第5話 巨大な生命の生殺与奪権
「男」とケートはその後、麗影、ネムチャと合流しファロマイア市へ招き入れられた。ボリストバッファローが引き揚げてから、クリュード先生がケートを呼んでいるのだ。
彼にとってファロマイアは、苦い思い出を持つ故郷でもある。久しぶりにその街中を歩いてみて、彼は自分に多くの視線が注がれているのに気付く。巻いた鞭を右腰に装備し、それ以外の武装をしていない若者へ、人々は好奇のまなざしを送った。
鈍い太陽の出ている昼下がり、ケートは市内のある建物へ招かれる。機能美と歴史ある建築様式が特徴の、堂々たるたたずまいをした、ファロマイア市で運営方針を決めるための「議事館」だ。
「男」たちと別れた彼は広い階段を上がり二階の応接間へ通される。豪華なソファーに腰かけると飲み物が運ばれて来た。涼しい季節であるにも関わらず、氷をふんだんに使用したアイスティー。大柄で筋肉質な体型をし、暑がりな者が多いバルバニアでは良くあることだ。
そんなバルバニア人男性の典型とも言えるクリュード先生は、男女二名の事務員を伴って現れた。三人は若者と対面する形で席に着く。圧迫感を覚えるケート。相手を威圧して交渉を有利に運ぼうとするのも、典型的なバルバニア人のすることである。
「早速だがケート君。キミの身柄についての話だ。最高ランクの戦闘能力を持つ兵士として、ファロマイア市が受け入れることとなった。悪い話ではあるまい? この書類へサインをお願いする」
「兵士? ……ちょっと待ってください、クリュード先生」
「不服か?」
「いえ! ……何と言うか……自分の今後は自分で決めたいのです」
権威たるクリュードは落ち着きを装って、しかし口元をゆがめた。そして「キミも我々と同じ、バルバニア人だ!」と、短い熱弁。だがかつて人生に否定的だった若者も、今や簡単な交渉相手ではない。
「<混沌の渦>が放つ「無限の可能性」に賭けて、自分の将来をどうするのかは、自分で決めさせてください。悔いの残らないように」
バルバニア側の要求が飲めないのなら都市から出て行ってもらうと、ファロマイア市から追い出されたケートたち4人。クリュード先生だけはもっと話の分かる人だと思っていただけに、残念だ。どこへ行くか思案していると地面が大きく揺れ始めた。
「地震!? 何だ? 珍しいな!」
「男」は直ちに地震と判断したが、若いケートたちには初めての経験であり、かなり驚いたようすだ。大地の震動は、その時には短く終わった。
「白き影」の一員である麗影とはその場で別れ、三人は馬でバルバニアの北部辺境を目指す。そして遊牧民の居留地を訪れた。彼らならば、ボリストバッファローの群れが本当に自分たちの領土へ帰ったのか、教えてくれると考えたからだ。
遊牧民らは、都市から来た者たちを警戒して交流を渋ったが、その代わりに<精霊使い シャーマン>の男性を一人紹介してくれる。
精霊使いの名はシツカイと言い、年齢は五十代、相応の外見をしている。しかし言葉が通じない。幸いにしてネムチャが通訳となってくれた。
彼女は祖父母から「超自然」と対話する方法を少しだけ習っていたので、何とかシツカイと意思疎通できたのである。彼は先ほどの地震の原因は<大砂蟲>だと言う。その言葉が信頼に値するのかは、現時点ではまだわからない。
「大砂蟲はかつて、マキシアス大陸の大地の神に数えられていたのだ」
赤や青の色鮮やかな隈取を顔に施した精霊使いは語る。
「人間との関係が悪化するようになって、<大砂蟲 グレートサンドワーム>の生き方も変わり果ててしまった」
ニコリともせず、淡々と話すシツカイの言葉は信頼出来そうだ。彼との会話で、巨獣の群れが<大獣荒地>へ戻ったことも確認できた。
これ以上、居留地へ留まる理由はなくなったが、シツカイの話をもっと聞きたいとケートたちは思った。その時、再び地震が!
