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三頁目 襲撃

 その夜、薄暗い寝室を枕元に置かれた蝋燭のやわい明かりだけが照らしていた。

 部屋の主──アルドレットはベッドに腰掛けていた。赤い目の先には、その目と同じ色をした頭巾。


 ──かつて、真っ白な頭巾を被った暗殺者がいた。彼女はあらゆる敵を鏖殺し、頭巾は返り血を浴び続けた。そして血で真っ赤に染まった頭巾を被りターゲットを一人残らず屠る彼女を、いつしか人々は畏怖を込めて「赤ずきん」と呼んだという。

 童話では敵だったはずのオオカミとともに這い寄る赤い死神。それが裏の世界での"赤ずきん"だ。


 一度目を閉じて息を吐いたところで、コンコンと控えめなノックの音がした。


「入りな」


 訪問者が誰かはわかっていた。

 キィと軋んだ音を立てて開いた扉から、こそりとも足音を立てずにロゼが入ってきた。薄暗がりの中に沈む彼女はスカートを前できゅっと握る。


「なんだいロゼ。眠れないのかい」

「うん……その、ウルのこと。あの子、ずっと悪い夢を見てるみたいで」


 黙ってロゼを見ていたアルドレットは、はあとため息を吐いた。蝋燭の灯りに照らされて眉間の皺に影が落ちる。


「ロゼ。アンタ、“赤ずきん”の掟を覚えているね」

「……“情けは刃になる”」

「そうだ。あたしたちは守るために殺す。その刃が鈍れば、誰かが代わりに死ぬ。……覚えときな」


 今夜は風が強い。窓が風を受けてガタガタと鳴る。

 ロゼは数回視線を彷徨わせて、それから顔を上げた。きつく拳を握りしめる。


「でも、あの子は敵じゃない。あんなに傷だらけで、弱ってて……助けなきゃって、思っちゃったの」

「お前はアイツの何を知ってるんだい」


 間髪入れずにナイフのような声が問うた。


「アイツがどこから来たのか、なぜ夜の森であんな傷だらけで倒れていたのか……何も知らないだろう。なら、敵じゃないと断言するのはおよし。寝首を掻かれても知らないよ」

「……っ」


 ロゼは悔しそうに桜色の唇を噛む。

 アルドレットの指摘は正しい。何も言い返せない。それでも、ウルの傷だらけの姿を、うなされる姿を、そして何より少しづつ心が解けていく姿を見て、ロゼは彼を敵だとはどうしても思えなかった。

 何も言えず俯いていると、ふと視界に影が落ちた。


「……お前は人を信じすぎる」


 ぽん、と頭に手を置かれる感触と一緒に呆れたような声が降ってきた。しかしその声の奥にたしかに愛情がこもっているのがわかって、ロゼはくしゃりと顔を歪めた。


「暗殺者には不向きと言いたいところだが、そこがアンタの強さでもある。だからこそ、あたしは心配なんだよ。情けに溺れりゃ、牙を研ぐことを忘れる」


 ロゼは小さく頷いた。


「……はい。ちゃんと、見極めます」


 頭上でふ、と笑う気配があった。


「ならいい。情けを捨てるんじゃない。使いこなすんだよ、ロゼ」





 翌日。

 今日の昼食の目玉はカリカリに揚げられたポテトと燻製ソーセージだ。テーブルの中央にある木製の大きなボウルにはこんもりとサラダが乗せられている。


「ウルって嫌いな食べものないの?」

「ない。食べられるならなんでもいい」

「いいことだなぁ。感心感心」

「アンタもちったぁ見習いな」

「うっ……わ、私だってだいたいのものは食べられるもん。ニンジンは嫌いだけど……食べられはするもん……」


 ロゼはぶつぶつ言いながらポテトを口に含んだ。そんな調子で、いつも通り食卓を囲み会話に花を咲かせる。

 あたたかな空気に包まれたリビング。

 窓の向こうには昼下がりの穏やかな森──その奥で、きらりと何が光った。


「伏せろ!!」


 瞬間、弾丸が窓を貫いた。

 ロゼの頭を狙ったそれは、しかし視界の端で光をとらえたアルドレットが即座にロゼの頭を押さえつけたことで間一髪耳元の空気を裂くに終わった。

 ほぼ同時に、木を削り出したようなずっしりとしたテーブルを即座にヴァルツが立たせる。卓上の食器が一気に床へ落ちて次々に割れる音が鳴り響いた。


「敵襲だ!隠れろ!!」


 毛を逆立たせたヴァルツが叫ぶ。その声量に部屋の空気がビリビリと震えた。


「──聞け、"赤ずきん"たち」


 外から、スピーカーを通してざらついた音質の男の声が突如響き渡った。その音量の大きさにヴァルツが不愉快そうに顔を歪める。乱れのない無数の足音が地面を揺らす音が低く鳴る。


