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14・実父と代父

 アンネリーゼがようやく泣きやんでからのジークヴァルトは、今までとは別人だった。



「……ジーク、いい加減アンネリーゼを放してやれ」

「駄目だ。目を離したらまた魔獣に襲われるかもしれないだろう」

「私が結界を施した我が家でそんなことがあってたまるか」



 渋面のマリウスの警告など歯牙にもかけず、ジークヴァルトは膝の上に乗せたアンネリーゼを背後から抱きしめ、離そうとしない。

 父がこんなにも愛情深い人だったなんて知らなかった。アンネリーゼが本当に自分を怖れないと悟り、吹っ切れたらしいが。



(変わるにもほどがあるだろうに)



 あきれた典膳の言い分にアンネリーゼも内心うなずくが、父の膝から降りたいとはまったく思わないあたり、ジークヴァルトの血を引いているのかもしれない。



 アンネリーゼを膝に乗せたまま、ジークヴァルトはマリウスからアンネリーゼの身に起きた一部始終を説明された。ほとんど口を挟まず耳を傾けていた父は一見、とても冷静だったのだが。



「アンネリーゼ、すぐに戻るから少しだけ待っていてくれるか?」

「え……どこに行かれるのですか?」

「ちょっとダミアンを魔境の海域へ放り投げてくるだけだよ」



 魔境の海域とは大型の水棲魔獣があまた生息することから、軍艦さえ近寄らない呪われた海域のことだ。人間が身一つで投げ出されれば、ものの数秒で魔獣の餌である。



「お父様までおじ様みたいなことをおっしゃらないでください!」

「そうだぞ、ジーク」



 マリウスがしたり顔で賛同した。さっきあれほど止めただけあって、アンネリーゼを擁護してくれるらしい。



「魔境の海域にはクラーケン級の大物しかいないから、一瞬で息の根を止められてしまうだろう。もっと小型から中型あたりが適度に混ざりあっているあたりがいいと思うが」

「それもそうだな。東の砂漠なんてどうだ?」



 ……と感動したそばから、マリウスとジークヴァルトはうきうきと相談し始める。どうしてこの人たちはダミアンを魔獣の餌にしたがるのだろう。妙に気が合うのは親友だからなのか。



「おやめください、お父様。ダミアン様はもうすでにじゅうぶんな罰を受けておられます」

「だが、アンネリーゼ……」

「お父様のおそばを離れたくないのです。……駄目ですか?」



 ふた回りは大きな手にそっと自分のそれを重ねたら、ぎゅっと抱きしめられた。



「駄目なものか。お前が望んでくれるなら、ずっとそばにいる」

「本当に? ダミアン様のところには行かれませんよね?」

「もちろんだとも」



 よし、これでダミアンの命だけは救われた、と悦に入っていたら、マリウスが物憂げにため息をついた。



「まさか吹っ切れたジークがここまで甘くなるとはな」

「いくら甘くなってもいいだろう。俺はアンネリーゼの父親なのだから」

「……だったら私もアンネリーゼを存分に甘やかしていいということだな」

「何だと?」



 マリウスはアンネリーゼの前に回り込み、右手を取った。マリウスの魔力に反応し、親指の付け根に刻まれた鈴蘭の紋章が浮かび上がる。



「なっ、これは……」

「私はアンネリーゼの代父になった。アストレイアの名のもとに契約済みだ」



 ジークヴァルトが喉を震わせる。



「何を考えているんだ、お前は! 代父……しかもアストレイアの契約だと!?」



 後で知ったことだが、数ある魔法契約の中でもアストレイアに誓う契約は非常に効果が強く、当事者が死んでも解除されず、違反すれば神罰が下される。アストレイアに誓うのは国家間の重要な条約くらいなのだ。



「仕方あるまい。アンネリーゼが覚醒した祝福はそれだけ稀有で強力だ。お前の『死神』に匹敵するほどに」

「……それは……そうだが……」

「アンネリーゼの秘密を守るには、これくらい強力な契約を交わしておいた方がお前も安心だろう」

「そう……だが……だが!」



 ジークヴァルトが碧眼をカッと光らせた。



「代父になる必要などあったか!? 代父にならずとも、アンネリーゼの秘密を守るための契約を交わせば良かっただろうが!」

「あっ」



 そういえばそうだったと、アンネリーゼも今さらながらに気づいた。典膳が沈黙しているのを見ると、たぶんこちらは気づいていたのだろう。きっとタダ飯目当てに黙っていたのだ。



「あったとも。ダミアンが魔獣の糞になった以上、私はアンネリーゼの義父にはなれない。ならば代父になるしかない」

「おじ様、ダミアン様はまだ生きてます」



 この人たち、どこまでダミアンを魔獣の餌にしたいんだろう……。完璧だと思っていた大人のおとなげない姿に頭がくらくらしてくる。



「とにかく、アストレイアの契約はもはやくつがえせない。ダミアンの件は幾重にも詫びるが、私は今後もアンネリーゼに関わらせてもらうぞ。秘密を守るためにもな」

「……致し方あるまい」



 苦虫を噛み潰したような顔をしつつもジークヴァルトが受け入れたのは、アンネリーゼの祝福がそれだけ規格外である証だ。



「ごめんなさい、お父様。私のせいで……」

「っ……、違う、お前は何も悪くないぞ、アンネリーゼ」



 ジークヴァルトは後ろ向きに座っていたアンネリーゼを前向きに変え、まなざしを合わせた。あれほど見つめられたいと願っていた父の瞳はどこまでも澄んで優しい。



「稀有な祝福、それも戦闘系の祝福を持って生まれた者は、否応なしに戦いへ放り込まれる。……俺は物心ついた頃から戦場を転々としてきた。お前には……お前にだけは同じ思いをさせたくない」

