9. 語学の天才
特別司書長に任命されてから一か月ほど経ち、俺は四六号遺構群から発掘され続ける文献の研究にすっかり忙殺されていた。
その大半が日本語で書かれた本だった。俺はその内容をスズリに伝え、彼女がこの時代の言葉で写本を作った。
中身は小説から雑誌、学術書、絵本など様々だ。内容の雑多からして、あの場所には書店か図書館があったのではないかと思う。
たまに知っている小説を見つけると、作業そっちのけで読みふけってしまうのだが、そうして俺が楽しそうに読んでいると、スズリが近づいて内容の説明を求めるのだ。そういう時には、休憩時間ということにして、二人でゆっくり話を楽しむこともある。
忙しくはあれど、充実した日々だった。
以前の仕事にはやりがいも充実感もなく、上司の癇癪に辟易しながら無意味な書類を作るばかりだった。それに比べれば、今の職場は天国に近かった。
ふと思う。これは夢みたいなもので、実は俺は既に死んでいるのではないかと。だって街は瓦礫の山になっていたし、明らかに文明は一度崩壊しているのだ。日本語よりも俺の方が長生きだなんてことはあるわけがない。
「シンジさん、この単語はどういう意味ですか?」
スズリの声でハッと目が覚めた。
「ごめん、なんだって」
「この単語です。初めて見る文字なので、意味を教えてください」
「あぁ、これは……」
最近ではスズリの日本語教師も務めるようになった。彼女は好奇心が強く、また物覚えも非常に良い。教え甲斐のある生徒だった。
それもそのはず、そもそもスズリはこの時代の考古学者で、考古学の分野で高名なドート教授の唯一の弟子なのだ。俺なんかとは頭の出来がまるで違う。
例えば単語。外国人にとって高い壁となる漢字の学習が、日本人の小学生より速かった。へんとつくりの組み合わせやその意味、読み方の規則を少し教えると、あとは勝手にどんどん進んでいってしまう。初めて見る漢字でも高い精度で意味や読みを当ててしまうのだ。たぶん、語学をやらせたらとんでもないことになる。語学ではないが、プログラミングを教えてみたいものだ。
漢字の書き取りを終えると、スズリはそのまま発掘された文献の解読(既にそれは解読ではなく翻訳になっていた)を始めた。もちろん対象は絵本のような平易なものだが、自分が中学生の頃に『これはペンです』という文章を英語で書けるようになるのに一か月はかかったことを思うと、彼女の語学の天才としか言いようがなかった。
「スズリ、シンジ、少し良いか」
会合に出かけていた教授が研究室に戻ってきた。脇には小さな箱が抱えられている。調査隊が戻ってくるのは明日の予定だったはずだ。
「どうしたんですか?」
スズリが手を止めた。
「それがじゃな、四六号遺構群のある遺構から不思議なものが発見されたのじゃ」
「あそこから出土するものはどれも不思議ですよ?」
「そういうことを言っとるんじゃない。見て見なさい」
そう言うと教授は抱えていたものを机の上に置いた。
それはボロボロの化粧箱だった。表面には何か文字が書かれているが、俺の知っている日本語ではなかった。文字以外にも何か印刷されていたようだが、古すぎてほとんど判別ができなかった。
スズリが箱を開けると中からは手のひらサイズの黒い直方体が出てきた。
「何でしょうこれ……わっ!?」
あちこち触っているうちにライトが点いた。しばらくすると直方体の一面が光り始め、その反対側っから円筒が伸びてきた。
「わぁ、きれい。先端にガラスが嵌ってますよ。よくできてますね」
「な、不思議じゃろう? 見たこともない機械でな、わしらで調べてみることにしようと思ってな」
「カメラですね」
「「え?」」
それはどう見てもカメラだった。