3:結と桜 後編
※引き続き中学時代の結の一人称視点です。
桜先生と二重奏するようになってから、私のフルートの腕前はめきめきと上がり、みんなから褒められた。
もちろん、桜先生と二人だけで練習していることは秘密なので、一人で黙々と練習しているということにしていた。
そして3年生となった。
夏休み中、コンクールを終えて文化祭に向けての練習が始まった。
受験に力を入れる子はコンクールで引退していくが、私はもう少しだけフルートを吹いていたかったので、ちゃんと勉強するという約束を親としたうえで、文化祭での演奏を最後に引退を決めた。
文化祭の練習が始まると、私はとてつもない不安に襲われるようになった。
理由なんてわかりきっていた。
文化祭が終われば、桜先生との大切な時間も終わってしまう。
引き続き桜先生は私たちの英語の先生になったので、まったく会えなくなるなどということは無いのが救いではある。
でも、二人きりのこの時間が無くなってしまうなんて。
いやだ。いやだ。
もちろん、この前の春の年度替わりで異動していなくなった先生や新しく入ってきた先生もいる中で、桜先生が引き続き私たちの先生でいてくれることだけでも恵まれている。
そう言い聞かせないと、私は耐えられなかった。
そして、ついにその日はやってきてしまった。
桜先生と一緒に練習できる、最後の日。
……文化祭、その前日。
ただの強がりでしかないけれど。
いつものように、私は居残りの準備をして、みんながいなくなったら桜先生を呼びに行く。
「桜先生! フルート教えてください!」
「うふふ。最終日にも、時任さんは私と練習するのね。」
いつものように、建前上の名目である直近の本番……文化祭やロングトーンなど基礎練習を見てもらって、そして、桜先生との二重奏。
自主練習としても生徒が学校にいられる時間のリミットまで、もうそれほど時間がない。
見ない、考えないようにしていても、それが迫るたびに私はさみしくなっていく。
そして、やっぱり耐えられなかった。
「桜先生……今日で終わりなんて、嫌です。もっともっと、桜先生と吹きたい。」
こんなの言っても桜先生を困らせちゃうだけだってわかってる。
でも。
どうしようもなくて、言わずにはいられない。
あああ、涙まで出てきちゃった。
我慢しようと思ってたのに。
……え。
これは。
泣いている私の涙を、桜先生がハンカチで優しく拭ってくれる。
「……ごめんなさい。我慢、する、つもりでした。」
そんなどうしようもない私を、桜先生は優しくなだめてくれる。
「時任さんが、私との練習を楽しんでくれたのが嬉しいわ。私も、時任さんと一緒に吹けなくなるのがさみしい。Corridoio del Ventoは、私の思い出の曲なの。……私がちょうど貴女くらいの頃。妹もフルートを吹いていて、父がイタリアからこの楽譜を買ってきてくれて。それで、妹と二重奏していたの。……貴女、上手くなったわね。」
「そうだったんですか。妹さんと仲、いいんですね。」
私は、深い意味のない、ただありふれた反応をしただけのつもりだった。
しかし、桜先生の瞳には唐突に涙がにじんできた。
「え、え、え。」
どうしてこの流れで桜先生は泣いちゃうの!?
私、悪いことしちゃった!?
私が困惑しているうちに、桜先生は突然私を抱きしめてきた。
あ、え、あ。
もう何が何だかわからない。
「……取り乱してごめんなさいね。訳が分からなかったでしょう。」
桜先生は涙をハンカチで拭うと私を放した。
もう少し抱きしめていてもらいたい、という気持ちは少しだけありつつも、桜先生の神妙な顔を見ると、そんな気持ちは薄れていった。
「……いろいろあってね、妹とは離れ離れになってしまったの。最後に一緒にいられたのは、ちょうど妹が貴女くらいの頃。私は高校生になっていたわ。……正直に言うわね。私に甘えてくる貴女はあの頃の妹に重なって。……私も、貴女に救われていたの。……二人で吹けて、幸せだったわ。……ありがとう。」
「……そう、だったんですか。」
そうとしか言葉が出せない。
私に兄弟はいないけれど、家族と離れ離れになるなんて想像もつかない。
ただ、桜先生も私と吹くことが幸せだったということだけが、うれしい。
「そ、それなら……! もっと、私と一緒に……!」
駄目だよ。
そんな風にすがったって桜先生を困らせるだけなのに。
どうして、私は。
我慢できないの!
また私は泣いちゃう。
みっともない。
桜先生はまた私の涙を吹いてくれて、そっと抱きしめてくれる。
「ふふ……。時任さんって、こんなに甘えん坊だったのね。可愛いわ。でもね……。先生は一人の生徒だけを特別扱いはできないの。……だから、二人きりの練習はこれでおしまい。……私もさみしいの。……ねえ。二人だけの発表会をしない? 最高のCorridoio del Ventoを吹くの。……二人だけの思い出よ。」
「二人だけの発表会。」
「ええ。二人だけのために、二人だけで吹くの。……二人で吹くCorridoio del Ventoは、これでおしまい。……さみしいから、録音もしましょうか。」
「……はい。いい演奏、します。……いい思い出に、したいですから。」
桜先生もさみしくて仕方ないけれど、きっと先生だから、私とのこの関係に区切りをつけようとしてる。
……私も、区切りをつけなきゃ。
それが一番、桜先生のためになるから。
「後でこっそり、録音データはあげるわね。」
桜先生はスマートフォンを用意して録音をセットする。
私と桜先生はアイコンタクトを交わし、Corridoio del Ventoを奏でる。
軽やかに駆ける桜先生に私は寄り添う。
きらびやかに高音域で歌う桜先生を私は支える。
二人のためだけの二つのフルートの音色は優しいそよ風となって私たちと踊った。
演奏が終わると、私と桜先生はフルートを置いて拍手をしていた。
そして、スマートフォンでの録音を止めた。
ああ、終わってしまった。
でも。
なんだかすっきりとした気持ちだった。
さみしいことには変わらないけれど、二人だけの発表会をする前よりも、前向きになれた気がした。
そしていよいよ時間が来た。
「……時間ですね。」
「ええ。気を付けて、帰ってね。明日も、がんばりましょう。……ありがとう。時任さん。」
「桜先生、ありがとうございました!」
私は桜先生に挨拶をして、下校した。
そして。
中学校を卒業して高校へと進学した私は、そこでも吹奏楽とフルートに明け暮れた。
私のフルートの腕前は高校でも通用したようで、何とかそつなく部活と勉強を両立できた。
これは桜先生が私にくれた贈り物。
だけど、私が部活に明け暮れた理由は、本当はきっと。
桜先生に会えないさみしさを紛らわせるためだった。