7・なぜ、生きている!?(ダミアン視点)
母カミラの助けを借り、正式な討伐軍を率い村に出撃したダミアンが見たのは、予想とはまるで違う光景だった。
「な……、何だこれは……」
飛竜は倒しても他の魔獣どもは放置してきたから、村を暴れまわり、村人どもの骸をむさぼり喰っていると思っていた。
だが村の広場には魔獣どもの骸がうずたかく積まれ、生きて動いている魔獣はどんなに目をこらしても見つからなかった。さらにダミアンを驚かせたのは、アンネリーゼが生きて姿を現したことだ。
「まあ、ダミアン様ではありませんか」
「ア、ア、アンネリーゼ……!?」
ざわ、と引き連れてきた兵士たちがざわめく。
「アンネリーゼ様だって?」
「アンネリーゼ様は一人で村に向かわれて、魔獣の襲撃に巻き込まれたのではなかったのか?」
「付き合わされた騎士たちは全滅しただろうと思っていたのに、どうしてあの方だけ生きてるんだ?」
彼らには前もってカミラが考えてくれた嘘の事情を伝えてある。ダミアンが悪者にされないためには、アンネリーゼは死んでいなければならない。か弱い貴族令嬢でしかないアンネリーゼだ。当然喰い殺されているものだと……その無惨な骸の前で嘆き悲しみ、悲劇の主人公になるはずだったのに。
(なぜ、生きている!?)
「どうなさったのですか、ダミアン様。ふふ、まるで死人にでも会われたかのようですわ」
青ざめるダミアンに微笑みかけるアンネリーゼは、最後に見た彼女とは別人のようだ。これがあの時、地べたにみっともなく倒れてダミアンの慈悲を乞うていた少女だろうか。
着ていたワンピースは汚れ、あちこち破けてはいるが、目立った外傷はなさそうだ。戦ったことのない彼女が、あの魔獣の群れに囲まれどうやって生き延びたのか。まさかあの魔獣の骸の山はアンネリーゼの仕業だとでも?
(……違う……)
この少女は別人だ。あの愚鈍で無才のアンネリーゼが、ダミアンさえ逃げ出した魔獣の群れを一掃できるわけがない。
きっとアンネリーゼの骸を喰った魔獣が化けているのだ。そうに違いない。
ならば、彼女の仇を討たなければ。
「姫様、そちらの方々は?」
どこまでも自分に都合のいい理論を構築したダミアンが腰の剣に手をかけた時、村の奥から長身の青年が現れた。再び兵士たちがざわめく。
このあたりでは珍しい黒髪に神秘的な紫色の瞳の青年は、震えが走るほどの美形だったのだ。簡素なローブ姿でも着飾った貴婦人より華やかで、こちらをいぶかしげに見るまなざしすらなまめかしい。
「こちらはダミアン様。私の婚約者ですわ。……いえ、『だった』と言うべきでしょうか」
「ダミアン……これが……」
青年が紫色の双眸をすうっと細める。それだけでダミアンの背筋に悪寒が走った。
この青年はダミアンを憎んでいる。なぜだ。なぜ初めて会う人間に憎まれなければならないのだ。
「ア、アンネリーゼ。そいつは、誰だ」
がちがちと歯が鳴りそうになるのをこらえ、ダミアンは問いかける。
「このお方はエチゼン様。旅の魔法使い様でいらっしゃいます」
「エチゼン? 妙な名だな」
「遠い東の国のご出身で、修行のため大陸をめぐっていらっしゃるそうですから。……ダミアン様が私を囮にして逃げた後、偶然にもこの村を通りがかり、そのお力で私を救ってくださったのですわ」
「囮だと!?」
聞こえよがしな声に、兵士たちがどよめく。自分に向けられる目に猜疑が混じりだしたのを感じ、ダミアンは慌てて言いつのった。
「嘘を言うな! お前がどうしても村に行きたいと駄々をこねて、騎士たちを無理やり付き合わせたのだろうが!」
「まあ、私がそのようなことを? 婚約者といえど、私はまだロスティオーフ侯爵家の人間ではございません。メイドすら私のお願いを聞いてくれないのに、どうして騎士に命令などできるのですか?」
きょとんとした顔でアンネリーゼが答えると、ダミアンに非難の視線が突き刺さった。アンネリーゼの言葉には何の証拠もないのだが、あんなに幼い少女がこのような嘘をついても何の意味もないし、何よりアンネリーゼははかなげな美少女だ。兵士たちが庇護欲をそそられるのは無理もない……のだが。
(なぜお前が殺しそうな目で見るんだよ!?)
