第2話 何も持っていないように思える財産
「でもまた、どうしてこれは鞭なんです? 戦闘棒とか剣ではなく」
<魔獣使いの鞭>を手の中でひねりながら、ケートが「男」へ訊く。
「友人がダメになりそうな時、叱ってくれたり激励してくれる、言葉や行動のことを鞭に例えるからかな」
鞭の柄に奇妙な宝石が一つ、はまっているのに気付いた若者。何かの眼のようにも見える。
「これは? 変わった宝石ですね」
「その鞭が<霊宿る工芸品 アーティファクト>だからさ」と「男」。
「どうしてあなたはボクなんかを激励してくれるんですか!? 知り合いでもないのに。まだ出会ったばかりです」
「男」は立ち上がり衣服の汚れを手で払った。日差しに空気が煌めく。
「それはまだ……その内に話すとしよう。さて……」
傷だらけの男、麗影、そしてケートは里への道から大きく外れて古い街道まで歩いて行く。谷間を流れる小川に沿い、舗装されていない、デコボコした土の道が遠くまでくねって続いている。
彼らは街道に立つ、白い塗装のはげかけた道路標識のところへ来た。3つの方向が示されている。「バルバニア内部、南へ向かう道」「タズンの里へ」もう一つ、黒く塗りつぶされた「……WAY」という標識が釘で打ち付けられている。
「キミは今から人生の重大な方向転換を経験することになる。今後は<隠れ里タズン>への道を行くのではなく」
黒い標識を指で削る「男」。風雨に晒されてもろくなった木の板は、簡単にはがれて地肌を現す。標識は「MY WAY」に変わった。
汚れた指もそのままに「男」は振り返り、文字を指さして言う。
「自分の道、マイウェイを見つける生き方をするのだ……!」
「だけど……ボクは何も持っていません。肩書も資格も技術も。それに何もできないんです」
いつもの弱気なケートへ戻ったようである。
「自分の話を少しする。聞いてくれ。キミらは、どう思うかな」
三人は街道の斜面から川辺へ向かい、若者を真ん中に座った。
「今から二十年以上前、オレは自分なりに世の中の向かう先がおかしいと感じて、自らの意志で敢えて社会から<脱落>した。このまま流れに乗って生きるのは、自分の心に背そむく感じがしたんだ。そういう者に対して、その当時、周囲や世の中の風当たりはとても強かった」
「罵られ、白い目で見られ、理解されず、仲間外れにされ……そう、しばしば暴力も受けた。それでもオレは一人で世の中に背を向け、本当はどうでなければならないのか、どうあるべきなのか、独自に追究し始めた。いつの日にか、それが役に立つかどうかなんて全く考えもしなかったよ。どの道、一人で正規ルートから外れて生きるのなら、せめて<ことの真相>というものを知って、その上で行き詰まり、野垂れ死んでも悔いはない。そういう生き方をしようと決心したんだ」
そう語る「男」の目は<知らぬ顔の谷>ではなく、もっとずっと遠い何かを照準いるように思える。
「そういう道を行くことで、手放さなければならないことが沢山あった。だが「我が道」を行く人生だからこそ得られたものも、それ以上に大きかったんだ。だから今こうしてキミに、自分が持っているものを伝えることが出来ている。人生、わからんものさ。それに苦難だけの道ではなかった。そんなオレを支え導いてくれる人も居たんだ。だからある程度、周囲から迫害されることも孤独のことも、人の有難さもわかっているつもりだ。オレはそうせざるを得なかった。選択の余地は無かったんだ」
「そんな過去が。でもボクはもう、頑張るのイヤなんです」
「それでいい。頑張れない時には頑張らなくていいんだよ」
苦悩する若いケート。麗影が寄り添っている。
「ボクなんて……居ても居なくても同じです」
「そう、キミが居なくても世界は回るよ。それが現実だ。しかしな、キミにも出来ることはある。そう……キミが居れば世界を変えることが出来る! これも本当なんだ」
「そんな力は! ボクにはありません!」
「あるさ。まだキミが<自覚>していないだけでね」
* * *
靴を脱ぎ、スラックスの裾をまくり上げて、小川の中へザブザブと音を立てて入って行く「男」。「冷たくて気持ちいい! キミも入りたまえ」
