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一頁目 赤ずきん見習い・ロゼ

「ねえ、おばあ様。おばあ様のお耳はどうしてそんなに大きいの?」


 ロゼは丸く大きな赤い瞳で、ベッドに横たわるおばあさんに尋ねた。

 窓からは柔らかい日差しが差し込み鳥の囀りが聞こえる。


「おまえの声を聞くためさ」

「じゃあ、どうしてお目目はそんなに大きいの?」

「おまえのかわいい顔を見るためさ」

「それなら、どうしてお口が大きいの?」

「それはね……」


 瞬間、銀が閃いた。

 背後から飛んできたナイフをロゼは素早い身のこなしで避ける。栗色のおさげが刃をかすめ、数本の毛先が宙に舞った。

 ナイフの飛んできた方向──家の戸口には壁にもたれかかる人影がひとつ。

 白髪をざっくりと後ろでまとめた老女がそこにはいた。


「この程度の変装も見破れないとは、まだまだだね」


 その女、アルドレット。

 皺の刻まれた顔つきは鋭く、血のように赤い瞳は切れ長で研ぎ澄まされた光を宿している。

 老婆、しかし老婆というには美しすぎる姿勢とすらりと伸びた体躯を持つ彼女の言葉を合図に、ベッドの"おばあさん"がのそりと起き上がった。ゆったりとした動作でナイトキャップを外すと、黒い耳がぴょこりと現れる。

 長身の獣人──ヴァルツは目尻を下げて呑気に笑った。


「また不合格だなあ。俺が本当に悪いオオカミだったら、今ごろ頭から食べられてたよ?」

「ええっ、ヴァルツ!?おばあ様、いつからそこに!?」

「最初からに決まってんだろう」

「そ、そんなあ……!」


 ロゼはガックリと項垂れた。小さな拳をぎゅっと握りしめ、悔しさに唇を噛む。


「これじゃあ、まだ"赤ずきん"には程遠いわ……」


 それを見てアルドレットは鼻を鳴らすとクイと顎で外を指した。


「ほれひよっこ、外に出な。みっちりしごいてやるさね」

「じゃあ俺は休憩用のお茶とお菓子でも用意しとくねえ」


 ヴァルツはいそいそといつものエプロンをつけてキッチンへ向かう。


「はいっ!おばあ様!」


 ロゼは花のように笑ってアルドレットの後を追いかけた。





 アルドレットの家を囲む森はロゼの遊び場であり、そして訓練場だった。

 ロゼは木々の間を駆け抜けていた。重心は前へ、足は無駄なく素早く動かし続ける。

 森は静かだ。鹿の鳴き声も、鳥の囀りも聞こえない。木々の葉が擦り合わさる音さえない。

 今、この森には誰の気配もない──否。


「どこ見てんだい、阿呆」


 ひゅ、と空を切る音。即座に身を屈める。背後の木の幹に短剣が突き刺さる。

 それに安心する間もなく、頭上から短剣を構えたアルドレットが急降下してくるのを咄嗟に身を捻って避ける。


「反応は悪くない。が、後手に回るだけじゃ死ぬよ」


 ロゼは体勢を整えながら腰の小型ナイフを抜いた。息を吸い、足裏で思い切り地を蹴る。


「なら、次はこっちからいきます!」


 素早くナイフを振り抜く。それをアルドレットは眉ひとつ動かさずひらりと躱わした。一切の無駄がないその動作は老いた鷲を思わせた。


 ロゼは攻撃の手を緩めない。何度も角度を変えて切り込む。それをアルドレットは全て最低限の動きだけで対応してみせる。刃と刃がぶつかり合うたび、甲高い金属音が森の澄んだ空気を震わせた。


「どうして、そこまで必死になるんだい」


 アルドレットが静かに問うた。

 その問いに答えるように、ロゼは一際強く踏み込んでナイフを突き出した。


「だって……"赤ずきん"は、守るための暗殺者だから!」

「ほう、守るため、ね」


 ロゼの言葉にアルドレット──当代の"赤ずきん"は真紅の瞳を細めた。


「はい!おばあ様みたいに、みんなを守るために戦いたいんです。たとえ、それが血で汚れる道でも……"赤ずきん"がそういう役目なら、私は……!」


 幼さの残る声には、しかし決して揺らがない芯があった。

 アルドレットは沈黙し、次の瞬間、目にも留まらぬ速さでロゼの手からナイフを弾き落とした。咄嗟に動揺を隠せないロゼの喉元へ刃を突きつける。


「その覚悟、死ぬまで保てるかい?」


 冷たい銀が肌を掠める。しかしロゼは目を逸らさない。

 返事を待たず、刃が跳ねた。

 ロゼは紙一重で身を翻し、刃の風だけが頬を切る。

 血の匂い。けれどその赤い目は怯まず、ただ真っ直ぐにアルドレットを見据えていた。

 アルドレットはふっと笑った。


「……上出来だよ、ひよっこ。"赤ずきん"の名を継ぐ日も、そう遠くないかもね」


 それは、初めての及第点だった。

 ロゼの胸に小さな火が灯る。

 いつか本当に人々を守れるように──それが彼女の夢だった。



ーーー



「それじゃあ、今日の残りは森で過ごすこと。夜になったら帰ってきな。それまでうちの敷居を跨ぐんじゃないよ。サボったら晩飯抜きだからね」


 というアルドレットの言いつけ通り、ロゼは森を駆け回り続けた。そうして気づけばあたりは夜の帳に包まれていた。

 ホーホー、とどこかでフクロウが鳴いている。木々の間から見える夜空には満月が浮かんでいた。

 月明かりを頼りに家へ帰ろうとしたとき──すぐ近くで、がさりと音がした。そして人の気配。


「誰かいるの?」


 この森は広く、アルドレットの屋敷を隠すためのものでもある。ここに人が来ることは滅多にない。

 もし迷い込んだ人がいるのなら出口まで案内してあげよう、そう思って音のした方へ行った。


 すると、漂ってくる鉄の匂い。


「……血?」


 草をかき分けると、そこにはひとりの獣人の少年が倒れていた。

 白い髪が月明かりを受けて淡く光る。着ている質素な服は汚れており、胸の辺りには血が滲んでいた。


「だいじょうぶ!?ねえ、聞こえる!?」


 ロゼは慌てて駆け寄った。

 震える手で少年の頬を叩くが反応はない。薄く開いた口からは牙が見え隠れし、かすかな呼吸を繰り返している。


「たいへん……!」


 零れていく命が目の前にある──ロゼの行動は決まっていた。

 背中に血がつくのを一切躊躇わず、すぐさま少年を背負う。ぴく、と少年の手がわずかに動いた。獣の本能はまだ懸命に生きようとしている。


「だいじょうぶだよ、もう少しだけ頑張って!」


 ロゼはつとめて明るい声をかけて、全速力で駆け出した。夜の森を青白い月光が照らしている。


 赤ずきんとオオカミの出会いを、静かに月だけが見ていた。



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