殺意を増した紫色の瞳に射殺されてしまいそうだが、ここで言い負かされたらおしまいだ。未来の英雄がこんなところで終わってたまるか。ダミアンは己を奮い立たせる。
「騎士はか弱い女を守る者だ。命令されずとも、幼い少令嬢が一人で外出するのを見かねて同行したのだろう」
「……ではダミアン様は騎士ではありませんわね。ご自分の腕試しのために騎士と婚約者まで連れ出したのに、有角小人や豚面獣、巨鉄鼠の群れに怖じ気づき、自分だけ逃げ出されたのですもの」
「馬鹿な! この俺がそんな低級どもに怖じ気づいたりするものか。あれは飛竜が交じっていたから、……で……」
愕然とするダミアンから兵士たちがいっせいに距離を取る。彼らの顔が嫌悪と侮蔑にゆがんでいるのを見て、ダミアンは悟った。己が致命的な過ちを犯してしまったことに。
「村におもむいたのはダミアン様だったのか……!」
「しかも腕試しのために? 騎士とアンネリーゼ様だけを連れて?」
「ではやはりアンネリーゼ様のお言葉は真実……」
「あんなに幼い少女を、それも自分の婚約者を囮にして逃げるとは……」
アンネリーゼの唇がわずかにつり上がっている。
(っ……、この女! 最初から俺を嵌めるつもりで!?)
ダミアンの頭にかっと血がのぼった。ただでさえ乏しい理性は消え失せ、ほとばしる激情を止めるものはない。
殺さなければ。
この女を……これ以上追いつめられる前に……!
「動くな」
耳元でつやめかしい警告が聞こえた瞬間、抜き放とうとしていた剣が地面に落ちた。いや、叩き落とされた。一瞬で接近していたエチゼンによって。
(なっ……、いつの間に!? この俺が気づかないなんて……)
ダミアンは侯爵子息であり、『魔法騎士』の祝福持ちである己を誇りに思っている。さらに叔父マリウスは『大魔法使い』の祝福持ち。ただの魔法使いごとき、雑魚だと思っていた。
村を襲ったのは飛竜を除けば低級ばかり。駆け出しの冒険者でも対処できるではないか。……その低級魔獣を倒しきれず、逃げ出したのはどこの誰かと、アンネリーゼが聞いていたならあきれただろう。
「婚約者のご令嬢を囮にして逃げ、全ての責任をご令嬢に押しつけようとして、ご令嬢が生きていれば殺そうとする、か。……クズが」
「な、な、なんだとぉっ!?」
許せなかった。どこの馬の骨とも知れぬただの魔法使いが、高貴な侯爵子息たるダミアンを侮辱するなんて。
罰してやらなければならない。
高まる怒気のまま、ダミアンは魔力を練る。さっき飛竜との戦いで使い果たした魔力は、カミラが手配してくれた上級ポーションのおかげで回復した。
(雑魚魔法使いごとき、一瞬で消し炭にしてやる!)
得意の攻撃魔法『火球』を放つ。
火だるまになって悶絶するエチゼンを想像し、にやりとしたダミアンは、すぐさま青ざめた。おおっ、と兵士たちも歓声を上げる。
「なん……だと……」
ダミアンの頭の数倍はある火球は、エチゼンがてのひらを面倒くさそうにひるがえしただけで霧散した。実力差のありすぎる相手へ攻撃を仕掛けた時、発生する現象だ。仕掛けられた側の魔法防御力が仕掛けた側の魔法攻撃力を大幅に上回っているので、魔法の効果が打ち消されてしまうのである。
知識として理解はしていても、納得できない。
だってそれでは……このただ美しいだけの野良魔法使いが、ダミアンを凌駕する強者だということになってしまうではないか……!
