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Harmonie et Rosés〈1〉

彩ちゃんと花吹氏のお話。ちょっと闇深め。

 苅田(かりた)(あや)にとって、青田沙夜は特別な存在だ。

 唯一の友だちでもあり、ちょっと大げさかもしれないが、理想の女性像でもある。


「養護施設にいたとき、あたしに普通に話しかけてくれたの、さーやだけだったもん」


 深夜のファミレスで、彩はメニュー表を眺めながら言った。

 菜の花や苺など春らしい食材が並んでいるが、食べるつもりはない。否、食べることが怖い。

 ぶ厚いメニューを戻し、ティーカップを持ちあげて、あたたかい紅茶を飲んだ。


「名前が似てる、から始まって、歳も一緒だってわかってさ」


 テーブルの向かいに座る花吹(はなぶき)(ゆたか)が、頬杖をついて応えた。


「なに、おまえ施設でもお一人様だったの」

「言い方!」

「他にどう言えばいいの。ぼっち?」


 彩は花吹を睨んだ。

 否定できないのが悔しい。


「まぁそうだけど……『デブ』とか『ぶりっこ』とか言われて、仲間外れにされてた」

「程度の低い悪口だなぁ」

「悪口に高い低いとかあるの」


 たしかに、と笑う花吹の表情を見て、彩の気持ちも少しほぐれた。

 (ひじ)をついて窓を見る。

 店内の照明に反射して、自分の顔が——冬よりは幾分ふっくらした頬が——映って見えた。


「いま思えば、そんなトクベツ肥満体型だったとかじゃないと思うんだけど」

「そんときの写真とか、ないの」

「ないよ。あっても見せない」


 自嘲ぎみに彩が笑うと、花吹はじっと見つめてきた。


(うわ……!)


 頬に熱がのぼる。

 沙夜の卒業式の日を思い出す。

 あの日、音楽室で抱きすくめられて、連絡先を交換した。


 ——スナックで働く日は連絡入れろ。会うから。

 ——会うって?

 ——上がる時間に合わせて迎えに行く。


 それ以来、妙に意識してしまって、彩は落ち着かない。


(今日、飲みに来てくれたし)


 彩を指名で来てくれた。それだけでも助かるのに、オーラスで居てくれた。

 お茶を引けば肩身の狭い水商売、隣に良客が居てくれるだけで、ほっと息がつける。


 ——向こうのお客さん、オヤジのパチスロ仲間だ。

 ——指名客?

 ——そう。あのひと飲み方荒いから、助かった。来てくれてありがとう。

 ——せっかくボトル入れたしな。飲みに来ねえともったいないだろ。


 そんなことを言いながら、お酒自体はほとんど飲まずに、彩のドリンクだけを入れてくれた。


(こんなに優しくされると、逆に困る)


 彩はなんだかムズムズしてしまって、お手洗いに行こうかと席を立った。その瞬間——


「おまえ、目鼻立ちいいからな」


 花吹が唐突に言った。


「男子ってのは、可愛い子には意地悪言いたくなるもんだよ」

「えっ?」

「『ぶりっこ』も女子からのやっかみだろ」


 花吹がメニューを取りながら、彩を見ずに、なんでもなさそうに言う。あまりの自然さに、彩は「ふーん」とだけ応えた。

 しかしトイレのドアを閉めた瞬間、顔がぼっと赤くなる。


(どういうこと!?)


 ひええ、無自覚タラシって恐ろしい……としゃがんで、彩は両頬をぺしぺしと叩いた。


(期待しちゃ、だめ)


 彩は自分のなかで膨らむ何かに、針を刺してしぼませる。


(たづセンセとは、違うんだから)


 卒業式の日は、夜になって沙夜からの連絡が来た。

 ちいさな声で照れくさそうに、一緒に住むことになった、と告げられた知らせ。

 おもわず彩は叫んでしまって、スマホを取り落とした。


(あのときは、なんかすごく幸せな気持ちでいっぱいになったけど……)


 翌日になって、沙夜と多津が二人で食堂に顔を出し、泉さんに挨拶しているのを見て、どうしようもなく寂しい気持ちになった。

 沙夜の着替えを一緒に荷造りしながら、何度も「行かないでよ」と引き留めそうになった。

 たった一人の友人で、憧れの存在。

 彼女が選んだ道を心から祝福できない、喜べない自分が嫌だ。


(これも『やっかみ』ってやつかな)


