♯0 プロローグ
―――――俺は、ただ、君を守りたかっただけなんだ
英雄になれなくてもいい。英雄と呼ばれなくてもいい。
ただ、君と、共に歩きたかった....
「僕の夢は英雄になる事なんだ!!そして、悪いやつを倒して、人を助けるんだ!!」
小さき頃の、過ぎ去りし日々の思い出。
「凌君が英雄になるなら私も英雄になる!!」
「じゃあ、どっちが先に英雄になるか勝負だ!!」
まだ親に手を握られて歩くような年の頃の思い出。
そして、今となっては頭の奥深くに押し込められた思い出。
少年は英雄に憧れていた。
テレビの特撮ヒーローなんかよりも、軍事パレードで国民に手を振り、花束を受け取り、自身の名前を絶え間なく賛歌のように国民に響かせる。そんな英雄に憧れていた。
戦争でいくつもの敵を倒し、華々しい戦果を挙げて報じられる英雄を見てそう思っていた。
でも、現実は違った。
少年が大きくなり、英雄に近づくに連れて――――――彼の心は冷えていった。
カーゴパンツに黒いパーカーの地味な青年が一人。
少し幼さを残す顔立ちながらも、切れ長の目はどこか冷酷さを感じさせる。
「ここか・・・」
右手に握られたスマートフォンは彼―――――伏根凌雅から半径数十メートルの地図を表示していた。
「そのようですね」
後ろにいるのは同じ職場の後輩。ある女性の捜索でバディを組んでいる。
彼らが訪れたのは何の変哲もないビル。
不動産や高利貸し、新宿二丁目にありそうな風俗店がテナントとして入っているオフィスビル。
訂正――――――明らかに変な店が混ざったオフィスビルの、階段を上る。
古臭い感じではなかったが、真新しいと言えるほどのビルでもない。一人分のスペースしかない狭い階段を「人と出会ったらどうよければいいんだ?」と、考えながら登っていると、思っていたことが現実になった。
黒い髪を靡かせて階段を下りてくる少女は、服装から、この近くの公立高校に通う女子生徒なのだと予測される。
ペコリ
綺麗なお辞儀をしてくると、凌雅をそれに応えて会釈をする。と、同時に写真を一枚提示した。
「君・・・この人を見かけたことがあるか?」
写真に写されていたのは、帝国陸軍の将校。おそらく、国内で知らぬ者はいないであろう国民的英雄である。
「そ、その女性がどうしたんですか?」
少女は挙動不審な対応で、質問に対し質問で返してきた。
「俺達はこういうものでね」
凌雅が懐から出した手帳。そこに描かれていたのは
「こ、国家保安局・・・第一課」
少女は顔が青ざめてきている。
無理もない。
国家保安局第一課―――――帝国国内の反乱分子及びスパイ、密入国者の取締を行う準軍事組織だ。其の徹底的な弾圧姿勢は帝国国内だけでなく、周辺諸国からも恐れられている。
国内に多数の情報提供者を抱えているが恐れられている理由はそれではない。
「わ、私そんな人知りません!!」
少女は後ろを振り返り降りてきた階段を上り始める。
「俺達相当恐れられていますね」
「そりゃそうだろう。なんせ国民的英雄――――人間核兵器とまで呼ばれた女性を相手に引けを取らねえんだからな」
「人間核兵器ですか・・・」
後輩は写真を見ながら呟いた。
「でも、こんな国民的英雄が何をしでかしたんですか?」
後輩は写真を右手に持ちながら凌雅の顔を見る。
「南郷沙耶。わずか14歳で魔法科大学を卒業し、独立魔法軍に入隊。16歳の若さで佐官に昇進。保有資格は国家魔法士、ランクはSS。15歳の時――――3年前の殻太周辺の油田及びガス田等の資源をめぐるソ連との軍事衝突。殻太紛争において初陣を飾る」
「な、なんの話をしているんですか?」
いきなり写真の女の話を語りだした凌雅を不審がる後輩。
「コイツのことだよ」
指で持っていた写真を弾き、後輩に飛ばす。
「南郷沙耶の経歴だよ。殻太紛争において、ソ連のTu-95等の戦略爆撃機部隊をたった一人で迎撃。殻太北部に駐屯していたソ連陸軍をたった一人で壊滅に追いやり、ソ連軍は大敗北」
「ここまでくれば、確かに大量殺戮者を超えて英雄ですね」
