環境は変えられる。変えていく。
VTuber 兎耳セツナさま主催
「プロットぷくぷく企画」参加作品
死だ。
赤い死が降っていた。
それを仰向けに五体投地して防護服の上から受けている。
今、この防具服を脱げばすべてが終わる、そう思いながら一番外側のファスナーを握って離し、握っては離す。そうこうしている内に、
(馬鹿らし……)
俺はそう思ってゆっくりと体を起こし、禿げた地面を踏みしめてゆっくりとネオ生駒シティに歩を進めることになった。全高五キロメートル。全十層の台形のシティは一見すれば古代の灰色の城塞——歴史の写真でしか知らないし、こっちのがそれよりも遥かに巨大だが——だ。
核戦争からの数百年。環境は戻らず、むしろの悪性変異した。強酸性の赤い雨が降り、シティの外では雨の日は一時間と生きていられない。昔は脆弱なコンクリートやそれ以下の建材で町が作られたというのが今は信じられないほどだ。
「死ぬことじゃないわな……ドカ食いすっか」
と、ぼとぼと歩いて帰る。
先日、彼女に振られた。俺がシティの外でテラフォーミングに係る仕事をしているからだ。付き合った当初は「人類のためになる素敵な仕事だね」なんて言ってたくせに、外の危険や拘束時間の長い勤務体制、手当はついてるが見合わない給料を知っていく度に現実を思い知って「将来のこと考えると、ごめん。あなたに何かあったらと思うと……私、耐えられない」と来た。
「あー、クッソ! 結婚の夢見させんな!」
天向かって叫ぶ。防具服内に反響するだけなのを知りながら。
目を開けると、知らない天井だった。
起きると同時に、頭が割れるように痛む。思わず頭を抱え込み、古い防虫剤の香りのする羽毛布団に潜り込む。
痛みを堪えながら、なんでこんなことになっているか考える。
(うぐぐ、確か……)
シティに戻って洗浄を終えてから飲み屋街に直行し、腹がはち切れるほど食って、ベロベロに酔い潰れて、路地に転がって、めちゃくちゃに吐いて、女の子のいる所で飲み直し、また路地に蹲り、路肩をアルコール消毒した末になんとか自宅のあるネオ生駒シティ、三階層。集合住宅地が密集するエリアを歩いていた筈だ。
それが何で木目板調の天井を見上げ、疑似羽毛布団に寝かされているのか。
(なんつー、趣味に走った高級品だよ。うちの近くにそんな家あったか?)
混乱しつつ、布団から顔を上げると布団のそばにはお盆と水差し、逆さになったガラスのコップと小皿に乗った錠剤。
一瞬、戸惑ったが、
「やっべぇ……気持ち、わる」
急いで上体を起こして錠剤を口に放り込み、下品と分かりつつ水差しに直接口をつけて水を胃に流し込む。ゴクゴクと喉を鳴らし、限界が来てブハッと息を吐いて、ようやく一息つけた気がした。
水のおかげか、薬の効果か、頭痛がマシになった気がする。
「あっ仕事、って連休だったわ。ええと……、今何時だ?」
「11時だよ」
後ろから声がかかり、振り返ると仏頂面の老婆がお盆を持って立っていた。
「あ、えっと……ありがとう、ございます」
「ふん、うちの玄関前に倒れておいて死なれたら目覚め悪いからね。ほら、まだ寝てな」
そう言いながら、老婆はお盆を置いてそのまま水差しを手に取る。そして、あからさまに見下した目で、こっちを見下ろす。
「まったく直飲みなんて、テラフォーミングの奴らは野蛮だね」
「え、あぁ、すみません……。って俺の職……あ、荷物か」
「どこの誰とも知れない怪しい奴を泊めるほど、耄碌しちゃいないよ」
そうして、老婆は水差し片手に部屋を出て行った。
「なんなんだ、あの婆ちゃん……」
呆然とつぶやき、ふと視線を下すと老婆が新しく持ってきたお盆には中皿に乗せられたおにぎりとたくあんとソーセージがラップに包まれ、水筒とおわん。そして水差しがあった。
「……優しいん、だよな?」
腑に落ちないことがいくつかあって首を傾げつつ、また頭が痛くなった気がしたので俺は布団に潜り込むことにした。
