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番外編2・カミラの堕ちる先

 自分は幸運の神に愛されている。

 カミラはずっとそう信じて生きてきた。



 生家のヴィンゲル子爵家は猫の額くらいの領地しか持たない弱小貴族。父も跡継ぎ予定の弟も、ろくな特産物もない領地をどうにか維持していくのがやっとの凡人だった。



 でもカミラは違う。

 平凡な両親から生まれたとは思えない美貌に恵まれ、周囲から誉めそやされた。淑女に必要な教養やたしなみも身につけた。カミラが着飾って出かければ、若い男が群がった。顔も才能も両親そっくりな弟とは大違いだった。



 カミラならどんな高位貴族の妻にでもなれるはずだと思っていた。けれど両親が用意した婚約者は同格の子爵家の嫡男。

 同格の家ならカミラも気兼ねせずに済むし、持参金もどうにか準備できると両親は喜んだ。けれどカミラは不満たらたらだった。この美貌なら最低でも伯爵以上の家を狙えるはずなのに、どうしてぱっとしない子爵家なんて? 夜会に出れば、伯爵子息や侯爵子息、公爵子息だってカミラをちやほやしてくれるのに?



 ……本当はわかっていた。彼らがカミラをもてはやすのは、あくまで『遊び相手』として。結婚相手に選ばれるのは同じ高位貴族の令嬢だ。美貌はカミラに及ばずとも血筋正しく、高額の持参金を用意できる令嬢が彼らの正妻におさまるのだと。



 割りきって愛人になる手もあった。だが若く野心にあふれたカミラは、日陰の身になるなんて我慢ならなかった。このまま婚約者と結婚して子爵夫人で終わるのもまっぴらだ。



 だからカミラは当時自分を取り巻いていた中で一番身分の高い男……ロスティオーフ侯爵オリヴァーに目をつけた。

 オリヴァーは先代侯爵の急死により若くして家督を継いだばかり。幼い頃からの婚約者はいたが、不仲で有名で、先代の喪が明けるまで結婚を延長している状態だった。



 オリヴァーは父の喪中にもかかわらずいかがわしい夜会に出入りするような愚か者だったが、その方がカミラにとっては都合がいい。

 カミラはオリヴァーのお気に入りの娼婦に金を積み、オリヴァーの酒に媚薬を盛らせた。それから休憩室に引き込まれる娼婦と入れ替わり、オリヴァーに抱かれたのだ。



 酒と薬に酩酊していたオリヴァーは、最後まで娼婦とカミラの入れ替わりに気づかなかった。そして朝、シーツに散る血の痕と、泣きじゃくるカミラにぼうぜんとする。数々の男に囲まれていたカミラだが、純潔だけはこの日まで散らさずにおいたのだ。



 貴族令嬢の純潔は重い。奪ってしまった者が独身ならば娶り、夫となって責任を取らざるを得ないほどには。

 子爵令嬢が侯爵家へ嫁入りなど本来はありえないが、オリヴァーがカミラの純潔を奪ってしまったこと、婚約者とは不仲だったこともあり、カミラはロスティオーフ侯爵家に迎えられることになった。



 カミラが妊娠したことも大きな決め手になった。オリヴァーにはマリウスという弟がいる。眉目秀麗で文武両道、次男ゆえ家を出て軍に入り、あっという間に頭角を現した優秀な弟だ。このまま跡継ぎがいなければマリウスに侯爵位を譲らされるかもしれないと、オリヴァーは恐れていた。



 もちろんカミラはそのことを知っていたので、オリヴァーと既成事実を作った後、何人もの男とひそかに交わったのだ。

 純潔さえ捧げてしまえば、あとは誰と関係を持ったところでオリヴァーにはわからない。何らかの事情で夫以外の種を必要とする貴族夫人はそこそこ存在するため、種を提供する男娼館がある。カミラはそこを利用したのだ。オリヴァーと同じ髪と目の色の男を選んだから、ばれる心配はない。



 輿入れ後、生まれてきたダミアンが『魔法騎士』の祝福持ちだとわかった時には、やはり自分は運がいいのだと悦に入った。あの男娼館には身を持ち崩した貴族の子弟も交じっているそうだから、カミラは『当たり』を引いたのかもしれない。



 カミラ以上に喜んだのはオリヴァーだ。弟マリウスが『大魔法使い』という稀有な祝福持ちにもかかわらず、オリヴァーは何の祝福も持たず、弟に強い劣等感を抱いていた。

『魔法騎士』は祝福としてはありふれたものだが、それでも祝福は祝福。さすが自分の息子だと、オリヴァーはますますダミアンを可愛がった。……一滴も自分の血を受け継がない子を。



 けれど六年前の戦役で、オリヴァーは悲運の戦死を遂げてしまった。侯爵位はマリウスに預けられ、マリウスとダミアンは養子縁組を結んだものの、カミラは安心できなかった。いつかマリウスが妻を迎えたら、先代夫人でしかない自分の立場は失われてしまう。問題を起こしてばかりのダミアンも、マリウスの実子に次期侯爵位を奪われてしまうかもしれない。



 ならばまだ若く美しい自分がマリウスの妻になればいい。そう思って誘惑してもマリウスは決してなびかず、ダミアンは愚かなまま。

 しまいには婚約者アンネリーゼを魔獣の群れに置き去りにし、その罪を隠しきれず露見させるという一大事を引き起こしてしまった。怒り狂ったマリウスはダミアンとの養子縁組を解消し、籍まで抜いた上、母子をカミラの実家ヴィンゲル子爵家に送り返したのだ。



