第1話 キミと傷だらけの男との関係
こんにちは! 今回は「人の道」前後編の後編に当たります。
前回、前編では「世界の破滅とその回避」がテーマでした。
今回は「一人の若者がどうやって自分自身を成り立たせるのか」というテーマです。
しかし何よりもファンタジー小説として、エンターテインメントであることを前面に出しています。
楽しんで頂けたら嬉しい限りです!
上半身の筋肉が躍動する。バルバニアの北部は一年中暑く、男たちは皆、シャツを脱ぎ捨てていた。四十代と思しき、ある髪の短い男性が、並みの人間ではとても扱えない強弓を手に叫ぶ。
「弓を引けーっ! もっとだ! 弓兵を招集したまえ!」
<大獣荒地 たいじゅうこうち>から侵入する巨獣を防ぐため、バルバニアの北部国境上に建造されている長大な壁<長蛇防壁>には、戦闘力の高い弓の使い手たちが集まり次々と北方へ矢を放っている!
「クリュードさま! 偉大なるクリュードはここに!?」
先ほど叫んだ屈強な男性を使者が呼んでいる。クリュードと呼ばれた男性は大きく息を吸い止めて、今日、六十本目の矢をつがえたところだ。その視線の先には野生の巨獣の群れ! 防壁を超えようと迫り来る。周囲は混乱しており怒号が飛び交う。
「差し当たってここの指揮をあなたに! 偉大なるクリュードよ!」
年齢を重ねてなお鋼の肉体を維持している、バルバニアの弓術指南役は使者へ質問を返す。砂ぼこりが暴れる獣たちを覆い隠していた。
「群れのリーダーは居ないようだな! 誰も見ていないのだろう!?」
「見ていません! ビッグ・ボスは来ていないようです」
それを聞いてクリュードは、矢を射かけた手を止めた。
軍事国家ではないにせよ、バルバニア王国の人々は多くが戦闘に参加できるよう鍛えられ訓練されている。「武勇の国」なのである。
何のための? 国に仕える兵士も、一般の国民たちも、北部国境を南下して人間の領土を侵す巨獣と戦うためであった。
雨のように降り注ぐ矢に恐れをなしたのか、それとも群れのリーダーが居ないために統制が取れなかったからか……巨獣らは混乱し、引き返して行く。度重なるこうした戦いがバルバニア人を頑強にしていた。
「撃退したぞ!」 「去って行きます!」
今回の戦闘の指揮を執った「偉大なる」クリュードが、かつて手塩にかけて育てた射手を探して呼びかける。
「ケートはどこだ? 我が教え子はどこにいる」
「ここには居ないはずです。クリュードさま、彼は<戦力外>らしく」
「何いっ! 戦力外!? Cランクだというのか……!」
<防壁>から南へ15kmほど入ると峻厳な山岳地帯へ至る。その東西を深い谷が通っており、静かで人もあまり来ない。決して大きくない里が幾つか、ひっそりと点在しているだけだ。
「本当にあるのかな……隠れ里と呼ばれるタズンは?」
「さあな。この<知らぬ顔の谷>にも最近では<船幽霊 ふなゆうれい>が出るとか」
二人の男は旅の途中の行商人で、ちょっとした日用品や香辛料を扱っている。比較的平和な地域で見られる者たちである。
「くわばら、くわばら。<船幽霊>とは縁起でもない! 早く仕事を済ませて、この谷とはおさらばだ」
切り立っている、北と南の岩肌には申し訳程度の灌木が緑をなしているだけで、他に見るべきものは無さそうである。そこで彼らは北の岩山に隠れるように続く道を、見落とすところだった。
「どうやらこれらしいぜ。<隠れ里タズン>への入り口は」
「行くかい? しかしここは<知らぬ顔の谷>。他人には干渉しないのが古くからのルールだというが」
自分たち以外に誰も居ない。こんなへんぴなところに……そう思っていた行商人は、里へ続くらしい道の途中で思案している。彼らは突如、背後に感じた気配に驚いて振り返った。
……何だ、この男は!?
半袖のシャツとスラックスを身に付けてはいるが、露出している腕や首、そして男性的なその顔にも、生々しい無数のキズ跡。二人にはどうしてか、その「男」が全身にキズ跡を持っているように思えた。
「あんた、誰だね!? ヒイッ!」
全身傷だらけの男は二人の間を影法師のようにすり抜けて、里へ、タズンの里へと歩み去った。すれ違う圧倒的な存在感!
