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1・戦乙女と戦国武将の邂逅

新連載を開始します。前作とは関係のない世界のお話です。

「どけ、アンネリーゼ!」


 竜車に乗り込もうとした瞬間、どんっ、と横から強い力で突き飛ばされた。アンネリーゼの軽く小さな身体はつかの間宙に浮かび、どさりと地面に叩きつけられる。



「ダ、……ダミアン、さま?」



 全身を打ちつけられた痛みよりも、突き飛ばされたことの方が衝撃だった。決して仲むつまじいとは言えないし、優しくしてもらったこともないけれど、自分とダミアンは婚約者同士なのだ。こんな扱いを受けるなんて信じられない。



「お、俺はいつか世界一の有翼猟騎(ゆうよくりょうき)になるんだ。こんなところで死んではいけない存在なんだよ」



 涙をにじませる婚約者の少女にさすがに良心がうずいたのか、ダミアンは早口で告げる。しかし助けるつもりはないらしく、がたがたと震える手は竜車の扉の取っ手を掴んで放さない。



「坊っちゃん、まずいですよ。ご令嬢を置き去りにしたなんて『死神』に知られたら、俺たちは殺されちまう」



 手綱を握りしめた御者が青ざめた顔で忠告する。

 父親譲りの長い金髪に碧眼のアンネリーゼは、父親とは似ても似つかないはかなげな美少女だとよく言われるから、さすがに心が咎めたらしい。

 ダミアンは鼻先で笑った。



「ランドグリーズ卿が怒ったりするものか。あの方はアンネリーゼを疎んじておられるのだから」

「っ……」



 婚約者の言葉はアンネリーゼの心を鋭く抉った。



(ダミアン様のおっしゃる通りだわ)



 アンネリーゼが魔獣に引き裂かれようと、喰らわれようと、父は怒りも悲しみもしない。アンネリーゼは父が熱愛していた母の命と引き換えに生まれた……生まれてきてしまった母殺しの娘だから。ろくに家にも寄りつかず、アンネリーゼを婚約者の家に預けてばかりなのはそのせいだ。



『死神の娘は死神だった』



 死神と恐れられる英雄ジークヴァルト・フォン・ランドグリーズに初めて死の喪失を味わわせたアンネリーゼもまた死神だと、心ない者はまことしやかにささやく。ダミアンもその一人だ。



「それに今日、俺たちがここへ来たことを知っているのは俺とアンネリーゼとお前だけだ。俺とお前が黙っていれば、誰にもわからないさ」

「それは、そうですが……」



 御者はちらちらとアンネリーゼを横目で窺う。ダミアンに従えばアンネリーゼがどうなるかは考えるまでもない。

 どうか考え直して欲しい。

 アンネリーゼは御者が良心を取り戻してくれることを祈ったが、現実はむなしかった。



「無事に帰れたら、俺の小遣いから金貨十枚をくれてやる」

「いいんですか!? そういうことなら喜んで!」



 御者はダミアンの申し出に顔を輝かせ、騎竜に鞭を入れたのだ。彼の良心などその程度のものだった。



「すみません、お嬢様。悪く思わないでくださいよ!」

「さらばだアンネリーゼ。第二の英雄たる俺の礎になれること、誇りに思いながら死ぬがいい!」



 ガラガラガラ、と激しく車輪をきしませながら、竜車はすさまじい速さで走り去っていく。残されたのはうずくまったままのアンネリーゼと……殺気立った魔獣の群れだけ。



 数時間前。

 ダミアンの父、ロスティオーフ侯爵の領地の片隅に位置するこの小さな村に魔獣の群れが現れたと警備隊から緊急の通信が入った。

 本来ならすぐにでも侯爵邸から援軍を出すべきだったが、侯爵は王都のタウンハウスに滞在中。そこで留守を預かる十三歳の侯爵子息ダミアンは、通信を受けたのが自分であったのをいいことに、自分と数人の護衛騎士のみを率いて討伐に出たのである。



『俺は未来の英雄、有翼猟騎だ。たかが村に現れた魔獣どもくらい、我が手で討ち果たしてやる!』



 有翼猟騎……知性と翼を持つ特殊な魔獣に騎乗し、魔獣を駆逐する一騎当千の英雄。大国でも十騎も存在しない彼らに、ダミアンは強い憧れを抱いていた。高位貴族の子息であり、高い魔力を持つ自分なら必ず選ばれるはずだと信じて疑わなかった。



 ダミアンはそのための努力も欠かさず、十三歳にして魔法剣士としてそれなりの実力を身につけていた。小さな魔獣の群れの討伐に参加したこともある。



 だから今日の討伐に三つ年下の婚約者であるアンネリーゼを伴ったのは、どうせ危険などあるわけがないのだから、格好よく魔獣を倒すところを見せつけてやりたいというダミアンの慢心に他ならなかった。

 アンネリーゼの口から彼女の父親ジークヴァルトに、自分の活躍を伝えさせたいというのもあったかもしれない。ジークヴァルトはこのヴァルチュール王国にたった三人しかいない有翼猟騎の一人、死神と畏怖される英雄だから。



 しかしダミアンの思惑はことごとく裏目に出た。



 村を襲った魔獣の群れには、飛竜が交じっていたのだ。竜種にしては弱いとされる飛竜だが、それは何らかの手段で地上に引きずり落とせればの話。大きな翼で空を自在に飛び回り、急降下しては襲いかかってくる飛竜は、空を飛べない人間には脅威でしかない。