「ああ。だが、彼女はそれと同時に反体制派でもあったんだ。世界のどの国とも国交を持たず、閉鎖的な帝国の社会と政治を批判していた。批判のみならず、軍や魔法士に対してのテロ攻撃を繰り返す反体制派の武闘派だ。国民的英雄がそんなことをしていたらどう思う?」
凌雅は後ろの後輩に聞いた。
「耳を傾けちゃいますね」
「ああ。熱狂的な信者ならなおさらだ。普通に暮らしていれば平和に生きられてものを」
「戦時でも大丈夫じゃないですか?人間核兵器ですし」
「それもそうだな。だが、こうして俺が出向いているんだ」
喋りながら二人は階段を上る。先頭に凌雅。後ろに後輩。
「ここか」
逃げ出した少女が入っていった扉。
「痛ッ!?」
後輩がドアノブに手を開けた瞬間、ドアノブは明らかな拒絶を示した。
「魔法錠がかけられていますね。それも、相当高度な」
ああ。と、小さく呟くと凌雅は手のひらに星を描き、ドアノブに手のひらを近づける。
「はあっ!!」
鍵穴一つない扉は粉々に砕け、あたりに噴煙を撒き散らす。
「けホッ、けホッ。これが国家魔法士ランクSSの伏根凌駕。さすがは影の執行者―――――」
魔法という技術が確立してどのくらいの時が立つだろうか。
かつては陰陽学と呼ばれていた技術は開国と同時に入ってきた科学・化学により躍進的な進化を遂げ、魔法学と改名。
万物は木・火・土・金・水の五種類の元素からなるという五行思想。
五行思想を発展させた「あらゆる物は巡り巡る」五行相生理論。
また、その道程を短縮することもできるという輪廻変化理論。
「木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つ」という五行相剋理論。
そして、「あらゆる物には力を加えられる」という加速理論の4大理論を主軸としたのが魔法学だ。
人間は本来持っている魔力で、あらゆる物質を別の物質に変えることができる。魔力とはあらゆる物質を別の物質に変えるための橋渡し的な物質。通称―――――暗黒物質。
だが、帝国政府の反応は薄かった。
馬鹿馬鹿しい。そんな迷信にとらわれるな。西洋を見習え。
帝国政府はひと蹴り。
魔法学の転換期は、帝国がABCD包囲陣――――アメリカの石油輸出禁止を受けたことだ。
魔法により、石油及び希少金属を生成することに成功し、魔法革命と呼ばれる魔法産業の確率によりその莫大な生産力・軍事力・経済力を背景に帝国はソ連や中共などの共産国家との戦争をするも、ユーラシアの共産化を防ぐことは無理と、勢力を万州まで後退。第二次大戦を生き残り、かつての国連脱退及び盛り上がった鎖国論が後押しをし、他国とのまともな国交が無いのが現状だ。
それもそのはず。世界中でグローバル化が進む中、帝国という国はあらゆる資源をいくらでも自前で産出することのできる化物国家なのだから。
「人間核兵器――――――そう呼ばれた私の守射程圏内に入ってくるとは、いい度胸ね」
目の前に立つ女性。南郷沙耶。写真よりも少し大人びたのか、幼さの残る顔だが、少女と女性の中間に位置する顔に成長している。そして、そんな彼女の後ろで怯えているのは先ほどであった少女だ。
煙が晴れ、互の顔が完全に見える。
「―――――影の執行者」
南郷沙耶は手のひらを前にかざす。
「伏せろ!!」
後輩を階段から突き落とすと、凌雅はその場で鋼鉄の壁を作り出す。
南郷沙耶が手のひらから放ったいくつもの金属の塊は、凌雅が作り出した鋼鉄の壁に成すすべもなく防がれた。
「さすがは影の執行者ね。強力な魔法だけれどね、力の使い方も誤れば、ただの殺人鬼――――――君は実に惜しい存在よ」
「ソ連から見たらあんたも大量殺人鬼だよ。戦争犯罪者として処刑するべしって、あっちの国じゃ叫んでるぜ」
口論をしながら、互いに火を、水を、氷を、金属を飛ばしあい、一進一退の攻防が続く。
「英雄であり犯罪者でもある。英雄と戦犯は紙一重とはよく言ったものだな」
「面白い意見ね。なら、君はこの閉鎖的社会をどう思っているの?」
「なんとも思わない」
「なら君は何のために戦うの?国家忠誠のため?自分の夢はないの?」
「国家忠誠なんてない。俺はただ―――――」
彼の言葉が止まり動きも止まる。
俺は、なんて言おうとした?
