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2話 17歳の夏休み

「あっつー!」


 自転車のタイヤが焦げつきそうなアスファルト。

 石焼きビビンバに乗せられた具の気持ちはこんな感じかな、と沙夜は連想した。

 白いブラトップに薄手のパーカーを羽織って、沙夜の腕がハンドルを握る。これまた熱い、なんてこと。


(なんの、負けてられるか!)


 沙夜は思い切りペダルを踏み込み、傾斜をのぼり始めた。

 ひと漕ぎするごとに汗が噴く。

 帰りにアイスぐらい買わなきゃやってられない。


(あとでタカ兄に言おう)


 口止め料で二人分のアイスを買う。断固買う。

 心のなかで、バニラ、チョコ、バニラ、チョコ、と唱えながらペダルを漕いだ。

 走ること十分。

 じぶんはクジラになったのかというくらい汗を噴いて滴らせ、沙夜は目当ての場所に到着した。

 スーパーマルミ。

 地元農家からの野菜も多く置いてある地域密着型店舗。

 夏休みに入ったからか、いつもより子連れが多い。歩いて駐輪場に向かい、ロックをかける。

 なけなしの日陰ですら、すでに涼しい。


(これはやばいわ、お店入ったらヒートショック起こす)

(あれ、反対? クールショック?)


 熱でのぼせた頭を冷やそうと、手近なコンクリートブロックに腰かけた。

 すると——「ひゃっ!」

 頬に冷たい何か、陰る足もと、くたびれたビーチサンダル。


「多津先生!」

「おはよう、青田さん」


 ラフな格好の多津教諭が立っていた。


「これ、あげる」


 押しつけられたものを見ると、パピコである。

 炎天下、この恵みは千金に値する。


「やったあ、嬉しいですー!」


 沙夜は遠慮なく恵みを享受することにした。

 隣りのコンクリートブロックに多津も腰かけ、気だるそうに「あつ……」と零した。

 喉ぼとけを伝う汗が、くっきり浮き出た鎖骨に溜まる。


「先生、ちょっと痩せました?」

「気のせい気のせい」

「や、なんか……え? いや、やっぱ痩せてますって」


 二の腕、手首とまじまじ眺めて、沙夜は確信した。2キロは減っている。


「だから言ったじゃないですかあ、ウチに食べに来たらいいのにって」

「小学生に混じって食べるなんて恥ずかしいよ」

「そんなこと言ってる場合ですか? この手首、ヘタしたら小六男子より細くなっちゃいますよ」


 何気なくふれた左手首が、弾けるように逃げた。

 手首を隠すようにさすりながら、そっぽを向いて多津が答える。


「……そんなこと、ない」

「んー、まあ今のは言い過ぎましたけど」

「そうだよ。ぼくのは成人男子の手首です」

「なんなんですか、もう、そこ拗ねないでくださいよ」


 沙夜は立ち上がってパピコを吸い切った。


「今日は月末なんでカレーです」


 多津の頬が、ぴくりと動いた。


「タカ兄が朝から仕込んでたなあ〜。玉ねぎスパイスで炒めて、めっちゃ美味しそうな匂いしてたなあ〜」

「……具は何?」


 相変わらず表情の見えない頬骨に向けて、沙夜は言い放った。


「豚こま、大盛り」



 *



「ただいま〜」


 溌剌(はつらつ)とした声が届いて鷹也(たかや)は「おう、お帰り!」と応えた。

 ぐつぐつ、ブォー、タンタンタンと騒音豊かな厨房で、自然と声はおおきくなる。


「オクラあったかー?」

「あったあった、タカ兄の言う通り!」

「だろ、農協情報ナメんな——」


 厨房から裏口をのぞいた鷹也は、湯気のあいだに見え隠れする人影に「げっ」と毒気を吐いた。

 オクラ山盛りネットを両手に掲げる沙夜の後ろ、所在なさげに立ち尽くすオッサン——くそ、来てんじゃねえよ。


「すみません、青田さんに拉致されました」

「先生、言い方!」


 沙夜が調理場にドサッとオクラを置く。


「タカ兄、ごめんね。先生があまりにもやつれてて、ちょっと連れて来ちゃった」

「営業時間まえなんですけどー?」

「うん、そうなんだけど」

「ここは子ども食堂なんですけどー?」

「うん、そうなんだけど」


 鷹也は心のなかで毒づいた。

 これは完全に、アウトだ。


「タカ兄、あのさ」


 ダメ押しのように沙夜が声を潜める。


「ここでバイトしてることとか、黙ってくれてるし、先生わるいひとじゃないから、ね?」


 いや、わるいひとだろーが! と内心ツッコむ。


(どこが悪いかわかんねえけど、なんかザワザワする。なんかムカつく)


 沙夜の高校の非常勤講師だというその男。

 べつにヤカラではないし、地味だし、取り立てて「ここが悪い」とも言えない男。

 だが、沙夜と兄妹同然で過ごしてきた鷹也にとって、正直お付き合いは御免こうむりたいタイプの——敵。

 敵に塩を送りたくはないが、沙夜が言うのだから仕方がない。


「ったくよお、捨て犬拾うのとは訳がちげーんだぞ」

「ははっ、パピコで買収されちゃった」

「なにい?」


 腹立ち勢い振り返ると、目のまえに、あの、一個三百円する高級アイスが掲げられた。

 夏にアイス。それは正義。

 ハーゲンダッツ。それは聖なる食べもの。


「沙夜、おま——」

「タカ兄も、これで買収されてくれる?」


 鷹也はがっくりと肩を落とした。

 生来の付き合いで沙夜の良いところも面倒なところも知っている。

 この娘は普段は素直なのに、すわ飢えている奴に出会うと、梃子(てこ)でも引かないのだ。


 午後三時をまわって、この食堂の主が帰ってきた。

 客席をちらりと見てほほ笑む。


「多津先生も来てるのね」

「沙夜が拾ってきた」

「ま、犬猫みたいに。口のわるい男は嫌われるわよ」

「母さん」


 じろりと睨むと、母親は「おお怖い」と言いながらエプロンを引っ掛けた。


「アイツ、図々しいんだよ。ひと回りも下の女子に甘えて、店の(まかな)い食って……」

「いいじゃない、子どもたちに宿題教えてくれるし」


 そうなのだ。

 なんだかんだ、賄い分の代金は払うし、食堂に来る子どもたちの世話もしてくれる。

 それなりに居場所を得ているところが、なおさら腹立たしい。


「それにね、鷹也。男が女に甘えるのに、歳の差なんて関係ないのよ」

「うわ、出た。てめえに関係ねえだろ」

「母親を《てめえ》呼ばわりすんな」


 尻をガツッと蹴られて、顔面が鍋に突っ込みかける。


「アンタねえ、隠してる振りしてバレバレよ。あの()が好きならさあ、もうちょっとさあ」

「あー、あー、聞こえねえなあ!」

「耳かっぽじって聞きなさい。たかだか今年酒飲めるようになったくらいで、大人の男ぶんじゃないわよ」


 あんたなんか男子高生に毛が生えたぐらいのもんよ、と母親が言い捨てた。

 自分の息子に散々な言いようだ。


「いいじゃない、沙夜ちゃんの話せる相手が増えるのは」

「そりゃあ、あの頃に比べたら……」

「ほら、楽しそう。なに話してるのかしら」


 遠目に見えるテーブル席で、カレーを食べながら二人が笑っている。

 なんだか無性に腹が立つ。

 あの男の皿にタバスコを思い切りかけてやればよかった、と思った。





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