若者は躊躇している。本当にこの人の指導を受けても大丈夫だろうか。川の澄んだ水をじっと見て小魚を捕まえようとしている「男」。
「人生っていうのは楽しむことも大事だ。川で遊ぼう、ケート君?」
立ち尽くすケート。麗影はポケットに手を突っ込んで様子を見ている。
「キミはさっき、何も持っていないと言ったね。だけどキミは持っているよ、<財産>を! とても大切な財産を」
「ボクは生きるのが苦痛です。何も持っていないし、何も出来ない。何もする気が起きないんです」
「そうかな。持っていると思うよ、キミは。重大な財産をね!」
「あなたが何を言っているのかわかりません。ボクは……!」
「オレもかつては、自分が何も持っていないと思って苦しんだ。けれど気が付いたんだよ、ある時にね。自分が持っている<財産>に」
小川の中の魚を捕まえようとして水をはねる、傷だらけの男。
「ここ数年、キミは人生を無駄にして来たと感じているかも知れない。でもオレの目には、キミが重大なことをして来たと映っている。とても立派にね! 知らず知らずの内にそうしたのだろう」
小魚を捕まえ損ねてハハハ!と笑う「男」。若者を見て言う。
「自分の心がブッ壊れないように守っていた。キミは」
そう指摘され狼狽えるケート。そうかな。そうじゃないかな……!?
「自分が社会の中で、それがどんなものなのか良く知らない<色>に染まらないよう身を守っていたんだよ。別の言い方をしよう。キミは新品の心と魂を守り抜いた。それが何にも代えがたい<財産>だ!」
二人の対話を、麗影は目を閉じて静かに傾聴している。
「男」は川から上がって来た。「気持ち良かった」タオルで顔を拭う。
「鞭を手に取りたまえ。キミのことを変えてくれる。何に成りたい?」
地面の上に巻かれている鞭を見て、ケートは疑わし気だ。
「魔獣使いではないんですか!? 何になるんです、ボクは」
「何になるのかって? フフ……もちろん魔獣使いだよ。その上で、キミはこれから<自分はこうなんだ>って言える者になる……!」
そんな「男」に麗影は、どういった指導方針を持っているのか尋ねた。
「おかしな価値観、特に「物質至上主義」は毒だから避ける。モノや金を最上の価値とし、自分さえ良ければいいという考え方を避けて、まだ若い心に植え付けれられないよう対処する」
「ならば、どんな価値観をよりどころとして、ボクは生きて行けばいいのでしょう?」
「男」は慎重に言葉を選んでケートに説明した。
「まっさらなキミの心はそのままに、様々な経験を通じて<自分はこうなんだ>と言える生き方を、一から身に付けよう」
木にもたれながら、麗影は「男」の指導に注意を払っている。
「教えてください。どうしてボクを選んだんです?」とケート。
「良かろう。二年前、まだキミが十八歳の時に、オレはバルバニアのある都市で、一人うなだれてひっそり歩く若者を見た。その時、こう感じたんだ。この国では「世代交代」が上手く機能していないって」
「その若者は誰だったんです?」とケート。
「気になってね、自分なりに調べたんだ」と「男」。「その若者はバルバニアの社会から取り残されて行きつつある。彼は都市を逃げるように出て<隠れ里>へ向かった。状況が、若かった頃のオレに似ている」
「社会から<脱落 ドロップアウト>して、これからどうするんだろうと、彼の事情を少し調べさせてもらった。若者はケートという名だった」
「ボクのことを、そんなに前から追っていたんですか!? なぜ!」
「理由は単純だケート君。自分に似ていたから放っておけなかったのさ」
そこへ四頭の馬が、決して手入れの十分でない街道を巧みに走り来る。乗り手の一人は「男」と同年代であろう、堂々たる体躯をした射手だ。
「あなたは……先生! 偉大なるクリュードよ!」
バルバニア王国のお墨付きを持つ、弓術の権威クリュードは告げた。
「私が彼にもう一度、弓を教える。一緒に来なさい、ケート君」
突然だったが、その場の誰もクリュードへ意見出来ない。指導中だった「男」は、若者の将来を案じて問いかける。
「どうする、ケート君? 自分ではどうしたいか言ってくれ」
