4 嘘つき
桜を羨ましく思ったこと。幾度となくある。
時に妬ましく、時に苦々しくて。でも桜だって幸せに満ちた花畑のような場所で生きているわけじゃない。桜を取り巻く環境は最高にドロドロしていて、面倒に溢れていた。
だから、私は桜が好きでいられるのだ。
「ね~、聞いてよ桃ちゃーん。さっきさぁ、廊下で女の子たちが手作りのクッキーくれてさぁ、煌ってばそのまま食べてんの」
だから何だと言うのか?
背中に伸し掛かる重みに耐え兼ね、抗議の意味も込めて私は低い声で返事をする。
「……で?」
どうでもいいしさっさと離れてくれない?
「だって、ありえなくない?!手作りだよ?!中に何が入ってるか分かんないのに!」
「愛情が入ってんでしょ。あんたらの外面に騙された憐れな女の子の」
「いやだって煌が食べたら必然的に俺も食べなくちゃダメじゃん?ああいうのホント無理だから!マジで吐くかと思ったし!」
「あーそう」
――最近気づいたことがある。
双子の片割れ、宮河燿は若干潔癖の気があるのではないかと。
人の作ったものは受け付けないと言うし、人に触れられるのも嫌、相手から近づかれるのも無理。燿の弟である煌とは正反対だ。表向きはそっくりな性格を演じているくせに。
「桃ちゃん冷たくない?」
「逆になんで私があんたに優しくしないといけないわけ?」
「つれないなぁ。俺たちは相互関係にあること忘れないでよ。ほら、桃ちゃんの欲しがる情報一つ。桃ちゃんのために新しく仕入れてきたんだよ?」
燿が取り出した封筒を私は瞬発的に奪おうとした。が、行動パターンが読めていたのか燿は逆に私の手首を掴んで引き寄せ、封筒だけは遠ざけるという器用な真似を見せた。
悪戯っ子のような笑みがそこにある。
「相互関係って言ったでしょ。情報が欲しいならそれなりの対価を払ってもらわなきゃ」
「……私は聞きたくもないあんたの愚痴を我慢して聞いてあげて、なおかつずっと背中にくっついてたあんたを振り払わないであげたけど?」
「それだけじゃあ足りない。ねえ、桃ちゃんからキスしてよ。キ・ス」
「……」
何を言ってるのかこの男。あぁイライラする。でも、これも桜のためだ。今更キスの一つや二つに拘ってる場合じゃない――なんて、言うとでも思う?
私は思い切り燿の顔面めがけて頭突きした。利き腕が塞がっていたので手段がこれしか思い浮かばなかったのだ。
「~~ッ!!ちょ、も、桃ちゃ……っ」
「ぶっちゃけあんたのおふざけに付き合うほど私は暇じゃないし、優しくもないの。分かったらさっさとソレ、渡してくれる?」
「ちょっとは手加減してよ……!」
涙目になった顔を手で覆い悶える燿に、内心でざまぁみろと思いながらその隙に封筒を奪う。余程攻撃が効いたのかいとも容易く燿の手から離れる封筒。私はさっそく中身を確かめた。
「桃ちゃんって、ホント俺のこと嫌いだよねぇー…」
痛みが和らいできたらしい燿がぶつくさと文句を言う。何を当たり前のことを。むしろちょっとでも好かれてるとか頓珍漢なこと思ってたなら、そのイカれた脳みそ解剖してもらえ。
私は燿に問いかける。
「燿だって私のこと嫌いでしょ?」
至極当然で、答えが初めから分かる問いかけ。
嫌いだけど私は桜の妹だから。一応は血が繋がっているから。だからこいつは私を桜の身代わりに選んだ。とても単純な話だ。
そしてその逆も然り。私にとってあんたは都合の良い存在だったから利用した、それだけの話。
「……うん、嫌い。桃ちゃんなんて大っ嫌いだよ」
燿は興が削がれたとでも言うように図書室を後にした。
◇◆◇
教室に戻ると何故かそこには私のクラスメイトと談笑する桜の姿があった。
げ、何やってんのあの子。あんたのクラスはここじゃなくて隣でしょうと内心でツッコむ。クラスメイトたちは楽しそうに桜と喋っていたけれど、私に気づくなり皆わずかに顔を顰めた。
はいはい、お邪魔虫の登場ですよっと。
「桃ちゃーーん!」
