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番外編1・ダミアンの顛末

『うつけめ。地獄に落ちよ』



 澄んだ青空のような瞳が殺気を孕む。



「うわあぁぁぁぁ……っ!」



 殺気の凝縮されたまなざしに射貫かれた瞬間、絶叫しながら跳ね起きるのがここ最近のダミアンの日課だった。

 ドンッ、と壁が向こう側からいらだたしげに叩かれる。使用人用の部屋は壁が薄いから、ダミアンの悲鳴のせいで隣の住人を起こしてしまったのだろう。



 ――うるさい! 少しは俺を気遣え!



 侯爵邸で暮らしていた頃のダミアンなら、迷わずそう怒鳴っていただろう。いや、あの頃にはそもそもこんな狭苦しく壁の薄い部屋ではなく嫡子用の一番上等な部屋をあてがわれていたし、ダミアンに歯向かうような者もいなかった。誰もが次期侯爵にして英雄候補のダミアンに敬意を払っていた。



 なに不自由のない暮らしが一変したのは、二月ほど前のことだ。

 アンネリーゼの懐柔に失敗し、人前で失禁するという生き恥をさらして連れ帰られた、あの日。



『もうお前はロスティオーフ侯爵家の人間ではない。カミラと共に出ていけ』



 叔父にして養父のマリウスはダミアンに容赦ない暴力を振るった上、養子縁組を解消し、冷ややかに宣告したのだ。



 ある程度の罰は仕方ないと覚悟していた。アンネリーゼを置き去りにしたことがばれてしまったのだから。

 だがそれは当面の間の謹慎であったり、財産での償いであったり、最悪、身体への制裁であったり……とにかく、取り返しのつく罰しか想定していなかった。



 だってアンネリーゼは助かったのだ。しかも怪我の一つもなく。あのエチゼンとかいう野良魔法使いに守られ、心に傷を負うどころか、ダミアンの優しい申し出をはねのけるくらいに元気だった。何もなかったも同然ではないか。



『何もなかった?』



 ダミアンの反論に返されたのは、マリウスの冷笑だった。



『お前に付き合わされた騎士、警備隊の兵士、食い殺された村人たち。皆、お前が適切な行動に出ていれば失われずに済んだ命だ。彼らの遺族にも、お前は同じことを言えるか?』

『っ……、騎士と兵士は我が侯爵家に仕える者、次期侯爵たる私のために死ぬのは当然ではありませんか!』

『……』



 マリウスの薄氷色の双眸がすっと細められた。手応えを感じ、ダミアンは言い募る。



『それに村人はみなろくな魔力も持たぬ平民でしょう。私や叔父上のような祝福持ちでもない平民など、放っておけばまたいくらでも増えると、母上が……』

『カミラがそう言っていたか』

『はい!』

『そうか』



 マリウスがうなずいてくれたので、ダミアンはほっとした。マリウスもやはり生まれながらの高位貴族だ。貴族の尊さを理解している。アンネリーゼの父ジークヴァルトのような成り上がりと親交を持つことは疑問だったが、あれは『死神』だからこその特別措置なのだろう。



 ならば侯爵子息で『魔法騎士』の自分は絶対に見捨てられないはずだと、ダミアンは確信していた。養子縁組を解消したのはアンネリーゼの手前だろう。いずれほとぼりが冷めたらまた結び直してくれるに違いない。

 それにマリウスは美しく優しい母カミラに惹かれているはず。母の息子という点でも安心だと、そう安心……否、慢心したダミアンの急所を。



『お前もカミラも、もはや手の施しようのない愚者だということがよくわかった』



 マリウスは氷のまなざしで容赦なく貫いた。



『お、叔父上?』

『一つ、聞きたいことがある。……お前の竜車の御者はどこへ行った?』



 どきんと心臓が跳ねた。

 御者はカミラに言われた通り、村へ再度出撃する前に殺しておいた。約束の金貨をやると言ったらほいほい裏庭まで付いてきたから簡単だった。



 問題は死体を処分する時間がなかったことだ。ダミアンの魔力では短時間で成人男性を骨まで残さず焼き尽くす威力は出せない。仕方なく埋めておくしかなかった。戻った後、ばらばらに刻んでから焼いてしまうつもりで。



