8 アウトサイダー②
『なぁ、兄貴と何かあっただろ』
真澄からそんな電話がきたのはお風呂上がりのことだ。
心当たりは多分にあるがわざわざ真澄に伝えることでもない。適当に何のことだと惚けるのが無難だろう。
「知らない。用件はそれだけ?切るよ」
『桃!』
「……なに」
目の前では桜がどこか嬉しそうにニマニマ笑っている。その顔なんかムカつくな。
真澄からの電話に対応せざるを得なくなったのは、ひとえに桜が勝手に着信のあった私の携帯をとったからだ。決して私が出たくて出たわけではない。不可抗力というやつだ。
だいたい今日だって桜がトイレに立っていなければあんな面倒なことにはならなかった。あれもこれも、桜のせい!私は桜の額にデコピンする。
「いたぁ~い!ひどいよぉ、桃ちゃぁん」
『え、桜?』
「何でもないから。で、続きは」
『……桃さ、誤解してるかもしんないけど、兄貴は別にお前のこと嫌ってるわけじゃないから。桃だって、兄貴が嫌いじゃないだろ?』
何だそれ。随分とつまらないことを聞く。
「相変わらずだね真澄。あんたのその愛他主義。でもそれってただの、そうだったらいいなっていうあんたの願望でしょ?」
真澄は私と拓真との仲を取り持とうとしているのだ。どうして拓真とひと悶着あったことを勘づいたのかは知らないが、随分と余計なお世話である。
世の中の人間ってやつは、あんたほど出来た人間ばかりではない。
「桃ちゃんっ!またそんなツンツンして……ふぐっ」
「いいから桜は黙ってて」
茶々を入れてくる桜の口を手で塞いで私はどう真澄との会話を終わらせようか思案する。
このまま相手が傷つくような言葉を重ねて突き放そうとしても、真澄のことだから一筋縄ではいかないに決まってる。私の中でこいつは低反発枕と同類なのだ。いきり立って殴りかかってもやんわりと押し返される、そんなイメージに近い。
『桃』
「……」
『兄貴と何があったか、事実だけを教えて。明日も迎えに行くから』
やっぱり。
別れの挨拶もそこそこに通話を切って深く溜息をついた私に、桜は満面の笑みを見せた。何なのその溢れんばかりの笑顔は。もう一回デコピンしてやろうか。
「ふふ。明日もってことは、前にも迎えに来てもらったことがあるんだ~?桜、初耳ー!」
「……桜、あんたでしょ。真澄にいらんことを教えたのは」
「ええ~?聞き捨てなんない、桜は何も言ってないよぉ?」
「今日、私が帰ってきた時にトイレに行ってたのも、本当は狙ってたんじゃないの。私と拓真を二人きりにさせたかったから」
「それはヒ・ミ・ツ」
唇に人差し指をあて軽くウインクをする姿は何とも小悪魔的で可愛いが、私は騙されないぞ。この策士め。
「桃ちゃん怖ぁ~い」
本当に怖いのは、最近厄災しか招いてこないあんたの方だっての!
次の日、学校に行くのは憂鬱で仕方なかった。
本来ならば今日は委員会もなくあの煩わしい双子の片割れの相手をせずに済む清々しい一日になるはずだったのに、真澄が放課後やって来ると思うと気が沈む。
だいたい、拓真も拓真だ。弟が大切で私を遠ざけようと画策するならまずはその弟を説得してからにしろっての。
ああ、もうイライラする。
「カルシウム足りてないんじゃない、桃ちゃん。そんな桃ちゃんに~はいっ、桜の特製弁当!今日のお弁当は、イライラ桃ちゃんのために鉄分豊富なメニューになってるんだよー!」
褒めて褒めてと言わんばかりに弁当を渡してくる桜は相変わらずで、私はもはや怒る気にもなれない。
「あーありがとう」
「特にね、小松菜!カルシウムたっぷりだから残さず食べてね~!あ、でも、桃ちゃんが桜の作ったお弁当残すことなんてないもんねっ」
「ウン、ソウダネ」
「もぉ~!桃ちゃんちゃんと聞いてるっ?」
朝だと言うのにそのテンションの高さは一体どこから来るのか甚だ疑問である。
得意げに弁当の中身を説明し始めた桜の言葉を右から左へ聞き流しながら学校へ向かっていると、その途中で桜のクラスメイトたちに出会った。
吉野隆と松田未佳、そして村瀬ののかだ。
私はそっと桜の傍を離れる。松田未佳は敵意をあらわにこちらを睨み、村瀬ののかは何かを言いたそうにしていたがそれらすべての視線を無視した。
「桃ちゃん、まったねぇ~!」
と、桜だけが無邪気に笑う。
◇◆◇
―――生徒会長が呼んでいる。
二限目が終わった放課、そうおずおずと声をかけてきたクラスメイトはどこか羨ましそうに私を見ていた。
