七頁目 相棒
計画は失敗した。だが、それで終わるわけにはいかない。
スアルグは右袖の中に仕込んだスイッチを滑り下ろした。
それは自分の体に埋め込んだ超高性能爆薬の起爆スイッチ。ボタンを押せば彼の体は粉微塵になるが、それは周囲の人間たちも同様だ。
この距離まで近付いたロゼは確実に巻き込むことができる。死体は残らないだろう。
滑り落ちてきたスイッチが右手におさまった。右手はまだ動く。
スアルグは親指をボタンに叩きつけた。
──否。その直前。
「ぎゃあぁああああ!?」
彼の右手は切断された。
正確には"噛みちぎられた"。
ウルの鋭い牙が、スイッチごとスアルグの右手を噛み砕いたのだ。
そのままウルは顔をぐいと逸らした。手と腕が引き離され筋繊維がぶちぶちと音を立てた。
スイッチはボタンを押す前に彼の牙に貫かれ、もはやただのガラクタだ。
「飼い犬に、手を噛まれる気分は、どうですか……」
地面に倒れ込みながら、血の気の引いた顔色をしたウルは笑っていた。その顔は死にかけとは思えないほどに爽やかで。
スアルグが何か叫ぼうとしたその瞬間、真紅の薔薇のような声が響いた。
「──さようなら、狩人さん」
ロゼの見惚れるような一閃が、スアルグの首を両断した。
──
柔らかい光を網膜に感じて、ウルは目を覚ました。
視界に映ったのはぬくもりを感じさせる木目の天井と梁から吊るされたドライフラワー。それがロゼの家の天井だと理解するのに時間はかからなかった。
あたたかいベッドの上で身を起こすと、全身のあちこちが痛んだ。特に胸のあたりに激痛が走り思わず顔が歪む。
「動かないで。傷が開くから」
少女らしい、しかしどこか固いロゼの声がした。見れば、水の入った桶を持って部屋に入ってきたところだった。
赤い瞳と視線がかち合う。どきり、と心臓が嫌な音を立てた。急激に口の中の水分が消えていく。
そんなウルを知ってか知らずかロゼはすぐにふいと目を逸らした。
「目が覚めたんだね」
ロゼは目を合わせないまま歩いてくると桶をベッド横のサイドテーブルに置く。その手やスカートから覗く脚には包帯が、そして右耳にはガーゼが巻かれていた。真っ白なガーゼには血が滲んで赤黒く変色している。
ウルは何を言えばいいのかわからず、縋るように掛け布団を握る自分の手を見つめた。すると、静かな声が降ってきた。
「ねえ、これまで何が起きたか覚えてる?」
「あ、ああ……」
質問の意図はわからなかったがウルは正直に頷いた。
声をかけられ反射的にロゼを見れば普段の笑顔の気配はなく、仮面のような無表情だった。その下に静かな怒りが眠っているのをウルは見逃さない。耳がへたりと垂れるのを感じた。
「そう。ならよかった」
血色のいい唇が短く動いた。
そしてパン、と乾いた音が部屋に響いた。
遅れて、右頬がじんじんと熱を持って痛む。
「バカ!!なんであんなことしたの!?」
甲高い叫び声がウルの鼓膜を大きく揺らした。怒りとその底に沈む恐怖で声はかすかに震えていた。
「ごめ……」
「ウル、死んじゃうかもしれなかったんだよ!?」
その大きな目には今にも溢れそうなほど涙が滲んでいた。それは窓からの陽の光できらきらと輝いていて、きれいだな、と思わずぼんやり考えてしまったウルに「聞いてる!?」とロゼは叫ぶ。
ポカン、と間抜けな顔をしていたウルは慌てて口を動かした。
「き、聞いてる。でも、いや、怒るのはそこじゃないだろ」
「え?」
「……オレは、キミらを騙してたんだぞ。オレのせいで、キミらは危険に晒された。死ぬかもしれなかったのは、キミらのほうだ。オレのせいで……」