 貴族たる者、たかが御者ごときいちいち把握などしない。消えたところでマリウスは気づかないし、歯牙にもかけないだろうと思っていたのに。



『……さ、さあ……。共に帰ってきてからのことは知りません。どこをうろついているのやら』

『見当もつかないか?』

『はい』



 ばくばくと脈打つ心臓をダミアンは必死になだめた。

 落ち着け、落ち着け。ダミアンが御者を殺した証拠はどこにもない。たとえ死体が発見されたとしても、ダミアンが犯人だとは誰も思わないはずだ。それこそ御者がよみがえり、証言でもしない限りは。



『そうか。では教えてやろう』



 言うなりマリウスはダミアンの腕を掴み、歩き出した。引きずられるようにして連れて行かれたのは、今一番行きたくなかった場所……裏庭だ。



 ダミアンが御者を埋めた木立は掘り返され、見覚えのある死体がむしろの上に横たえられていた。その周囲は侯爵家の兵士たちが警備につき、ものものしい空気をかもし出している。



『死者よ、我が問いに答えよ』



  マリウスが魔力をこめた言葉で呼びかけると、死体はむくりと起き上がった。そして目だけを不気味に光らせ、マリウスに問われるがまま語ったのだ。ダミアンがどんなふうにアンネリーゼを見捨て、逃げ去ったのか。



 最後にマリウスは問いかけた。



『お前を殺したのは誰だ?』



 死体は光る目をまっすぐダミアンに向け、血の気の失せた指先でダミアンを差した。



『ダミアンです。約束の金貨をやると言われ付いて行ったら、斬り殺されました』

『ち、ち、違う! 俺は殺してなんかいない!』



 ダミアンはおぞましさを必死にこらえて否定したが、マリウスはにべもなかった。



『人が嘘をつくのは取り繕う気持ちがあるからだ。死者はいっさいの感情もしがらみも持たぬ。ゆえに嘘はつけない』



 平然と言い放つ叔父が恐ろしくてたまらなかった。マリウスは死霊術を使ったのだ。適性を持つ者は冥界の呪いを受けたと言われ、忌み嫌われる術を、なんのためらいもなく。



『お前は己の罪が露見するのを隠匿するため、この御者を殺した』



 警備に当たる兵士たちの冷ややかな視線に侮蔑が混じる。彼らにとってダミアンはもはや侯爵子息ではなく、薄汚い殺人者なのだ。



『で、……ですが、貴族が平民を殺しても罪にはならないはずです!』



 ダミアンが御者の死体を隠したのはアンネリーゼを置き去りにした罪が露見するのを恐れたからだ。単に腹を立てて御者を殺しただけなら、無礼を働いたから罰を与えた、と言うだけで済んだ話なのだ。

 むしろダミアンはしなくていい苦労をさせられたというのに、どうして責められなくてはならない?



 本気でそう信じるダミアンを周囲は化物でも見るような目で見ているが、保身に必死のダミアンは気づかない。



『……貴族は平民を殺しても罪にならない、か。ならばお前にとっては、これが一番の罰になりそうだな』



 マリウスは無表情にそう言うと、きびすを返し去っていった。完全に見捨てられた瞬間だったのだと、理解したのは翌日。母カミラと共に母の実家ヴィンゲル子爵家に送り返された日のことだ。



『よくものこのこと帰ってこられたものだな』



 母の弟であるヴィンゲル子爵は、傷心の姉と甥に冷たかった。ほとんど着の身着のまま侯爵家を追い出されたダミアンたちを歓待し、いたわるどころか、うっとうしそうに使用人用の部屋へ押し込んだのだ。



 抗議するカミラとダミアンに子爵は告げた。



『侯爵閣下はお前たち母子を侯爵家の系譜から除籍した。私もお前たちを子爵家の人間として迎えるつもりはない。……お前たちは平民になったのだよ』



 たとえマリウスに養子縁組を解消されようと、ダミアンが先代侯爵の遺児であり、侯爵家の一員……貴族であることに変わりはなかった。けれど侯爵家から除籍され、さらにヴィンゲル子爵家にも迎えてもらえない以上、所属する家のないダミアンは平民に落ちる。家名を持たない、ただのダミアンだ。



