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イリデッセンス  作者: 枝条梢
泥沼、愛憎、悲喜劇。
13/14

13 アウトサイダー⑦


結局、タイムカプセルは見つからなかった。


朧げな幼少期の記憶という何ともアバウトな情報をもとに探していたのだから、それも仕方ないだろうと私は桜を慰めた。

だって、うん。太陽が傾き始めても見つからなくて、さすがに夜通し探す気なんて更々ない私がそろそろ解散しようと言ったら、あろうことか桜の目に涙が溜まってしまったのだ。さすがに焦った。桜は昔は泣き虫だったけど、ここ最近は「桜、泣いちゃう」なんて口にはしても絶対に涙なんて見せなかったのに冗談抜きで泣きそうになっていたからだ。

私と同様に狼狽えた笹原兄弟もまた次の機会に探そうだの言って、懸命に桜を慰めている。桜は涙こそ零さなかったものの、帰る間際は終始しょんぼりした様子で見ているこちらの方が居たたまれない。


「だって、タイムカプセルを見つけたら、桃ちゃんまたあの二人と仲良くしてくれると思って」


夜、久しぶりに二人で一つのベッドに横になった時に桜がそんなことを口にした。


………本気で。

桜は本気でタイムカプセルを見つけて、私たちの仲を取り持とうとしていたのか。

私と拓真の仲の悪さは今に始まったことではないし、タイムカプセルが見つかったくらいでどうにかなるようにも思えないけど、そんなものに縋らせてしまったのは間違いなく私が原因で。

私は何も言えなくなった。


「ねえ、桃ちゃん。桜はもう、大丈夫だよ……?」


まるで譫言のように。

自分は大丈夫だと言った桜の瞳は閉じられていたけれど、その目尻からは一雫、頬を伝うものがあった。


◇◆◇


翌朝、やけに芳ばしい匂いがして目が覚める。

匂いにつられてキッチンに向かえば、可愛らしいフリルのついたエプロンを着た桜が上機嫌にプレートで何かの生地を焼いていた。


「あっ!桃ちゃんおはよぉ〜」

「おはよう……桜、これは?」


テーブルの上には泡立てられたホイップクリームの入ったボウルと切り分けられた色とりどりな果物、トッピングに使うのであろうチョコやキャラメルソース、アーモンド……。なんで朝からクレープ作ってんの?


「えへへ、桃ちゃんの朝ごはんだよぉ〜!たくさん作ったから、たくさん食べてねっ」

「朝からクレープ……」


何故。そして目覚めた直後にホイップクリームは正直胸焼けがする。

そういえば桜は何か嫌なことがあるとお菓子を大量に作るクセがあったな。明るく振舞ってはいても桜にとっては昨日のことがやはりショックだったのかもしれないと、今から団体客でも来るのかと思うほど既に作り置きされていたクレープ生地の枚数を見て思う。

この子、一体何時に起きていつからクレープ作ってたんだろう。


「じゃあ桃ちゃん、桜これからのんちゃんたちと出かけてくるから!好きにトッピングして自分だけのオリジナルクレープ作ってねっ」

「………クレープは持ってかないの?」

「これはぜんぶ桃ちゃん用!じゃあね〜!」


なんだと。

到底一人では食べきれないだろう量のクレープ生地を置いてさっさと家を出ていく桜に私は自分の耳を疑った。

ぜんぶ私のだと?え、これをぜんぶ食べきれと?

目の前で山積みにされた生地と睨めっこをして、とりあえず朝はホイップクリームはやめて生地に卵やハム、チーズを乗せてトースターで焼けばガレットみたいになるかもしれないので、それを食べよう。料理下手な私でもトースターならさすがに失敗しない。


トースターで焼いても生地がふにゃふにゃなままだったガレットもどきな朝食を食べ終えた後、私は昨日の公園に向かった。

手には軍手とスコップ。長期戦を覚悟して、日除けの帽子とタオルまで持ってきた。手がかりはないものかと親に聞き取り調査も行って「そういえばそんな話も聞いたわねえ。確か、誰かに掘り起こされないように奥まった所に埋めたって言ってたかしら」という有力な情報もゲットしたので、事前準備も万端である。