「地震ではない」とシツカイ。「彼女ら(点)が近づいているのだ」
彼は跪いて乾いた地面へ両手と左頬をつき、何かを感じ取ろうとしているらしかった。「男」が問う。
「彼女らとは何ですか、精霊使いよ」
「大砂蟲のことだ」大地と交信する格好のままで、シツカイは答えた。
「メスの個体しかいない。彼女らはごく稀に、単為生殖で子を産む」
大砂蟲はこの世界で最も大きい<超巨獣>と呼ばれる生物である。
「大変だ! 大砂蟲がバルバニアの地下で暴れたら大災害になってしまう。国中がメチャクチャにされるぞ!」
* * *
「この地に地震とは。私の知る限り五十年ぶりかな」
ベージュのシャツへ、素肌のまま腕を通しながらクリュードは言った。グレーのパンツと茶の靴を履き、ヘアスタイルは清潔感を重視してある。
「クリュードさま。<硬き砂の塔>の賢者たちが呼んでおります」
使者が迎えに来た。「直ちに」と応える弓術の権威。議事館から歩いて数分、彼は茶色い模様の施された黄色い塔へ入る。
そこではマントの賢者三名が声高に話し合っていた。明らかに浮足立っているようす。「偉大なる」クリュードが部屋へ通されると、彼らは我先にとすがりついて語り始めた。
「大砂蟲がバルバニアに近づいております!」
「そんな<超巨獣>がいまだに存在するとは! 一体どうすれば!?」
<大砂蟲 グレートサンドワーム>はその昔、大地の神に列せられていた。言い伝えによると、その姿は巨大なミミズに似ていて、直径は何と300m、長さ20kmから30kmにも達する。人間の活動で生じる大地の「穢れ」を土ごと食い、浄化して排出するとされていたのだ。
しかし<現代>では、大砂蟲を神と敬う者はほとんど居らず、そのため超巨獣の生態も大きく変わってしまった。ボリストバッファロー同様、今では人類にとって災厄、良く言ってもバケモノとして扱われている。
「賢者の力で何とかならないのか。弱点を攻撃するとか出来よう?」
「滅相もありません! そんなことは無理です。仮にも大砂蟲は、かつてマキシアス大陸で大地の神とされていた存在ですぞ!」
「穏便に願います、クリュードさま! ですが我々の力では……」
いらだちを自制しつつ、バルバニアの権威は言い放つ。
「そなたら何のための賢者か? このままでは大災害は免れられぬ」
ファロマイア市の神官たちさえも、慌てふためくのみである。
「<人の神>へ祈りを捧げるしかありません! 大砂蟲を今さら敬ったところで遅すぎます!」
……ゴゴゴゴゴ……! 再び地鳴りがして震動が足元へ伝わって来る。
「また地震! どこへ逃げればいい!? もうお終いだ!」
都市の人々はパニックに陥り、泣き叫ぶ者、立ち尽くす者、神をののしる者、武器を手に右往左往する者らが通りに溢れていた。
「なぜ大砂蟲はバルバニアへ近付いて来るのです?」
「それを調べている」精霊使いシツカイは、そう答えながら大地に両手をついて聞き慣れない言葉を何度もつぶやく。
「何をされていますか、精霊使いよ」
「男」が質問をし、それをネムチャが通訳して会話が成り立っていた。
「地中に<地の精霊 ノーム>たちを放ち、大砂蟲の動きを追っているのだ。上手くいくかは、まだわからない……」
シツカイの傍かたわらの地面へ杖が突き立てられている。それは金属の棒で2m程あり、青と黄色の鳥の羽で飾られた頑丈そうなものだ。
恐らく精霊使いとして「術」を使うのに役立っているのだろうが、邪魔してはいけないので三人は触れないでいた。彼の行動は手際が良く、<精霊使い シャーマン>として長年生きて来た「深み」を感じさせる。
「……ポルホニズ……チェチェカリア……」とシツカイ。
「何です、それは?」精霊使いを信頼してケートが問い掛けた。
「彼女たちの名だ」とシツカイ。「大砂蟲は固有の名前を持っている」
「バルバニアの地下へやって来る理由はわかりますか」
自身も乾燥した地面へ片膝をつき、「男」が問うた。
「わからない。ただ、大砂蟲の片方がとても苦しんでいるみたいだ」
シツカイは立ち上がり、顔と両手の砂を払う。
「遅かれ早かれ、彼女らはバルバニアへやって来るだろう」と言った。
彼はケートの腰を見て、「それは<魔獣使いの鞭>だね」と言い当てる。「あなたならば大砂蟲を何とか出来るかも知れない」
「そんな!」とケート。「超巨獣にまで通用しますか!?」
「大きさは問題ではない。心の問題だ、ケート君」と「男」が諭す。
「だけど、どう努力すればいいのかわかりません。以前に、他人の二倍も三倍も時間を使って、という訳には行かないという話をしました」
「そうだ。一定の努力をして壁に当たったら、今度は努力の「量」ではなく「質」を考える。具体的には、新しい練習の方法を編み出したり、練習する環境を変えてみる。いつもとは違う人に見てもらい、意見を求めるというのも一つの手だ。そうした、他の人のやっていない努力を積み重ねるのが<ズバ抜けるための方法>なのさ」
* * *
「もし大砂蟲に会うのであれば、ここから北西に行きなさい」
そうシツカイが教えてくれた。大砂蟲か……心震えるケート。
「見てみるかい、大砂蟲を?」と「男」が誘う。「行きましょう!」若者は即座にそう答えた。
危険なのでネムチャを遊牧民の居留地へ残そうとしたが、本人が「自分も行く」と主張したので、三人はそれぞれ馬に乗った。
一時間移動してシツカイが示した場所へ到着。すると!
