東京 その7
携帯電話を握ったまま、僕は先日の菅原さんの言った言葉を思い出した。
「いつまでも あるとおもうな おやと かね」
その通りである・・・
親孝行なんて全然やってない・・・
その後悔だけが心の中に重くのしかかっているのだ。
親孝行っていったいなんだろう?
涙が後から次々、流れてくる・・・大声で泣けない僕の眼から、静かに流れ出てくる・・・
膝に少々重みを感じた・・
いつの間にかフェレットのアシュリが、僕の膝の上まで来て下から僕の顔を、小さな眼でジーとこっちを見ている。
どうしたの?泣かないで・・・とでも言っているのだろう・・・と勝手に思いこんだ。
僕はアシュリを抱き上げ、涙で濡れている顔を近づけて頬づりをスリスリとした。
いつも思う事だけど、フェレットには人の不安や悲しい気持ちを吸い上げてくれる能力があると思う。
心の中にあった混沌としたモノがスゥーと無くなっていく感じがする、涙も徐々に止まっていくのである。
この子もインスリノーマというフェレットのすい臓ガンなのだ、薬からの糖分摂取でお腹がデブっと腫上がっているアシュリの容姿マジマジを見た。
アシュリ ありがとう ありがとう
頭を2,3回なでて足元に置いた、いつもならば、すぐにネグラの小さなテントに帰るのであるが、今日はそこから動かないで、僕に寄り添って離れない。
気持ちが落ち着いてくる・・・
リビングを見渡すと、淳ちゃんがさっきと変わらない様子でテレビを見ている。
少しづつ涙が渇いて、感情もどうやらコントロールできそうだ・・・
「あんなぁ、お母ちゃんなぁ、すい臓ガンで・・・あと1ヶ月の命・・・らしいわぁ・・・」
と、淳ちゃんに言ってみた。
「ふーん・・・」
テレビをジーと見たまま、淳ちゃんは言った。
え?それだけ?・・・
淳ちゃんはこの事態になんとも思わないのだろうか?・・・
僕は驚いたが、彼女の眼をよく見ると黒目だけが微妙に激しく左右に動いてテレビを凝視している。
お笑い番組がやっているのだが、クスリとも笑わない。
淳ちゃんは完全に動揺していた、どう対処していいのかわからないので「ふーん・・・」と言ってしまったように僕は感じた。
「俺なぁ、考えたら 全然、親孝行してない・・・どうしよう・・・」
精神病の彼女にこの手の事は言ってはいけないと思っていたけど・・・
彼女自身もウチのオカンとは確執のあった時代はあったのだ、気にすると病気には良くないとわかっていたのだが、僕の心の中にずっしりと抱えきれないほどのこの後悔の念を思わず言ってしまった。
「・・・」
淳ちゃんはテレビを凝視し続けたままであった。
フェレットのアシュリが僕の横から淳ちゃんの膝に重いお腹をズリズリと引きずりながら移動して今度は彼女の膝で丸くなり、そこに落ち着いた。
彼女はアシュリを両手で抱き上げ、頭を撫でて関西弁でこう言った。
「ウチのお母さんが言ってたけど、子供は3歳までで親孝行は十分やってるから、もう親孝行はしなくてエエらしいわ・・・」
僕には淳ちゃんの言っている事がすぐに理解できた。
赤ちゃんは可愛い・・・見ているだけで自然に笑顔がにじみ出る・・・
つまり、僕はすでに、赤ちゃんの頃から3歳頃までに、その愛くるしさや、可愛らしさで十分に親を楽しませてきている、それ事態でもう親孝行は終わっていると言うのだ。
淳ちゃんの精一杯の励ましであり、彼女のお母さんの言葉に感謝した。
でも、僕には親孝行の実感はない・・・
今は何月だったのだろう?・・・そんな事も忘れていた。
携帯電話の日付を見た・・・5月1日である・・・
この5月中にはオカンは死ぬのか・・・・
できるだけ早く帰ろう・・・大阪へ・・・