そこまで言ってウルは口を噤んだ。
改めて口にすると、自分のしたことの愚かさと醜さにどうしようもないほど胃の奥が潰されるような心地がした。
自分は、今ここにいていい存在じゃ──
「そうね。裏切られたのは、たしかにショックだったけど……でも、最後にウルは私を殺さなかった。それが答えでしょ」
凛とした声にハッと顔を上げる。
涙で潤む赤い瞳は、真っ直ぐにウルを見ていた。宝石みたいだった。
きゅ、と結ばれたきれいな唇が動く。
「私が怒ってるのはそんなことじゃないの。私が怒ってるのは、あなたが自分の命を粗末に扱ったこと」
堪えきれなくなった涙が一筋、つ、と白い頬を伝った。それを皮切りにロゼの顔がくしゃりと歪む。それは年相応の、少女らしい泣き顔だった。
「あんなこと、二度としないで」
彼女の泣き顔を見て、ウルは心臓が万力で絞られたように痛む。そこで彼はようやく気が付いた。
自分が本当に傷つけたのは、彼女の腕でも脚でも耳でもない。この子の心だ。
その事実に、ウルの視界がぼやけていく。
「──ごめん。ごめんっ、ロゼ……」
目の奥が溶けそうなくらい熱かった。ボロボロと溢れる涙は顔の毛を濡らして、そしてベッドにいくつもの染みをつくる。
胸が締め付けられるように痛かった。かつて躾をされたときに感じた、恐怖からくるそれとは違う痛み。
──自分を大切に想ってくれている人を裏切ると、泣かせてしまうと、こんなにも苦しいんだ。
その痛みは、胸の奥からとめどなく涙と謝罪を生み出す。彼の泣き顔は物心ついたばかりの幼い子どものようだった。
そんなとめどなく溢れ出るウルの涙を、白く細い指が優しく拭った。
「もうあんなことしないって、約束してくれる?」
視界に映るのは眉を柔らかくハの字にして聖母のように微笑むロゼの顔。
ウルは返事をしようとして、しかし喉から嗚咽が出るばかりでうまく声が出せなかった。こくこくと必死に頷く。
それを見てロゼは「よかった」と安心したような笑みを浮かべる。
そして、陽だまりのようなぬくもりを持つ華奢な両手がウルの手をそっと握った。
「ウル」
その声は、何度だって呼んでほしいと思うほどに優しかった。
血より深い、しかしウルにとってはこの世のどんな宝石よりも美しい赤い瞳が彼の目を見つめる。
「改めて、お願いするね──私の相棒になってください」
……自分にそんな権利があるのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。
でも、他でもないロゼが言ってくれたのだ。手をとってくれたのだ。
「本当に、オレでいいのか」
まろび出た瞬間、空気に溶けてしまいそうなほど弱々しい声。震えるそれはたしかにウルの口から紡がれた。
それを聞いてロゼは微笑んだ。その表情に、花束のような愛情を滲ませて。
「もちろん。私は、ウルがいいの」
ウルの心の一番奥で、一番大きな声が鮮烈に叫んだ。
彼女の隣にいたい。
ずっと、彼女の隣で──残りの人生ぜんぶ、ロゼのために使いたい。
「……オレも、ロゼがいい。ロゼと一緒にいたい……!」
気付いたときには、泣きじゃくりながらウルは自分の願いを口していた。
その瞬間全身があたたかい体温に包まれる。ほんの少しの血の匂いと、安心する花のにおいがした。
「うん。これからはずっと一緒だよ、ウル。私の相棒」
ぎゅうと力強く、そして大切そうにロゼの腕がウルを抱きしめる。ウルは彼女を壊さないようにおそるおそる背中に手を回した。触れた体は柔らかくて小さい。
しかし、彼にとっては何よりも頼もしく、そして何より守りたい存在だった。




