男もつらいよ。※
ひたすらノロケ話。
時系列は《初めての大喧嘩》終了後。
未読の方、ネタバレ注意です。
《※ CP別の時系列》
◯たづさや
→同棲を始めて一年半。夏に多津宗家での婚約披露を行った。
◯はなあや
→入籍して一年ちょっと。花吹の部屋で同棲中。一線は超えているのか、いないのか。
◯たかなぎ(たかユナ)
→掌編終了後、二人で被災地に赴いて、数泊してきた。
以上
冬の忘年会シーズンに先駆けて、半個室の居酒屋で、飲みもの三杯分が掲げられた。
「ハイ、じゃー鷹也の門出を祝って〜」
かんぱーい、と音頭を取ったのは花吹優。
薄い色素の髪に端正な顔だち、ワイシャツにはしっかりアイロンが当てられているが、深いボルドーのネクタイは結び目が緩められている。
「乾杯」
やわらかく声を重ねたのは多津絃二。真っ直ぐな黒髪は目もとを覆うようなスタイリングで、いつもある寝癖とダテ眼鏡が今日はない。人前に出る日だったことがわかる。
「……あざっす」
照れながら応えたのは泉鷹也。短髪が若い相貌に映えて、白いシャツと簡素なデニムが、生来のフィジカルな魅力を引き立てている。
見た目も雰囲気もバラバラの三人だが、彼らには共通点がある。
それは、男たちのパートナー女性三人が友だち同士だということだ。
古来、女の友情に秘密はない(悪意ある場合は除く)。
そしてパートナー同士にも秘密はない(不仲な場合は除く)。
つまり、見た目も雰囲気も異なる男たちでありながら、彼らにもまた秘密はないのである。
ここ一年で気の置けない間柄となった三人は、馴染みの居酒屋でいつものように集まったという次第だ。
そこで口火を切ったのは、音頭を取った男だった。
「鷹也がまさか、ユナさんと一緒に行くなんてなぁ」
「凪さん、です」
「ああ、わりぃ。《ユナ》は源氏名だったな」
熱燗をちびりと舐めながら、花吹が訂正する。
鷹也と呼ばれた青年はビールジョッキを片手に「自分も未だに信じられないです」と頷いた。
「復興支援事業なんて、全然想像つかなかったんですけどね。実際に行ってみたら、楽しいし、難しいけどやり甲斐あるし」
「しかし東北って、また遠いな。知り合い誰もいねえんだろ。不安じゃねえの?」
「不安だらけですよ。経済的にも、子ども食堂の人手も」
鷹也はジョッキを半分ほどあけて、息をついた。
「だけど、地元の人たちと一緒にいる凪さんの安心しきった顔見てたら、もう腹括るしかないなって」
「なんだそりゃ。惚気か」
花吹を「からかうなよ」と横からたしなめた多津は、まなじりを細めて鷹也に向いた。
「そういう相手に出会えて、良かったね」
多津の微笑みが本当に優しくて、鷹也は自分の所業を思い出して恥じ入った。
「——その節は、すいませんでした」
「ははっ、どの節?」
「いや……沙夜のこととか……」
鷹也は顔を赤らめた。
過去に沙夜を好いていた頃は、多津に対して敵意丸出し、しまいに仲を割るような真似までした。そんな自分が恥ずかしくて仕方がない。黒歴史、というやつか。
「あとは、凪さんと拗れたときも」
花吹が「そーだよ、おまえ」と身を乗り出す。
「いくら横恋慕とはいえ、かつての恋敵だぞ。そんなやつの相談に、親身に乗ってやるお人よしは多津くらいだ」
「花吹さん、言い方」
だってそうだろ、と花吹は愉しそうに言う。
「去年の冬は目も当てられなかったよ。ベロベロに酔って失恋酒もいいとこだったな」
「失ってません。取り返しました」
「格好つけやがる」
大人の男の余裕を見せつけてくる花吹に、鷹也は毅然と仕返しをする。
「花吹さんこそ、彩さんが家出したときは血相変えて食堂に飛び込んで来たじゃないですか」
「ば——っ、それは」
「去年の秋でしたっけ? 入籍してまだ半年しか経ってないのに、スピード離婚するのかと思いましたよ」
「ヤメロ。今でも思い出すと冷や汗かくわ」
花吹と鷹也の応酬に、クスクスと笑っていた多津が口を挟む。
「結局、あれは何が原因だったの?」
花吹は黙りこんだ。
どうやら過失を自覚しているらしい。
花吹はぐい呑みの中身を空にしてから、素っ気なく言い放った。
「俺が束縛しすぎた」
「えっ」
今度は多津が愉しそうに、目を丸くした。
「おまえが? 学生時代は《去る者追わず》で有名だったヤツが?」
「そうなんですか」
思わず鷹也も身を乗り出すと、花吹は「うっせえ」と吐き出した。
「アイツの場合、連絡とってた男がごまんといるんだぞ。俺がせっせと飯作って食べさせて、ふっくらツヤツヤになった彩がまた野良猫になってみろ。男どもが放っておくかよ」