「お父様……」



 マリウスも沈痛な面持ちをしている。『死神』が送り込まれた戦場は、きっとどれも目を覆いたくなるほど凄惨なものだったのだろう。



「ジークが全力で庇護し、私が代父として後ろ楯になれば、王族でも下手に手出しはしてこないだろう。いざとなればどこへでも行き場はある。安心しなさい、アンネリーゼ」

「は、はい」



 とっさにうなずいたが、どこへでも行き場があるというのは、いざとなればこの王国を捨てるということだろうか。成り上がり貴族のジークヴァルトはともかく、マリウスのロスティオーフ侯爵家は建国以来の名門貴族なのに。



「……それで。残る問題は白狐の獣人のことだな」



 マリウスが切り出したとたん、びきん、とジークヴァルトのこめかみが強ばった。



「フフフフーン、白狐の獣人? 何のことだ?」

「さっきさんざん説明しただろう。アンネリーゼのしもべになった白狐の少年のことだよ」

「覚えていない。聞いていない。そんなものは知らない」



 ふいっとジークヴァルトはマリウスから顔を逸らしてしまう。いったいどうしてしまったのだろう。あの少年はアンネリーゼを助けてくれたのに。



 はあ、とマリウスが嘆息した。



「気に入らないか? 獣人がアンネリーゼのそばにいることが」

「お父様……」



 アンネリーゼは不安になった。貴族は特に獣人を差別する傾向が強い。もしも父がそういう人だったら……。



「そんなわけないだろう。俺の配下には獣人もいる」

「ではなぜだ?」

「……」

「当ててやろうか。お前は単に、若い男が娘に近づくことが許せないだけだ。人間だろうと獣人だろうとな」



 えっ、そんなこと?

 アンネリーゼは目を丸くしたが、ジークヴァルトはさらに上を行っていた。



「若い男だけではない! 俺以外の男がアンネリーゼに近づくのは許さん!」

「……アンネリーゼに求婚者が現れたらどうするつもりだ?」

「俺に勝てる男でなければ認めん」

「それ、アンネリーゼに一生結婚するなと言っているも同然だぞ」



 アンネリーゼも同感だ。『死神』に勝てる男なんているわけがない。



「もう少し緩和してやれ。たとえばこの私と魔法のみで戦って完全勝利するとか」

「おじ様、全然緩和されてないと思います」



 肉弾戦に持ち込めればまだしも、魔法戦で『大魔法使い』に勝てる者はやはりいまい。マリウスとジークヴァルトが身分を超越した親友になったのがわかる気がする。



「……まあ、アンネリーゼの求婚者については後で対策を練るとして、喫緊の問題は白狐の少年だ。アンネリーゼ、貴方はどうしたい?」



 突然水を向けられ、アンネリーゼは目をぱちぱちさせながらも答えた。



「私は……お父様に許していただけるのなら、そばに置きたいと思っております」

「アンネリーゼ!?」



 ジークヴァルトが顔を悲愴にゆがめるが、これだけは譲れない。



「私が私の祝福を用いてあの子を助けたのです。助けた命に責任を持つのは当然のことではありませんか?」



 アンネリーゼが毅然と告げた瞬間、実父と代父は目を見開き……代父は笑い出し、実父は眉をひそめた。



「ははは! やはりアンネリーゼはお前の娘だな、ジーク」

「あ、あの、おじ様……?」

「アンネリーゼ、ジークの配下に狼の獣人がいるのだがな。そいつは元々、敵軍の奴隷兵士だったのだ」



 六年前の戦役での一幕だったそうだ。

 敵軍のしんがりで戦い、敗走する敵軍を見事に逃がしたその狼の獣人は、自分は重傷ゆえ逃げられずに捕らわれた。敵ながらあっぱれな戦いに感じ入ったジークヴァルトはマリウスに頼んで治癒魔法をかけたり、自ら看護を務めて狼の獣人を助けたのだ。



 生きながらえた狼の獣人を、軍の上層部は処刑すべきだと主張した。それにまっこうから逆らい、自分の配下にすることで彼を助けたのがジークヴァルトだったのだ。



「その時ジークは言ったのだ。なぜ獣人ごときをかばうのかとわめきたてるサル、いや上官に、『助けた命に責任を持つのは当然のことだ』と」

「お父様が……」



 アンネリーゼはきらきらと目を輝かせ、ジークヴァルトを見上げた。



「すごいです、お父様。私、お父様がもっと大好きになりました」

「そ……っ、そ、そうか?」

「はい。お父様より強く優しい方はきっといらっしゃいません」



 ジークヴァルトの眉間のしわがみるみるゆるみ、まなじりがでれでれと下がっていく。今のジークヴァルトを見て、死神だと思う者はいないだろう。

 マリウスが笑った。



「ふ……、娘にここまで言われたのだ。もはや否は言えんぞ、ジーク」

「……わかっている。だが白狐の少年が我が娘のしもべに相応しいかどうか、しかとこの目で確かめさせてもらうぞ」



 ジークヴァルトは碧眼を燃え上がらせた。


次回の少年視点で第一部は終了です。

その後はダミアン、カミラの顛末をアップ予定。

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