 不幸中の幸いは、その飛竜がまだ若く、炎のブレスや魔法を使えないことだった。だからダミアンが必死に放った魔法や騎士たちの矢でどうにか撃ち落とし、仕留めることができた。



 だが払った犠牲は大きかった。飛竜の爪牙に引き裂かれ、警備隊の兵士と騎士たちは全員命を落とした。

 飛竜を仕留めても、他の魔獣はまだ残っている。けれどダミアンは魔力を使い果たしてしまい、守ってくれる騎士は全滅。かろうじて生き残っているのはダミアンとアンネリーゼ、そして竜車の御者だけ。



 そこでダミアンはアンネリーゼを竜車に乗せて逃がし、自分は彼女の逃げる時間を稼ぐため踏みとどまって勇戦……そうだったらどんなに良かっただろう。



 実際は逆だった。ダミアンは自分だけが助かるようアンネリーゼを囮として置き去りにし、逃げ出した。アンネリーゼが喰われている間に、侯爵邸に逃げ込むつもりなのだろう。



 侯爵夫人はダミアンを溺愛しているから、たとえ真実を知っても全力で息子をかばうだろう。口裏を合わせ、アンネリーゼが勝手に騎士たちを伴い、村へ行ったことにでもするはずだ。

 報せを受けた侯爵が王都から戻るのには短くても数日はかかる。父はきっと眉ひとつ動かさない。



 アンネリーゼはここで死ぬ。

 誰にも看取られずに……いつものように、全てを諦めて……諦めて……そうすれば、楽に……。



「……なれるわけがあるかあっ!」



 びりびりと全身がしびれるような一喝に、取り残された極上の獲物に襲いかかろうとしていた魔獣たちがびくんと動きを止めた。



(い、今のは、誰?)



 御者やダミアンとは違う、生気に満ちた男の声だった。アンネリーゼはびくびくとあたりを見回すが、声の主らしき人影はない。魔獣が人間の言葉をしゃべるわけもない。

 では、さっきの声は……。



「諦めて楽になどなれぬわ! 諦めるとは全ての可能性を手放し、自ら死の暗闇へ身を投じるも同じこと。そして死とは、永久に血と恥辱と汚濁にまみれることよ!」



 再びあの太い声がとどろいた。……アンネリーゼの口から。


(えっ? ……ええっ?)



 あんな声、十歳の少女に出せるわけがない。もしや自分はもうとっくに魔獣に殺されていて、死後の夢でも見ているのでは……。



 はあ、とアンネリーゼの口が勝手に嘆息した。



「うら若いおなごのくせに、なぜそう死ぬことばかり考えるのだ。……そなた、そんなに死にたいのか?」



(……だ、だって、そこらじゅう魔獣だらけで……)



「言い訳はいい。ワシは死にたいのかと聞いておる」



 厳しい口調で問われ、アンネリーゼは答えに詰まった。



 死にたいのか……生きたくないのか?

 自分に、生きる意味なんてあるのだろうか?



 婚約者に捨てられたのに。母親を死なせたのに。父親にも疎まれているのに。アンネリーゼを心配する人なんていないのに。それでも?



(……死にたく、ない……)



 心が弾き出した答えは、アンネリーゼの心臓をかっと燃え上がらせた。

 どくん、どくん、どくん。

 強い鼓動はまるで自分を応援してくれているようで、アンネリーゼは大きく息を吸い込んだ。



「私は死にたくない! 生きたい……!」



 未来の淑女、伯爵令嬢として育てられてきて、腹の底から大声を出したのは初めてだった。はあはあと荒い呼吸を繰り返し、アンネリーゼははっと気づく。今、自分の口から出たのは馴染んだ自分の声だったことに。



(よう言うた!)



 あの太い声が頭の奥から聞こえてきた。



(ならばこのワシがそなたを生かしてやろう。どうやらそなたとワシは一蓮托生、そなたが倒れればワシも露と消える定めのようだからな)



「あ、……貴方は、どなたなのですか?」



 とつじょアンネリーゼの口を動かし、頭の奥から聞こえるようになった声の主。ただ者であるわけがない。



(ワシは戦国の世を生き抜いたしぶといジジイよ。名は……そうさな、典膳とでも呼べ)



「テンゼン?」



 聞き慣れない響きの名だと思い、アンネリーゼは気づいた。さっきから典膳が使っている言語は、アンネリーゼのそれとは異なることに。

 奇妙に抑揚が少なく、呪文を唱えているようにも聞こえるその言語を耳にしたのは今日が初めてだが、なぜか理解できる。たぶん典膳も同じなのだろう。



(そうだ。そなたは……ア、アン、ネリ……)



 何度もアンネリーゼと呼ぼうとしてはつっかえている。どうやら典膳にとっては、アンネリーゼの方が聞き慣れない名前らしい。



「アン、で結構ですわ」



(ありがたい。……ではアン、詳しい話は後だ。まずはこの死地を切り抜けるぞ)



「……はい!」



 こんな時なのにアンネリーゼは少し笑ってしまった。さっきまでの諦めかけていた自分とは別人みたいだ。初めて愛称で呼ばれ、浮かれているのだろうか。



 のちに戦乙女と呼ばれる少女の初陣は、こうして始まった。


典膳は(超マイナーですが)実在の武将です。

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