いつにも増してハイテンションな桜が笑顔で手を振ってくる。
「……何してんの?桜」
「えへへ。みんなに桃ちゃんの魅力をたぁくさんお話してたの!私の桃ちゃんは照れ屋で人見知りで、可愛くってー」
「いや、ホント何してんのあんた」
クラスメイトに妙なこと吹聴してどうする。毎回毎回思うけど、桜って私のこと好きすぎじゃない?自惚れとかそういうんじゃなくて。
「それでね、可愛い可愛い桃ちゃんの姿をもっと見たくって、なんとシンデレラコンテストに応募してしまったのでぇーす!」
「はあ?!」
「桃ちゃんのクラスの子に頼んだら、まあやりたがる人もいないだろうからぁ~って許可を貰えたの。桃ちゃんってばさっきの授業サボったんだって?サボりは良くないよぉ。おかげでさっきの時間に桃ちゃんのコンテスト出場は滞りなく決定したけどね!」
「桜、あんたね……!」
ふざけるのも大概にしてほしい。
シンデレラコンテストというのは文化祭のフィナーレを飾るコスプレ大会だ。各クラスから男女一名ずつ輩出して好きな格好をするというもの。ちなみに昨年の優勝はやたらと完成度の高いたらこのきぐるみを着た三年生ペアだった。コンテスト名にシンデレラなんてつく割に中身はただのお笑いイベントだったりする。どれだけインパクトを狙えるかが争点。そんなものに、桜は妹を売る気なのか。
「ごっめんねぇ、桃ちゃん!でも桃ちゃんならどんな格好も似合うよぉ。桜、ばっちりカメラに収めておくからねっ」
「そういう問題じゃない!コラッ、桜!待ちなさい!!」
言うだけ言ってさっさと逃げてゆく桜を私は追いかけた。
捕まえて、訂正させないと。私はシンデレラコンテストになんて出たくもないし出る気もない。桜ってば何を考えてるんだか。
「桜!」
「や~ん、竜牙くん助けて~!桃ちゃんが追いかけてくるぅ~」
自分の教室に逃げ込んだ桜はさらに面倒な相手の影に隠れた。
竜牙と呼ばれた少年は生徒会の不良もどき、橘竜牙だ。桜め……わざとだな。私が嫌だと思う相手に、わざと助けを求めたな!
「あ?桜?」
橘は背中に隠れた桜と私とを見比べて状況が把握できたらしい。忌々しげにこちらを睨んでくる。
「桜に何してんだよテメェ」
何かされたのはこっちだっつーの!
これだからこいつは面倒なんだ。言葉が通じない。
「桜。いい加減にしないと私、怒るよ」
橘を無視して後ろの桜に呼びかける。が、当然スルーされた橘は激昂した。
「何様のつもりだ!姉を脅して楽しいかよ?!」
言葉が通じないどころかこいつは何か誤解しているようだ。そういえば以前から似たようなことを言われてたっけ。桜を蔑ろにするな、傷つけるな、もっと大切にしろ……あとなんだっけな。とにかくそんなようなことを会うたびに延々と言われ続けた記憶がある。
私は溜息をついた。
「ちょっと黙ってくんない?あんたには関係ないでしょうが。というか邪魔」
「あ?!邪魔なのはテメェの方だっつーの!それに、関係ねーわけねぇだろ!桜は俺の、俺のす……ッ」
そこまで言って顔を真っ赤にする橘。おそらく「好きな人」とでも言おうとしたのだろう。自分で自分の台詞に照れている。馬鹿だ。
「竜牙くん茹でダコみたーい」
一方で理由が分かっていない桜は呑気にそんなことを言って笑ってる。指摘された橘がさらに顔を赤くした。そのうち血管が切れてしまうんじゃないの。
「い、いや桜、俺は別に……」
「どうでもいいから!桜、さっきの話だけどあれナシにして。私は絶対参加しないからね」
「てめっ、邪魔すんじゃねぇよ!つーかお前は隣のクラスだろ!人のクラスに勝手に入ってくんな帰れ!」
「聞いてるの?桜」
「無視してんじゃねぇ!!」
あーもう雑音がうるさい。私は羽虫のように煩わしい橘を睥睨した。
「な、なんだよ。やる気か?!」
どこまでも鬱陶しいやつだな……。
「もぉ~二人とも!仲良くしてくれなきゃ桜泣いちゃうよ。ね、竜牙くんもそんなに怒んないで?桃ちゃんはもっとスマぁ~イル」
