♯2 自治都市バルグラード
「ここが、自治都市バルグラードか・・・」
目の前にそびえ立つ大きな門。その隣にはバルグラードを守るかのように覆う城壁。
そして、俺達の視界に新たに乱入してきたのは、門にあるバルグラード検問所の兵士だ。
「怪しい格好だな?何しに来た?」
頭にターバンを巻いた、イスラムかインドの人々を思い浮かべる兵士が俺たちに近づく。
「旅の者だ。ここらに来るのは初めてでね。こいつは…」
凌雅は隣に立つ沙耶をどう答えれば、兵士が納得するか。数秒の間を空けて答えた。
「妻だ。共に世界を見ようと誓った仲なんだよ」
「ちょ、ちょっと、何言っふがっ!!」
沙耶が慌てて否定しようとするが、凌駕の左手で口を抑えられる。
「けっ、色惚けの清華人か。武器は持ってないだろうな?」
「ええ」
パーカーを広げて、ポッケを裏返し、何もないことを証明すると、「通りな!!」と、唾を地面に吐いて悪態をつく。
「それと、武器を持ち込んだ商人はああなるぜ」
兵士の差す指の向こう。立てられた2本の木の棒。
木の棒のてっぺんには、ハエが集り、ウジが湧いている腐った黒い物体。
ああ。そうか。人間の頭だ。
「うげっ!?」
見なきゃよかったと、心底思う凌雅。
「ちなみに、あれはお前たちと同じ、清華人だ。武器持ち込みを知らなかったのかどうかはわからんが、」
そんな兵士を、細めで睨む凌雅。
「何見てんだよ。とっとと行きな」
「へいへい」
凌雅は視線を変え、沙耶の右手を引きながらバルグラードへと進む。
「ちょっと、妻ってどういうことよ?」
「設定だよ、設定。そういうことにしとけば疑われにくいだろ?そんなことよりも、さっきのインドかアラブか分かんねえけど、あの兵士が武器の持ち込み云々の前に言っていた言葉、覚えているか?」
「え~と、色惚けの清華人?」
正解だ。凌雅は鼻で笑いながら言った。
「それがどうしたの?」
「周りをよく見てご覧」
凌雅は人の行き交いが激しい門の近くに腰をかける。それに従うように沙耶も腰をかけ、行きかう人々を見つめる。
「よーく見てな。俺たちのようなモンゴロイドは一人も通らねえ。インドやアラブなら華僑の一人や二人見かけてもいいと思うんだけどな」
「まあ、そういう所なんじゃないの?」
まあ、そう言われればおしまいだけどな。お手上げです、とでも言いたそうな仕草で軽く答える凌雅だが、沙耶に顔を近づけると、先程までの顔付きとは一点、何かを疑うような、怪訝顔で口を開いた。
「そこを、あいつは何と言った?中国人でなければ華僑でもない。清華人と呼んだ」
「・・・それもそうね。変な話だわ」
顎に手を当て、首をひねる沙耶。
「さらにだ。まあ、このような城壁が残って、昔ながらの建物が残っている都市も少なくはない。だが、これだけ人通りの多い都市にビルの一つもなく…」
辺りを見回した凌雅の視線は先程の兵士へと移る。
「あんなフリントロック銃みたいな古い武器を門番の兵士にもたせると思うか?」
「今の時代アサルトライフルが普通なのにね」
「そして、ここから問題。あんた、バミューダトライアングルって知ってるか?」
「何かしら?ピラミッド?」
両手の親指と人差し指で三角形を作る沙耶。首をかしげる姿に、凌雅は不覚にも可愛らしいと思ってしまったことに恥を感じた。
(こいつとは停戦中。帝国に帰れたら捕まえる)
心の中での独り言にうんうんと首を頷く凌雅。そんな彼を見ている沙耶は、自分の世界に入って、肝心の答えを教えてくれないことにむくれていた。
「ちょっと、結局なんなの?」
「ああ、悪い。バミューダトライアングルってのは、米帝のフロリダ半島の先端、大西洋のプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域で、そこを通過中の船舶や飛行機が突然何の痕跡も残らずに消失する―――――魔の海域。簡単に説明するとこんな感じだ」
「へぇ、消失した人たちはまるで私たち―――――って言いたいの?」
「そういうこと。まあ、冷戦中だし、特に西インド諸島にはキューバっていう社会主義国家があるしな。ソ連からのスパイがあの海域にいてもおかしくない。魔の海域ってことでミサイルか何かで破壊していたんじゃねえのかっていう説もあるけど――――」
