5. 人生で初めての、女の子の部屋
やたらファンシーな色合いの錠剤を遠慮した俺は、代わりにパサパサした保存食のようなものを食べながらスズリの話を聞いていた。俺も自分のことを話したが、どこか遠くからやってきた、くらいの理解に落ち着いたようだった。
俺たちが今いるのは『紙片の街』と呼ばれる研究都市の一つだとスズリは言った。その名の由来は近くで発見された巨大な書庫の遺構だそうで、スズリは考古学者として書庫で発見された膨大な量の文献を地道に調査しているらしい。高校生か大学生くらいに見えるが、立派なものだ。
彼女以外にもこの街には研究者が多く住んでいる。研究都市とはそうして人類の叡智を集積し、失われた古代文明の再興のために建設された街だ。他にも『石板の街』や『黒箱の街』など同様の場所が世界各地に点在していて、それらは統轄委員会という団体が運営しているという。世界政府のようなものだろうか。
あの日は新たに発見された大規模な遺構へ野外調査に出ていて、そこで偶然に俺を発見し、保護のため一時的に自宅に連れてきたということだった。
つまり、人生で初めての、女の子の部屋ということだ。
なんと愚かな要約だろう。これにはさすがに自分でも呆れてしまった。
とはいえ、部屋の様子は想像上のそれとは程遠く、女の子らしい要素と言えば大量に常備されている錠剤の色だけだ。これに関しては、可愛げのある見た目であることが裏目に出ている気がしてならない。
「古代人たちってすごいんですよ。私たちの想像もつかないような技術をたくさん持っていて、まるで魔法使いみたいなんです。ロマンですよね~」
同じ保存食を食べ終えたスズリは、水色の錠剤をいくつか飲んだ。
「それは何だ?」
「あ、気付きました?」
スズリは得意げな顔をした。
「これ、ただの安定剤じゃないんですよ。記憶力も集中力も上がって研究が捗るし、落ち着くだけじゃなくてハッピーにもなれるんです。最近発見されたものみたいであんまり出回ってないですけど、知り合いの錬金術師が売ってくれるんですよ。羨ましいですか?」
俺は何も言えなかった。
「そう言えばシンジさんは全然ピル飲まないですね。って、荷物置いてきちゃったからか。すみません」
「いや、持ってないんだ。それに、使ったこともない」
「えぇっ!?」
スズリの大きな声が頭の中まで響くようだった。
「そんなに驚くことかな」
「そりゃもう。やっぱりお兄さんってめちゃくちゃ強いんですね」
それにしても、と彼女は続けた。
「まさか生存者がいるなんて、びっくりですよ。あんなところで何してたんですか。あそこ汚染すごいんだから近づいたらダメですよ」
「汚染……? さあ、何も覚えてなくて」
どうして俺があんな廃墟で寝ていたのか、まだ確証はない。当面は記憶喪失ということにしておくと話がスムーズだろう。
「あんなところに迷い込むなんて、なかなか考えにくいですけどね。あそこは最近になって発見された未開の遺構群なんですよ?」
「そんなことを言われても」
「まあ、記憶がないなら仕方ないですね。そのうち思い出したら教えてください。それにしても……」
スズリは突然近づいてきて、俺の体をベタベタと触り始めた。
「おい……っ」
「興味深いですねぇ~~」
正確には、着ている服を。
「何ですかこの柔らかさと弾力を兼ね備えた生地は? 毛皮みたいにフワフワなのに水を弾くなんてどうなってるんですか? しかもすごく軽いじゃないですか! なにこれ~!!!」
スズリが俺の着ているスウェットを興奮気味に物色する間、彼女のまとう柔らかさと弾力を兼ね備えたものに俺も興奮していた。こんな訳のわからない状況であってさえ、変わらないものが自分の中にあることに安堵と呆れの両方を感じていた。本能とはこうして生物を救ってきたのかもしれない。逞しいものだ。
満足したのか、スズリは俺から離れ、そのまま目の前で着替え始めた。この部屋はワンルームのようだ。せめて浴室で着替えるとかはないのかと思いながら、錠剤と同じ色の下着が陶器のように白い脚を滑ってゆくのを眺めていた。
「これまで遺構で見つけた遺物の中で一番の大発見が人間なんて、教授が聞いたら何て言うかなぁ」
胸元でシャツのボタンを閉める指の動きをじっと見ていた。大きさを変え、形を変え、少しずつシャツの内側に収まっていく様子は、興味深い最密充填アルゴリズムの振るまいを見ているようだった。
すべてが収まるのを見届けると、彼女は更に焦げ茶色のコートを羽織った。いかにもアカデミックな感じの、古めかしいコートだった。
「よしっ」
と、スズリは姿見の前で準備を整え終えたようだった。
「それじゃ、行きましょうか」
机の上に散らばった書類をバッグに詰め込むと、スズリは長い髪を手早くまとめた。ポニーテール姿もやはり可愛かった。
コートには『大図書館』と書かれた腕章が付けられていた。