を片手ですくいあげ、抱きしめるように抱えた。後ろからは相変わらず獣のような雄叫びが聞こえるが、ああいう手合いはまともに相手にしてはいけない、しかもお荷物が増えた状態で相手にしてもいいことなどない。雄叫びが尾を引きながらすぐ後ろに来た。もっと早く、もっともっと早く、絶え間なく、そして休みなく走れなければ死んでしまう。もっと、もっともっともっともっと。
気が付くと、朝になっていた。いつの間にか雄叫びが追いかけてくることもなくなっていた。息も上がっておらず、随分と前から歩いていたようだった。向かい合うように抱きかかえていた子供は、緊張のためか吐いていたため一張羅が台無しではあったが、生きているのだから何とかなるだろう。しばらく歩き続けると遠くに壁が見えてくる。少なくとも人がいるのだろうが、あの男を見ていると多少不安ではある。1時間も歩くと壁は城壁になり、壁の下には門があった。門には男が3人ほどたっており、腰に剣を持っていたり、1.5m程の槍を持っていた。剣の持ち方を見ると頭の病気ではなさそうなさそうだが、何か違和感を覚える。しかし吐瀉物で汚れた服を着ながら歩く趣味はないので、どこかの水場位は聞きたいところである。
「おい!止まれ!」
2人の男が槍を向けながらこちらを怒鳴りつける。10m程の間があったが随分と緊張しているようだった。それに比べ剣を持った男は訝しげな顔でこちらを見ているだけだった。
「どこから来た!その子はまだ生きているのか!」
「この道の先にある森の方から来た!この子は生きている!」
「…途中で怪しい女の2人組に会わなかったか?!」
「女は知らないが変な男に殺されかけたよ!この子はそこで拾った子供だ!」
槍を持った男はうさん臭そうな顔だったが、剣を持った男が何かを言うと、緊張した顔のまま槍をおろした。剣を持った男が手招きをするので近付くと話しかけてきた。
「とりあえずついてきてくれるかな。その子のこともあるけど、いろいろ話を聞きたいし。」
「とりあえず服を洗いたいんだが…」
そうだねぇ、と微妙な距離を取りながら歩く男をの後ろをついていく。街中に入ってもさらに城壁が見えた。男はその城壁へまっすぐ進んでいく。外側の城壁の中は所々石畳だが、ほとんどは今まで来た道と同じ土を押し固めた道だった。男はそのまま進んでいき、内側の城壁につくと、門番らしき男と2、3言葉を交わしてそのまま進んでいく。男が怪しいというのもあったが、そろそろ休みたいという気持ちが強いため、おとなしくついていく。内の城門をくぐると石畳の道に、モルタルを固めたような壁の家、レンガ造りの家など様々あった。外側の町は木造がほとんどだった。
「ようこそ、我が家へ」
服も、服についたものも乾いてしまったころに男は歩みを止めた。前理の家々と比べると小さいが、地球にいたころと比べると十分大きな家があり、それをぐるっと庭がかこっているようだった。家に入ると3人の女がいた。
「おかえりー…お客さん?」
迎え入れてくれた女は日本人に見えた。他の2人の女とは違い、明らかに日本人に見える。ふと、狭間で見た9人の男女について思い出す。あの男女はもしかすると…
「あぁ、たぶん日本人だよ。別口から来たみたいだけどね。」