魔の海域が本当なら、俺たちは似たようなことになった、ということで間違いないだろう。
人工衛星が発達し、リアルタイムで地球上を確認できる今、こんな古風な都市が発見されていないわけがない。
そして
「少なくとも、俺たちは、前者の、何の痕跡も残らず消えた。が、正しい」
「消えた...ね。お隣の子、大丈夫かなあ?」
どこか、遠くを、そして、懐かしく思う様子で独り言をつぶやく南郷沙耶に、凌雅は首をかしげた。
「お隣の子?」
「うん。あの子のこと、国家保安局とか言って怖がらせたでしょ?」
「・・・」
顎をポリポリ掻いて、「何のことだか」と知らんぷりをする。だが、凌雅はもちろんのこと、知っている。
「まあ、いいわ。あの子、別に身内じゃないのよ。母子家庭で、お母さんの方は帰ってこない日の方が多いから、一緒に住んでいただけ」
正直どうでもいい話だが、適当に「ふーん」と相槌を打つ。
「で、俺たちのようなモンゴロイドを清華人と呼ぶ以上、ここは地球ではないと思われる。おそらく、地球と似たような環境のどこか別世界に飛ばされたと考えるのが、正しいと思うのだが、あんたの意見は?」
「異議なし。凌君の意見に賛成だけど、本題は別でしょ?」
「ああ。俺たちは地球に帰れるか?また、帰れなかったとしたら、どうするか?この二つが俺たちの本題だ」
沙耶は顎に手を当てて、う~んと唸る。
「この都市に図書館ってないかしらね?」
「図書館?」
首をかしげた凌雅の顔は、どこか、不思議そうな顔をしていた。
「そう。図書館。もしかしたら、以前に私たちみたいな人が来ているかもしれないでしょ?昔の文献とかに、書いてあるかも」
成程。と、納得しかけた凌雅だったが、気がついたことが一つ。
「俺たちはここの言葉を理解はしたが、文字は理解してないぞ?」
「あ・・・・」
口をポカーンと開けて立ち尽くす沙耶。
そんな彼女を見て、ため息を一つ。
「はぁ、仕方がない。本題についてはまた後日。夜になる前に宿でも取るぞ」
「ええ。そうしましょう」
二人は沈みゆく夕日を見ながら立ち上がった。
――――――自治都市バルグラード市庁舎
豪勢なシャンデリアに照らされる贅沢の限りを尽くした部屋に二人の男が対峙する。
華やかなソファーに腰をかける男は服から浮き出るほどまで蓄えて弛んだ贅肉と、ターバンが巻かれた頭、贅肉で垂れた目。二重あご。見るからに贅沢の限りを尽くした醜い男。
醜い男と机を挟んで対峙する男は、服から浮き出る程まで鍛え上げられた屈強な肉体と、金髪碧眼の鋭い眼光を持った、見るからに戦士と言える男。
「ナーフィア!!貴様は200万トルクと言ったではないか!?」
金髪碧眼の男が怒りに任せて拳を机に叩きつける。
「ナーフィア市長に手を出すことは許しません」
金髪碧眼の男を警戒していた兵士は、二人の間に割って入る。
「いいんです。下がりなさい」
その一言に
「御意に」
兵士は後ろに下がった。
「金の約束は守るのがバルグラード市長だと言っていたのは嘘なのか!?」
「いえ、金の約束はしっかりと守りますよ」
体から今にも染み出そうな肉汁と、指一本一本にはめられた宝石の指輪を見せびらかすように自治都市バルグラード市長ナーフィアは告げた。
「ええ。つい一週間ほど前までは」
「一週間ほど前?」
「バルバロス帝国はグラーゼ陥落に莫大な軍事費を投じたそうで、我々も外交上貴国の、捕らわれた王女様を買い取らされて、相当な費用が掛かりましたよ。我々が置かれている立場、ブカレスト王国陸軍将軍であるアルフレート殿ならわかりますよね?」
「チッ」
抑えきれなかったのか、つい舌打ちをしてしまったことに反省をしなければ。
床に唾を吐くことはしなかったが、その見え透いた言い訳に、はらわたが煮えくり返るほどの怒りが、ブカレスト王国陸軍将軍アルフレート・シュクラバルの心の中で溢れ出した。
「いくらだ?」
「そうですね・・・1000万トルクは最低限必要かと」
「1000万トルク…」
「我々もこの市場経営にはやらなければいけない取引もあるのです。ブカレスト王国、バルバロス帝国、ラウレノヴァ合州国。この三ヵ国に挟まれた我が都市はこうやって生き残るのです」