あんまり虫とかに遭遇しないといいなと思いながら公園に辿り着くと、既にそこには見知った人物がいた。


「…………………うっわ」


思わず声が出た。

そこにいたのは膝当てのついたオーバーオールを着用して、手に大きなシャベルを持った拓真だった。私よりも本気度が高いその格好は、出で立ちがまるで公園を管理している人みたいだ。

げんなりした声が出てしまったのは拓真の格好のせいもあったが、何より桜のためにタイムカプセルを探そうと意気込んだ思考が丸かぶりしてこうして鉢合わせてしまったことが大きい。


「あ?なんでお前が」

「ねえ拓真、その格好なに?罰ゲーム?死ぬほど似合わないんだけど」

「うるせぇな。これは親がガーデニングに使ってる服を拝借しただけだっつーの」


どうりでオーバーオールのサイズが合っていないわけだ。何も小さいサイズのものをそんな無理して履いてこなくてもいいんじゃないかと思う。


「お前一人か?」

「そっちこそ」

「真澄は今頃部活の練習中だ。残念だったな」


はっと鼻で笑われたが、何が残念だというのか。真澄があんたのその格好を見られないことか?

いちいちそういうことを言わないと気が済まないらしい拓真を置いて、私は作業に取りかかった。正直拓真に会った瞬間に帰りたくなったがそれでは元の木阿弥だ。

人手は多い方がいい。拓真のことはなるべく視界に入れないようにして、存在を無かったことにしておけばいい。


「………というか、お前。タイムカプセルには興味無かったんじゃないのかよ」


しかし、何故か近くで土を掘り返し始め、あまつさえ言葉を仕向けてくる拓真。


「うるさい。黙って作業してくれる?」

「何だかんだ言って、お前は桜に弱いよな。昔から俺たちに桜を甘やかしすぎないようにとか言っておきながら、一番甘やかしてるのは誰だよ自覚しろよって話」

「だからうるさい」


その時、スコップに何かが当たった音がした。まさかと思い掘り進めてみると、缶のようなものが出てきた。

一瞬当たりかと思ったものの、缶は埋めたばかりのようでとても綺麗な状態だった。きっと、他の誰かが私たちと同じようにタイムカプセルとして埋めたものだろう。


「……あんただってそうでしょ?桜のために、そんな格好までして」


缶を再び地中に戻しながら横目で拓真を見遣る。

プライドの高いはずのこの男だが桜のためならこんな格好までしてしまえるのだ。

嘲るように言ってみせたが、珍しく拓真は挑発に乗ってこない。


「桜のためじゃない。俺がそうしたいからしているだけだ」

「ああそう」


随分と慎ましいことで。桜のことになると、途端に健気なキャラになるようだ。ハイハイご馳走様って感じ。

それから会話が弾むことなどあるはずもなく、私たちは無言で土を掘った。


お昼近くになり、公園に子供たちの声が増えたところで一旦休憩を取ろうと立ち上がる。

しかしずっとしゃがみ込んでいたのにいきなり立ち上がったのがいけなかったのか、くらりとバランスを崩してしまう。立ちくらみだ。慌てて近くのものを支えにしようと手を伸ばせば、何かに掴まれ引き寄せられる。


「何やってんだ」


拓真だ。

私の腕を引き寄せ、倒れないようにしてくれたらしい。


「……どーも」

「お前、この間から思ってたけど、顔色悪くねーか?」


私を支えた拓真が顔を覗き込んできたので、距離が近いと押し退ける。

真澄もやたらとそうだけど、この兄弟にはパーソナル空間というものが存在しないのか?