「俺は――――、俺は―――――」
言葉が出ない。
彼の、伏根凌雅の夢は―――――英雄になることだった。
そして、彼には英雄になるだけの才能があった。
驚異的な魔法学の才能―――――魔法学には先天的な魔力も関わるが、あらゆる物質の化学式を覚えられる驚異的な記憶力を持ってこそ、真価が問われる。
彼には驚異的な記憶力と先天的な魔力が備わっていた。
驚異的な記憶力は、先天的ではなく、後天的の、自分で磨き上げた能力だ。
英雄と呼ばれるにふさわしい自身の父を追って、憧れて、そして英雄になりたいがため、必死に勉強し12歳で幼年魔法科士官学校に進学。
15歳で卒業。卒業と同時に帝国臣民の1割しか取ることのできない魔法のスペシャリストである【国家魔法士】の資格を所得。付けられたランクは【国家魔法士】の0.00001%に満たないSSランク。
最強という名にふさわしい称号だった。
だが、進路は独立魔法軍ではなく国家保安局。彼の憧れていた英雄である父は反体制派であり、政治犯であった。彼は英雄の幻想を本物だと信じ込み追いかけた結果、見つけたのは虚像だったのだ。
英雄はたくさんの人を殺して、国によって祭り上げられた殺人鬼。
殺人鬼は守るべき国家にすら牙をむく、見境のない鬼だった。
それからの彼は変わった。
英雄になる。そんな夢などとうの昔に潰え、今あるのは国から与えられた命令を着々とこなす殺人マシーン。帝国という国の安定を保つための機械に自ら成り下がったのだ。
英雄という表に出るような者ではなく、裏で国家を支える―――――影の執行者という二つ名にふさわしい、永遠の裏方だった。
「俺は――――――」
「戦いの最中に余所見とは、影の執行者の名が泣くわ!!」
(―――――しまった!!)
こんな戦闘中の会話ごときに意識がそらされた自分を呪う。
いつもじゃそんなことはありえない。ミスすることなどありえない。有り得てはならない。
南郷彩の手のひらからは白く光る球体が浮かび上がる
―――その刹那
「白魔法!?」
手のひらに浮かび上がった白い球体はいくつもの光の光線を凌雅向けて飛ばしてくる。
「影の執行者の二つ名を持つ君でも、物質ではないものを生み出す白魔法は予想外でしょ?」
幾重の光線と雷撃を氷や土などで防ぐ。
「影の執行者の二つ名を舐めるな!!」
彼の手のひらから生み出されたのは火や、土、水などの五大元素ではない、全くの別物。
真っ黒の渦が巻く黒い球体。
「白魔法と対をなす黒魔法―――――いいわ、かかってきなさい」
南郷沙耶は凌雅に対抗せしめんと、手のひらに未だかつてないほどの非物質の光体を収縮する。
対する凌雅もあらゆる物質の始祖であり、あらゆる物質に変換可能な魔力そのものである暗黒物質を手のひらに収縮させる。
「誇りも、夢も、何もない―――――夢を誇らしげに語っていたあの頃のあなたではないあなたに、夢を失った敗者のあなたに、私は負けないわ!!」
白いエネルギー体が凌雅めがけて進んでいく。
「黙れ!!お前たち反体制派の正義という名の戦いで、どれだけのたくさんの軍人が、国家魔法士が亡くなったと思う!?どれだけの関係者が悲しんだと思う!?」
彼女が言った言葉など凌雅に通じることはなかった。
頭に上る血。冷静な思考が失われ、体が理性から感情に奪われそうになる。凌雅は、この忌々しい感覚を払うため、この女を処分する。ただ、それだけ。
「私は正義の戦いを行う!!この国を変えて私は本当の英雄になるのよ!!」
「お前のしたことは、ただの人殺しだ!!俺はお前たちのような人殺しの英雄にはなりたくない!!俺は、俺は―――――――」
暗黒物質の塊は白いエネルギー体と衝突。ビルの窓が粉々に砕け散り、空気が揺れ、凄まじい光と闇に包まれる。
「けホッ、けホッ・・・何がどうなって」
歪んだ空間が晴れたとき、そこに残っていたのは二人の人間だけだった。
*10/19微妙に加筆