それからさらに数時間後。再び起床した俺はシジミの味噌汁と飯を食い、ようやく布団から出ることができた。老婆を探して、家の中を歩くと老婆は居間で座椅子に腰掛けながら眼鏡をかけて紙の本を読んでいる。
俺は部屋に入って老婆の正面に正座し頭を下げる。
「ご面倒おかけしました。ありがとうございます」
老婆は少しして口を開く。
「……ふぅん、そんくらいの礼儀は弁えてたかい」
「いや、これでも一応立派な社会人ですので」
「女に振られてベロベロに酔っ払った男が立派な社会人かい? 社会ってのはずいぶん緩くなったもんだ」
「はぁあああああっ! 何で知ってんだ!」
「ふん、あんたが寝ながら愚痴ってたよ。ベラベラとね」
何故か懐かしむ様な目で語られる老婆の言葉に、思わず頭を抱える。
「テラフォーミング部の末端は危険で不安定だからね。将来が不安になっちまったんだろうさ。よくわかるよ。あんたも彼女に甘えて愚痴ったんだろうが、……必要以上にネガティブな面を見せちまったんだね」
「……まるで、見てきたように言うな」
「私は元環境局の事務次官補佐だからね。似たような話は散々聞いたさ」
事務次官補佐と聞いて、驚きつつ納得する。この家、高級なレトロ趣味だらけだ。羽毛布団をはじめとした20世紀調の内装に、今老婆の読んでいる紙の本。わざわざかけるタイプの眼鏡。
それに飯もうまかった。合成品ではなく、天然物だろう。庶民がたまの贅沢で食うような物をポンと出してきたのだ。
しかし同時に疑問も浮かぶ。
「ババアは何で通報しなかったんだ? 救急なり警察なり運搬屋でも呼べばよかったじゃねぇか」
「今、まさに通報したくなったよ」
「……おばあ様は」
「やめな、気持ち悪い。婆さんで構わないよ。……さっきも言った通り、私は事務次官補佐でね。現場作業員の待遇改善に取り組んでたんだよ。でも大したことはできなかった……。テラフォーミングはこの世界の根幹を担う職種なのにね。だから、哀れにも振られたあんたが不憫に思えちまっただけだよ」
しみじみと老婆は言った。それに対し、俺は少しだけ考えて、口を開く。
「婆さん」
「ん?」
「俺はさ、先輩方から『ありがたい話』をたくさん聞いたよ。今の俺らがどんだけ恵まれてるかってな。つまり昔と比べて、そんだけ変わったってことだよ。
婆さん自身が例えできなかったとしても、それを土台に後継が少しずつ前進して、ここまで来たんだぜ。
俺たちがしてんのはテラフォーミングだ。環境改善だ。環境ってのは劇的に変えてもいいことねぇんだ。よくなるように試行錯誤して少しずつ変えていって、次に託すのが仕事なんだよ。
だから婆さんが卑下する必要はねえよ」
百年以上前は、シティの中でも外出時は対策服と防護マスクは必須だったが、今では普通の服を着て何もしなくても自由に出歩けるになった。人類の環境は未だ厳しいが、ぐっと良くなってきている。
俺の言葉に老婆は目を見開き、ふっと笑った。
「二日酔いにしてはよく回る口だね」
「悪いかよ」
「いいや、気に入った」
それから俺と老婆は色んな話をした。仕事について真面目な話をしたり、魚が安くてうまい店の話だったり、いろんな話をした。ただ途中で隣のネオ奈良シティの法隆寺でプロポーズされた話をドヤ顔でされた時は正直、ムカついた。
そして、夕飯の時間が近づいてきたので俺は老婆の家を後にすることにして、帰り際に柿を投げてよこされた。庭に生えた天然物だそうだ。
それから、俺はちょくちょくこの老婆に家を訪ねて世間話に興ずるようになっていった。
が、それも長くは続かなかった。
ネオ生駒シティ、五階層にある総合病院。ベッドの上で老婆は横たわっていた。
初めて会った時とは、まるで違う弱弱しい姿だ。親族でない俺は詳しい病状は知らない。しかし、重い病気なのは分かった。
「婆さん、親族は?」
「息子夫婦は世田谷で、孫娘が新宿で一人暮らししてるらしいね。他の親族は九州辺りでね……」
「バラバラだな。高速便でもなかなか来れねぇ距離じゃねぇか?」
「そういう家系でね。あぁ、爺は奈良だったね」
「爺? 婆さんの祖父まだ生きてんのか?」
「いいや、離婚した元伴侶だよ」
