不憫な子、再び沈む。
叫んだ瞬間、目の前にあった幾何学模様は一瞬で消え、口の中に水が入り込んできた。あの狭間の世界であった何も感じられない世界から一転、顔中から入り込もうとする水の感覚、自分の口から出てくる空気の音、体を押さえつける圧力、水面を経由して差し込む光、俺は水の中に横たわっていた。
今までの事はすべて夢かもしれないと思ったが、必死にもがいて水面に顔を出した俺の前には森が広がっていた。日本にあった手入れされているものとは違い、様々な木々が入り乱れて生えていた。そして俺がいたのは森の中の泉のようだった。反対側まで10m位はあるが、人の背丈ほどしか深さがないので誰かに見られていたらたいそう恥ずかしかっただろう。
「あの野郎、これを見越してやがったな。」
とりあえず、泉の岸で干菓子を食べながら一息入れることにした。少女は最後の干菓子を渡す際にやけに念入りに袋に詰めていた。干菓子が湿気てしまうことを気にしてくれたと思っていたが、実際はこうなることを知っていたか、もしくはこういう風にしたのか。
それはさておき、俺は今後のことを考えねばならない。とりあえずは泉を中心に巻きになりそうなものを集めた。そして腰袋からアウトドア用の着火器で火を起こした。この着火器は2種類の金属をこすり合わせて大きな火花を出すタイプで、水にぬれても問題なく使えるし、何よりも長持ちである。他にも腰袋の中には仕事で使っていたカッターやペンチ、金槌等のサバイバルに役立ちそうなものを持ってきている。これらの道具は望みに関する打合せ中に持ってきてもらったものだ。
俺は服を乾かしながら手持ちの道具を確認する。先程の着火器、腰袋、工具類、干菓子、後は少女からもらった鉈と…竹で編まれた小さな箱があった。箱には紙切れが張り付けられていた。
『日に2回、握り飯が出る。お前は飢えると見境がなさそうだからな。なお、この私を崇め奉ればたまにいいものをやろう。ただし水に濡れているとどうなるかはわかるだろうから注意するように。』
神はいた!そう思いながら開けた中には水に濡れた羊羹が入っていた。これが握り飯だったら大惨事だった。次に会ったときは見た目相応に扱うのではなく、ちゃんと神様的に扱おうと決心しながら、しながら羊羹を食べた。ありがとう!神様!
朝が来た。昨日は服が乾くまでの間、薪を集めながら散策していると日が暮れてきたので、その日は寝てしまった。例の箱を開けるとまだ温かい塩結びと沢庵が入っていたので、ありがとう!神様!と、叫んでからおいしくいただいた。
今日はとりあえず泉の底をさらうことにした。もしかするとあの箱以外にも持たせてくれたものがあるかもしれないからだ。集落でも探せば野宿から逃れられるかもしれないが、あの、なんというか、素直になりきれない少女神様の厚意を、無下に扱うのはよくないと思った。鉈を持った俺は泉へと潜っていった。
ここは地球ではないどこかの世界で、特別な何かがなければ遠からず滅ぶ見込みの世界だ。少女からは滅亡につながる何かの排除を期待されているが、長と呼ばれていたあれとつながった感覚だと、世界の行末などどうでもよさそうだった。滅ぶときは滅ぶし、滅ばないように手をかけてしまえばその世界は何も学ぶことなく、忘れたころに同じことをする。ならば最低限の手をかけて放置し、自分たちは最低限の意向を伝えるのが最も良いと考えていた。ただ、何を以て滅亡するとかもわからなければ、誰に伝えればいいかもわからない。さらには俺の明日はどっちだかもわからない。今できることはこの世界を知ることと、衣食住を整えることである。
「動くな!動くと撃つぞ!」
15回目の潜水をしていると、泉の底で袋に入った円筒状のものを見つけた。それを抱えながら水面に浮上したら背後からいきなり怒鳴りつけられた。なんとなく嫌な予感はしていたがまさかこんなことになるとは。
「手に持った物はおろして!両手を上げろ!」
最初の声は女の声、今の声は男の声。何で撃たれるのかわからないが痛そうなので従うことにしたのだが…
「え?あれ?…っひぃぃいやぁー!」
振り向いた先には5人の男女がいた、女が3人、男が2人。女の中の一人は俺が何かを言う前に手に持った棒から何かが飛んできて、俺の意識を刈り取った。象だとか危険とかいろいろ言っていたるような気がするが、声をかけてきたということは助けてくれるだろうと思いながら泉の底へ沈んでいく。
服なんか着て泳ぐわけないだろう!乾かすのも大変なんだよ!