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14歳、恋を知る。〈3〉※

「……風邪ひくから」


 鷹也に肩の雪を払われて、われに返った。

 いま見たこと聞いたことが、まだ頭の中でぐるぐる巡って整理がつかない。

 黙ったままの茉莉の腕を、鷹也は半ば強引に掴んで、裏口から厨房へと引き入れた。

 あたたかい空気に茉莉の四肢がゆるむ。

 ようやく緊張がほどけたのだと、緩んでからわかった。

 茉莉は改めて厨房を見まわす。

 いつもカウンターの向こうから眺めているときとは、全然ちがう景色があった。

 拭き清められたキッチン台。

 すっきりと並べられている調理用具。

 今は静かな洗い場。

 カツオと昆布のやわらかな匂いが、塩気と甘味も含んで香ってくる。


(タカヤの場所だ)


 この場所の主は、茉莉にスツールを勧めてから気まずそうに呟いた。


「雑煮、食べるか」

「うん」


 鷹也は二人分の椀を用意してから、キッチン台に腰を預け、はーっと息をつく。

 自分の気持ちを整理するように息を吐き切って、二つの手のひらを口の前で合わせた。

 茉莉は雑煮のあたたかい汁をすすりながら鷹也を見つめた。

 目を閉じて、これでもかというくらい眉間にシワを寄せている。


(——自分に、きっと、怒ってる)


 すると鷹也の目頭からポロリ、涙がこぼれた。


「えっ!?」


 茉莉の声で鷹也は初めて、自分の頬を流れるものに気づいたようだ。ゆっくりとその雫を指に乗せて、驚いている。


「あー……やば」


 なんの抑揚もなく、とまんねぇわ、と鷹也が言う。

 茉莉は驚いてどうしていいかわからなくなってしまった。

 とにかくティッシュか何か拭うようなものはないか、探してわたわたと奇怪な動きをしてしまう。

 それを見た鷹也は、涙を滴らせながら笑顔を見せた。


「ははっ、わるい。困らせて」

「や、あの」

「いいよ。座ってて。雑煮食べてな」


 鷹也は立ち上がって、自分でキッチンペーパーを取りに行った。

 茉莉の胸は、まだドキドキしている。

 お雑煮の味なんてわからない。

 男の人が泣くのを初めて見た。


「——どうして、泣いたの?」


 口に出してから茉莉はハッとした。

 こんなこと訊ねていいはずがないのに。


「ご、ごめ……」

「大丈夫」


 鷹也は苦笑しながら、茉莉の頭に手を置いた。


「もう聞いたことを聞かなかったことにしろってのも、無理な話だしな」


 茉莉はうつむいた。

 そうなのだ。

 鷹也とユナの口論そのものにも驚いたが、話の内容のほうが、もっと衝撃的だった。


「……ユナさん、震災って言ってた」


 まだ茉莉には、その単語の恐ろしさがわからない。鷹也も察してか、言葉を選びながら話してくれた。


「……十数年前くらいにあった震災だよ。ユナさんはそれで家族を亡くして、東京に出てきたって、教えてくれたことがある」


 遠慮がちに語られる、ユナの背景。


「ここに一時期住み込んでた(あや)、覚えてるか」


 茉莉はうなずいた。

 オシャレで気だるげで、だけどいつも一生懸命だったおねえさん。


「彩とユナさん、同じ店で働いてたんだよ。彩の入籍パーティーでユナさんと会った。オレなぁ、めちゃくちゃ緊張して、飲みすぎたんだよ。気づいたらもう朝で、ユナさんが介抱してくれた」

「カイホウって?」

「まぁ、水飲ませてくれたり、ビニール袋持ってきてくれたり」

「吐いたの?」


 ドン引きした茉莉に、鷹也は弁解するようにうなだれた。


「……あとから、迷惑かけた詫びとお礼も兼ねて、惣菜を持って行ったんだ。そのときに、ユナさんのもう一つの仕事も知った」

「なに?」


 ずっと知りたかったことだ。

 ユナさんがどんなふうに働いているのか、何を思いながら仕事をしているのか、そういう話が聞きたかった。

 鷹也はものすごく嫌そうな顔をしながら、「あんまり言いたくねぇんだけど……」と歯列の隙間から絞り出した。


「——男の客に、身体を……くそっ」


 ぐしゃぐしゃに髪を掻きまわして、鷹也は言葉の代わりに、悔しそうに唾を飲んだ。

 まるで、この世で一番まずいものを呑み込むような、苦い表情。


(おとこの客に、カラダ……)


