1-⑤ 白くて凶暴な
さっきのジャンクと同じ声だった。ゆっくりと振り返る。後ろには大きな木。その木の後ろから、まるでこちらの様子を伺うかのように、のぞきこむように、ブボッシュクラブの頭がみえる。さっきのジャンクは10tトラックほどだったが、そこにいるのはその半分ほどの大きさ。額の影が、泣き叫ぶ人の顔のように見え、それにじっと見つめられているようだ。
(に……2体…………目…………。)
目の前のジャンクは、まるでこちらの様子を伺うようにじっとしている。そして。マリも動く事ができずに、ニコのヒューヒューという息切れだけが聞こえる。
(なんで……。ジャンクが同時に二体もなんて聞いた事がない……。それに、同種?……。ジャンクって繁殖しないよね?!……。)
(こっち……。みてる……。なんなの……。)
恐怖心と思考がグルグルとめぐる。
(だめだ……。考えなきゃ……。ニコを……かかえて……。このジャンクを……振り切って……。キャンプまで…………。)
心臓がバクバクと脈打ち、全身に嫌な冷や汗をかいているのが分かる。
(そんなこと……。成功させるには……。ひとつしかない……。)
右手をゆっくりと腰のポケットに手を伸ばす。まだ目の前のジャンクが動く気配はない。
(ここで"力"を使って全力で逃げる……。それしかない……。)
ポケットに入っていた血液パックをそっと抜き取る。息と覚悟を整える。血液パックのキャップを口で開けようと口元まで持ってくる。
(やらなきゃ……。やるしか……ない!)
口を使ってキャップを開け、そこらへんに吹き捨てる。血液パックを右手でめいっぱに絞り、中に入った血液を一息で全て飲み切る。その瞬間
[シシシシシシシシシシシ]
ジャンクが飛びかかってきた所をすんでの所でかわす。ニコには申し訳ないが、セカンドバックのように左の小脇に抱え、両足に力を入れると、前に大きく跳躍できた。そのまま、とにかくジャンクを振り切る事を優先に森の中を走りまわる。
全身がたぎり、力がわき、成人女性に出せるはずもない身体能力で、ニコを抱えている事も何の足枷にもならず、もの凄いスピードで駆け抜ける。
[シシシシシシシシシシシ]
少し距離は離れたが、一定の距離でジャンクが後をつけているようだった。
(凄い力!凄いスピード!不思議と体も軽い……。もっと……。もっと早く……。もっと距離をあけなきゃ……。)
そう思って全身に力を入れる。さっきよりも距離があいたが、完全には振り切れない。右に、左に駆け回っていると、暫くして息があがるようになる。
(血を飲んでからの効果時間が短い……!こんなに短いものなの?!血の量?それとも、私が力を使いこなせてない?!……)
少し引き離したジャンクとの距離はジリジリと詰まってくるようだった。ジャンクは両の鋏を振り回しながら追いかけてきており、木がバキバキと音をたてながら割れる音がする。
[シシシシシシシシシシシ]
(ダメだ……!もう一回……!)
走りながらもう一つのポケットに手を伸ばそうとした時だった。
[シーーーーッ]
進んでいた進行方向に糸のようなものが撒かれたのを何とか回避する。見ると、糸がかかった木の根が、湯気をたてながら溶けているようだった。
(何これ?!酸?!ってゆーか、進行方向に撒いてきた?!)
なんとか体制を立て直しながら駆け抜ける。ポケットに手を伸ばし、2個目の輸血パックを一息で全て飲む。
途端に再び力が溢れ出し、ジャンクと距離を取ろうと両足を踏み込むが、今度はいたる所に先程の酸をばら撒きながら追いかけてくる。どれもこれも進行方向を読みながら撒いているようで、それをかわしながら進まなければならない。
(2個目を飲んだタイミングで一気に距離を離したかった!でも、これじゃ……!!)
