5:椿の彫刻を持つフルート 2
5月下旬のある休日。
連休明けに結はフルートの修理を依頼し、それも終えてフルートは結のもとへ帰ってきた。
さあ、早速動画の撮影だ!
今回は一番好きな楽器であるフルートなので、演奏には苦労しないはずだ。
自分の中学時代からの相棒であるフルート、パールPF-525Eとも吹き比べしてみようか。
楽曲は……このような同じ種類の楽器の吹き比べの場合、ゆっくりで音の伸びや息遣いが表れるものが良い。
今回のこの、椿の彫刻があるフルートことBardinelliはイタリア出身らしいので、G.フォーレ作曲のシチリアーナを演奏して吹き心地や音色を比べよう。
イタリアの楽器ということで、当初は桜先生との思い出の楽曲であるCorridoio del Ventoも案にはあった。
しかしCorridoio del Ventoはかなりテンポが速く、今回のような吹き比べには速すぎて、違いがわかりにくいため適さない。
よし、始めるか。
まず、中学からの相棒でシチリアーナを演奏して、いつもの感覚を確認する。
次に、Bardinelliだ。
実際に吹いてみると、Bardinelliは相棒に負けないくらい吹きやすかった。
あの時スマートフォンで軽く調べただけでは詳細がよくわからなかった。
しかし修理依頼の際に楽器店で調べてもらったところBardinelliは、日本にはほとんど入ってこないため知名度が低く珍しいだけで、イタリアでは「学生から室内楽奏者まで安心して使えるフルート」であり、ヨーロッパでは広く支持されるメーカーらしい。
これはまたレアなお宝を手に入れたものだ、と結はまたも運命の巡りあわせに感謝していた。
撮影と録音を終えると結は2本のフルートをそれぞれケースに収め、今度はパソコンで動画の編集作業に移る。
今回の動画のサムネイル画像は、やっぱりこの綺麗な椿の彫刻だよね。
椿の彫刻が綺麗に見えるように結は写真を撮る。
写真をパソコンに移し、サムネイル用の画像にするため文字を入れるなどして加工する。
「今回のタイトルは……『イタリアから来たレアなフルート Bardinelli』と……。」
Bardinelliの椿の彫刻の写真をメインに、背景は写真素材サイトから持ってきたイタリアの小道の写真。
よし、今回は今までで一番おしゃれ!
演奏動画にも、今どちらを演奏しているか表示するテロップをつける。
せっかくなので最後はパールPF-525EとBardinelliの多重録音でCorridoio del Ventoを吹いてみた。
桜先生との二重奏が無くなっても、結はこの楽譜を大切に持っていた。
Corridoio del Ventoの楽譜は、あの時の自分や桜先生が書いた書き込みがそのまま残り、長い時が経って紙のふちが柔らかくなっていた。
かつて自分が吹いていた2ndパートをパールPF-525E、桜先生が吹いていた1stをBardinelliで吹いた。
あの頃より格段に技術は上がっているはずなのに、Corridoio del Ventoの1stは吹くのが大変であった。
本職である会社員の仕事が忙しく練習時間がなかなか取れなかったことも一因ではある。
しかし、この楽譜そのものが非常に難易度の高いものなのだ。
音源の編集作業をしながら結はかつての光景と音色を思い出す。
桜先生。
私も大人になりました。
今、貴女はどこで何をされていますか。
貴女に会えなくなってから、これで8年ですね。
Corridoio del Ventoの1st、何とか吹きました。
でも難しかったです。
こんな楽譜を、桜先生は軽やかに楽しそうに、音色はまるで歌っているみたいに、指はまるで踊っているみたいに、吹いていましたね。
そんな桜先生に、私は見とれてしまっていました。
桜先生。
貴女は……綺麗、でした。
どうして、あの時も、今も貴女のことを想うと、こんなに胸が高鳴るのでしょう。
ああ。
今、やっとその答えがわかりました。
桜先生。
私は、貴女が……好きなんですね。
中学生の私は、必死にそのことに気づかないよう目を背けて、考えないようにしていました。
貴女への、この感情は、ただの憧れだけなんかじゃない。
桜先生。
私は貴女に、恋をしていたみたいです。
いつの間にか結の手は作業を止めていた。
回想する結の頬には、涙が伝っていた。