里のベンチで今日も横になっている若い男性は、同じくらいの歳の女子が近くへ来て寝返りを打った。髪に寝ぐせが付いている。
彼は二年前にここへ来て、毎日これといったことをせずに日々を送っていた。タズンの里の人々は皆、そうなのである。
「……ケート君だね? キミに伝えたいことが有って、オレは来た」
異様な雰囲気に、呼ばれた若者は跳び起きる。誰なんだ一体、この人は!? 若者はこうして「男」と出会う。
* * *
その男性は四十代に見えた。白の半そでシャツ、茶のスラックスに黒の靴を履いている。髪は黒くてやや長い。男っぽい、しかし厳しい顔立ち。
更に肌の露出している、あらゆる箇所に、大小の古いキズ跡が付いている。日焼けした顔にまで。こんな人、違和感しかないとケートは思った。
「何なんです、あなたは? ボクに何の用?」
ケートは言葉で「男」を拒絶した。でも相手はこんなことを言う。
「自分を、自分はこうだと言えるものを、見つけたくないか?」
「エッ!? いきなり何なんです! 何を言っているんだ」
「男」はおもむろに、地面へ革製の<鞭 むち>を一巻き置く。
「それを取りたまえ。これからキミに必要となる」
話が合わないとケートは思った。それに言うこともやることも怪しい。
「ちゃんと説明してください。ボクはあなたのことを知りません」
そこへ、白を基調とした衣装に身を包む、美しい若者が現れて言う。
「待ってください。私も話を聞こう、見知らぬお方よ……!」
さっきまでその場に居た女子は、どこかへ逃げてしまった。
「あっ! 行かないで!」とケート。ムッとした表情を「男」に向ける。
異様な「存在感」を発している男。次にこう言った。
「<魔獣使いの鞭>だ、それは。これからのキミに必要なものなんだ」
美しい若者はケートよりも幾分、年長のようである。
「あの鞭に付いている宝石……<竜の眼 ドラゴンズアイ>だろうか。だとしたら、鞭は<霊宿る工芸品 アーティファクト>……?」
「あんたは? 「白き影」……かな?」と「男」。
その美しい若者の衣装が、「白き影」と呼ばれる武装集団のものであることは、マキシアス大陸で広く知られている。雄大な高山地帯ハイランドを本拠としていて、アーマフィールドの世界で最も神聖な霊場である<刃の山脈>を、これを汚す者から守り、大陸では一定の信頼を得ている者たちだ。
「影」らは<刃の山脈>を修行場とすることで、常人をはるかに凌ぐ身体能力と超感覚を身に付けている。美しい「白き影」は飄々としていて、普通でない「男」の出現に、さほど驚いていないように見受けられた。相当な訓練と経験の賜物であろうか。
「麗影さんは、心を怪我している里の人たちに優しくしてくれる!」
「キミに対しても、そうなんだろう? 傷付いてこの里へ来たキミは、時間を掛けて傷を癒した。しかしそれも、もはや過去の話。もう十分だろう。だからオレは来たんだ。……そうでないなら出直そう」
「ボクは……」自分が既に癒されていることを知っているケート。
でもまだ甘えていたい気持ちがあった。「男」が口をきく。
「その鞭で魔獣を従わせられる。この世のほとんどの魔獣をだ」
「それがボクとどういう関係で……!」
フッ!と微笑み、鞭を取った「男」。「見ていたまえ」
全身傷だらけの男は手首のスナップを利かせて、軽く鞭を振るった。
ヒュオオオ! ヒョオオオーッ! 鞭の先端が縦横無尽に大気を切り裂く! 左手でバランスを取りながら、右手で鞭を扱う「男」は、まるで目に見えない恐るべき魔物を自分の意のままに従わせる如く、半径5mの空間を自分の制圧下に置いた。
「ほう、これは凄い」と「白き影」の麗影。
ケートはあまりの迫力に声も出ない。目を見開いている。
目にも止まらぬ早業で空気を切り刻むと、今度は鞭の先端がまるで指先のように柔らかく動き、近くの木立の枝から青々とした葉を一枚だけ引き千切る。
ヒュ! ヒョオオッ! 三人の真ん中の地面へそっと置いた。
「す、すげえ……! こんなの初めて見た!」
突然現れた男に嫌悪を感じる一方で、大きく心動かされたケートだった。
「キミは自分を知りたくないか?」鞭をまとめながら「男」は若者に質問して鞭を地面へ置く。その発言に、再び違和感を持つ若いケート。
「は? だからどういう意味で言っているんですか!?」
けれど今度は確実に、ケートの中で「男」への印象が変化している。