距離は縮まらない。走れば走るほど、血を飲んだ効果が少しずつ薄れていく感覚がする。少しずつ息があがっていく。
[シシシシシシシシシシシ]
徐々にジャンクとの距離は詰まってきているようだった。
ガコンッ
ジャンクの鋏が迫ってきたのをすんでの所で避けたが、避けた鋏が足元の地面を割った。
「うっ!………………」
地面が割れた衝撃で吹き飛ばされ、近くの木の幹に背中を強く打ち付ける。そのまま、ずるずると木の根本に座り込むような形になった。ニコを抱えていた手にも力がはいらなくなり、膝の上にニコが横たわる。変わらずヒューヒューとか細い息をしていた。
ジャンクが真正面からゆっくりと近寄ってくる。
(あー……。やばい………………。)
ジャンクは自分達と5m程の距離をあけてピタリと止まった。
(………………。これ……。死ぬのかな……。)
「ほーーら見ろよベリー!完っ全に出し抜いた!!!」
「これがジャンク?キモッ。」
とても陽気な声は、もたれかかっている木の後ろからだった。話しながら近寄って来ているようで、木の横からひょっこりと見覚えのある容姿が姿を表す。
「見ろよ!見た瞬間から弱っちい奴らだと思ってたんだよ。案の定死に目みてらぁ。ざまぁねぇ。」
白髪の店員は、マリとニコの様子を見てケラケラと笑っている。
彼より半歩遅れて、同い年くらいの女の子の姿が見える。緑色の髪に緑色の瞳。髪を編み込んで、上手に二つのお団子ヘアにアレンジしている。Tシャツにショートパンツ姿が似合っていて可愛らしいが、顔は険しく、顰めっ面というのか。マリとニコ、ジャンクも睨みつけながら話す。
「このカニまじでキモいんだけど。一丁前にこっちの様子伺ってんの?まじキモい。そこの男子も死にそうじゃん。」
「俺もジャンクって初めてだわー。失踪の原因はこいつだな。あいつら、人間がやったていで調べてやがったから、どーりで何日かかっても情報が掴み取れなかった訳だ。クククッ。あー面白れー。」
「あんた。後で面倒くさいことになっても知らないからね。」
マリ、ニコ、ジャンクも置き去りにして、白髪の店員は、無邪気な子供の様に楽しそうに。ベリーと呼ばれている子は、呆れている様子で話しが弾んでいる。
「な……ん……で……。」
マリが呆気に取られながら何とか言葉を口にすると、白髪の店員は変わらずニヤニヤとしながら、左手を結婚指輪を見せる時のようにかかげた。勿論、そこには指輪なんてないのだが。
「あー?何でだろうねー。まぁ?お店のファンを放って置けなくてー?クククッ」
その言葉で白髪の店員に半ば強引に付けさせられた指輪に目をやる。
(これ?……これで何か位置とかが分かったってこと?……。)
[シシシシシシシシシシ]
すると突然、ジャンクはニコに向かって鋏を振り翳して飛び掛かってきた。マリは何も出来ずに、突然迫ってきたジャンクに驚いて両目を強く瞑る。
……………………。
何の音もせず、何の変化も感じられず、ゆっくりと目をあけると、ニコを狙った鋏はすんでの所でピタリと止まっている。
よく見ると、ジャンクの体には植物の蔓が巻きつき、ギシギシを音を立てながらジャンクの体を締め付け、動きを封じているようだった。
「こいつ、喋んなかった?まじキモいんだけど。」
ベリーが引いている様子がよくわかる。
「1番弱ってる奴狙ってきたか?幼児くらいの知能はありそうだな。そんなことより。そこのオバサンとクソガキ。」
白髪の店員はイタズラが成功した子供のような笑顔をしながらマリに話しかける。
「こんな面白い事に引き合わせてくれたんだから、特別待遇で助けてやるよ。命を賭けた口約束といこうぜ。」
「口約束?…………。」
