第3話 自分を知るための反撃
偉大なるクリュードは言っていた。バルバニアで生きて行くには戦いへ貢献できる者になるしかないと。今、若者ケートはバルバニアの都市部に居られず、かといって<隠れ里>に戻る訳にも行かなかった。
「谷には幾つかの廃屋があるはず。それを見つけましょう」
麗影の提案で四人は<知らぬ顔の谷>を西へ歩いて行った。日中でも薄暗く、ひっそりとした谷だ。風が出て来た。いつまた<砂紡ぎ>に襲われてもおかしくない。用心して、打ち捨てられた家を探す。
歩きづらい街道を踏みしめながら、ケートは毎日を無駄にしないための心構えがあれば教えて欲しいと「男」に教授を求め、こんな話を聞く。
「日々、様々なことが起きる。そうした「経験」の多くは、何らかの<レッスン>であったり<テスト>であったり、あるいは<正解があるかないかもわからない答え合わせ>で出来ている。そう聞いたことあるかい?」
「ありません。誰が行うレッスンやテストですか?」
「そこはあまり重要ではないな。まあ、私たちの生きる世界から受けているとでも思っていてくれ。「経験」をそのように分析して理解すれば、毎日起きる多くのことを得心し易いだろうという意味だから」
「男」が先頭を歩き、次にケートとネムチャ、そして麗影が行く。
「例えば<見知らぬ旅行者>から宿への道を尋ねられたとしよう。これは、そういう人物とコミュニケーションをとるレッスンだ。どんな対応をするかというテストでもある。さらにその結果、旅行者にどういった影響を与えたのかという、正解があるのかないのかもわからない答え合わせでもある訳だ。私たちはいつも、そんな「経験」の積み重ねをしていると考えることも出来るのではないかな」
「そういう分析の仕方も可能だということですね」
「そうだ」
「表現を変えれば」と「男」。「体験することの多くは<練習>であり、<試されている>のでもあり、しかも<自分なりの答え、自分なりの結果>を模索する絶好のチャンスなのだ」
「チャンス!? 何のチャンスですか」
「私たちが向上するためだよ。レッスン・テスト・正解の知れない答え合わせで出来ている体験。それらは一言で、<向上するチャンス>なんだ。でも常に、いつもいつもそんな緊張感を持たなくていい。時々、思い出して自分を振り返る材料にすれば十分さ」
若者が「男」の背中へ問いかける。
「今こうしている瞬間も?」わずかに振り向く「男」。「その通り」
彼らは手ごろな屋敷を見つけた。人は住んでおらず、かなり痛んでいる。二階建てで部屋は五つに分かれており、「男」とケートが寝泊まりするだけなら十分だろう。けれど魔物の気配を感じ、麗影が投げナイフを手にした! 緊張感が高まる。「男」が麗影を制止して言う。
「ケート君、鞭を取りたまえ」
<魔獣使いの鞭>は巻き付けられてケートの腰に下がっている。
「えっ! ボクが!?」
陰気な視線が屋敷のすぐ外から注がれている。そいつらの気配には悪意が感じられる。数体のゴブリン鬼だ。人の「邪念」や「憎しみ」が道具や器物に宿って生まれる、小柄な鬼たちである。三、四体居そうだった。
鞭を展開し小鬼へ向け振るうケート。しかし不慣れで危なっかしい。岩を金属で引っ掻くような声を上げるゴブリン鬼たち。嗤っている。
「オレがやろう。見ていてくれ」「男」が鞭を引き取った。
小鬼はみすぼらしいヨロイや武器を身に付けている。それは大した脅威ではないが、そいつらの「悪意」が人に影響を与えるのでやっかいだ。
狭い屋内で鞭を振るい、「男」は空気を裂いて威嚇する。建物の外に居るらしい小鬼たちは黙った。鞭の先が窓の隙間から滑り出て、魔物の武器をはぎ取る! ゴブリン鬼らは大慌てで逃げて行った。
「この屋敷にはもう何も居ません。私たち以外に」「影」の超感覚だ。
鞭を巻いて持ち主へ返す「男」。一つ動く度に古い床がギシギシ言う。
「この建物を借りよう。どうだった、ケート君? 人の技を見て覚えるのもレッスンだ。……どうした?」
ケートのようすが、いつもと違う。彼は感激していたのだ。「男」の技を見て。凄い! カッコイイ!と口ごもっている。
「これから、あなたのことを何と呼べばいいですか?」
「うん、そうか。まだ呼び方を決めていなかったな。……では、ビルさんとでも呼んでもらおう」
「よろしくお願いします、ビルさん。ボクはあなたに教えを受けたい!」
* * *
見つけた屋敷は何年も使われずに放置されていた形跡がある。建物の中を探索しながら、ケートは「男」との会話を思い出す。
「さっきのゴブリン鬼も、レッスン・テスト・答え合わせだったのかな。だけど<答え合わせ>って何だろう。レッスンとテストはまだわかる。でも答え合わせは、正解があるかないかもわからないらしいけれど……」
「それは<自分なりの答え>を見つけるということだよ」
「男」が階段をきしませながら降りて来た。「ビルさん」
「ああだろうか、それともこうだろうかと葛藤した末に出した答えがそうだ。あるいは普段のその人の在り方から、反射的に答えたものであることも。いずれにせよそれらは<自分なりの答え>だ。そうして答えを出すことで経験がより深く積み重なる。経験は失われることのない財産だ。生きる上で今後ずっと役に立ってくれる」
麗影はネムチャを連れて居なくなっていた。ケートはビルさんとともに建物内をくまなく調べて行く。シャワー室を見つけた。
「こりゃあいい! シャワーがまだ機能している」
その場でビルさんはシャツを脱いだ。「砂まみれなんだ」
ケートは彼の胸にも背中にも、体中に古キズの跡が付いているのを見る!
