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10・マリウスおじ様とダミアンの顛末

 アンネリーゼが重たいまぶたを上げると、ベッドのかたわらの椅子に青みがかった銀髪の青年が座っていた。

 血が通っていないのではと疑うほど白い肌、つくりものめいた端整な顔はどこか現実離れしており、氷の精霊がつかの間人の世に具現化したようだ。年齢不詳の若々しさは、高魔力保持者の特徴である。



「……マリウスおじ様?」

「アンネリーゼ、目が覚めたのか」



 安堵に和らいだ薄氷色の双眸の目もとには、うっすらとくまが刻まれている。典膳の話では半日近く眠ったそうだが、もしやその間ずっと付いていてくれたのだろうか。



「はい。……ご心配をかけてしまい、申し訳ありませんでした」

「何を言う。詫びなければならないのは私の方だ」



 マリウスは床に降りてひざまずき、深くこうべを垂れた。



「ダミアンが取り返しのつかない罪を犯した。何をしても許されることではないが、まずは謝らせていただきたい」

「そ……っ、そんな、おじ様、お顔を上げてください! おじ様は何も悪くないではありませんか……!」



 アンネリーゼはあわてて起き上がり、止めようとするが、マリウスは聞き入れなかった。



「ダミアンは私の養子だった。あれの監督責任は私にあったのだ。にもかかわらず私はあれの愚行を止められなかった。貴方が命を落としかけたのは間違いなく私のせいだ」



 ――養子『だった』。

 マリウスは亡き兄の子であるダミアンと結んでいた養子縁組を解消してしまったのだ。



 典膳から聞いた。竜車の荷台で運ばれてきたダミアンを魔法使いにそぐわぬ腕力で引きずり下ろし、両頬と腹に容赦ない拳を何度も叩き込んだ後、胸ぐらを掴んだまま通信魔法を発動させ、魔法契約を司る魔法省に解消の申し入れをするという離れ業をやってのけたのだと……。



 その時点でダミアンは『前侯爵の遺児で現侯爵の甥』という極めて微妙な立場に落ちた。さらにマリウスが現侯爵の権限でダミアンを侯爵家から除籍したことにより侯爵家の人間とは認められなくなり、侯爵家の継承権を失ってしまった。



 侯爵家の血を引いていようと、王の許しがない限り絶対に侯爵にはなれない。もちろんアンネリーゼとの婚約は自動的に解消だ。



 侯爵家での居場所を失ったダミアンは、母カミラの実家であるヴィンゲル子爵家に引き取られることになった。カミラも一緒だ。

 息子が跡取りではなくなった以上、先代夫人が実家に帰るのは当然なのだが、カミラの場合は懲罰的な意味合いが強かった。ダミアンが今までしでかした数々の事件の尻拭いをしてきた上、今回はアンネリーゼに罪を着せる手助けまで率先してやっていたのだ。貴族夫人でも許されることではない。



 ただ実家に帰されるだけなら、たいした罰ではない?

 そんなことはない。ヴィンゲル子爵家はロスティオーフ侯爵家とは比べ物にならないほど貧しい家だ。しかも当主はすでにカミラの弟に代替わりしている。



 その美貌で格上の侯爵を射止めたカミラは、弟を平凡だ能無しだとさんざん馬鹿にしてきた。すごすごと帰ってきた姉を弟は歓迎しないだろうし、厄介払いも兼ねてさっさとどこかへ再嫁させるはずだ。用意される嫁ぎ先は、元侯爵夫人のカミラが満足できるものではあるまい。



 ダミアンは成人前の男子だから、ヴィンゲル子爵家に残り、叔父に養育されることになるだろう。しかしカミラを疎む子爵が、姉そっくりな甥の養育に金をかけることも、子爵家の人間として迎えることもない。ダミアンはあれほど軽蔑していた平民に落ちるのだ。



 さらに子爵家にはダミアンが犯した罪について報告されている。ダミアンは自分の身勝手から婚約者を魔獣の囮にして死なせようとした最低最悪の少年として後ろ指を指され、さげすまれながら生きていくことになる。



『あんまりです! ダミアンはまだ成人前の子どもなのですよ。たった一度のあやまちでそんなむごい仕打ちを……』



 カミラはマリウスの決定に泣いて抗議したが、マリウスは聞き入れなかった。『たった一度のあやまち』でアンネリーゼは死ぬところだったのだ。助かったのは典膳という幸運に恵まれたからにすぎない。



 それにダミアンがこの程度の処分で済んだのは、成人前だったからだ。婚約者の伯爵令嬢を、死ぬとわかっていて魔獣の群れに置き去りにしたのである。故意の殺人にも等しい。もしもダミアンが成人していたら、平民に落とされた上で鉱山送りは免れなかった。