「今はオレのことなどわからなくていい。キミのことを話そう」
「ボクの!? あなたに、ボクの何がわかるって言うんです!」
警戒心をあらわにする若者。だけど……もしかしたら、この人……。
* * *
「ボクの話を!? 突然そんなことを言われても……あなたがボクのことを知っているとは思えません。関係ない! 初めて会ったのに」
目立ってはいけない<隠れ里>で、ケートたちは目立ちつつある。
「オレが知っているキミのことは三つだけ。バルバニアの弓術都市出身ということ。戦う者としてCランク、つまり<戦力外>とランク付けされているということ。そして一つ、この里へ逃げて来て、人知れず生きて行こうとしているということ」
気分が悪くなる若者。確かに自分は所属していた社会で「落ちこぼれ」とされている。他の若い皆が生き延びるコースから脱落した。祖国の基準では、あぶれ者……戦力外なのである。だからといって、それを面と向かって見知らぬ男から指摘されたくない。
「帰ってください。あなたとは何も話したくなんかない!」
聞いていないフリをして、里の人たちはケートの揉め事に聞き耳を立てている。雰囲気でわかるのだった。
「キミが自分のことを、良くわかっていないと言っても? そしてオレはキミのことを良くわかっていると言っても?」
「男」はケートの心の中を透かし見るかのように、首を細かく傾げて角度を変える。だが視線は若者に集中したままだ。
「あんたにボクの何がわかるんだ……! 自分のことは自分が一番良く知っています! 馬鹿にしないでくれ!」
「いや、キミに「自分」を語る資格はまだない」 「何だって!?」
いつもは何ごとも起きないタズンで言い争い。複数の「白い目」を感じた麗影が心配して申し出る。 「失礼だが、もうやめてくれ」
「自分を語ることができるのは<「自分」を語る資格ライセンス>を持つ者だけだ」抑えた声で、けれどきっぱりと「男」は言う。
何かが変わった。彼の言葉に、麗影は男の「本性」を感じたのだ。
「語る資格? この人は……他とは少し違う……!」
「ライセンス? どうしてそんなの必要なの!?」
「オレはそう思うんだ、ケート君。今のキミが自分を語っても「説得力」がないのさ」
「どうして? なぜです!」口を尖らせる若者。
「キミはまだ自分のことを十分に理解できていないからだよ」
混乱するケート、一方で「男」から何かを感じ取る麗影。
彼らの間で雰囲気が変わって行く。次第に二人の心は、傷だらけの男へ引き寄せられてしまう。そういう魅力を感じざるを得ないのだ。
しかし<隠れ里>では、これ以上はマズい。他人に深入りしないのがルールであるタズンで、里の人たちが騒ぎ始めていた。
「こっちへ来てくれ」と、「男」が里の外へ二人を誘う。
麗影も「それがいい。行こう、ケート君」と促す。
里から<知らぬ顔の谷>へ歩きながら、「男」はこんなことを言った。
「オレは悔しいんだ。キミが今、笑えていないのがさ!」
谷に涼風が吹いている。身長の高い「男」の後ろを、ケートと麗影は続いて歩く。若者は少々込み入った質問を受ける。
「今日、オレと会うまで何をしていた?」
「何も。どうせボクはダメな奴で、これということを出来ないんだ!」
「男」は足を止め振り返る。目を合わせずに考え込んでいたが、やがて真剣なまなざしを若者へ向けてこう述べた。
「オレと話をさせてくれ、ケート君。キミが今、どういう立場にあるのか、追々わかって来るはずだ」
なぜこの人はこんなにも熱心にケートを気遣うんだろう? 若いケートは不審がっているが、さすがに麗影は「もしや」と思い始めている。
荒涼とした砂地の谷には小川が流れている。里の水源とされていた。
太陽は真南を通り過ぎ、春の突風が砂を巻き上げる。砂つぶは谷を歩く者たちの顔を強かに打ち始めた。寒風は、ひゅうひゅうと鳴りつつ「男」やケートへ乾いた砂を叩き付け、不自然な動きで翻弄する!
「これは……<砂紡ぎ すなつむぎ>だ! 走れ!」
人を襲うのは魔物だけではない。超自然の力も時として牙をむく。<砂紡ぎ>はそれらのどちらとも知られていない、未知の現象である。
「こっちだケート君!」若者をリードする「男」の落ち着きに、麗影は信頼できる人格を感じ取り始めていた。「白き影」の直感が冴え渡り、彼が重要な何かを知っていると思い始めている……!