「おお、本音が出た」
「多津だってご同様だろ」
ギクリとした様子で、多津は顔を背けた。
「鷹也くん、お酒追加しようか」
「彩から聞いてるぞ、婚約披露のときの——」
「えっと、ビール? それとも」
「お酒より花吹さんの話が聞きたいです」
「うわぁ、裏切らないでよ」
多津はメニュー表に顔を隠して、ぼそぼそと言い訳する。
「——わかってるよ。夏物の振袖を新調するのはさすがに……」
「それだけじゃなくて」
「え?」
メニューの端からひょっこり顔を出した多津の瞳が見ひらかれる。
それを満足そうに受けて、花吹はここぞとばかりに言い放った。
「惚れた相手を自分好みに飾りつけた挙句それが裏目に出て、お披露目の席で男たちに牽制球投げつけまくるほど器の小せえヤツだとは思わなかったよ」
立板に水のごとくスラスラと嫌味を言う悪友に、今度は多津がうなだれた。
「その場で見てたように言うじゃん……」
「沙夜さん発、彩経由。彩の私情も多分に入ってるだろうけどな。あいつ、沙夜さん大好きだし」
「沙夜も相当怒ってただろ?」
「いわく、『せっかく私ががんばって馴染もうとしてるのに、端から空気悪くしていくから、もう馬鹿らしくなっちゃった!』だと」
「う……」
「そんで三日ほど冷戦してたってな」
「仕方ないだろ……あんなに虫が寄ってくると思わなかったんだよ」
「虫が寄るほどの花にしたのはおまえだろうが」
自業自得だ、と笑う花吹の猪口に酒を注いでやりながら、多津は途方に暮れた声で言う。
「綺麗になるのはわかってたよ、もちろん。だけど自分がこれほど嫉妬深いと思わなかったし……だいたい、沙夜ったら独身男性だけじゃなくて、いい歳したお年寄りたちまで撃ち落としていくんだよ。正直たまったもんじゃない」
鷹也はつまみのモツ煮を食べながら相槌を打つ。
「あいつ、昔っから年齢問わず慕われるんですよねえ。よく農家の爺さんたちから売り物にならない野菜もらって来てましたよ」
「——困ったな」
「困るよなぁ」
彩のことを思い出したのだろう花吹が、ため息混じりに鷹也を見る。
「鷹也はいいな。相手がちゃんと男あしらいも心得てるオトナの女で」
「俺はそれに困ってますよ。あしらい上手だからって、冬でもショーパン履くのやめてほしいです」
「……おまえも苦労してんな」
「そうなんです。しかもそれを言ったら『じゃあタイツ履けば問題ないでしょ』とか言って」
「あー、そりゃわかってねえ。問題大アリだ」
「そうなんですよ!」
三人それぞれに酔いがまわってきて、話は少し下卑た方向に逸れる。
「タイツってのは、それはそれでフェティシズムがあるんだよなぁ」
「ですよね。アレ、わかってやってんスかね?」
「や、無意識だな。だからあいつらは恐ろしい」
花吹の芝居がかった言葉に、多津もうんうんと首肯する。
「薄着で無防備に寝てたりするし」
「おまえンとこも?」
「あれ、彩さんも?」
目を見合わせる二人に鷹也も捨て鉢でかぶさる。
「そんなんしょっちゅうですよ。なんなら酔って下着で寝てます」
「げ、お気の毒」
「リアルに辛いですよ。俺どうすればいいのっていう」
「そうなんだよねぇ……」
腹底から悩ましそうなため息に、男二人は心配して多津を見た。
その視線に気づいた多津が、ちょっと言いにくそうにうつむいた。その目元は酔いのせいか、ほんのり赤く染まっている。
「沙夜は……長襦袢で、昼寝することもあるから」
「げっ」
「《ながじゅばん》ってなんスか」
「着物の下に着る……洋装で言えば、えーっと、ペチコート?」
「ちげぇよ。ペチコートは……裾よけ、かな。襦袢はスリップドレスだろ」
「うわ……それは全然違うね」
「大間違いだわ」
「待ってください。ググります」
ファッションに疎い二人がスマホの液晶を叩く。
ひと足先に花吹は想像してしまった。
スリップドレス——白黒映画で見るような、細いストラップが肩にかかって、布地は胸のかたちがあらわになるほど薄く頼りない。
または裾よけ——浮世絵師が焦がれた花魁たちの、腰に巻かれただけの赤い下着。
花吹に遅れて、多津と鷹也も机のうえに突っ伏してしまう。
言葉もなく、男たちは心をひとつにする。
——これは、だめだ。
理性が完全に飛ぶ。
しかもまた、アルコールのまわった頭には刺激が強い。
女性には女性の苦労があるように、男性には男性の苦労がある。
XY染色体は、常に闘うことを選ぶようシステムされている。
しかし彼らジェンダーの愛おしむべきは、その苦難が純粋に、惚れた相手に尽くすために労されるところである。