「……」
「爺はテラフォーミング部の現場責任者でね。十五年前、爺の現場の事故で数名死んでね……。私に責任が及ばないように、離婚届け置いて出て行っちまったんだよ。余計なお世話だよ、まったく。誰がそんなこと気にするんだい……。後で探し出しはしたんだけど、こっちも合わす顔がなくてね。……あぁ、会いに行っときゃよかった」
寂しそうに、しみじみと婆さんは言った。それを聞いて俺は、
「よし、分かった。俺が連れてくる。婆さんには世話になってるからな」
そう言って老婆の目をじっと見つめる。老婆の瞳は困惑と戸惑いの色が浮かんでいた。しばらくして、そっと息を吐く。
「…………頼めるかい」
老婆の了承を得て、俺は情報を聞き出して病院を後にする。それから明日の有休を申請し、第四階層の港から奈良への定期便に飛び乗った。中型のバスフライヤーに揺られ、窓の外の草木の生えてない殺風景な荒野を眺める。
正直、自分でも何でこんな能動的に動いているのかわからない。しかし、こうしなければいけない気がした。
ネオ奈良シティにたどり着き港を出ると、さっそく鹿に出迎えられる。近くに住む身としてはそこでは珍しくもない光景だ。俺はさっさと老婆の情報を基に老人を探す。いくつかの空振りにあったものの、とある居酒屋にて見つけることができた。老婆の情報だと二人の思い出の居酒屋で、調べた当時でも行きつけだったらしい。
真っ先に来なかったのは、ここに来るまでにも候補がいくつかあったからだ。
暖簾をくぐり、人工の夕日が差す店内を見まわし、カウンターの向こうの店主に「○○さんって知ってますか?」と聞けば、店主は「そこにいるよ」と顎をしゃくる。
見れば一人の老人が窓際のテーブルでグラスを傾けていた。
俺はそっちに歩み寄り、対面の席に座ると文句を言われるより先に声をかける。
「婆さんがあんたに会いたがってる」
端的に言うと、老人はジロリと俺を見上げる。
「なんだテメェ、藪から棒に。婆さん? 誰のことだ、そりゃあ」
「あんたが一方的に離婚突き付けた奥さんのことだよ。俺は婆さんに頼まれてあんたを呼びに来たんだよ」
「…………はっ、あいつがお前みたいのにそんなこと頼むかよ」
「確かに、普段の婆さんならありえないな。けど、今は病気で入院してんだよ」
老人が固まって口を閉じる。
「俺はテラフォーミング部でね。女に振られてベロベロに酔っぱらった所を助けられて、そっから何故か婆さんに気に入られてね……。あんた以外の親族は遠方だってんで恩返しも込めて呼びに来た。来てくるよな?」
婆さんとの出会いのエピソードを話した辺りで何故かぽかんと口を開けた爺さんは、しかし最後まで聞くと、難しい顔をしてグラスの中の酒を飲み干した。
「いや、行かん。今更どんな顔して会えってんだ。……俺はよ、あいつの夢の道を邪魔しちまったんだ」
「事故の話は聞いたよ。だからって逃げるように離婚することはなかっただろ?」
「……それだけじゃねーよ。
他にもいろんなことだ。あいつが現場の環境改善に力を入れていたのは俺のためだ。そこにこだわってなければ、あいつはもっと上に行けた。局長クラスも視野に入ってたろうよ。……あいつが現場ばかり見ていたせいだ。
俺と一緒にならず、もっと一歩引いて見てられたら……、そうすりゃあいつは上に行って現場の人間だけでなく多くの奴を助けられた」
悔やむような顔で窓の外を見つめる。しばしその横顔を眺めた俺は爺のグラスをひったくり、テーブルの上の麦焼酎を注いで一気に煽る。
爺はビックリ眼でこっちを見たが、構わず俺は言う。
「腹割って話そうぜ、爺さん。婆がそこらへんどう思ってるのかは知らねぇよ。でも婆さんはあんたに会いたがってる。そんで俺は連れてくると約束したんだ。合わす顔がない? 知るかよ。俺は婆さんの気持ちを優先させてもらう。いつまでも、つまんない意地張ってんなら担いででも連れてくぞ。現役のテラフォーミング部舐めんなよ」
「……しかし、俺は……」