* * *
川の流れの中へ、たまらず逃げ込んだ三人。砂の怪異もそこまでは追って来なかった。多量の砂を吐き出して不快な口を川の水で洗う。
「砂を噛むような想い、これまでにもして来ただろう、ケート君……!」
不可解な風は去り、彼らは衣装を日に当てて乾かしながら口元を拭う。
「疲れているなら休めばいい。やる気が起きないならば、じっとしていればいい。同じように、オレの話を聞きたくなったら聞いてくれ」
更に「男」はこう言う。「キミの自由にしてくれればいいんだ」
その言葉が、閉ざされたケートの心に一筋の光を投げ入れた。
「キミが「落ちこぼれ」だなんて、おかしいと思わないか。なぜそんなことになっていると思う?」
ケートに注目する麗影。若者は自分が言葉にできる範囲で表現した。
「バルバニア王国では、北の<大獣高地>から侵入して来る巨獣と戦うんです……誰でも。ボクは弓術で戦闘力のテストを受けて、3回ともCランク、戦力外と言われました。それって落ちこぼれでしょう?」
谷を温かい風が吹き渡り、濡れた衣服の水分を飛ばしてくれている。
「人は皆ちがう。縫い物が得意な人も居れば、勉強で暗記するのが得意な人も居る。大工や小物細工のような職人仕事を得意とする人も、もちろん居るのに。その全員に弓術のテストを受けさせるのかい?」
これには麗影が応じた。
「でもそれがバルバニアなのでは? 世の中というのは、そういうものなのではないでしょうか」
「立派に生まれて来て、真っ当に暮らしているのに、どうして、どこが「落ちこぼれ」なんだよ? それが何を意味するのか知りたくないか」
傷だらけの男は初めて「白き影」の目を真っ直ぐに見つめた。目を逸らす麗影。なぜなら「男」の視線があまりにも誠実だったから。
「なあ、「白き影」の麗影さん。あなたは確かに優しい。しかし今のケート君に必要なのは、ものごとを本当はどう見るべきなのかという、現実との向き合い方を教えることではないかな?」
「男」は乾燥した黒い岩の板へ腰かけて語り始める。
「人は一人ひとり皆ちがうのに、それを何らかの特定の価値基準で全員一律に輪切りにし、こいつは使える奴、お前は使えない奴と<ランク付け>して、人に対して優劣を決め付けるのは、人が人として扱われるべきだとする<人間の尊厳>に著しく反し、これを踏みにじっているとオレは考えている。それに人というものは、生きているだけで価値があるものではないかな。何が出来るかではなく」
人が皆、人らしく生きられることを求める<人間の尊厳>という考え方は、最近になってマキシアス大陸で広まりつつあった。
「人は本来、一人ひとり異なることを前提として大切にされるはず。それが<人間の尊厳>だ。だから私たちの個性を尊重せずに、<偏差値>という画一的な価値観で全員に「人の優劣」を押し付けることは、私たち人が「人として扱われる」ことを台無しにしていると言えよう」
「ボクの戦う者としての<偏差値>は50以下でCランクだと言われています。とてもイヤだったし傷付いた。ボクの<人間の尊厳>は、ずっと侵害されていたということなんですね」
苦々しい想いが美しい「影」をうならせた。「それは、確かに」
彼自身の洞察力によるものか、全身に傷あとを背負った男は述べる。
「それだけでなく<偏差値>は、本来、比較出来ないはずの個人と個人とを比較させ、社会の<分断>を促進している。言い換えれば、運命共同体を破壊しているのだ。ここでは詳しく述べないが」
「男」の話、そして信頼している麗影の態度に衝撃を受けるケート。
「麗影さんまで……では、ボクはどうだったらいいんでしょう!?それを知りたい! もしも自分の個性を大切にされるなら……!」
「社会には規律が必要です」と麗影。「それが間違っているとしたら?」
「二人とも、少しはわかって来たかね、オレの言いたいことが。自分のことをキチンと知りたくないか、ケート君! 自分を知って、自分の力で「自己を確立」したくはないか?」
「それはつまり、自分はこうなんだという意識を持ち、しっかりした社会的な立場を手にするということですね」と麗影。
「お願いです、力を貸してください。ボクはボク自身を確立したい!」