3・飛来する脅威と新たな出会い
まるで雑草でも刈り取るかのように、典膳は魔獣の命を刈り取っていった。
おそらくダミアンが体力・魔力共に万全の状態で挑んだとしても、一撃も入れられずに斬り捨てられてしまうだろう。典膳の剣術は見映えなどいっさい気にせず、命を刈り取ることに特化していた。
ためらいも罪悪感もない。殺される前に殺す。ただそれだけだ。
低級魔獣など相手にもならない。だが典膳はアンネリーゼを取り囲んでいた群れの一角を切り開くと、迷わずそこから抜け出した。理由は聞かなくてもわかる。
「はあ……、はぁっ……」
慣れない強化に、アンネリーゼのひ弱な身体は早くも悲鳴を上げ始めていた。心臓がかつてない速さで脈打ち、胸を内側からどくどくと叩いている。
情けなさに涙が出た。典膳はアンネリーゼのために戦っているのに、他ならぬアンネリーゼが典膳の足を引っ張っているのだ。もしも典膳に身体を貸したのが父ジークヴァルトなら、いまごろ群れは全滅しているだろうに。
「ご……、めんなさい、テンゼン……」
(なぜ詫びる? 幼いおなごがいきなり戦場に放り込まれ、泣きわめかないだけでもたいしたものよ。兵役に駆り出されたばかりの新兵など、上から下から垂れ流しながら槍を振り回すのが常だからな)
上から下から何を垂れ流すのだろうと思ったが、典膳の口調には何の含みもない。お嬢様は病弱であられるのですからと、アンネリーゼをうわべでは気遣いながら、内心小馬鹿にしている侯爵邸の使用人たちとは違う。
だからこそアンネリーゼは、己の弱さが悔しかった。弱さとは舐められること、舐められるのは弱いからだと初めて知った。
強くなりたい。誰にも舐められないくらいに。
生まれて初めてアンネリーゼは願った。
とくん。
胸の奥で、心臓ではない何かが脈打つ。無意識に左胸をさすろうとした時だった。空気が不穏に震動したのは。
(まずい!)
典膳がアンネリーゼの身体を動かし、近くの廃屋の陰に退避させた。その直後、空が紅く染まる。
ドウンッ……!
「……ひ……っ!」
太陽が落ちてきたみたいだった。
とっさに両腕で頭をかばいながら空を見上げ、アンネリーゼはめまいに襲われる。
大きな翼を広げた飛竜が滑空していた。そのはるか下……ついさっきまでアンネリーゼがいたあたりの地面は、すり鉢状に大きく抉れ、しゅうしゅうと白煙を上げている。
考えるまでもない。あの飛竜が炎のブレスを吐いたのだ。もしも典膳が逃がしてくれなかったら、アンネリーゼは消し炭になっていただろう。
(……ずいぶん気が立っておるようだ。あれはおそらく、この村を襲った飛竜の親だろう)
典膳が冷静に分析する。見れば、親飛竜の眼はらんらんと赤く輝いていた。
アンネリーゼは青ざめる。あの親飛竜は我が子を探しに来たに違いない。まだブレスも吐けず、魔法も使えない我が子を。
だが子飛竜はダミアンたちが倒してしまった。巨大な亡骸は放置してきたから、人間の数百倍を誇るという飛竜の視力なら上空から見つけられただろう。
こちらも多大な犠牲を払ったことも、主導者のダミアンがとうに逃げ去ってしまったことも、怒れる親飛竜には関係ない。
我が子を喪った親飛竜が考えることはただひとつ。のこのこと現れた人間を……我が子の仇を殺す。それだけだ。
「ギシャアアアアアアアッ!」
(いかん!)
アンネリーゼの身体が勢いよく横に飛び、ごろごろと転がった。隠れていた廃屋が炎のブレスの直撃を喰らい、粉々に吹き飛ぶ。
「うぅっ……」
地面にぶつけ、すりむいた肌がじわじわと痛むが、たいしたことではなかった。唯一の武器である剣を落としてしまったことに比べたら。
「テンゼン、剣が!」
(構うな! どのみちあやつに剣は通用せん!)