「そこで迷うってことは、婆さんが嫌いじゃねぇんだろ? それに二人の思い出の居酒屋で飲みふけりやがって……未練たらたらじゃねぇか」
なんとか言葉を返そうとする爺を遮って、一刀両断する。爺は顔をうつ向かせ、少しすると椅子に体を預けて天井を見上げた。
「ちっ、人の酒盗って説教しやがって」
「あ、悪かった。ついノリで……ここの勘定は俺が持つよ」
「そういう話じゃねーだろ……たっく最近の若ぇのは。俺が辞めてから随分ゆるくなったんだな」
「前よりは職場環境がずっといいらしいからな。明日の有休だってすんなり通ったし……たぶん婆さんとその後継のおかげだな」
俺がそう言うと、爺は大きく息を吐く。
そして俺の顔を見る。妙にすっきりとしたようなそんな顔だった。
「……わかった。行くよ。しかしまぁ、今日はもう面会するには遅いから、明日だ。今日は付き合え」
そう言って爺は店主に俺の分のグラス頼んだ。
翌日。爺と一緒に病院まで来た俺だが、病室の近くで爺が立ち止まった。
「どした? 今更怖気ついたのか?」
見舞い用だろう紙袋二つ下げた爺は首を横に振り、
「いや、そうじゃねぇ。いきなり会うのもなんだしよ……お前、先に入ってよんでくれねーか?」
そう言った。昨日会ったばかりの仲だが、ここで逃げるような根性なしではないことは分かっている。
俺は無言で近づき、病室を開ける。そこには昨日と同じように、ベッドに横たわる婆さんの姿があった。婆さんはちらりと俺を見て、
「連れてきたぞ……おい、爺さん」
端的に告げて、爺さんに呼びかける。
少しして入ってきたのは——鹿面の爺だった。
「そこは馬じゃねぇのかよ!」
と俺は鹿の被り物を被った爺に叫ぶ。
「うるさい! 奈良には鹿しかないんじゃ!」
爺は叫び返し、
「というか、何でお前がそのネタ知っとるんじゃ!」
「お前ら元夫婦のレトロ趣味に当てられたんだ! ボケ!」
そんな言い合いをしていると、近くにいた看護師が飛んできて俺と爺(鹿面)は「静かに!」と怒られたが、看護師は何度も頭を上げる被り物を外さない爺がツボにハマったのか必死に笑いをこらえている様子だった。
老婆はそんな三人を見て、元気な声を上げて笑っている。
「はー、笑った笑った。相変わらず馬鹿だね、あんたらは……」
看護師が去った後、老婆は言った。
「いや、俺もかよ。つーか、言われた通り連れてきたのに礼の一つもなしか婆さん」
「それは恩に着るよ。ありがとさん。しかし、それはそれとしてあんたが馬鹿なのは変わらないよ。女に捨てられて酔い潰れるなんて、そこの鹿めっ面そっくりなんだからね」
「…………は?」
思わぬ言葉に呆けた声を出す。
「そういや、婆さんも爺さんも妙な反応してたな……」
「だから私はあんたを通報もせず助けてやったのさ。私らに感謝しな」
「いや微妙に釈然としねぇ……つーか、爺さん。いつまでそれ被ってんだ? 合わす顔がねえってそういう意味じゃねぇだろ?」
俺は隣の爺(鹿面)に声をかける。しかし爺はやはり被り物を被ったまま老婆に歩み寄り、ふと鹿の横っ面をこっちに向けて、
「……ありがとうよ」
と礼を言った。婆さんもすべてわかってる様に軽く笑いながら、こっちに向かってシッシと手を振る。
(ああ、こっからは二人の時間ってわけね……)
と思い、肩をすくめて病室を後にする。扉を閉める際、爺が被り物を外そうとしているのが見えた。
病院を出て、家に向かって歩く。歩道には街路樹のイチョウが並び、はらはらと葉が落ちている。シティの中は基本密閉されていて、内部は完全にビオトープ状態で生物にちょうどいい環境が保たれていて、季節だって巡る。
これもまた歴代の、各地のテラフォーミング部や環境局が開発し、発展させ、残してきた偉業の形だ。
壊され切った環境もいつか治る。治るように直すのが、俺の仕事だ。
人の縁と同じように。
「さーて、ダメ元で復縁でもお願いしてみるか」
その時、都市空調の風が落ち葉を巻き上げる木枯らしとなって目の前の落ち葉をどかし、道ができる。
ただの偶然だが、なんとなくいいことが起きるような、そんな気がした。