どうか、ご理解の方を。と、頭を下げ誠心誠意を見せるも、そのいやらしい口調とから、心の奥底の思考をアルフレート将軍は読み取っていた。
「・・・いいだろう。額については再度検討させていただく」
ナーフィアに背を向けると、アルフレート将軍は一度もナーフィアに顔を向けることはなかった。
「そうそう、現在進行形王女の所有者はバルグラード市長の私ですから・・・くれぐれも、誤ったことをしないように」
「・・・善処しよう」
一言告げると、アルフレート将軍はバルグラード市庁舎から出ていった。
「ナーフィア市長」
「どうしたのです?」
ナーフィアの一言で、後ろに下がっていた兵士は、再びナーフィアを守るように側に立った。
「今朝斬首刑に課した清華人の武器商人についてですが…持っていた武器がどうも怪しいのです」
「怪しい?」
側近兵士の言葉に首を傾けるナーフィア。
「ええ。馬車の車輪が地面にめり込むほどの重さの武器が積んでありました」
「それは面白そうですね。いいでしょう。案内しなさい」
「御意」
「二人部屋でよろしいでしょうか?」
いや、別々の個室で。
と言いかけた、凌雅だが、一応妻と夫という設定。ということを思い出して、
「ええ。それで、お願いします」
「では、403号室になります。食事はあちらの食堂で受け取れますので」
(数字は同じなんだな)
受付嬢から受け渡された鍵のナンバーを確認し、ありがとうと一言告げる。営業スマイルを絶やさない受付嬢が会釈をすると、それに合わせ凌雅と沙耶は会釈をする。
受付窓口からまっすぐ歩いて数メートル。アルファベットやギリシャ文字、キリル文字などのラテン文字系統の文字を混ぜ合わせたような看板が俺たちの前に立ちふさがった。
もちろんの事、なんと書いてあるかなんてわからない。が、わからなくとも、中の様子と、鼻腔をつつく香りが食堂だと教えてくれた。
「至って普通の食べ物だな」
パンにサラダにベーコンエッグか。調味料が塩しかないのは少し残念なところだな。
「そうね。でも、悪くないわ」
「・・・よくもまあ、この強烈な視線の中で食べていられるよな」
食堂を見渡す限り、ありとあらゆる者の視線が俺たち二人に集まっている。
「清華人が珍しいからじゃないの?」
「ふむ…」
どうも、そう言った視線じゃない気がする。と、そんなのは俺の気のせいか。
「・・・」
「どうしたの?」
ああ。そうだな。俺の気のせいだな。
一名を除いて。
「・・・」
無言で目が合う凌雅と一人の男。
「なんでもない」
凌雅はそう呟くと、再び食事に手をつける。
この時、この男が自分たちの道を大きく動かすことになるとは、二人とも思いもしなかった。
「で、結局あの人誰なの?」
「お前以外この地域に知り合いなんかいるか」
そもそも半鎖国状態の帝国で白人の知り合いなんかいるか。
いたとしても万州に亡命したロシア人かユダヤ人、旧ナチスの亡命ドイツ人程度だ。
当たり前な事きくんじゃねえ。と、心の中で文句をたらたらと言いつつ、微妙に口から漏れてる凌雅は403号室から出ようと扉の取っ手に手を触れる。
「・・・」
扉に手を触れてから微動だにしない凌雅を沙耶は不審者を見るかのような目で見ていた。
「扉の向こうにいるお前は誰だ?」
「・・・食堂で目を合わせたものだ。頼みがあって、ここまで来た。扉を開けて欲しい」
ふむ。
なにか引っかかるが、いざとなったらどうとでもなる。左手で扉をゆっくり開き、右手は既にアクセル魔法を放つ準備が出来ている。
「ああ、あんたか」
目の前には金髪碧眼、凌雅より少し高い身長に、服の上からでもわかる引き締まった肉体。そして、鋭い眼光。
戦士とでも言える男性がいた。
「顔すら知らない人間の約束にここまで出向いてくれてまずお礼を言おう」
「???」
唐突過ぎて話が読めず、言葉にすらできない凌雅を無視して彼は話を続けた。
「我が名はアンタント同盟が一国ブカレスト王国将軍アルフレート・シュクラバル。我に力をかしてほしい!!」
俺と南郷沙耶は意味がわからなすぎて、目を合わせて互いに首をかしげた。