「どうしたんです、そのキズ跡は!?」
「ん? ああ、その内にキミも知るだろう」とビルさん。どういう意味だろう。謎めいた言葉だ。彼はシャワーを浴びている。
木材と漆喰の屋敷では、すすけた木の板がむき出しになっている箇所があちこちで晒されていた。木目がまるで、歪んだ悪鬼の顔のようだ。
それを見ていたケートは先ほどの小鬼の悪影響もあるのか、気分が悪くなる。「ボクなんか、生きていても仕方ないのに……!」
そんな「悪心」が、若くて柔軟な心を内側から蝕んで悩ませる。
「生きていなければ<反撃>出来ない。ケート君」
いつの間にか背後にビルさんが。タオルで頭を拭いていた。
「反撃!? 何の、誰に対する反撃ですか」
「誤った自分自身のイメージへの反撃、<自分を知るための反撃>だ。それはこれからキミが、人生を切り拓くために必要なんだよ。正しく自分を把握することでやっと、キミの<本当の人生>が始まる」
「しかしそれもキミが生きていてこそだ。生きると約束してくれ。いつの日にかキミが自立するその時まで、このオレと一緒に、これからも生きると! 生きてこそ、良かったと思える日も来る」
右手を差し出し握手を求めるビルさん。だが「誰かが見ている!」
「窓の外にイヤな気配が。さっきのゴブリン鬼が戻って来たんだ」
「鞭を取りたまえ、ケート君! 向上する……経験を得るチャンスだ」
素早く鞭を展開する若者をビルさんが指導する。
「小鬼たちを敵だと思ってはならない。キミが「導く」んだ!」
導く!? どうすればいい? 自分に出来るだろうか。ビルさんに教わっている扱い方を試すケート。<魔獣使いの鞭>を振って打ち鳴らす。ヒュオッ……バチン! 悪意は互いの関係を悪化させるだけ! 建物の床を少々破壊してしまった。恐れをなして逃げるゴブリン鬼。
「やりました、ビルさん! ボクにも出来た!」
「……キミが行動を起こせば、世界は必ず反応を返してくれる」
「男」は言葉を曲げずに述べる。「だがそれも生きていてこそだ」
「ビルさん、ボクは……!」まだ若過ぎて想いを言葉に出来ない。
黙って再び右手を差し出す「男」。ケートの目を見つめる。
「オレと一緒に生きよう」
握手を交わす二人。ビルさんの大きな手は力強かった。「約束だ」
* * *
国境を越えて侵入する巨獣と戦うことを国民の本分とするバルバニアで、若者ケートは<落ちこぼれ>とされ、人知れずひっそりと生きていた。
そこへ素性の知れない「全身キズだらけの男」が現れ、ケートの現状について、あることを変えた。それは<解釈>だ。彼は、若者の置かれている状況の<解釈>を正しく変えた。「男」のしたことは、これから訪れる新しい時代の先駆けにさえなり得る。いずれにせよ、若くして人生を諦めかけていた者を、再び「生きよう」という気にさせたことは疑い得ない。
「時代」は変わって行く。一人ひとりの言動で、一人ひとりの意識で。
ケートも、その内の一人なのだ。人の影響力は、たいていの想像以上に大きい。私たちはいつも、お互いに影響を与え合っているのである。
他者の影響と自分の努力で人は変わる。そして変わることの出来る者は強い。変われる者は生き残り<新しい未来>を生み出すだろう。
廃屋のリビングを整えてテーブルに着く二人。ケートは問いかける。
「それではバルバニアは、どんな国であれば良いのでしょうか?」
「キミはまだ世の中を変えることを考えなくていい。先ずは自分のことをちゃんとすべきだ。ものごとには<優先順位>が存在する」
「ちゃんととは? 皆と同じことが出来るということ?」
「そうではない。これからキミは<自律>を覚えねばならん」
「お願いします、ビルさん。具体的に教えてもらえますか。ボクはこれからどうすればいいでしょうか」
「うん……基礎として<自分を律する>ことだ。自分自身にルールを課してそれを守り、さらに自分を見つめることで「自分はこういう人間だ」と言えるようにする。自分はこうする、こうしないとルール化し、自分を観察するとこで、己れの在り方に原始的な<秩序>を生じさせる」
「男」は立ち上がり天井を仰いだ。「自分を律することが出来ていれば、世の中が本当はどうであるべきか、そのおよそのことは見えて来るものなんだ。だがケート君、キミは<魔獣使いの鞭>を練習したまえ。今は考えるより行動すべき時だ」