ズズズ……! ゴゴゴゴゴゴゴ! 大地が鳴動し始めた。地面を割って、少しずつその姿を現す<大砂蟲 グレートサンドワーム>。
「何て大きいんだ!」頭部の半分も出ていないのに、見上げんばかりの超巨獣。馬がおびえて動こうとしない!
「ほら、あれを見て! 遠くの方にも背中が出ている!」
彼らの居る場所から北西の方角、ずっと、ずっと遠くにも体の一部が露出している。どこまでつながっているのか見当も付かない。
南から三つの騎馬が駆けて来た。「麗影さん!」ケートが手を振る。
「気になって来てみました!」彼女は二人の付き人を伴っている。
大砂蟲は声を出す器官を持たない。そのようすがおかしいと言ったのはネムチャだった。もっと若い頃から自然と交信をして来たネムチャは、大人になった今でも不思議な力を持っているようである。
「二頭居るわ! 大砂蟲は一頭じゃない。とても苦しそう!」
その言葉の通りに、大砂蟲の頭が二つ、地面を断ち割って現れる。二頭は巨大で長い体を絡からませ合って地震を引き起こしているのだ。
超巨大なミミズに似た大砂蟲の姿に圧倒される若者たち。地面の揺れが治まらない。もの凄い破壊のエネルギーで揺れ続ける!
「もっと近付かないと、自分に何が出来そうかわかりません」
ケートの言葉に麗影が応じた。
「ならば「白き影」の馬を使ってください、ケート君!」
それを「男」が引き留めた。
「待ちたまえ。あのままにしておけば、バルバニアは大きな災厄に見舞われるだろう」と「男」。「放っておいてもいいんだぜ?」
困惑したケートだったが、自分の意見が出て来た。
「それではいけないと思うんです」
「どうして? バルバニアはキミを苦しめている」
なぜだろう。今は答えられないケート。少なくとも自分の力を試したいという気持ちはあった。
「ボクに<超巨獣>を鎮めるだけの素質があるでしょうか?」
「大きさは問題ではない、ケート君。何ごとも心の問題なのだよ。<魔獣使い>であってもそうだ」
「男」とケート、ネムチャ、「白き影」の三名は超巨獣へ近付く。その途方もない大きさ! 巨大な体にも関わらず、大砂蟲はとても細やかで柔らかそうな体毛を、びっしりと生やしているのがわかった。その巨体が波打って、ケートたちは馬から振り落とされそうになる。
「一歩間違えれば潰されてしまうぞ! ひとたまりもない……!」
ネムチャが何かを感じ取ったようす。「三頭居る!?」と言っている。
「えっ、二頭しか確認できないけれど……」と麗影。
「もっと近付いてみます!」ケートの決意は固そうだ。
「男」が叫ぶ。「しかし! 危ないぞ、ケート君!」
ズズズ! ゴゴゴン! ゴゴゴゴゴ……! 地鳴りで何も聞こえない。警告は若者へ届いたのだろうか。それと同時にもうもうと立ち込める土埃で、彼らは全員、姿が見えなくなってしまうのだった。
* * *
視界が戻ると、ケートは馬を降りて<魔獣使いの鞭>を振るっていた。地面には深い亀裂が走り、あるいは土くれが山となって地形を乱している。大砂蟲が蠢く度に、亀裂と土の山は、怒った大地が暴れ回るかの如く新しく作り変えられて行く。大きな破壊音と視界の悪さで、「男」たちは立ち往生していた。ケートだけがギリギリ鞭の届く距離で、<超巨獣>らをなだめようと動き回る。
「動かないでくれ、大地の神よ! 近付けない!」
大切なのは「心」だと「男」は言った。若者の心は届いているのか?
