11・『大魔法使い』対『黎明の戦乙女』
「……おじ様。私はもう大丈夫です」
アンネリーゼが穏やかに言っても、マリウスは愁眉を開かなかった。
「私を気遣っているのなら遠慮は無用だ、アンネリーゼ。ダミアンには一片の情もない」
「いいえ、おじ様。本当に大丈夫です。……だって私、ダミアン様がどうなられても何とも思いませんもの」
紛うことない本音だった。
たとえダミアンが見る影もなく落ちぶれ果てようと、逆に英雄と誉めそやされようと、アンネリーゼの心はぴくりとも動かない。
きっとアンネリーゼにとって、ダミアンはどうなってもいい……どうでもいい人になったのだ。ダミアンがアンネリーゼを魔獣の群れの囮にした瞬間から。
「貴方は……」
マリウスが薄氷色の目を見張る。
アンネリーゼはじっとその目を見返した。
殴られる前に殴れ、と典膳が言ったのはたぶんそのままの意味ではない。相手の感情を窺う前に、まず自分の心を見せろということなのだ。それはアンネリーゼが今までかたくなに避けてきたことでもある。
「……本気、なのだな」
「はい。ですから、ダミアン様にこれ以上の罰は望みません。時間の無駄ですわ」
きっぱり断言すると、マリウスは薄く、だが確かに笑みを浮かべた。
「貴方は見た目はテレーゼにそっくりだが、性格はジークにそっくりだな」
「……お母様を、ご存知なのですか?」
「知っているも何も、彼女は私の幼なじみだったのだ」
「ええ!?」
驚くアンネリーゼにマリウスは教えてくれる。ロスティオーフ侯爵家と母テレーゼの実家ローゼンハイム伯爵家は遠縁に当たり、歳の近かったマリウスとテレーゼはその縁から交流があったのだそうだ。長兄でダミアンの父、オリヴァーは少し歳が離れているので、ほとんど関わりはなかったそうだが。
「ジークがテレーゼと出会ったのも、彼女が私の家に遊びに来ている時、たまたまジークも訪れたのがきっかけだったのだが……知らないのか?」
「……はい。今初めて知りました」
「ジークのやつ……」
マリウスは首を振り、しわの寄った眉間を指先でほぐした。
「彼女の忘れ形見である貴方には、できれば私のもとで幸せになって欲しかった。だからダミアンを養子に取り、貴方の婚約者に据えたのだが、貴方を苦しめるだけで終わってしまったな」
ん? とアンネリーゼは首を傾げた。
マリウスの言い方は、まるで……。
(まるでそなたを義娘にして手元に置きたかったから、あのうつけを養子にしたように聞こえるな)
ぼそりと典膳がつぶやいた。典膳もアンネリーゼと同じことを考えていたらしい。
ひょっとしたら自分はマリウスを見誤っていたのだろうか。いや見誤るもなにもそもそもマリウスについてろくに知らないし……とぐるぐる悩んでいると、マリウスは椅子に座り直した。
「ではダミアンを魔獣の餌にするのはやめておくとして、アンネリーゼ。ここからが本題だが……貴方が連れていたあの白狐の獣人。彼は貴方に服従しているようだが、どうやって従えた?」
「……そ、それは……」
「狐の獣人は非常に自尊心が高い。奴隷化する際には強力な薬か暴力を用いて真名を吐かせ、精神支配の魔法をかけなければならないほどだ」
初めて知る情報にアンネリーゼは青ざめる。ではあの少年が囚われていたのは、真名を吐かせるためだったのか。脚を切断されたのは、なかなか白状しなかったから?
「貴方にはどれもできないはずだ。なのにあの少年は貴方のためならばと、おとなしく部屋に閉じ込められ、こちらの指示にも素直に従っている」
「……お、おじ様」
どうしよう。どうすればいい?
うろたえるアンネリーゼに、マリウスは容赦なくたたみかける。
「祝福だろう?」
「っ……」
「ごまかしても無駄だ。私は『大魔法使い』ゆえ、あらゆる魔法に適性を持つ。死霊魔法にも……神聖魔法にも」
神聖魔法は神殿に仕える神官が操る魔法だ。神聖魔法の適性持ちは少なく、大半が神官になる。かつてアンネリーゼに祝福がないと告げたあの神官も、神聖魔法の適性持ちだ。
神官の務めは多岐にわたるが、最も重要なのは、子どもたちの祝福の有無を神聖魔法で鑑定することである。
「先ほど貴方に触れた時、神聖魔法を使わせてもらった」
「なっ……」
「本職の神官ほどの適性はないから内容まではさすがに読み取れぬが、貴方は祝福持ちだ。間違いない」
ぞくり、と背筋が震えた。
これが『大魔法使い』。王国の魔法使いを統べる者。たった十年しか生きていない小娘に、太刀打ちなんてできるわけが――。
(舐められるな!)