 茉莉は唐突に意味をさとった。


 ——英語も通じるけど、私は話せない。


 あのときに感じた違和感……話さずに《どうやって》接客をするのか。

 彼氏だという人の話をするときの、妙に寂しそうな口調。


 ——茉莉ちゃんは、大事にしてくれる人を彼氏にしなね。


(ユナさんは大事にされてないの?)

(……それって、つまり)


 茉莉は、頭から氷を被ったような、ザザッと冷える寒気を感じた。


「ユナさんは——自分の身体で——」


 《接客》しているの?

 言葉にならない問いが届いたのか、鷹也は力なく頷いた。


(そっか、だから……)


 ——ごめんね、茉莉ちゃん。


(謝ったりしないでよ)

(ユナさんの、ばか)


 そんなことで嫌いになったりしない。子ども扱いされて隠される方がずっと嫌だ。


(だけど結局、子どもなんだ)


 世の中の残酷さをうっすら感じてはいても、いざ直面すると何もできない。

 それを鷹也もユナもわかっているから、ある程度の良識的な線を引いて、自分に接してくれていたのだと思う。


(——悔しい)


 自分が子どもであることが悔しい。

 少しでも知りたい。

 大人たちから巧妙に隠されている、この世界の残酷さを。



 *



 雪の降り続く冬のまに、茉莉は震災遺児のことについて、勉強そっちのけで調べ始めた。

 動画、図書館、SNS……サバイバーの体験記や、エッセイ漫画、遺児本人のインタビュー……記録は溢れるほど、痛ましいほどに見つかる。

 それなのに、肝心な相手のことは何もわからない。


(このまま、もう会えないのかな)

(だけどそんなの嫌すぎる)


 季節は移ろい、そのあいだに鷹也は大学を卒業した。

 そのまま食堂を継ぐのだとばかり思っていたが、案外そうでもないらしい。スーツ姿で市役所から帰って来ることもある。

 そのぶん仕込みは人手が足りないらしく、大学の後輩だという人がアルバイトとしてやって来るようになった。


「通信制ってリモートでしょ。後輩ってできるものなの?」


 鷹也とバイトさんが揃っている日に、茉莉は何気なく訊ねた。


「実習科目の履修で被ったんだよ」


 鷹也はちょっとウンザリした様子で言う。それにもめげずに、後輩氏は元気いっぱい「ッス!」と答えた。


「タカ先輩の包丁(さば)きヤバくてさぁ、自分ひと目惚れッス」

「……このひとBLの人?」

「抱いてください、なんつってェ!」

「うっせえよ」


 茉莉はおもわず笑った。


「陽キャが過ぎる〜」

「実は、けっこう隠の者スよ」

「無駄口叩いてねえでさっさと皮向け」

「やべ、怒られた」


 後輩氏はニカッと笑ってカウンターを離れた。

 ユナとはまた違う明るい雰囲気だ。

 だけどもう、それが全てだと思うほど茉莉の視野は狭くない。


(きっとこの人にも、色んな事情があるんだろうな)


 ちょうど、あの雪の日に見た景色のように。

 表と裏。外と内。

 どこに立つかで見えるものはまったく違う。


(見る方向が変われば、目に映るものも変わってくる)