「どうもこうもない、どこの馬の骨とも知れない男よ! 去るがいい!」
若者が連れて行かれそうだ。彼の女友達が心配そうに遠目に見ていた。
* * *
迷うケート。様々な事情や想いが胸の内に去来する。クリュード先生が自分を連れに来たのであれば、もう<隠れ里>へは戻れないだろう。
「我が道」を探すのはどうする? ボクはこうなんだと言えるような人間に成長する道は、もはや断たれたのかも知れなかった。
どうしたい!? 本当は、ボクはどうしたいんだろう。
「悩んでいる時間はないぞ。バルバニア人は戦うのが常識なのだ。私と一緒に来なさい、ケート君。受け入れ体制は整っている」
戦うのが常識……。でも<常識>って何だ? 従う必要あるのかな。
「疑問に思ってはいけない。我々の生き方に! 選択の余地はないのだ」
苦しそうに自分の服の胸元を掴んで悩む若者に対し、権威たるクリュードは「バルバニア人の当然」を突き付けておき、彼と彼の付き人たちを乗せた四頭の馬は一旦引き上げた。
今度ここへ来たらその時にはケートを都市へ連れて行くのだろう。戦うために。国の存続のため、人々の生活を守るために。
気が付くと「男」の姿が見えなくなっている。偉大なるクリュードから「ケートに近づくな」と命じられてしまったからだ。
「どうしよう。これからボクは、どうなっちゃうんだろう!?」
弓術の指導者はバルバニアで、ある程度高い発言権を持つ。若者に近づかないよう言い渡されたあの人はどこへ? 折角、自分なりの生きる方法を探し始めた若者に、「待った」が掛かってしまった形だ。
麗影が、遠目にようすを見ていたケートの女友達を連れて来てくれた。慌ただしくてまだだった昼食を三人でとろうと言う。
「今しばらく考える時間はある。お腹減っただろう、ケート君。軽くお昼ご飯を食べよう。ネムチャさんも来てくれたし」
川辺にマットを敷いて、パンとバター、ゆで卵、少しのワインで食事会が始まる。「落ち着けばいいよ」と麗影。「食事を楽しむことも必要だ」
「ねえネムチャ、ゆで卵の白身と黄身、どっちが大事だと思う?」
「え……そんなのあるの、ケート。それ、本気で訊いてる?」
「ううん冗談だよ、もちろん!」笑う三人。「ハハハ!」
食べ終えると、後片付けを手伝いながらケートは言った。
「……だけど、あの人はもうボクには近づけません。クリュード先生は権威だから。ボクは今、どこかから見張られているかも知れない」
バルバニア王国では、各都市や町で<主たる武器 メインウェポン>が定められており、ケートの出身都市の場合「弓」がそうなのである。
偉大なるクリュードはそこで後進の指導に当たっている先生の一人だ。
「ボクは2年前に戦う者として戦力外とされたのに、今さら指導を受け直してどうなるんだろう。ボクはダメな奴で……!」
ケートが感情的になりかけているのを感じ、麗影は言い聞かせた。
「たまたまケート君の祖国であるバルバニアでは「皆が戦う」とされているだけであって、他の国ではまた違うのではないかな」
その麗影の足元で小石が跳ねた。「白き影」が超感覚を研ぎ澄ます! 木立の陰から投げられた小石のようだ。若者二人へ「失礼」と言い、そちらへ歩み寄る麗影。やはり「男」が隠れている。
「麗影さん」木立の向こう側で「男」は話しかける。
「ケート君へ伝えてほしい。周囲からたとえどんなことを言われても、最後の最後は自分で決断して、自分の進む道を決めてくれと」
「承知しました」麗影が応じた途端、隠れていた気配は消えた。
そのやり取りは、離れた場所でネムチャと遊んでいるケートには覚られていないはず。二人の待つ川辺へ戻り麗影は報告する。
「人の気配を感じたので。どうということはなかったよ」
ケートが<隠れ里>に居た頃から見守って来た麗影。彼へ語りかけた。
「その内にクリュード先生がまた訪れて、今度はケート君を連れて行こうとするだろう。その時に自分がどうするのか決定するのは、最終的にケート君自身の判断であってほしいんだ。あなたにとって人生の大きな分岐点になるだろうから……自分で責任をもって」