後ろを振り返らず、アンネリーゼの身体は走り出した。こちらも魔力で強化されているから嘘みたいに速い。けれど、アンネリーゼの体力も魔力もそう長くは持たないだろう。
「ギャッ、ギャッ、ギャギャッ……」
親飛竜はくるくると上空を旋回している。
アンネリーゼを見失ったわけではない。いたぶっているのだ。さんざん逃げ回らせて恐怖を味わわせ、もう一歩も動けなくなったらなぶり殺すつもりなのだろう。
つまりアンネリーゼは舐められている。
地を這うことしかできないから。小さいから。……弱いから。
走り続けるうちに、いつの間にか村の中央あたりまで来ていた。想像以上にひどいありさまだ。あちこちに腹を食いやぶられた村人の骸が転がっている。魔獣はやわらかく魔力と血が豊富に含まれる内臓を好んで食べると聞いたことはあるが、目撃したのは初めてだ。
「うっ……」
強い吐き気がこみ上げる。必死にこらえながら近くの壁に手をついた時、とくんとくん、とまた心臓ではない何かが脈打った。まるで何かを報せるかのように。
(いかがした、大丈夫か?)
「は、はい。あの、テンゼン……」
アンネリーゼはさっきから続く奇妙な感覚について話してみた。すると典膳はしばし沈思した後、アンネリーゼの耳を壁にくっつける。
(……中に誰かおるな。まだ生きているようだ)
「……! ほ、本当ですか!?」
(うむ、かすかにだが呼吸の音が聞こえた。魔獣のものではない)
ならばきっと村人だ。生き残りがいたのだ!
胸に広がりかけた歓喜はすぐにしぼむ。まだ魔獣の群れは全滅したわけではない上に、上空には親飛竜。両方撃退しない限り、生き延びることは不可能だ。……アンネリーゼだって。
(行くぞ)
だが典膳はアンネリーゼの足を動かし、生き残りがいるという小屋に入っていく。
てっきり納屋か倉庫かと思っていたのに、たてつけの悪い戸を開けると、すえた臭いが鼻をついた。地面に直接敷かれた麻袋に力なく横たわるのは、ぼろぼろの服を着せられ、下半身に毛布をかけられた黒髪の少年だ。
「な……っ!?」
アンネリーゼは息を呑む。少年が骨と皮だけに痩せ衰えていたからでも、頬がこけてもなお目を奪われるほど端整な顔立ちをしていたからでもない。
少年の細い首には古びた首輪が装着され、取りつけられた鎖は小屋の壁から突き出る金具に固定されていた。アンネリーゼは悟る。少年はここに逃げ込んだのではなく、囚われていて逃げられなかったのだと。
皮肉にもそのおかげで魔獣に発見されずに済んだのだろう。彼を解放せずに逃げた村人たちはみな喰われてしまったのに。
(……こやつ、獣人か)
典膳がうなる。
そう、少年の頭には人間のそれとは違う白い毛皮に覆われた一対の耳が、腰の付け根からはふさふさとした長い尻尾が生えていた。形状からして犬か狼の獣人だろう。
人の姿に獣の特徴と能力をあわせ持つ獣人たちは、東の果てのさらに向こう、人間は決して足を踏み入れない密林でひっそりと暮らしている。獣人はその姿から魔獣と人が交わって生まれた汚らわしい存在だと伝わっており、人間の国では激しい迫害を受けるからだ。
だが全ての獣人が密林の国に逃げ込めたわけではなく、今もかなりの数の獣人が人間の国で暮らしている。……奴隷として。魔法は致命的に苦手だが、人間を凌駕する身体能力と特殊能力を持つ彼らは、労働力や兵力として需要が高いのだ。
たぶんこの少年も労働力として村に買われたのだろう。それにしてはずいぶん長い間食事も与えず、閉じこめていたようだが、いったい何があったのか。推察するいとまはない。
「ギャギャギャ、ギャッ」
ドン、ドンッ、と足元が震動し、熱気が小屋に入り込んでくる。親飛竜が炎のブレスを吐いたのだ。隠れていないでさっさと出てこい、と催促するかのように。
「ねえ、起きて、……起きて!」
アンネリーゼは少年をがくがくと揺さぶった。このままここにいては、しびれを切らした親飛竜に焼き殺されてしまう。
けれど少年はぴくりとも動かない。胸はかすかに上下しているし、典膳も息があると断言したから、生きているはずなのに。
少年を見捨てて逃げる、という気持ちは不思議なくらい起こらなかった。
……だってこの少年はアンネリーゼと同じだ。見捨てられ、置き去りにされ、死の危機にさらされている。
「起きて、お願い、起きてってば……!」
「……うるさ、い」
ありったけの力をこめて揺さぶった時、少年のまぶたがゆっくりと押し上げられた。