「お前たちは包囲されている。速やかに投降せよ。我々は、"灰の狩人"である」


 アルドレットは忌々しげに舌打ちをした。


「"灰の狩人"……まだ生きてたのかい」


 灰の狩人。大陸を股にかける巨大マフィアのひとつであり──数十年前、現役時代のアルドレットとヴァルツに壊滅させられた、今はなき組織のはずであった。


「一人残らず消したと思ってたんだが……残党がいたのかね。クソッ、恥だよまったく」

「足音からしてざっと二百人はいるな。どいつもこいつもかなりの装備だぜ」


 ぴん、と黒い耳を尖らせたヴァルツが低い声で言う。その表情は普段の温厚なものとは似ても似つかないほどに険しい。

 アルドレットは無言でリビングの本棚の前まで歩いた。一番上の段の右から二番目、ワインレッドの背表紙を奥へと押し込む。

 すると、ギギギと重たい音を立てて本棚全体が横滑りし、壁の中に整然と並べられた無数の銃火器が姿を現した。


「ロゼ、アンタは家の奥にいるんだ。出てくるんじゃないよ」


 取り出した拳銃に慣れた手つきで弾薬を込めながらアルドレットが言う。ロゼは慌てて口を開いた。


「ま、待ってよ!私も一緒に戦うわ!」

「ひよっこが口答えするんじゃないよ」


 ギラリ、と未だ磨かれ抜かれた鋭い視線がロゼを睨んだ。かすかに殺気を向けられ、ロゼの肌がちりりと痛む。


「ロゼ。アルドレットの言う通りにしろ。お前じゃ足手まといだ」


 リビングに飾られた額縁裏の壁内にある手榴弾を手に取りながら、ヴァルツが温度のない声でそう言った。


「まだ誰も殺したことのないひよっこはすっこんでな──ここはもう戦場なんだよ」


 振り返らずに、背後のヴァルツから投げられたダガーナイフを二本の指だけで受け取りながらアルドレットは続けた。

 ロゼはもはや何も言えなかった。アルドレットたちが放つ圧倒的な重圧を前に、格の違いを理解できないほど彼女は愚かではない。


「ウル」


 準備を終えたアルドレットが、背を向けたまま静かに名前を呼んだ。それまで今にも倒れそうな顔でできる限り気配を消していたウルは、びくりと肩を震わせた。ひどく怯えた金の瞳が次の言葉を待つ。


「……アンタも、ロゼと一緒に隠れてな」


 アルドレットは振り返らなかった。その言葉を最後に彼女は玄関へと歩き出す。

 そばに立つヴァルツも何も言わなかった。ただアルドレットを追って彼もまた玄関へ向かう。


「……行こう、ウル」


 呆然としているウルの手を引いて、ロゼは屋敷奥へと走り出した。唇を噛みながら、背後で玄関の扉が開く音を聞いた。





「隠居老人相手にずいぶん大掛かりじゃないか」


 散歩にでも行くような足取りでアルドレットは外へ出た。目の前には大勢の黒服たちが一糸乱れぬ列をなし、アサルトライフルを構えている。それになんの怯えもなくアルドレットは堂々と足を進める。


「止まれ、赤ずきん。そこで手を挙げろ」


 森の奥からスピーカー越しの声が飛んできた。アルドレットは足を止めた。黒服たちとの距離はおよそ十メートル。


「行儀の悪いガキどもだね、まずは挨拶だろう」


 それは緩慢な動きだった。なんの殺意も感じない、ゆっくりとした動作でアルドレットは両手を動かし──足元まであるワンピースのスカートをふわりとつまみ上げた。

 その動きはあまりに滑らかで、日常の仕草と何ら変わらない。ゆえに黒服たちの警戒心は反応が数秒遅れてしまった。

 彼女のスカートの中から、ゴトゴトと音を立てていくつもの手榴弾が落ちてくることに。


「──"赤ずきん"の住処へようこそ、狩人ども」


 「撃て」と叫ぼうとした誰かの声が、爆音にかき消された。

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