のたうち回る大砂蟲は、苦しそうな一頭と、それに絡みつくもう一頭だけしか見えていない。鞭が振るわれる毎に、大砂蟲の体の表面に生えている柔毛がちぎれて宙を漂った。これ以上「彼女たち」を傷付けたくない。どうすれば<大地の神>の力になれるのか……!
その祈りが通じたのか定かではないが、いつの間にか<地の精霊>が現れて手助けしてくれている。ケートは荒れ狂う地表の上を精霊たちに運ばれて、巨大な大砂蟲の体に直接触れることが出来た。
それが良かったのか、少し落ち着く大砂蟲。<地の精霊>は土と金属のかたまりで出来た、大柄な力士に似た姿をしている。それらはケートの周囲で地形が暴れるのを防いでくれていた。精霊はシツカイが操ってくれているのだろうか? ケートを呼ぶ声がして、振り向くとネムチャもこちらへ向かっているところだった。
「聞いて、ケート」大砂蟲の心をネムチャが伝える。
何と、苦しんでいる<大地の神>は身籠っているらしい!
ネムチャによると大砂蟲は、単為生殖で自分の体内に卵を産む。そして幼体が親の体内で卵から孵化し、新たな世代となる「卵胎生」だ。今回、それが難産らしいのだとネムチャはケートへ伝える。
事情はわかった。<魔獣使いの鞭>を再び振るい、<大地の神>の子孫が親の体の外に出て来るのを助けた。幼体とはいえ、その体は全長1kmもある。丁重に扱われた大砂蟲たちが大地を揺すり始めた。
ズズズズズ! ……ゴゴゴゴゴ……!
地中深くへ帰って行く<超巨獣>。すると不思議なことに、あれほど酷く破壊されていた地表が元の平らな地面へ戻ったのである。
「どうやら上手く行ったようだな」と「男」が若者の背中に手をあてがう。「なぜ助けた? あの巨大な生物の生殺与奪権は、完全にキミが握っていたとオレは思うよ」
気絶していた数頭の馬が息を吹き返して起き上がる。「男」は何を思ってか、こんなことをケートに向かって話した。
「あのまま放っておけば、バルバニアはメチャクチャになっていただろう。それでキミは、自分をあんな目に遭わせた人々へ「復讐」することも出来たはずだ。違うかね?」
「復讐するとは考えませんでした」若者は自分と向き合って答える。
「助ける方が自分らしい。ボクはそう思ったんです、ビルさん」
「そうか。キミはもう、自分のことが見えていそうだな」
「男」は水筒の水をケートに与え、若者は喉を鳴らしてそれを飲んだ。
「<自分>を手にしたのだ、キミは! これが自分だと言えるものを手に入れた。そう思うだろう?」
「それが<自分の資格 ライセンス>ですか……! 正直、ここまで出来るとは自分でも思っていませんでした」
若者はこうして「基本的な自己を確立」した。自分はもう何でも出来る。何にだって成れる。そう感じていた。
馬で居留地へ戻る一行。遊牧民らへ、特に<精霊使いシツカイ>へお礼を伝えるネムチャ。彼女も「男」へ何か言いたいらしい。
「あのう……あたしにも教えてください。色々なことを……」
予期せぬ申し出に「男」はうつむき、そして青空を見上げた。
「フフフ……ハハハハ! ええ、もちろんですネムチャさん!」
ついに<自分>を見つけたケート。彼は<自分のライセンス>を手にしたのだ。しかしそれでも、若者が自分を語ることは滅多になかったという。その理由とは? そしてケートは何になるのだろう。
第2章へ続く。