 この時ばかりはカミラも覚悟した。自分の幸運もここまでかと。すでに両親は隠居し、家督は弟が継いでいる。何かとカミラを疎んじる弟が。



 器の小さい弟は、カミラにさんざん平凡だ凡人だとなじられたことをいまだに恨んでいるのだ。カミラとしては本当のことを指摘しただけ、だからもっと努力して私のような立派な結婚相手を見つけなさいと励ましたつもりだったのに。



 あるいは侯爵家に嫁入りする際、持参金が少なすぎると恥をかくからと、両親に泣いてねだって数少ない家宝の宝石や絵画を売らせたことを根に持っているのかもしれない。本来の婚約者だった子爵家嫡男への慰謝料もあるのにと、ことあるごとに愚痴っていた。みみっちい男だ。そんなもの、カミラが侯爵夫人になった恩恵で帳消しだろうに。



 けれどまだカミラの運は尽きていなかった。カミラの美貌を見初めたという老男爵から、求婚の申し込みがあったのだ。

 侯爵家から除籍され、実家からも受け入れを拒まれたカミラは平民の寡婦にすぎないのだが、それでも構わない、持参金も要らないから身一つで嫁いできて欲しいと老男爵は熱心に申し込んできた。

 弟は迷っている様子だったが、カミラは喜んで求婚を受け入れた。平民に落ちてしまった自分が貴族に戻れる好機を、見逃すなんて冗談ではない。



 たとえ男爵夫人でも、貴族にさえ戻れればこちらのものだ。老い先短い老男爵は適当にあしらっておいて、社交界で次の相手を見繕う。さすがに上級貴族の正妻は厳しいだろうから、この際愛人でもいい。老男爵が死んだ後は美貌の未亡人として、裕福な上級貴族と浮き名を流しながら、皆の憧れの的に――。





「『男爵夫人』、お客様ですよ」



 従僕に呼ばれ、カミラはのろのろと立ち上がった。控えていた侍女が髪型やドレスの着付けをすかさず点検し、『今日もお綺麗です、奥様』とうなずく。

 従僕も侍女もカミラが再嫁した男爵家に雇われた正式な使用人だ。この屋敷も男爵家が王都に所有する物件の一つ。調度類はどれも庶民には手の届かない一流品揃い。もちろんカミラがまとうドレスも装飾品も、貴族夫人にふさわしい華やかで品のあるものばかりだ。

 全てが本物。

 それがこの屋敷の『売り』なのだ。



「ようこそいらっしゃいました」

「おおっ……!」



 カミラがドレスの裾をさばきながらカーテシーを披露すると、待ち受けていた客は感動にうち震えた。見るからに裕福そうな身なりだが、貴族ではない。貴族であれば、貴族の女性ならできて当たり前のカーテシーにいちいち感動などしない。



「ようやく会えたね。今日が楽しみで仕方なかったよ」

「ありがとうございます、旦那様」



 上品に微笑んでみせると、客はますます上機嫌になって丸い顔をほころばせた。良かった、この客は金払いも良さそうだし、嗜虐趣味もなさそうだ。カミラは安堵し、同時にそんなことを一目で看破できるようになった自分に軽く絶望する。



 ……老男爵はカミラの美貌を見初め、持参金なしでいいから嫁いできて欲しいと熱望した。その事実に嘘はなかった。



 けれど嫁いできた晩、初夜のベッドでカミラを待っていた男は夫ではなかった。混乱するカミラはそのままその男と一夜を過ごすことになり……翌朝、男が満足顔で帰っていってから現れた老男爵に恐るべき事実を知らされた。



 老男爵は様々な事業を手掛けては成功させ、その功績でもって叙爵された元平民だ。だから平民の成功者には貴族やその夫人に劣等感混じりの憧れを抱く者が多いと気づいていた。



 そこで老男爵はそうした成功者相手に、貴族夫人を一夜の相手として斡旋する事業を興した。貴族夫人といっても千差万別で、貴族とは名ばかりの貧乏夫人や、事情があって夫には内密で多額の金を必要とする夫人もいる。老男爵はそうした夫人と、貴族に憧れを持つ顧客を結びつけたのだ。

 貧乏でも貴族夫人は貴族夫人。高嶺の花と一夜を過ごせる、それも秘密厳守とあって、老男爵の『事業』は瞬く間に成長していった。



 カミラが望まれたのは、増え続ける需要を満たす要員としてだった。元侯爵夫人から堕ちて平民へ、そして再び男爵夫人へ。カミラの経歴は男たちのゆがんだ欲望を満足させるに違いないと、老男爵は見抜いたのだ。



 だから平民だろうと持参金などなくても構わなかった。目玉商品にするため自らの妻とした。カミラの『初夜』は通常の十倍の額で競りに出され、三十倍の額で競り落とされた。あの夜カミラを待っていたのは某銀行家だったそうだ。



 社交に出る必要はない。これからは『男爵夫人』として毎日客を取ってもらう。



 老男爵に無慈悲な宣告をされ、唯々諾々と従ったわけではない。反発したし、逃げ出そうともした。けれどどんなに反抗しても無視され、食事を抜かれ、連れ戻されるだけの生活はカミラから牙を抜いていった。

 おとなしく客を取っていれば、いくらでも贅沢を許してもらえる。それにこの『事業』はあくまで秘密であり、カミラは表向きには男爵夫人……貴族なのだ。



(私は運が良かった)



 毎夜違う男の腕の中で、カミラは己に言い聞かせる。



(私は運が良かった。私は運が良かった……)



 本物の平民に落ちた息子とは違う。たとえ実質は娼婦だろうと、カミラは貴族夫人なのだから。

 それだけがカミラの支えだった。

この番外編で第一部は全て終了です。

第二部の開始をお待ち下さい。

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