私からすれば生徒会長たる鷹島朔也はただのストーカーでしかないが、その見た目の良さと遺憾なく発揮されるリーダーシップ、加えて文武両道ともなればストーカー気質な一面を知らない生徒たちにとっては憧憬の的になるようだ。また面倒がやって来たとため息をつく私とは対照的なクラスメイトの様子に、無知というのが如何に幸福であるか思い知らされる。
ここで呼び出しに応じずクラスメイトの反感を買うのも厄介だ。私は大人しく、廊下に佇む鷹島のもとに向かった。
「何の用」
もう、敬語を使うことすら億劫に感じてしまう。
「白石桃。きみのコンテストへの出場資格を正式に取り下げることになった」
「……はあ?」
「何を企んでいるのかは知らないが、生徒たちが懸命に取り組む学校行事を台無しにされたくない。来賓客も多数見えるんだ。きみに出場許可を与えるということは、我が校の醜聞にも繋がりかねない」
「いや、意味が分からないんだけど」
私が台無しにする?どこに根拠があるという。そんな馬鹿みたいな理由で出場を取り消すなんて暴挙の極みでしかない。
確かに私はコンテストに出場したくない。何より桜が勝手に決めたことで私はやりたいなんて一言も言っていない。
けど、だからってこんな風に悪役に仕立てあげられてまで辞めさせられるのに喜んでと首を縦に振るのも癪だ。
「後できみのクラスには代役を立てるよう伝えよう。話は以上だ」
「ちょっと待って!ふざけてんの?そんな暴論まかり通るわけがない」
「これは決定事項だ」
ふざけるな。
目の前の貴やかな顔を力いっぱい殴り飛ばしてやりたくなった。
私が何をしたって言うわけ?
納得できずに食い下がろうとしたけど、そこまでしてコンテストに出たいわけでもない。結局は我慢するしかないのだろう。
どうせ私は爪弾き者だ。自分からそういう言動を心掛けるようにしてきたのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
「……分かった」
色々言いたくなるのをぐっと堪え受け入れた素振りを見せると、鷹島は当然だとばかりに鷹揚に頷く。
こいつのこういうところが嫌いだ。自分が絶対的に正しいと思ってる。そしてその正しさを強引に押し付けてくるのだ。
「かわいそー、妹ちゃん」
「ね~っ」
その声に顔を上げるとふと遠巻きに双子の宮河煌、燿、それに不良もどきの橘竜牙がいることに気がついた。
生徒会メンバーが勢揃いだ。
双子はくすくすと笑い合い、橘竜牙はハンッとどこか得意げな表情でこちらを見ている。大方、「ざまあみろ」とでも言いたいのだろう。
「……ふぅん、生徒会の仕業ってわけ」
だからこんな暴挙が許されたのか。
「きみのこの頃の言動は目に余る。少しは姉である桜を見習ったらどうか」
「爪の垢でも煎じて飲ませてもらえばいいんじゃねぇ?」
「だいたいさぁー!妹ちゃんって本当に桜ちゃんの妹ちゃん?」
「似てないよね~、てゆーか性格も正反対?」
「「見た目も月とすっぽんだけどねぇ!」」
ケラケラ笑う声が頭に響く。
こいつら、恥ずかしくないのだろうか。
寄ってたかって一人の生徒に悪意をぶつけて、生徒の模範たる生徒会が呆れる。
……おまけに。
「―――かわいそうな桃ちゃん。でもさ、桃ちゃんも悪いよねぇ?」
生徒会の連中が立ち去った後にこっそりと舞い戻ってきた燿は、心底楽しそうにそう言った。
「幼馴染みなんてやつがいたこと、僕に隠してるんだもん」
意味が分からない。
なんであんたにそんなことまでいちいち言わなきゃいけないの?
私の幼馴染みということは桜の幼馴染みでもあり厄介なライバルになり得るから、そういうことは事前に教えろとでも言うのか。馬鹿らしい。真澄の兄である拓真の存在まで知ったあかつきには一体どうなることやら。
私の口からは明かさない方が賢明かもしれない。
「燿。その口振りじゃまるで、あんたが私の出場資格を取り消したみたいな言い方ね」
「そうだよ~正解!煌と画策して、会長に進言したんだ。会長が承諾してくれたのは意外だったけど、桃ちゃん嫌われてるもんねぇ~。簡単に頷いてくれたよ」
「……」
かわいそうな桃ちゃん、と燿は再びつぶやく。
「みんなから嫌われてて、誰からも信用されない、惨めな桃ちゃん。今、どんな気分~?僕はねぇすごく楽しいよ」
「……最低」
「知ってる~。ふふ、桃ちゃんはもっともっと嫌われればいいよ。早く一人ぼっちになって?」
そんなの、今更だ。
私は既に一人ぼっちだし、友達と呼べる人もいない嫌われ者。
肉親以外で私を邪険にしない唯一の存在である真澄とも縁を切ろうとしているのだから。
「大嫌いな桃ちゃん。けど、きみが周りから嫌われる程に、僕はほんの少しだけきみのことを好きになれそうだよ」
ああ、どいつもこいつも腐ってる。