諭されて己れの気持ちと真剣に向き合う若者。
「そうですね……自分がどうするのか、決めてみます」
* * *
「武人の国」バルバニアが国民に、戦える者であることを求める理由は主として、<ボリストバッファロー>と呼ばれる「巨獣」を撃退するためである。<大獣高地>の湿地帯に広く生息する黒い水牛で、体がとても大きい。背中までの高さは3mに達し、鼻先から尾までゆうに5mを超す。頭部に平たい板状のつながりを持つ白い角が生えている他、両肩から太くて反り返った角を持ち、戦闘力が高い。
元々は通常の水牛と変わらない大きさなのだが、自然界の地水火風を取り込んで巨大化する。「火」は自然界にほとんど存在しないので、人間の文明たる「火」を求めて南下し、都市や町を襲う魔獣の一種だ。
バルバニア人は古来より「巨獣」を撃退するため、強弓や大斧を開発し、肉体を鍛えて「国民皆で身を守り戦う」ことを伝統として来た。
その先頭に立ち、また指揮を執る者は尊敬されている。それゆえ弓術の権威たるクリュードは「偉大なる」と冠されているのである。
彼は三日後に再びケートを連れ戻しに来た。今度も三人の従者を伴って。
クリュード先生は、自分が手塩にかけて育てたケートを可愛がっていたようである。しかしその生徒は「出来」が悪い。
「テスト3回ともCランク判定だったのだな? ケート君がまだ小さい頃、私はそなたがもっと強い射手として活躍すると期待していた!」
その話を聞かされる度に、ケートは居たたまれない気分に成る。
「<戦闘能力>の<偏差値>は平均以下か。そなたの同級生たちは皆、立派に弓兵として活躍しているよ。ケート君も、これからそう成る。もう一度、私が徹底して指導するから安心したまえ」
「待って、クリュード先生。これからボクがどうするのか、どう生きるのか、自分で決めさせてください」
まさかそんなことを意見されるとは思っていなかった、偉大なるクリュード。眉根をひそめて手のかかる教え子を見すえた。
「選択の余地はない! 我々はバルバニア人なのだから!」
夕陽が沈み行く。オレンジに焼けた地平へ向けて五頭の馬が走っている。その内の一頭はクリュード先生、一頭はケートのものである。
ケートの出身都市へ向かう彼ら。若者は結局、もう一度戦いの人生へ引き戻される。先生は満足そうだ。一方、ケートの心は潰れそうである。
「急ごう。今から巨獣との戦いに参加できるかも知れない」と先生。
こうして若者は<バルバニア人という色>に染まるのだろう。
だが、彼らへ追いすがる一頭の黒馬があった。乗り手は拍車を掛ける。
「行くな、ケートーーーッ!」
馬を走らせつつ若者は振り向く。クリュードたちも背後を振り返った。
「傷だらけの男」だ。その汗にまみれた顔を太陽が照らす。「男」はもう一度、「そっちへ行くなーーーっ!」と叫んだ。彼の左手に<魔獣使いの鞭>が握られている。ケートへ渡そうとしているらしい。その両目は若者だけを見て、真剣な光を湛えていた。
「これを受け取ってくれーっ!」
ケートの馬が遅れ出した。クリュード先生の眉間が冷ややかに寄る。侮蔑の視線を一身に受ける「男」。しかし若者だけは彼の大胆な行動に、ダイヤモンドのような輝かしい「決意」を感じ取る。あの人は本気だ!
「自分の進む道を! 全て他人に委ねてはならないんだ!」
ケートを追って来た黒馬が徐々に遅れ始めた。引き離されて行く。けれども「自分で選ぶんだ、ケート君っ!」馬たちの疾走に声が混じる。
「男」の勇気と言葉で、若者はある「気付き」を得た。そうか!
自分の進路を他人に任せるのは、自分で選ばないことを選ぶこと。多くの場合にそれではいけないと若者の心が叫んでいる!
ケートは瞬時に考えを巡らせた。人生、結局は自分で選び続ける <自分の道>だ。その自分の道を完全に他人に選ばせるのは、やはり矛盾なんだ! 「男」からの、力の限りの声が届く。
「だからオレは! キミに会うために来たんだーーーっ!」
馬の速度を落とす若者。先生との距離が広がる。そちらへ向け叫んだ。
「クリュード先生! やっぱりボクは皆とは別の道を探してみます! ボクだけの道を、自分自身で選んで!」