 ……むろんアンネリーゼが死んでいたら、問答無用で処刑されただろうが。アンネリーゼが助かったことで、もっとも救われたのは皮肉にもダミアンだと言える。



「ダミアンの処分はあくまで王国法に則したものだ。……だが私個人としては、生ぬるいと思っている」



 ひざまずいたままのマリウスから氷のような魔力がにじみ出る。



「おじ様?」

「この侯爵家では私が法だ。王とて口は挟ませない。アンネリーゼ、貴方が望むならあの無知蒙昧な糞餓鬼を四肢の先にいたるまで焼きつくし、灰を魔獣の餌にしよう」

「や、やめてください! そのようなこと、私は絶対に望みません!」



 ダミアンは衆人環視の中で少年に叩きのめされ、失禁するという醜態をさらした。誰よりも自分が優れていると自負していたあのダミアンがだ。

 今後はヴィンゲル子爵家の人間として生きていくことになるが、彼の前途は明るくない。『死神』ジークヴァルトの娘を殺そうとしたことは、どんなに隠そうとしても広まっていく。



 さらにヴァルチュール王国の魔法使いを束ねるマリウスの怒りを買ったダミアンは、夢だった有翼猟騎はおろか、一介の騎士になるのも難しいだろう。ジークヴァルトとマリウスに睨まれてまでダミアンの忠誠を受けたい貴族は、おそらくいないはずだから。

 継ぐべき家督のない貴族子弟は騎士か神官、あるいは魔法使いになって身を立てるのが定番だが、うち二つはすでに潰されてしまった。ダミアンには神聖魔法の適性はなかったはずだから、神官も不可能だ。



『魔法騎士』の祝福を誇り、前途洋々だったダミアンが今やどこにも身の置き場を持たない。アンネリーゼにはそれでじゅうぶんな罰だと思える。もちろんそれは、生き残れたからこそだが。



「……そうか。貴方が望まないのならやめておこう」

「わかってくださいましたか!」

「ああ。……最初に焼いてしまったのでは片手落ちだな。感覚だけは活かしたまま氷漬けにして魔獣の餌にしよう。最期の瞬間まで苦痛を味わえるように」



(いかん、アン、あやつを止めろ! 本気でやるつもりだ!)



 典膳の警告に突き動かされ、アンネリーゼはゆっくりと立ち上がって部屋を出て行こうとするマリウスを追いかけた。だがずっと眠っていたせいか、ベッドから降りたところでふらつき、倒れそうになってしまう。



「……?」



 アンネリーゼを受け止めたのは硬い床ではなく、細身だが鍛えられた胸だった。そろそろと上げた目が、薄氷色のそれと合う。



「おじ様……?」



 感情が宿ることなどないのではないか、と噂される双眸が揺れている。揺れているのはアンネリーゼを支えてくれる腕も、白皙の頬もだ。



 心配になって思わず伸ばした手が頬に触れた瞬間、アンネリーゼの小さな身体はマリウスに抱き上げられた。そのままベッドに座らされ、足元に膝をついたマリウスがアンネリーゼの額に手を伸ばす。



「あ……」



 淡い光に包まれると、マリウスにぶつかった額から痛みが消えた。治癒魔法を使ってくれたのだ。痛みといってもごくわずかで、赤くもなっていないだろうに。



「……では、どうすればいい?」

「え……」

「どうすれば貴方は恐怖を忘れ、悪夢にうなされなくなる?」



 どうやらアンネリーゼは眠っている間、うなされていたようだ。付いていてくれたマリウスが元凶の処分方法をあれこれ考案してしまうほど激しく。



 それはおそらく典膳から色々聞かされていたせいで、うなされていたのはたぶんタダ飯のくだりのあたりではないかと思うのだが、マリウスには明かせない。



 ――こんなに、心配してくれるのか。



 アンネリーゼはまじまじとマリウスの白皙の美貌を見つめた。膝をついてくれたおかげでよく見える。目もとの深いくまも、薄氷色の瞳の奥に宿る慈愛の光も。父の親友になるだけあって、情のかけらもない人だと思っていたのに。



 そういえばカミラが偽りの報告をした時、マリウスはアンネリーゼがそんなわがままを言うわけがないと信じてくれたのだ。

 もしかしたら。

 もしかしたら、この人は――。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] マリウスがアンネリーゼを「貴方」と呼ぶのに切なくなりました。 この男なら絶対に兄嫁も甥もクズだし自分は多忙で家のことに構えない、だからアンネリーゼを婚約者として家に迎えることは出来ない…
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