 貴族とは家に属する者なのだから当然の話である。しかし理解できても納得はできない。



『あれを』



 拳を震わせたダミアンを見やり、子爵が控えていた兵士に命じた。兵士はすばやく動き、ダミアンの腕に飾り気のない腕輪を嵌める。



 とたん、泥の沼に沈められたかのように全身が重くなった。混乱のまま放とうとした魔法は体内の魔力をいくら集めようとしても集まらず、不発に終わる。



『無駄だ。その魔封じの腕輪をつけている限り、魔法はいっさい使えない。魔力に付随する祝福も封印される』



 子爵の言葉に愕然とした。つまりダミアンは魔法のみならず、『魔法騎士』の祝福まで封じられてしまったことになる。



(それじゃあ、ただの平民と同じじゃないか!)



『言っておくが、その腕輪は侯爵閣下がくださったものだぞ』



 子爵は哀れむようにダミアンを見た。



『そ、そんな、叔父上が……』

『お前が納得できずに暴れることを予想されていたのだろうな。ああ、侯爵閣下を叔父上と呼ぶのはやめるように。私のことも子爵様と呼びなさい。お前には今日から我が家の使用人として働いてもらうから』



 アンネリーゼの一件の時点ではかろうじて貴族だったダミアンが、罪に問われることはない。

 だがダミアンのわがままに付き合わされ亡くなった騎士や兵士、ダミアンに殺された御者。彼らの遺族に支払われた補償金はマリウスが立て替え、ダミアンがこれから子爵家で働いて得た賃金で返済していくことになった。



(冗談じゃない! どうして俺が!?)



 準貴族である騎士、平民ながらも専門職である兵士と御者。彼らの遺族に支払われた補償金の総額は、侯爵子息だった頃のダミアンにとっては何ということのない金額でも、平民では一生かかっても稼ぎきれない。



 しかも全額の返済を終えるまで、ダミアンは子爵家の使用人をやめられず、魔封じの腕輪も外してもらえないという。たとえ脱走しても『魔法騎士』の祝福と魔力を封じられ、保証人もいないダミアンではろくな職につけず野垂れ死ぬのは目に見えている。



 唯一の味方である母カミラは早々に裕福な老男爵の後妻として嫁がされてしまった。カミラもまた平民に落ちてしまったのだが、相手がカミラの美貌を見初め、平民でも構わないと言ったらしい。



(女は得だよな。美人なら誰かが養ってくれるんだから)



 カミラは口先だけダミアンを心配しつつ、嬉々として嫁いでいった。その後は何の消息もないが、きっと贅沢ざんまいの暮らしを送るうちにダミアンなど忘れてしまったのだろう。



 ダミアンは狭苦しい部屋をあてがわれ、朝から晩まで最下級の雑用係としてこき使われている。侯爵子息だった頃は使用人の仕事など『魔法騎士』のダミアンならたやすいことばかりだと馬鹿にしていたが、実際にやってみるとまるで違った。薪割りも満足にできず、皿を洗わせれば力加減がわからず割ってばかり。掃除の方法すら知らない。



 そんなダミアンを使用人たちはお荷物と馬鹿にした。ダミアンがアンネリーゼを囮にしたことは知れ渡っていたので、仕事のやり方を教えてやろうという親切な者はほとんどいなかった。



 くたくたになるまで働かされ、ベッドに潜り込み、泥のように眠ると決まってあの夢を見る。



『うつけめ。地獄に落ちよ』



 あの瞬間までダミアンの人生は輝いていたはずだった。もしやダミアンは本当に、地獄に落とされたのか?



 焼きついて離れない青空の瞳をどうにか頭のすみに追いやり、ダミアンはのろのろとベッドを降りる。



 ――今日も、長い一日が始まる。


ダミアンの人生は始まったばかり。これからが本番です。

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