諸悪の根源が自分の責任をなかったことにして笑うので、私は桜の頭にチョップをお見舞いした。今の状況で笑顔が出せるわけないでしょうが。
「お前!桜を叩きやがったな!」
「うるさい羽虫」
「羽虫?!」
隣から上がる非難の声は足蹴にしとく。だんだんこの男のわめき声が私の苛立ちを増長させてくものだからつい悪口を言ってしまったけど、わざとじゃない。つい、だ。つい。
「羽虫って……お前、俺のことそんな風に思ってたのかよ!」
「あんただけじゃなくて、あえて言うなら生徒会の全員そう思ってるけどね」
「なんだと?!」
おおっと。また口が滑ってしまった。とうとう堪忍袋の緒が切れたのか橘は怒りに任せて私の胸倉を掴んでくる。成り行きを見守っていた教室にいる生徒たちが息を呑んだ。
「えっと……橘くん、やめようよ。ここは教室だよ」
「あ?」
完全な及び腰で仲裁に入ってきたのは桜の友人である吉野隆だった。教室にいたんだ。気づかなかった。
その傍には松田未佳と村瀬ののかの姿もある。
「ね?白石さんも、少し言い過ぎだよ。橘くんに謝ろう?」
「やめなよ、隆。この女は絶対謝んないって。あたし分かるもん。反省なんてしないに決まってる」
「でも……」
松田未佳は私を冷たい目で見て、吉野隆はどうしたらいいのかと視線を彷徨わせてる。本当に相変わらずだね、この二人。
「チッ。命拾いしたな、くそ女」
注目を集めていることに今更ながら気づいたらしい橘はそれだけ言って教室から出て行った。その後を桜が追う。
「もうちょっとだったのにぃ~。ごめんね、桃ちゃん」
何故か悔しげにそうつぶやいて。
残された私はなんだかなぁという気持ちで自分のクラスに戻ろうとするも、廊下に出たところで珍しい人物にその行く手を阻まれた。
――村瀬ののかだ。
「あ、あの、白石さん」
「……なに」
「コンテスト出場が決まったんだってね。桜から聞いたの……おめでとう」
最初は嫌味か?と邪推するも、彼女がそういうつもりで言葉を口にしたわけじゃないことは一目瞭然だった。頬を薄っすら染めて、少しだけはにかんで。どこか嬉しそうな表情を浮かべているのだから。
「おめでとうってさ、村瀬さんはそんなに私のマヌケな姿が見たいの?」
「えっ、あ、いやそうじゃなくてっ」
「うん、ただの冗談だから。そんな焦んなくていいよ」
「あ、冗談……」
「村瀬さん変わってるね」
こんな私に話しかけてくるなんて。それもおめでとうだってさ。嬉しくないけど、なんか妙な気分になる。
変な子だと思った。私なんて人の悪態をついてばかりで良いところなんて一つもないのに、彼女は私をお祝いしてくれて。意味が分からない。でもなんとなく彼女を前にするといつもの調子が出ない。
「あのね白石さん、私……白石さんのこと尊敬してるの」
「は?」
村瀬ののかの唐突な告白に私は瞠目する。
いや、え?私を尊敬?どこにそんな要素があった?
「白石さんのことみんなは悪く言うけど、私にはあなたがそこまで悪い人だとは思えない」
「村瀬さん、何言ってんの?」
「だって、白石さん優しい目をしてた!桜を見る目は、いつも慈愛に満ち溢れてて穏やかで……なのに、他の人にはきつい言葉ばっかり。本当は優しいのに、どうしてそれを隠しているの?」
「……」
私はフッと笑う。
優しいのは私じゃなくて、あんたの方でしょ。
「別に、私は優しくなんてないよ。他人に暴言を吐くのは気分がいいから。それ以外に理由なんてない」
「そんなの嘘」
「なんで分かるの?村瀬さんは何も知らないでしょう?私のこと。知った風な口をきかないで。すっごく不愉快だから」
「……嘘つき」
村瀬ののかの目が泣きそうだったので、私はさっと視線を逸らす。
「そ。私は嘘つきだから、こんな人間尊敬しない方がいいよ」
自分から突き放す言葉を言っておきながら、何故だか胸の奥がチクリとした。