「今日はもう帰れ。午後も来んなよ」

「はあ?なんであんたにそんなこと——」

「体調悪いんだろ。無理して倒れでもしたら、桜が責任感じる」

「………」


なんであんたにそんなことを言われなければいけないんだ、と心の中で悪態をつく。


「あんたに会って気分は最悪でも、体調はすこぶるいいけど?」


本当は数日前から片頭痛が続いていたけれど大したものではないし、何より拓真にそれを見破られたことに納得がいかず喧嘩腰になってしまう。

拓真は「あ?!それはこっちのセリフ——」と言いかけるが、何を思い直したのかすぐに口を噤んだ。そして、大きなため息をあからさまに零す。


「心配してやってんのに、お前は憎まれ口しか叩けねーのかよ。その性格ブス直さねぇとマジで嫁の貰い手なくなるぞ」

「別に、どうぞご心配なく」

「………それは、既にそういう候補がいるってことか?」


自分の性格の悪さは自分が一番よく分かっているという意味での「ご心配なく」だったのだが、拓真は違う意味に取ったらしい。

何故か剣呑な視線が注がれる。

このどブラコンめ。また、私と真澄がそういう関係なのではとあらぬ疑いをかけているのだろう。何度誤解を解けば気が済むのか、ブラコンの相手は本当に疲れるな。


「お前の学校のやつか?」

「はあ?」

「同級生?それとも上か下か?お前なんかを相手にするなんて、相当な物好きじゃねーのそいつ」


あれ。拓真の言い方からすると、どうやら真澄との関係を怪しんでいるわけではないらしい。

かなり失礼なことを言われているがそこは置いておくとして。私が何をしても気に入らないのは分かるけど、真澄に関係ないのなら拓真にも関係ないのだからわざわざ苛立った様子で口を挟んでこないでほしい。

……ああもう、面倒臭いな。

何か言い返すのも億劫になり、当初の目的通り一旦家に戻るために歩き始めるのだけれど、何故かその後ろをついてくる拓真。


「何なの。ストーカー?」

「ハッ、誰がお前を。家の方向が同じだけだろ」

「じゃあもっと離れて歩いてくれない?」


私が止まれば同じように止まって、足を速めれば同じように歩調を速める。後ろを振り返ればいつも同じ距離を保ったままついてきているのだから、これをストーカーと言わずなんと言う。

何がしたいんだこの男は。

拓真に不信感を募らせている間に家の近所まで移動していたようで、そこでようやく拓真が私の歩幅に合わせることを止め、のろのろと歩いていた私を追い抜いた。


「お前、一人であんま抱え込んでんじゃねーぞ。桜が心配する」


横を通過する際にかけられた言葉にもしやこの男、体調が悪そうに見えた私を気遣って家まで見送ろうとしていたのだろうかと考えつく。

まさか、と思いつつ、しかし私は拓真の根っこが悪いものでないことを知っている。

ぶっきらぼうで意地っ張り。加えてただ不器用なだけで、昔から拓真はいいやつではあった。

だって、そうでなければ真澄があんなに懐くはずがない。


「………」


意地っ張りなのは、私もかもしれない。

もとはと言えば私が嫌な態度を取り続けたせいでもあるし、いくら許しがたい屈辱を受けたからとはいえ、いつまでも根に持つのも疲れてしまう。

思い浮かぶのは昨日の桜の言葉。


“桜はもう、大丈夫だよ……?”


私は、大丈夫じゃない。

大丈夫じゃないけれど。


「———拓真。うち、上がってく?」

「は?」


気づけば、そんなことを口にしていた。


「お前、自分で……自分でプライバシーがどうのつって、二度と入ってくれるなって俺に言わなかったか?」

「入ってほしくないのは私たちの部屋。リビングなら別にいい。お母さん、あんたたちのこと気に入ってるしね」

「………」

「で、来るの?来ないの?どっち?」


突然の誘いに訝しんでいたが、やがて拓真はゆっくりと頷き私の後を追って我が家に上がった。

よし。これであの山積みクレープがどうにかなる。


「……………おい、何だこれは」


桜が作り置きしていった大量のクレープ生地を消費してもらおうと拓真が座ったテーブルの前にそれらを無言で積み上げると、案の定ツッコミが入ってしまった。


「桜が朝作ったやつ。ぜひ、残さず食べてくれるでしょ?」


あんたの大好きな桜が作ったものだぞ?残すわけないよなあ?と、若干脅しのような物言いになったが、拓真は文句を零さず「この生地、桜が一から作ったのか?」と我が子の成長を目の当たりにした親のように感心している。うん、料理上手な一面にときめいてるって感じじゃなくて本当に桜の成長を喜んでいるかのような反応だった。