低い一喝が、屈しそうになった心を叩いた。
そうだ……年齢なんて関係ない。大切なのは舐められないこと、それだけだ。
「……おじ様は『大魔法使い』ですが、神官様ではあられませんよね」
アンネリーゼは腹に力を入れ、じっと薄氷色の瞳を見つめ返す。『必中の光弓』で親飛竜を射貫いた時の感触を思い出しながら。
「成人前の子の祝福は、その子の親の許可がなければ、たとえ国王陛下にも明かせない決まりのはず。私には何も言えませんわ」
それは稀有な祝福を持つ子どもが搾取されることを防ぐための決まりなのだが、実際は抜け道がいくつも存在する。
親だって子どもの幸福を願う者ばかりではないし、子どもを売り物としか見ない者は喜んで祝福を明かすだろう。子ども思いの親であっても、平民は貴族に、貴族ならさらに高位の貴族や王族に圧力をかけられれば、許可を出さざるを得ない。実質、無理強いが可能なのである。
そもそも親のいない孤児には意味がない。ジークヴァルトがいい例で、貧民街の孤児だった彼の祝福『死神』はその日のうちに王家の知るところとなり、保護という名の監視を受けることになった。
アンネリーゼの場合はジークヴァルトの許可が必要になるが、ジークヴァルトは戦地を転々としている。通信魔法を使っても連絡を取るのは至難の業だし、仮に連絡がついても許可は出さないだろう。
アンネリーゼを思って……ではなく、稀有な祝福を持つ娘などいたら戦争に集中できないからだ。アンネリーゼが突然祝福を覚醒させたことにすら、興味を抱かない気がする。
そんなジークヴァルトの気性は、マリウスも承知しているはずだ。
マリウスは白い手で額を覆った。
「……さすがにジークが哀れになってきたな」
「何をおっしゃっているのですか?」
「いや、独り言だ。……そう、貴方の言う通り、親の許可がなければ祝福は明かせない。ならば私が貴方の親になればいいということだな?」
「はっ?」
疲労のあまり頭がおかしくなってしまったのだろうか。失礼なことを本気で考えるアンネリーゼに、典膳が警告する。
(いやアン、こやつは基本的にいつでも本気だぞ)
そんなことを言われても、赤の他人であるマリウスがアンネリーゼの親になれるわけがない。王国法は血縁関係のない者同士の養子縁組を基本的に禁じている。母方の実家ローゼンハイム伯爵家はロスティオーフ侯爵家の遠縁ではあるが、養子になるには遠すぎる。
他にマリウスがアンネリーゼの親になれる方法なんて、存在しないはずだ。
「聡い貴方も、さすがに代父は知らないか」
初めてくっきりと刻まれたマリウスの笑みは美しいが、なぜかぞっとする。
「代、父?」
「遠い昔に廃れた制度だ。王家も廃止するのが面倒だから放置しているだけだろうな」
代父。
それは遠い昔、大陸に今以上の戦乱の風が吹き荒れていた時代に生まれた制度だ。
戦いが生業の軍人は一度出撃すればいつ家族のもとへ帰れるか、生きて帰れるのかすらもわからない。そんな彼らにとって一番の心残りはやはり我が子であった。
そこで彼らは戦友の息子や娘の父親代わりとなり、戦友が戦死した場合、息子や娘が巣立つまで養育する誓いを立てるようになったのだ。代父の始まりである。
これで心残りなく戦えると、最初はもてはやされた代父制度だが、時代が進むにつれすたれていった。
最たる理由は代父の責任の重さだ。父親代わりである以上、実父と同様の養育義務を負い、時に実子を餓えさせてでも完璧に養わなければならないのに、愛子……代父に養育される子どもの側は、老いた代父に孝養を尽くす義務を負わない。
実子と愛子、あるいはその子孫同士の争いで死人が出る事件もめずらしくなく、代父制度は敬遠されるようになった。国の側が戦争孤児の保護を手厚くしていってからは利用する者もほぼおらず、今や有名無実の制度である。
よく似た制度である養子縁組との違いは、養子縁組は血縁関係のある年長者しか養親になれないが、代父はあくまで子を養うための制度であるため、血縁関係のない年下でも経済力さえあれば代父になれることである。
「ま、まさかおじ様……」
「契約の神アストレイアよ。我は誓いを立てる」
マリウスが指先に魔力をこめ、空中に天秤を描いた。契約を司る神アストレイアの象徴だ。魔法契約を結ぶ時は必ずアストレイアに誓いを立てる。
本来なら契約魔法に適性を持つ魔法官が立ち会わなければ成立しないのだが、『大魔法使い』のマリウスは当然契約魔法も使える。……使えてしまう。
聞かないでください、アストレイア様!
アンネリーゼは思わず祈ったが、マリウスが描いた天秤は空中で光を放った。
「アンネリーゼ・マルガレータ・フォン・ランドグリーズの父となり、盾となり、花をはぐくむ土壌となり、ありとあらゆる労苦災難から守ることを」
「い、いけません、おじ様!」
「アストレイアよ、我が誓いを聞き届けよ」
神の迷いを表すかのように、天秤は何度か左右に傾いた。
そして。