何を言っているのか分からず、言葉をただただ反芻する。白髪の店員は変わらず楽しそうに話しをする。
「俺らをお前らの団体に入れること。あーでも、俺ら血清への適合?そーゆーのいらないから。無しで。それと、お前らと俺らの関係、ここで起こったことは秘密にしておくこと。」
上手く理解できなくて暫く沈黙してから言葉を返す。
「…………。私たち、核師でもなくて、あくまで核師見習い……。下っ端の下っ端なの……。助けて欲しいけど、あなた達を隊に入れるとか、そーゆー権限は……。」
「あ?」
白髪の店員が短く言葉を返した瞬間、ジャンクを締め付ける蔓が少しだけ緩み、ジャンクの鋏が一段階ニコに近づく。
「そーゆー返事が聞きたい訳じゃ無いんだよなー。出来る出来ないは聞いてないのよ。つまり、俺らの内通者だよ。わかる?」
「内通者……。なんの……為に……。」
「はぁ?そーゆーこと聞ける立場かよ。頭弱いんだなー。イエスかはいの2択なんだよ。」
息も絶え絶えだったのが、いつの間にか落ちつき、ただただ、体にのしかかる疲労感を感じる。
この子達は一体何者なのだろう。ただの雑貨店のアルバイトじゃなかったの?ジャンクを押さえつけてるこの蔓はなに。核師でも何でもない子供が異能を使う?核師のような力を使うこの子達は、核師になって何がしたいの。内通者?私が?今までありきたりな人生を送って来たのに、核師になった次は悪に染まるの?この子達が悪かどうかも分からないんだけど。組織の情報をこの子達に売るのは悪よね。色々考えちゃうけど。きっと本当に無駄よね。本当に無駄。私……。どうしたかったんだっけ?……ただ、漠然と。なんの理由もないけど、ただ何となく……何となく……◯◯たかっただけだった気がするのに。
何もわからないが、唯一分かる事といえば、逃げ場は無いこと。私に選択権なんて……無い。
「…………。私に出来ることがあるなら……。あなた達に協力するわ。」
白髪の店員はとても楽しそうだ。
「俺はイーネ・フィズニア。あっちはベリー・フィズニア。どうぞ宜しくね。」
[シシシ…………]
イーネが楽しそうに話していた時だった。ジャンクの体が眉間から尾の部分にかけて、それは見事にパックリと二つに分かれ、ドスンと音をたてて地面に沈んだ。
――――――――
「マリ、ニコ!」
地面に座り込んだまま動けずに呆然としていた。
膝の上で倒れているニコは、さっきよりも穏やかな息をしている。
ベリーといった緑色の少女がニコに何かをしていた。傍目からはニコに手をかざしただけのようだったが「このままほっといて死んでも嫌だから、応急処置だけね。死なない程度にしとくから、あとは自分の所で何とかしなさいよ。」そんな風に言っていた。
イーネもベリーも姿を消してから暫くして、ユウト、タカトさん、その他の核師数名が助けに来てくれたようだった。
ユウトも戦った後なのだろう。薄汚れた姿でこっちに駆け寄って来てくれていたが、その足が一度止まる。
「……こ、……れは……。」
真っ二つに断裂したジャンクを見て、駆けつけてくれている全員が驚いているようだった。
「と、とりあえず、タカトさん、周囲の警戒をお願いします!マリ!ニコ!立てるか?!」
ユウトが側まで駆け寄ってくれる。
「私は……大丈夫です。ニコが……。」
ニコの様子をみてユウトは全てを理解してくれたようだった。
「誰か!こっちに手を貸してくれ!マリさんは俺と行こう。」
ニコのことは他の核師達が抱えて行ってくれる。自分も満身創痍の体に鞭をうち、なんとか立ちあがろうとした時だった。
「マリさん。これ……。このジャンクの死骸……。マリさんがやったの……。」
答えは決まっていた。
「はい。私がやりました。」