「つーか量がえげつねぇ……。お前、これ消費させるために俺を家に上げたのか」

「トッピングは大体揃ってるから。変わり種も要望あればどーぞ」

「たくさん消費したいならクレープじゃなくて、昼飯にすればいいだろ」

「無理。私の料理下手、知ってるでしょ」


今朝も失敗したし。ただでさえ料理の腕がないのだ、アレンジなんて更に向いていない。

拓真はそういえば、というような顔をして過去の私の失敗を思い出したのか明らかに表情が曇った。悲しいことに昔から私は料理が向いていなかった。


「……なぁ、お前んちの食材使っていいか」

「何するの」

「俺が作る」


別にいいけど、と許可を出せば拓真は冷蔵庫からいくつか野菜を取り出して手馴れた様子で刻んでゆく。流れるような動作でフライパンに食材と調味料を加え、さらに空いた時間を縫うようにサラダの準備を始めている。

その動きは、どう見たって普段から料理を作っている人のそれで……いや意外すぎるんですけど。

亭主関白っぽい拓真のことだから、下手をすればご飯の炊き方も知らないんじゃないかと侮っていたが全くもってそんなことはないらしい。私よりも遥かに手際が良い拓真の背中を眺めながら、立つ瀬が無さすぎて若干女子として危機感を持った。


「ほらよ」


そう言ってテーブルに並べられた料理に私は心のなかで拍手喝采した。

合い挽き肉を使ったタコス風のものや生地にトマトなどの野菜ソースをかけたもの、ソーセージやサラダを挟んだものまで。どうやったらこんなにたくさんのアレンジを思いつくのか。それにバリエーションの豊富さもだけど完成するまでにまったく時間がかかっていないことにも驚いた。


「あんた、なんでこんなこと出来るわけ……?」

「あ?別に。自分と真澄の夜食を用意することも多かったからな、これくらい普通だろ」

「………」


普通。これが、普通だと……?

嫌味で言っている訳ではないらしい。自分の発言を特に意に介す様子もなく拓真は席に着いた。


「…………」

「…………」


それからはお互い黙ってお昼ご飯を食べる。

カチャカチャと食器の音だけが響く室内。あの拓真と向き合って共に昼食を摂っているということに違和感を覚えながら、短い時間で作ったとは思えないクオリティの料理に舌鼓を打つ。

私たちの間には食べ終えるまで一言も会話はなかったが、何故かそれを不快には感じなかった。


「………美味しかった。ご馳走様」


最後の一口を咀嚼した後にぽつりと呟いた言葉を拓真は聞き逃さなかったようで、ハッと鼻で笑われる。


「やけに素直じゃねぇか。お前、いつもそうしてればいいのに」

「………」

「ここ片づけたら俺行くわ。お前は休んどけよ、その死人みたいな面どうにかしろ」


しっかり丁寧に後片付けまで終わらせてから拓真が出て行き、私はといえば食後の満腹感からか眠気に襲われそのままテーブルの上に突っ伏してしまう。


気がつくと窓から夕陽が射し込む時間だった。キッチンではいつの間にか帰ってきていたらしい母親が夕飯の準備をしている最中で美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。


ふと、視線に気がつく。

テーブルを挟んだ向かい側には、まるで聖母のように穏やかな微笑みをこちらに向けた桜が腰掛けていた。いつからいたのだろう。


「桜……?どうしたの」

「ふふ。桃ちゃん、これ」


差し出されたのは古びた箱と、コーヒーが染み込んだような色の古びた紙きれ。それから、何故か紙には石ころがついてた。


「こっちは桃ちゃんが埋めたタイムカプセル。で、この紙は拓真くんが桃ちゃんに宛てたお手紙」

「……見つかったんだ」

「うん。拓真くんがね、探し出してくれたの。それでこのお手紙、桃ちゃんにって。見てみて」


言われるがまま折りたたまれた紙を開く。

文字はところどころ掠れ、走り書きしたような乱暴な字ではあったけれど。


確かに『ごめん』と一言のみ書かれていた。


「………」


私は自分が埋めた方の箱を開け中から一枚のメモ用紙を取り出す。

それは、幼かった私が未来の私に宛てたメッセージ。タイムカプセルの話を真澄から聞いた時にこのメモ用紙のことを思い出した。

拓真も拓真だけど、私も大概だ。


『拓真に、謝れた?』——と。


タイムカプセルを開けるのは数年後だというのに、当時の私はなんでこんなメモを入れて埋めたんだろう。

馬鹿だなぁ、と自然と口角が上がる。


“兄貴はただ不器用なだけで……”


ねぇ真澄、本当に。

私たちはどうしようもなく不器用だ。


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