二人は屋外へ出た。不慣れな鞭を振るうケート。上手く行かない。
「ダメです。ボクには無理だ。才能ないもん」
「最初から才能を当てにしてはいかん。才走っては大けがをする。努力を積み重ねよう。直ぐには上手く出来っこない。オレもそうだったさ。まあ、見ていてくれたまえ」
ヒュオオーーーッ! ヒョオオオオ! 「男」は鞭の届く範囲よりも大きい、半径5m圏内を瞬時に制圧。「見て覚えるのもレッスンだぞ!」
ケートは「男」の技術と熱意に心打たれていた。「キミもこうなる!」
かつて無気力だった若者は「感動」し、徐々にやる気になりつつあった。
人は変われる。それは私たちにとって大きな「強み」だ。
* * *
夏の朝、ケートは「男」と麗影の前で何時間も鞭を振り続けた。3か月間、ケートは鞭の基本的な操作の仕方を教わり練習している。ある程度には達したが頭打ちだ。どうにもそこから上手くならない。
「これでも一生懸命にやっているんですけど!」
「一生懸命では足りない。この世で努力する者は皆、一生懸命なのだ」
不甲斐ない己れにケートは怒った。だが遣る瀬無さが募るばかり。
「<反撃>したまえ! 自己を律し自分を見つめ直し、自らの内に秩序を与えるのだ。悪いがオレはキミに「一生懸命」だなんて求めない。<クレイジー ズバ抜けている>ことを求める!」
「オレはスタートするのが、キミよりも15年遅かった。だから今すでに五十を超えている。キミはまだまだこれからだ。オレ以上になれるだろう、キミがその気ならばだ」
この人は四十代だと思っていたけど、五十代だったんだ。ケートは親子ほども歳の離れている「男」へ想いをぶつける。
「努力の仕方がわかりません! 睡眠時間を削って練習しますか!?」
「そうではないよ。努力の量ではなく「質」を変えるんだ。練習時間をどんなに増やしても、他の人の二倍も三倍も時間を確保できはしまい」
「具体的に、どんな風に変えれば努力の質は高まりますか」
「色々試してみたまえ。<試行錯誤>を覚えるんだ」
クレイジーか。どうすれば「ズバ抜ける」ことが出来るんだ!? 若者は新しい練習を自分なりに模索して「男」の技術に近づこうとする。
……疲労から手元が狂い始めた。跳ね返って来た鞭の先端が、ケートの顔の肉を弾く! 左目の下を深く切ってしまった。
「ケート君!」麗影が叫ぶ。「男」は微動だにしない。痛さで溢れ出る涙に鮮血が混じって頬を流れ落ちる。
やっぱり、ボクはダメなんだ。こうやって、生きるのがツラく感じるようになるんだなと、アクシデントはケートへ「心のケガ」まで与えた。それを他人事みたいに感じつつ、がっくりと両ひざを地面につく。
もう諦めたい。しかし彼は<魔獣使いの鞭>を強く握りしめていた。
「一生懸命やってる。ボクには、これしかないのに……」
駆け寄る麗影。目の下から血を流して今にも崩れ落ちそうなケートを、一瞬の躊躇もなくかき抱く。
「若者よ! 強く生きよ!」麗影は彼をきつく抱きしめて叫んだ。
いい香りがする。ちょっと甘くて花のような香り。「白き影」の麗影と密着しながらケートは気付く。麗影さん、女の人だったんだ。今まで、もしかしたらとは思っていたけど。白い衣装の右肩を、滴る血が汚している。
男社会である「白き影」の中で、彼女は厳しい生き方をしているはず。そんなこと一言も口に出さないけれど。それに引き換え、ボクは……! それ以来、彼は「自分はダメだ」と二度と言わなくなった。
<彼を知り己れを知れば百戦してあやうからず> 「孫氏」
自分にルールを課す。こういうことはして、こういうことはしない。こんなクセや個性を持っていると、自分を見つめて認識する。本も読んで学ぼう。向上するんだ! そしてそれを忠実に守る。
「分かって来たかい、ケート君。自己を律するということが?」
自分で自分を律すると、何と少しずつ「自分が見え始めた」。これまでのボクは自分が見えていなかったんだ! 若者は自分自身を統制することを学んで行く。「ボクは強い」と感じるようにさえなったのである。
「おめでとう、ケート君! 誤った価値観の中で長い間、もがき苦しんでいていたキミは、自己を律することを知った」
若者の肩に、そっと触れる「男」。その手が熱く火照っている。
「そしてついに今、自分の力で本当の自分を知るための反撃に出たのだ……!」