 泉さんからユナの話を切り出されたのは、天気予報が梅雨入りを告げる頃だった。


「また調べてるの?」


 もう夜も更けて、子どもたちが帰る時間。

 泉さんが茉莉のタブレットを覗き込みながら言った。


「だって、ユナさんのこと知りたいから」


 泉はほほ笑みを浮かべたまま、「知ってどうするの」と茉莉の横に座った。


「まだ13歳の貴方に何ができるの?」

「……泉さん、いじわる」

「ごめんなさいね。ちょっと熱心すぎるかな、と思って」


 茉莉は黙ったまま、タブレットの液晶をオフにして、あたたかい湯呑みを手にとった。


「鷹也も、そういうタイプなのよねえ」


 泉さんが頬杖をつきながら言う。


「沙夜ちゃんのときも多津センセのこと牽制して、今度はユナちゃんの彼氏に口出したらしいじゃない。あのコ、損な性分だわ」

「……さやおねえちゃんのとき?」

「そうよ。同じ失敗繰り返して——まったく見てらんない。『いい加減に()りなさい』って、つい熱くなっちゃった」


 私も未熟者ねえ、と、泉さんにしてはめずらしい溜め息をつく。


「鷹也が男に口出しするのは、私の影響なのかしら……」


 独り言のように泉さんが言う。

 茉莉が驚いて振り向くと、泉さんがふふっと笑った。


「元夫がとんでもない暴力ふるう奴でねぇ、あのコも幼いなりに母親を守らなきゃって思ってたのかなー、なんてサ」

「泉さんでも暴力されるの?」

「なぁにその言い方。まるでひとを猛獣みたいに」

「いやそこまでは」

「ガルル」


 泉さんが両手を鷲の爪のように曲げて、茉莉を脅す。

 きっと泉さんには、後悔も迷いもあって、それでも笑っていられる強さがあるのだろうと思う。


「……うちのママが言ってた。『何も思ってなかったら、いちいち口出さない』って」

「おや、素敵なお母さまじゃない」

「こっちは放っておいてほしいのに」


 泉さんが声をあげて笑う。


「大切だから気になるし、加減がわからなくなるのよ」


 恋は盲目ともいうしね、と付け足して、泉さんは片づけに戻って行った。

 ぼんやりと、茉莉は考える。


(きっと、タカヤは)

(さやおねえちゃんと同じくらい、ユナさんのこと、好きなんだな)


 ユナの朗らかな声を思い出す。


 ——うらやましいよね。ああいう人に好きになってもらえるって。


(好きってどういうことか、まだわからない)


 でも、こんなふうに心配したり、思い出したり、元気かなって思ったりすることは、少なくとも無関心ではないと思う。


(話したい。うまく話せなくても)


 そう思うと、茉莉の胸がギュウと痛んだ。



 *



 翌日、朝ごはんを食べながら、動画が途中だったことに気がついた。

 何気なく再生をタップして、続きを見る。

 震災遺児がホームレスになる事例を特集したドキュメントで、ちょうどインタビューの途中だった。


『——ホームレスの中でも、治安の良し悪しがあって……』


 中性的な身なりの女性が、背後の高架下にあるテント群を指さす。


『あの辺は、日銭を稼ぐ手段があったり、遺児支援団体の方たちとも交流があって……』


 今度はカメラが動いて、公園奥のブルーシートを映す。


『あの辺はちょっと危ないです。アル中だったり、パパ活してたり……稼げた日はホテルとかネカフェ泊まるけど、全然稼げない日はあそこ。だからあんまり、助け合いとかなくて……個が集まってる感じ』


 茉莉はふと、背景に目を留めた。

 その違和感に気づいて、停止の表示をタップする。

 画面を明るくし、スクショしてから思いっきり拡大した。

 公園を歩いている横顔は……


(ユナさん)


 どうしてわかったのか、自分でも不思議だった。

 歩き方か、雰囲気か。

 だけど間違いないという確信がある。


(これどこ? あ、都内?)


 最寄駅から二回乗り換え、小一時間はかかる場所だ。


(今日はフリースクール行って、その後塾もある)

(だけど、今日を逃せば——)


 ユナの性格を思えば、ひとところに留まっているとは考えにくい。

 動画のアップロード日時を確かめる。


(一週間、まえ)


 考えるより先に身体が動いた。

 必要なものをカバンに突っ込み、朝ごはんも残して玄関に向かう。

 後ろから母親の声が聞こえたが、振り向く気持ちにはなれなかった。

 これはとても危ないことだと、自分でもわかっていたからだ。





次話、ラストです!(見込み)

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