「え、ええい、こうなったら……!」
凝縮した冷気をぶつける『氷矢』。複数のかまいたちで敵を切り刻む『風刃』。硬質化した土塊を浴びせる『土弾』。
習い覚えた攻撃魔法をダミアンは矢継ぎ早に放つ。
……ダミアンの名誉のために付け加えるなら、彼は決して弱者でも凡才でもない。十三歳にしてこれだけの攻撃魔法を実戦水準で使えるのは、じゅうぶん優秀なのである。実際、騎士数人の犠牲を出したとしても、飛竜を倒したのだ。
だがダミアンは愚かで傲慢で……何より不運だった。
戦乙女に導かれたしもべに、こんなところで遭遇してしまったのだから。しもべはダミアンに恨み骨髄だったのだから。無力で愚鈍だと信じていた婚約者の中には、ダミアンなど比べ物にならない修羅場をくぐり抜けた武者が息づいていたのだから。
「……はあ」
くだらない、と言いたげに嘆息し、エチゼンはてのひらをかざした。
するとダミアンの放った魔法は三つともその場で停止し――エチゼンがてのひらを返したとたん、くるりと向きを変える。
「返す」
「え、……わっ、うわあぁぁぁっ!」
氷矢は氷槍に。風刃は竜巻に。土弾は土砲に。
威力も難易度も段違いに上昇した魔法がダミアンに返される。
「ひぃぃっ! ひいっ!」
必死に逃げまどいながら、ダミアンは認めざるを得なかった。エチゼンはダミアンを上回る魔法使いだと。魔法を無効化するばかりか増幅して返すなど、王宮魔法使いでも可能かどうか。
(じゃ、じゃああいつはどこかの貴族ってことか? 何で貴族が修行の旅なんかしてるんだよ……っ)
力ある者はみな貴族。
その思い込みから抜け出せないのも、ダミアンの大きな欠点の一つだ。
「はあ、はあ、はあ……」
どうにか返された魔法全てをよけきり、ダミアンはがくがくと笑う膝で必死に踏ん張る。兵士たちはそんなダミアンを遠巻きにしたまま助けようともしない。彼らにとってダミアンはか弱い婚約者を見捨てて逃げた、最低の男なのだ。
(まずい、このままでは……)
もはやアンネリーゼ一人を殺せば済む問題ではない。ダミアンの失言はあまたの兵士たちが聞いてしまった。全員に口止めするのは不可能だ。
仮に口止めできたところで、エチゼンは絶対にアンネリーゼを殺させないだろう。下手をすればダミアンの方が殺されてしまう。
こうなったら――。
ダミアンは賭けに出た。
「……すまなかった、アンネリーゼ」
「はっ?」
突然頭を下げたダミアンに、アンネリーゼはきょとんとした。よりあどけなく見える顔は将来の美貌の片鱗を覗かせている。ダミアンと並んで見劣りしない美女になるなら、『死神』の後ろ楯がなくてもそばに置いてやってもいい。
「これからはちゃんと構ってやる。だから機嫌を直せ」
「……何をおっしゃっているのですか?」
「俺が構ってやらなかったから、拗ねてこんな真似をしたんだろう? 旅の魔法使いとやらまで巻き込んで」
「……」
エチゼンが殺気を漂わせ、兵士たちもあきれた顔を隠さない。あんな失言をしたくせに、今さらアンネリーゼに責任を押しつけられるものかとさげすんでいるのだろう。
腹は立つが、やつらはアンネリーゼがどんな少女なのか知らない。父親に見捨てられた少女はいつでも誰かに愛されることを望み、びくびくとダミアンの機嫌を窺ってきた。
ダミアンが愛してやると約束すれば、馬鹿なアンネリーゼは喜んで従うはずなのだ。伯爵令嬢のアンネリーゼが自分のわがままで騎士たちを犠牲にしたと主張し続ければ、それが真実になる。
「ランドグリーズ卿だって、俺からお願いすればたまには侯爵家においでくださるだろう。……な? アンネリーゼ。いい子だから」
お前さえ聞き分ければこれからは薔薇色の生活が待っているのだと、言外にささやく。
父の名が出た瞬間、アンネリーゼの碧眼は大きく見開かれ、そして切なそうに細められた。よし、とダミアンは内心快哉を上げる。
自分は賭けに勝った。アンネリーゼさえ従えば、もう何も怖くない。しばらくは優しくしておいてやるが、ほとぼりが冷めたら適当に……。
「――ダミアン様」
にっこり笑うアンネリーゼに、ダミアンの目は惹き付けられた。いつもおどおどしていた少女のこんな軽やかな笑顔、初めて見る。
(よしよし、そんなに嬉しかったのか)
アンネリーゼは笑ったまま、すっと近づいてくる。抱擁でもして欲しいのだろうと思い、でれでれしながらダミアンは腕を広げ。
「うつけめ。地獄に落ちよ」
氷よりも冷たい殺意を耳に吹き込まれた瞬間、全身の力が抜け、がくんとくずおれた。みっともなく尻餅をついた股間から、生温かい液体がちょろちょろと漏れ出る。
「あ、ああ、あ……」
「まあ、いやですわ。ダミアン様ったら」
ぱっと離れたアンネリーゼがエチゼンに駆け寄る。エチゼンはアンネリーゼを背中でかばい、冷ややかにダミアンを見下ろした。いや、みくだした。
「私、人前で粗相をなさるようなお子様相手に拗ねたりいたしませんわ」
「……確かに!」
兵士たちがどっと笑う。
独特の臭気と羞恥と屈辱にまみれながら、ダミアンはがっくりとうなだれた。