 容姿だけでなく性格まで醜い人間。何を今さら、綺麗ぶることがあるだろう。母親に捨てられ父親に虐げられて、友人は離れてゆく。

 スマホが着信を知らせる。


「——もしもし」

『彩ァ、帰って来んのかァ』


 いかにも哀れな声を出して、すがりついてくる父親。スマホを通してでも酒の匂いが届きそうだ。


「今は知り合いのウチにお世話になってる。いい加減あたしも、アンタとは縁を切りたいの」

『薄情なこと言わんでくれ』


 すすり泣きが聞こえる。

 いつもこうだ。こうして泣いてすがられて、仕方なしに戻ってやると、稼いだ金をむしり取られて——


(そのうえ……)


 ぞくっと背中を走り抜ける寒気に、おぞましい記憶が被さってくる。

 それでも離れられないのは、相手が父親だから。


『帰ってきてくれよォ、おまえまでオレを捨てるんか』

『彩の顔はな、母さんそっくりで、安心できるんよ』

『なぁ、これから気ィ入れて働くから。今度こそ、真面目になるから』


 絡みつく哀願を振り払うように、彩は「わかったから!」と声を荒げた。


「いったん帰る。出かけんなよ、オヤジ」


 それだけ言って通話を切る。

 これが現実だ。


(そうでしょ、彩)


 可愛いだの優しくしてくれるだの、そんな幻想はトイレにでも流してしまえば、こんなに辛い気持ちにはならない。


(……距離、置いたほうがいいかも)


 席に戻ると、花吹の姿はなかった。

 先に帰ったのか、離席しているだけか。

 突き刺すような胸の痛みをなかったことにして、感情はどこかに追いやる。戸惑う気持ちに蓋をする。

 卓上を見ると、伝票がまだ置いてあった。

 少しの間迷って、テーブルのペン立てからボールペンを取り、伝票のウラに走り書きをした。



 *



 飲食禁止の喫煙スペースで、花吹はアイコスをふかしていた。吐く息も自然と大きくなる。


(どうしたって仕方がない)


 彩の置かれている環境は、部外者が介入しにくい形になっている。

 泉から聞いた彩の家庭事情——特に父親の人柄は、ひと昔まえのドラマに出てきそうなほど、時代錯誤の亭主関白だった。

 関白どころか、娘の稼ぎを酒やパチスロに溶かすあたり、ホームレスのほうが、よほど生活力がある。


(親ガチャ、とはいうけどよ)


 花吹は彩の様子を思い出す。

 夜の照明に似合うファンデーション、ラメの多い目もと、くちびるは赤く、ボブカットの黒髪がよけいに大人びていた。

 対照的に思い浮かぶ、ピアノを聞いて無邪気に喜ぶ彩の表情。

 夜と昼、二つの顔。

 対極にある印象は花吹を戸惑わせる。


(あんまりじゃねえか)


 健気だと思う。

 助けてやりたいと思う。

 だけどどうしても、その方法が思い浮かばない。


(ただ引き離すだけじゃ、ダメなんだよな)


 彩自身が、みずから親と離れる決意をしなければ、何も進展しない。


(多津と同棲する、って決めた青田みたいに)


 そんな相手に惚れられた多津を、羨ましくも思う。

 甲斐性がないのは、いつだって男のほうだ。

 堪らなくなって拳で壁を打つ。


「簡単に言えるかよ——!」


 父親を捨てて俺のところに来い、なんて。

 どの口が言えるのか。

 幸せにしてやれる確信もないのに。


 ——正直な話、彩ちゃんを何年も匿う余裕はありません。残念だけど。

 ——そんなに気になるなら、いっそ貴方が保護なさいませ。つまり《法的》に。


 泉の言葉が、花吹のプライドを鈍くえぐる。

 自分の度胸のなさ、器の狭さ。

 こんな煩悶に直面したのは初めてだ。


(ああ、ほんとに嫌だな)


 喫煙室を出て、席に戻る。


(俺が出来ることなんて、せいぜい悪い客が付かねえようにしてやるくらい——)


 テーブルに彩の姿はなく、一瞬、席を間違えたかと思った。

 伝票の上に、紙幣と小銭が置いてある。

 ウラに書いてある文字——「先に帰ります」


 なんと逃げ足の早い。

 花吹は、うっかり伝票を握り潰してしまいそうになった。

 そんなことをしては、会計のときに店員が困る。


「……人間不信の野良猫を、どう保護しろっつうんだよ」


 独り呟いて、会計カウンターに向かった。



 *



 この深夜。

 のちに思い返し、花吹は「どうして後を追わなかったのか」と歯噛みして悔いることになる。

 この日以来——、


 彩と連絡が取れなくなった。





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